第1片 飛べない魔女⑤

 目を覚ます。

 いつの間に寝ていたのだろう。ロクに仕事もしてないはずなのに、疲れているのだろうか。


「え」


 私は、水の中にいた。

 いや水の中にはいない。普通に息ができているし、足はしっかりと地面についている。

 でもここは水の中だった。

 だって、

 

 魚が私のまわりを泳いでいた。

 

 赤。

 青。

 黄。

 緑。

 見たことがない、色鮮やかな魚たちが私の周りを泳いでいた。水もない、空気の中を光の粒子を帯びながら、優雅に泳いでいた。


「何これ……」


 言葉を失う。

 まだ夢の中なのだろうか。そうでなければ説明がつかない。

 こんな綺麗な光景など、現実はありえない。


「起きましたか」


 女の子が寄ってくる。さっき会った芸大生の子。どこかさっきとは雰囲気の違う、女の子。

 格好も同じ、髪型も、話し方も変わっていない。

 でも、どこか違う。


「え、ええ。ここは?」

「あなたの水族館ですよ」

「私の水族館」


 そう言われても、魚が空中を飛ぶような不思議な場所は知らない。

 女の子は指をパチンと鳴らす。私の手がズシリと重くなる。手にはギターがあった。


「弾けるんですよね? 一曲どうぞ」


 どこからギターが現れた?どういうこと?

 でも、手は勝手に動いていた。

 音が鳴る。何も装置もないのに、音が響く。

 

 音に呼応して、魚も動いていた。

 声を出す。

 私が作ったオリジナル曲。

 まだライブ会場で歌ったこともないし、歌う予定もない。


 観客は女の子と、謎の魚たち。

 魚は色を変化させ、私の周りを踊る。

 不思議な光景の中、私はただ歌う。


 泣いていた。

 おじいさんはどうなるか、わからない。病気が治ってもこの場所で元気に働くことはできないだろう。たとえ元気に働けたとしても限界だろう。新しく魚を連れてくることはできないし、寂れた街をどうにかすることはできない。

 ここは潰さなくてはいけない。

 でも、今は精一杯歌う。

 たぶん最後の思い出。水族館での最初で最後のライブ。


 サヨナラ、私の大好きだった場所。


 魚は楽しそうに泳いでいた。






「……館長さん、館長さん」


 眠ったままの若い館長さんに声をかける。


「あれ?」


 目を覚まし、変な声を出す。


「魚が空中を泳いでいて、ギターが現れて」

「何言っているんですか、夢でも見ていたんですか?」

「夢、夢なのかな……わっ」


 女性が目を見開く。

 彼女の目の前に広がるのは、すっかりと様変わりした水槽に、見慣れないステージ。


「これをあなたが?」

「はい、超特急でつくりました」


 嘘だ。存分に魔法を使わせてもらった。それも当分消えることのないように現実の物として固定化したので、かなりの感情を消費した。

 泳いでいた魚を絵にして装飾した。寂れたイメージは消え、立派な水槽になっただろう。

 ステージも小さいながら、ここで歌えば映画のワンシーンのように絵になるだろう。


「最近、写真映えする場所人気なんで、こうするとたくさん人来ますよ。良かったら、私がハッシュタグつけて宣伝しておきましょうか」

「そう、かな」

「ごめんなさい。たぶん。そんなに人来ないです。そもそも魚がいないと駄目です」

「……だよね」

「でも、潰れるのをただ待つ必要はないと思います」


 私が指さす先にはステージがある。


「しっかりと練習して、しっかりと足掻いてください。それでも駄目なら諦めてください」


 彼女は笑いながら、応える。


「生意気」


 今までの努力は知らない。けど、ここまで頑張ってきたのだ。もう少し足掻けばいい。足掻いた結果がどうなるかはわからないが、ただ終わるよりはずっといい。


「そこまで私は万能ではないので」

「ありがとう」


 これから頑張るのは彼女次第。


「それにしても本当に凄いね。魔法みたい。こんな一瞬で作り上げちゃうなんて。私、そんなに寝ていたかな?」

「いやー、ははは」


 笑ってごまかす。

 想像の通り魔法なのだが、「正解」とは答えない。


「なるほどね」

「何がなるほどですか?」


 魚の絵を手で触れながら、彼女は言う。


「あなたはこうやって自分を出しているのね」


 自分、自分か。


「そうかもしれませんね」


 『つぐみ』は芸術に自分を見出している。




 × × ×


「古湊君凄いね、この短時間でこの出来!」

「それほどでもー」


 教授や他の学生も「すごい」、「いつの間に?」などなど、私を褒める。

 他の皆は、提案だったり、スケッチだったりで、実際に形にしたのは私だけだった。そりゃ褒められる。 


「凄いな。普段、授業では冴えない学生だけど、外に出ると君は本当に凄いな!」


 ……褒められているんだよね?


 こうして水族館アート企画の授業は終わり、なんだかんだで私が良い成績を収めた形となった。

 水族館からの終バスに乗る。若い館長さんが私たちに手を振る。そこには諦めムードの彼女はいなく、吹っ切れた顔が印象に残った。

 悪くない。

 そう感想を心の中で述べ、固い座席に背をつける。


「……あれ、そういえば前島さんは?」

 

 帰りのバスに前島さんはいなかった。

 お昼を食べて以来、前島さんと会うことはなかった。ご馳走になったのだからお改めてお礼を言いたかったのだが、いなくなっていた。先に帰ったのだろうか。調子でも悪くなった?心配だ。

 まぁいい。どうせ、すぐ大学で出会うだろう。




 うん、すぐ出会ってしまった。


「ま、前島さん?」


 そして非常にまずい状況である。

 次の週、授業が始まる前に彼女に出会った。彼女は無表情で私の手を取り、校舎の人気のいない場所に連れてきた。

 連れて来られたと思ったら、じりじりと壁に追い詰められ、顔の横に手を置き、私が逃げるのを防いできたのだった。


「あ、あの、どうしたのかな、前島さん?」


 あれ、これ壁ドンってやつじゃない?コンビニの少女漫画で見たことあるが、私達女同士だしな……、え、私の貞操が危機的状況?

 こ、ここは荒立てずに、犯人を威嚇せず、穏便に解決させないと!


「ど、どうしたのかな、前島さん?」

「これはどういうことなのかな、古湊さん?」


 彼女が顔、ではなく携帯を私の目の前に近づける。

 良かった、ファーストキスは守られた……と思ったのも束の間、危機的状況はなお継続していた。

 携帯画面には、魚が空中を飛んでいる写真が表示されていた。

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