第4片 幻惑の魔女②

 莉乃は今日も元気にパトロールしているだろうか。

 2日間探すも成果が出ず、落ち込んでいた。今日で3日目。

 今日が駄目なら、やり方を変えるしかない。


 そんなことを考えながら、教室の前を見る。

 ホワイトボードを前に、教授が西洋美術史を語っていた。

 まともに聞いているのは1割もいないだろう。騒ぐ学生はいないが、寝ている人、携帯をいじっている人など、授業に集中していない人がほとんだ。

 私もそのうちの1人。

 自身のアイデンティティの危機が迫っているのに、過去の偉人、芸術の流れを「へー、そうか」、「すごい! なるほど!」とありがたく聞くのは、酷というものだ。自分の歴史ですらわからないのに。

 それに私は話を聞くのも嫌いではないが、芸術においては手を動かしている方が性に合う。筆を持たないにしても、パソコンでCADを使ったり、カメラを手に持ち、ファインダーを覗いたりする方がずっとマシだ。

 前を向いてはいるが、言葉は流れ、心は動かない。


 何も変わらない授業。

 何も変えられない私。


 『ツグ』は魔女界ではいずれ歴史に載るだろう、『ハジマリの魔女』の再来と呼ばれていた。けど今の私にいったい何が残せるのだろうか。

 そもそもいつまで、私でいられる?

 そんなこと授業では何も教えてくれるはずがなかった。

 


 授業が終わり、1人で外のテラスで黄昏る。まだ5月末だが、日差しは強く、夏がもうやってきたのかと錯覚する。さっき自販機で買ったコーラがやたら美味しい。

 携帯が震える。

 よく届く広告メールではなく、莉乃からの連絡だった。開くと、文字は無く、ただラーメンの画像だけが貼られていた。


「あの子はまた無駄遣いしてー」


 くすりと笑う。

 ここのところ、莉乃は頻繁に私に写真を送ってくる。アイスを食べている写真、大判焼きを食べている写真、お肉を食べている写真など、私の胃を刺激ばかりするものばかりだ。グルメに目覚めたのだろうか。都会に来て浮かれる気持ちもわかるが、当初の目的を忘れてはいないだろうか。

 それに送られてくるのは、グルメな写真ばかりではない。

 彼女自身の写真。

 そう、自撮りが多い。東京が珍しくて、嬉しいのか、やたら自撮りを私に送ってくる。

 私なんかに送らず、SNSで拡散しろよ! 世間に、人に称賛されろよ! 映えろ!と思うが、別にそういう目的で撮っているのではないだろう。

 私に思い出させるため? そうだとしたら涙ぐましい。

 色を魔法で抑えた茶髪気味の彼女は、違った印象を与える。強気な印象は和らぐ。やはり赤髪はちょっとばかり異質で、世界からは浮く。写真映えはして、人気が出そうだが、ひっそりと社会に溶け込む魔女の性質からは望まないだろう。

 それに彼女はこの街で、私しか知り合いがいない。実家の両親に送っても、「今すぐ帰って来い!」と怒られるだけだ。

 そして、それは東京に長く住む私もそうだ。莉乃しか友達はいない。バイトの店長はまぁ、仲が良いけど、友達っていうわけではない。彼女にとってはライバルかもしれないけど、この大都会の中で寄り添えるのは私しかいない。そう表現しては、アダムとイヴみたいだなーと思うも、きっと私たちは真のところでわかりあえないだろう。

 私が偽り続ける限り、ずっと。

 ……とりあえず、送られてきた写真を保存し、「Good」とスタンプを返しておいた。勝手に待ち受けにしたら怒られるだろうか。怒られるのも悪くないと思い、その考えに笑ってしまった。

 既読は付かなかった。


 


「おかしい」


 そして、家に着いてからも莉乃からは連絡がなかった。

 先日の停電事件があっただけに、子供を育てる親のように彼女の帰りが心配だ。

 もし何かあったら。何か事件に巻き込まれていたら。

 彼女は私の力など借りず、ついつい突っ走ってしまいがちだ。賢い魔女だが、頭は固い。


「……しょうがないな」


 悪態をつきながらも、気づけば靴を履いて、玄関を飛び出していた。



 空など飛べないので、快速電車に乗り、中野で降りる。

 駅は通学、通勤帰りの人で混雑していたが、普通だった。

 しかし改札を通り過ぎると、すぐに異変に気づいた。

 魔力の途絶えた私にも、感じられるほどの違和感。

 足は、違和感の方へ駆けた。


「何だ、これ……」


 変だ。どう見てもおかしい。

 それなのに誰も気づいてない。

 中野の西の方に歩いていくと公園一帯、大勢の人間が地面に倒れていた。いや、正確には倒れているのではなく、寝ていた。

 まだ夕方のはずなのに、辺りは薄紫に落ち、霧が立ち込めている。

 異様な光景なのに、誰も騒ぎにしていないし、ここに立っている人間は私しかいなかった。

 薄く結界が貼られており、普通の人は気づかないよう、人払いがされている。

 そして、この光景をさらに不気味にしているのは倒れて、寝ている人たちの表情だ。


 皆、笑顔だった。

 

 幸せそうな顔でよだれを垂らしいているサラリーマン。

 嬉しそうな表情で、バイトの格好のままの喫茶店員さん。

 ニコニコと微笑む、お婆さん。

 

 この異変に、似つかわしくない笑み。


「本当になんなんだ、これは……」


 魔法の仕業であるとはわかっている。

 笑顔。不自然な笑み。

 私は芸術で人を感動させたい、笑顔にしたいと思っている。

 けど、これは違う。この笑顔は可笑しい。

 どうして笑顔なのか、どうしてこの状況で眠って、笑っているのか理解できない。

 意味がわからない。

 

 それでも、この状況をどうにかできるのは私だけだった。

 狼狽えながらも、彼女の姿を探す。他の人も見過ごせない、けど彼女の大事が最優先だった。


「莉乃!」

 

 ベンチで倒れている莉乃を発見し、駆け寄る。

 良かった、息はしている。何処にも傷はない。

 急いで、彼女の身体を起こす。


「ぐへへ……」

「……めっちゃ笑顔」


 彼女はだらしない顔で笑みを浮かべながら、寝ていた。

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