第7片 偽りの魔女

第7片 偽りの魔女①

 絵。

 ただの絵だった。


 どうして美術館に入ったのかは覚えていない。

 何も覚えていない。何もかもすっからかん。


「……」


 初めて見た絵だった。

 美術は嫌いではないが、特段興味は持っていなかった。描くことも、見ることも習慣としてなかった。魔女として生きることに必死だった。

 必死だったのに、全部失った。


 失ったんだ。

 なのに、どうして。


 一筋の涙が流れていた。

 

 × × ×


 力尽きたはずの彼女が一人で立ち上がる。


「自動回復プログラム、起動」 

 

 機械みたいに、抑揚ない声で言葉を口にした。

 虚ろな目。

 焦点があっていない。意識はない。

 なら、彼女を動かしているものは何だ。

 彼女? はたして“これ”は本当につぐみなのか?

 私の知らない―、何か。


「つ、つぐみなの……?」


 話しかけるもピクリとも反応しない。

 無言でゆっくりと歩き出し、ぶるっと震える。


「ちょっと無視しないでよ!」


 慌てて腕を掴むと、すんなりと彼女の動きが止まった。

 力は弱い。けど、言うことを聞いてくれたのではない。そのまま進もうとし続ける。


「何なのよ、何なの……」


 意識がなく、何かに操られているように見える。自動プログラムといった。つぐみが仕掛けたのか、それとも別の誰かなのか。

 わからない、本当に何なのだ。

 異様な部屋に、知らない彼女。


 項垂れ、手を離すとまた歩き出した。わからない以上、意味不明な行動だとして彼女の行動を見守るしかない。

 ゆっくり歩く彼女の後をついていく。


 部屋の奥で彼女は止まった。

 そこにはカラーボックスが5つあった。赤、青、黄色、緑、オレンジ。ほとんどのボックスに物が入っていない。

 いや、1つの箱に、1つだけ入っているだけだ。

 空っぽ。あるいは何かが詰まっていたのか。


 唯一の物に向かって、手を伸ばし、掴んだ。

 赤を基調とした、チェックのリボン。

 

「あっ、それって……」


 見覚えがあった。

 中学2年生の時に、私が『ツグ』にあげたチョコの箱のリボン。『ツグ』はバレンタインデーとはわかっていなく、「わーお菓子だ。ありがとー」と無邪気な顔で貰い、私は「貰ってくれたのは嬉しいけど、意味には気づかないわよね……」と落ち込んだことを覚えている。

 大切だけど、ちょっと苦い思い出。それを彼女は大事にとってくれていた、この場面で見るとは思っていなかった。

 感傷に浸る一方で、黙ったままの彼女はリボンを手に持ち、部屋の中心に移動する。

 歩みを止めた。彼女の上には魔法陣。

 魔法陣の真下にリボンをちょうど置き、彼女は言葉にならない台詞を紡ぐ。


「×✕x×xXa×」


 魔法陣が光る。

 私は何を見ているのだろう。儀式。何の儀式? いったい何が起きている、何が起きる? 見ているしかない。止めることはできない。

 リボンが粒子となり、消える。

 魔力を感じた。リボンが魔力と変わったのだ。

 その粒子が彼女の身体に吸収され、魔力の気配はなくなる。魔力ではなくなった。

 なら、何になった?

 両壁には『ツグ』と『つぐみ』の情報。

 儀式に使われた『ツグ』の物。

 魔力への転換。

 体に吸収され、消えた魔力。


 まさか、と思う想像を必死に振り払う。

 そんなことあるはずがない。あるはずないのにそうとしか考えられない。

 今まで何度も繰り返されていた。同じ家にいながら、気づきもしなかった。彼女は何度も再生されていた。

 私が見ていた彼女は、こうやって魔法で生み出された物。

 『ツグ』も、『つぐみ』も存在しない。


 光が収束する。

 魔法が終わったのだ。

 魔法陣の輝きは消え、静寂が流れる。


 彼女が目をゆっくりと開く。

 虚ろだった、“つぐみ”の目に光が灯る。


 目が合う。

 彼女は困ったような表情で、いつもと同じ声で答えた。


「……おはよう、莉乃」


 つぐみが戻ってきた。


 異様な部屋で、不可思議な儀式を行い、彼女が復活した。

 苦笑いを浮かべるしかなかった。


 外は朝を迎えていた。

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