第1片 飛べない魔女

第1片 飛べない魔女①

 一致しない。

 

「うーん、何か違うんだよな」


 筆を持ちながら、キャンバスと睨めっこする。

 自分の中でしっくりとこない。何か違う。でも何が違うかはわからない。

 固まったまま動かない私を見かねたのか、先生が近づいて、助言する。


「ここをもっと淡い色にした方がいいんじゃないか」

「あーそうっすね。やってみます」


 筆を走らせ、色を与える。

 なるほど、良くなったような、良くなっていないような。


「どうっすかね?」

「わからん」


 即答だった。

 先生がわからないんでは、一生徒の私がわかるはずがない。


「君が納得するものができればいいんだよ。芸術なんて自己満足さ」

「そんなもんっすかね……」


 名言っぽい台詞を残し、別の学生の様子を見に行く。うん、匙を投げたな。

 教室では10数人の生徒がキャンバスに向き合い、一心不乱に筆を動かしている。優雅に皆の様子を眺めているのは私ぐらいだ。皆、真面目で偉いことで。私は歯車がかみ合わないのだから仕方がない。今日はゲームセット。残念ながら5階の裏で途中棄権だ。

 他の人を観察しているうちに時計の針は進み、先生が授業の終わりを告げる。生徒たちは急いで片付け出すが、私はもう片付け終わっているので、いち早く退散することにする。

 と思ったら、同級生に捕まった。


「古湊さん、この後のご予定は?」


 お淑やかで、柔らかな声だった。

 髪はこの芸大には珍しく真っ黒なロングで、癖のない、羨ましいぐらいのストレート。清潔感があり、品のある子だ。どこかのお嬢様大学と入るのを間違えたのではないのだろうか。そう思うほど場違いな子だった。

 そして、


「ごめん、誰だっけ?」

「ふへ?」


 記憶にない子だった。

 女の子がポカンとした顔をした後、急に豹変し、迫ってくる。


「古湊さんひどい!ずっと同じ授業受けていたよね? 前島、前島紀子ですよ!」

「あ、あー前島さん? 紀子ちゃん? なるほど、なるほど!」

「絶対覚えていない反応ですよね、それ」


 前島さん、前島さんね……そんな子いたっけ?

 本気で覚えていないのだから、仕方がない。


「まぁいいです。これから、これからですから!」


 何がこれからなのだろうか。

 めげない目の前の女の子が話を続ける。


「この後何か予定ありますか?良かったら学食いきましょう。古湊さんとは親睦を深めたいと思っていまして……」

「あー、この後はバイトで。ごめんねー、じゃあ」


 そんな同級生の誘いをきっぱりと断るのは、変わり者の私。


「え、え」

「ごめん、ごめん」


 申し訳ないと思いながらも、慌てて教室から飛び出る。お話している余裕はないのだ。

 時計を見る。16時30分。

 やばい、バイトの時間が迫っている。まあ遅刻して怒られたことはないのだけど。でもバイトとはいえ、労働する身としては真面目にしなければ、ね。


 空はオレンジ色に染まり始めていた。

 こんな時に空を飛べたらすぐに辿り着くのになーとは思うが、飛べやしない。そんな便利な魔法など使えないのだ。

 「はぁ」とため息をつき、自らの足でバイト先に向かったのであった。

 



「いらっしゃいやせー」


 コンビニのバイト。

 大学生は何かと金がかかる。遊びに、遊びに、遊び。

 でも残念ながら私は世間の大学生とは違うお金の使い方をしているだろう。なぜなら私は芸術を勉強する大学、荻窪芸術大学に所属する大学2年生だからだ。芸術をするには金が、道具が必要だ。仕送りはあるものの、自由に使えるお金はこうして稼ぐしかないのだ。

 ただ客の少ないお店なんで、だいたいは漫画を読んだり、携帯を見ていたりすれば時間が過ぎる。楽な仕事だ。このお店が潰れないかの方が心配だ。


「ありがとうございやしたー」


 会社員女性が何も買わずに去っていく。欲しいものがなかったのだろうか。うちの店、本当に品ぞろえ悪いからな。

 お客さんがいなくなったので、廃棄予定の古くなった週刊誌を読む。

 太文字の派手な色で、社会の乱れを唄う。


「芸能人の不倫に、熱愛ねー」


 皆、他人の恋事情にどうしてこんなに夢中になれるのだろう。面白いから。面白いのか?人の恋路を知って何になるというのだ。スカッとするのだろうか。はたまた感動でもするのか。不倫で感動はしないよなー。

 映画も、芸術も、小説も、『恋』を、『愛』を題材にしたものが多い。それほど人間にとって、恋は、愛は、人を好きになるということは大事な要素なのだろう。

 人が夢中になり、人を夢中にさせる『恋愛』。

 私はわからない。いや、昔はわかっていたのだろうか。

 ただ、


「いい魔力にはなりそうだよなー」


 表情も変えず、私はそう口にした。


 

 今日も無事バイトを終え、……1円も売り上げていないけど、家へと向かう。

 手にはビニール袋。店長からもらった今日賞味期限切れになるお弁当が入っている。一人暮らしの学生には大変ありがたい。20代になる前からコンビニ弁当が主食なのはどうかと思うが、きちんと食べるだけ偉いだろう。栄養バランスとか知らん!


「あれ?」


 足を止める。

 高架下をくぐると、あるものを発見した。


「まだ熱心に描く人がいるんだねー」


 壁には落書きが描かれていた。

 芸術家見習いとしては、そのやる気を褒めてあげたいが、美を追求する者としては景観を汚すのは見過ごせない。


「ふむふむ」


 指を動かし、確認する。これが書かれて、まだ2,3日といったところか。

 よし、いける。

 感情の残滓はまだ残っていた。

 

「ほいっと、ほい」


 呪文にもなっていない、掛け声を上げる。

 突如落書きが光り出し、壁から飛び出した。

 それは魂を持った生き物であるかのように、その場でくるくると、くるくると回りづづける。


「おー、いけるいける」


 10回転はしただろうか。

 勢いは徐々に弱まり、同時に姿が透明になっていく。


「ばいばいー」


 そして落書きは「パチン」と音を立て、光の粒子となって、夜の暗闇へと消えた。


「うーん、こんなもんか」


 感情が弱かったので、10秒程度しか維持できなかった。描いた側も強い気持ちはなく、お遊び程度だったのだろう。魔力としては不十分だった。


「まぁいいか。さぁ、お家に帰ろうかー」


 私、古湊つぐみは魔女である。

 けど空も飛べないし、魔力もないし、自分の力だけでは魔法を使えない。


 魔法とは「感情の具現化」である。

 私は魔女だが、少々特殊で、自己の感情、つまり魔力を持っていない。だから、私は他者の感情を魔力にし、魔法を作り上げる。

 悪戯書き。

 ここには『悪意』があった。その悪意をエネルギーに変換、つまり魔力にして、魔法を発動したわけだ。

 感情であれば、何でもいい。

 喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖。

 プラスでも、マイナスでも、それが感情であればいいのだ。

 けど、1番魔法に適している感情が存在するわけで、それが私には欠けている感情だった。

 『恋』。

 好きの感情が、恋する女の子の気持ちが1番強く魔力を生み出す。

 だから思春期の10代の魔女は強く、そして不安定だ。大人になって魔力は安定していくが、徐々に魔力の総量は低下してしまう。

 けど、私には恋ができなかった。


「恋してみてー」


 そんな男子高校生みたいなことを呟いてみたり。

 まぁこれっぽちも思っていないのだけど。

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