第2片 忘れられた魔女⑤
豪華な朝食を堪能し、大学へ出かける準備をする。
当分はこうやって毎朝起きる度に楽しみが待っている。そう思うと、日々を生きる嬉しさが増していくというものだ。
本多さんの食事はサンドイッチの時も思ったが、シェフ顔負けの美味しさで、「毎朝味噌汁をつくってください」というのも、満更冗談でもないと思うほどであった。もしくはうちのメイドになってくれ。
「じゃあ私は大学に行ってくるけど、本多さんは?」
「うーん、まずはバイトを探すわ。それから家を」
「まぁ焦らず、当分はいていいからさー」
美味しいご飯も食べられるし、話し相手がいるのは私にとっても嬉しい。
けど彼女は首を振る。
「ライバルとしてあんたの力は借りないわ」
「今さら?」
泣き顔を見せ、ご飯も出し、家も服も貸しといて、本当今さらだ。
「もう! 早く行きなさいよ、遅刻するわよ」
へいへい、と気の抜けた返事をし、家から出ていく。
足取りは軽く、気を抜くとスキップしてしまいそうだ。
今日は1限から4限まで授業が詰まっている。長い1日が始まる。さて、今日も芸術に励むとしますか。
× × ×
「古湊くんの絵は上手い。上手いのだけど、心がないんだよね」
私の絵をのぞき込んだ先生が嘆く。周りの生徒も筆を止め、こっちを見ていた。
「だからつまらない」
「……そうっすね」
直球だった。
心がない。つまらない。
何も言い返せなかった。
道具を急いでしまい、鞄を持ち、椅子から立ち上がる。生徒たちは騒めくも、私は気にしない。
「古湊君?」
「お疲れさまでした」
そう言って、描いている絵はそのまま放置し、教室出口へ向かった。
先生は唖然としていたが、遅れて事態に気づき、声を荒げる。
「まだ授業、授業だぞ古湊君!」
私は振り向きもせず、教室を後にした。
下を向きながら、早足でどこかへ向かう。
目的地はない。何処にもなかった。
先生の言葉にイラついたわけではない。少しムッとはしたけど、怒りと呼べるほどの感情はなかった。
「心がない」、「つまらない」。
その通り、図星なのだ。
私には心が無い。だから感情のこもっていない私の芸術はつまらない。
描いていて、自分も自信が無いし、納得できない出来だった。
一致しない。
自分の理想と、出てくる想いと、出来栄えと現実がズレる。
焦った。自分の限界を改めて痛感させられる。
厳密には感情を全部失ったわけではないし、つぐみとして感情も最低限持っている。
でも、それは『偽物』だ。
本当の心ではない。飾られた感情、心のない芸術。
偽物の私は、何処にも行けなかった。
歩くのも疲れ、ベンチに座る。
見上げた空は、嫌というほど青く、何処までも広がっていた。
空も飛べないし、何処にもいけない。
きっとこういう時、泣きたいと思うのだろうが、私には流れる涙がなかった。
× × ×
「ただいま」
ドアを開けると、とたとたと足音を鳴らし、彼女が向かってきた。
「おかえり」
「うん、ただいま。どうかした、私の顔をじろじろと見て」
「何でもないよ」
本多さんの顔を見て、少しホッとする。
「バイトは見つかった?」
「……ぜ」
「え?」
「全滅」
「マジか」
「マジよ、午前中に面接5件受けて、全滅よ!」
「何でちょっと偉そうなの!?」
「私ほどの実力を持つ魔女を見逃すなんて、もったいないことしたわね」
たいした自信だ。
本多さんには料理の才能があるし、きちんと話せるし、見た目も可愛いので、よっぽどのことがなければバイトに落ちないと思うのだが、面接でよっぽどな受け答えをしたのだろう。うん、余計なことを言いそうだ。
「午前中に全滅で、午後は何していたの?」
「この街を探検したわ」
「探検ね……」
「正義の魔女としてのパトロールってところね」
残念ながらそんなことしても一銭にもならない。
けど、バイトに落ちてもへこまず、行動力があるのは素晴らしい。ぼけーっとして、ただひたすら落ち込んでいた誰かとは違う。
「成果は?」
「今はない。でもこの街って何か変なのよね」
「何か変?」
「そう、魔法を使用した痕跡があるの、何か所も」
それは私が他人の感情を利用して、魔法を使った形跡ではないのか。私がそう言う前に彼女は否定する。
「あんたのではないわ」
「じゃあ、別の魔女がこの街にいるってこと?」
「そうなるわね。けど魔女のいる気配はないの」
「気配がないね……、魔力を持っていないとか」
「それはあんたでしょ。そんな奇特な魔女、他にはいないわ」
嬉しいような、悲しいような。
となると、
「よっぽど強い魔女ってことか。自身の魔力を探知させないほどに、能力の高い魔女」
「そうね、できる魔女よ」
この東京には他にも魔女がいる。
それ自体は別に何も問題がないことだ。隠れて、互いに干渉せず、暮らしている分には何も問題は起きない。
問題なのは、わざわざ東京に出てきて『何』に魔法を使っているか、ということだ。
魔女のほとんどは四国に留まっていて、目的が無ければ出ていかない。臆病で、安定志向なのだ。つまり四国から出て、東京にいる魔女は、勇敢で恐れず、害のある可能性が高い。
さらに問題なのは、魔女を取り締まる組織がないということだ。
魔女になるために、小さい頃から徹底的に魔女の規範、魔女としての使命を教え込まれる。西洋で言えば、ノブレス・オブリージュ、貴族の義務といったところか。私たちの心が、間違いを許さないようにできている。
ただ、私は感情が欠落したので、魔女の義務に則る意識が薄い。
一方で、本多さんは『正義の魔女』と称されるほど、魔女としての正しさを求め、強制する。
「お願いがあるわ」
「断る」
「まだ何も言っていないじゃない」
だって、答えは予想がつくのだから。
「私と一緒に、魔女を探せ」
お願いではなく、脅迫だった。
「魔力のない私がいても邪魔じゃない?」
「あんたに探知は期待してないわ。ただ私には土地感が無いのよね。だからあんたは案内役になりなさい」
「携帯で地図を見ればいいのでは?」
「機械は信用できない」
これだから魔女は。
「もうひとつお願いがあるわ」
「えぇ……」
「今日の晩御飯、インスタントは嫌だ」
それには同意だった。
料理を作ってくれるということで、本多さんと近くのスーパーへ向かった。お金は私が払うが、彼女が料理してくれる。ギブアンドテイク。私の方が得が多い気がする。ありがたい。
野菜を真剣に見る本多さんに声をかける。
「今日のご飯は?」
「定番のカレーってところね」
「わーい、本多ママー」
「こんな子産んだ覚えありません」
「……未来から来たんだ」
「外でこのやり取りは恥ずかしいんですけど」
せっかくだからと色々買い込む。
当分の間ご飯に困ることは無さそうだった。
「重いでしょ、私が持つよ」
「いいわよ、これぐらい」
「いいって、このあと働いて貰うんだから」
「情けはいらないわ」
「じゃあ、そっちだけ持って」
ビニール袋の取っ手を、片方ずつ持つ。
「……」
「……何か言いなさいよ」
「何だか新婚夫婦っぽいね」
「な、何よ!?」
動揺する彼女を見て、つい笑ってしまう。
「わ、笑うな!」
「ご、ごめんって」
スーパーを出て、アーケード街を歩く。
「それにしても、この東京に他にも魔女がいるのか」
「ええ、絶対に見つけてやるわ。正義の魔女として見逃せない」
やる気満々だが、まだ悪い魔女と決まったわけではない。
「あんたもさっさと大学を辞めればいいのよ。私と魔法で、人々を救いましょう。魔女が人々を導くの」
「それは……」
その考えは正義であって、悪でもある。
「魔法は人助けのために使うものなの。芸術なんかに使うものじゃないわ」
壁にぶつかった私にとって、痛い言葉だ。
芸術を学び続けて何になる?彼女の言葉は正しいのかもしれない。
「あなたには魔女の才能があるの」
「あった、の間違い」
「でも、魔力を失ってもあんたは魔法を使っている。他人の感情を転換し、利用するなんて他の魔女にはできないわ」
確かにその技術は教科書にも、歴史にも載っていない。
それは『つぐ』の才能の残滓か、それとも私の執念か。
あの時見た絵。
感情を失ったはずなのに、流れた涙。
心が動いた瞬間。
私はあの感動に救われたのだ。
そして私も同じように誰かを芸術で救いたい。
「あのね、本多さん」
言い終わる前に、
明かりが突如消え、街は暗闇と化した。
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