第6片 災厄の魔女⑥
どさっ。
音がした。
振り返ると、さっきまで普通に話していたつぐみが倒れていた。
「り、の、お願、い」
自分の部屋に連れていって欲しいと言い残し、彼女は意識を失った。
「つぐみ、つぐみ!」
何度も呼びかけるが、声は返って来ない。
心臓も脈も動いているが、肌はやけに冷たい。
「莉乃さん、落ち着いてください!」
「落ち着いているわよ! このままじゃつぐみがつぐみが」
このまま消えてしまう。
そんなはずないのに、そんな気がしてきてしまう。
でもどうすればいいの。私はどうすれば、つぐみを救えるの。
「莉乃さん! つぐみさんの言った通りに今は部屋に行くのが先決です」
「で、でも……」
はたして部屋に行って何があるというのだ。つぐみの部屋に私の知らない何かがあるというのか。疑問はいくら考えても解決しない。
「ははっははっははっは」
『災厄の魔女』が大声で笑う。
いまだ立ち上がっていないが、顔に活力が戻っている。他人の絶望に、不幸に喚起する魔女。本当にたちが悪い。
「ははは、凄い、これは傑作だぜ。空間の魔術師よ、なんて奴だお前は」
「何が、何がおかしいっていうの!」
魔女を睨むも、お道化る。
「怖い怖い。今にも取って食われそうだ」
「冗談はやめなさい」
「お前はまだ気づいていないのかい?」
「でたらめもいい加減にして」
「可哀そうに。実力はあるが鈍い。もしくは気づいているのに見ないようにしているのか? どっちにしろ悲劇だ」
「だから何なのよ! つぐみの何に気づいていないっていうのよ!」
「その女が歪すぎることに」
「は?」
災厄の魔女の言っていることが理解できない。
歪すぎる?
つぐみが、歪んでいる?
「お気楽なことだ。ずっと一緒にいたのだろう。それともその女が凄すぎるだけか?ありえない。普通じゃありえない。さすが『ハジマリの魔女』の再来と呼ばれた魔女だ。これには本気で完敗だ。まさに天才」
災厄の魔女は何を言っているのだ。
つぐみが普通じゃありえない?
そんなこと私だって知っている。彼女が普通ではなく、秘密を抱えていることはわかっている。
『ツグ』の見た目だが、『ツグ』ではない女の子。性格は似ているようで、どこか違う女の子。魔力を失い、記憶を一部失い、私のことを忘れた女の子。
魔女だけど、心は普通の女の子なのだ。
「かわいそうに、お前は本当に何も知らないんだな。こっちはとうに気づいていたみたいだぜ」
災厄の魔女が日芽香を見る。彼女が身を縮こませる。
「そうなの、日芽香? あなたはつぐみの秘密を知っているの?」
「莉乃さん……、私は全部は知りません」
「でも知っているのね」
「はい、つぐみさんが異様なことは知っています」
異様。
辛そうな顔で彼女はそう言った。
いったい日芽香はつぐみの何を知っているというのだ。
「何処で」
知らなかったのは、気づかなかったのは私だけ。
誰よりも近くにいたのに、仲間外れだった。
「今は説明している状況じゃありません。一刻も早く」
握るつぐみの手が冷たい。
生きているのに、何も感じていないみたいに冷え切っている。
「つぐみさんの部屋にいけばきっとわかります。私からはそうとしか言えません」
「……そう」
「気を落とさないでください。つぐみさんは、その、言いたくなかったんだと思います。特にあなたには言えなかった。知られたくなかったんだと思うんです、私は」
日芽香の言っている意味がわからない。本当に何を言っているのかわからない。わかることは、ここにいても仕方がないということ。
「わかった。言う通りにする。家に戻る」
そして真実を突きとめる。彼女が必死に隠した何かを、知る。
災厄の魔女がまた笑って言った。
「おう、気をつけて帰れよ~。せいぜい頑張ることだな」
飲み会帰りみたいに、呑気に敵が話しかける。日芽香もそんな魔女の様子を不安に思ったのか、私に尋ねる。
「この人はどうしますか……?」
「とりあえず眠らせて。日芽香の力で夢を見させておいて。解決したら戻ってくる、戻ってくるから。つぐみが目を覚ましたら、すぐに連絡する」
「わかりました。でもここに戻ってくるのは遠すぎます。だから都内までこの人を連れていき、それから私の力を使いますね」
確かにここまでは距離がある。空を飛んだとしても、戻ってくるのは一苦労だ。都内で閉じ込めて置いてもらった方が助かる。私は頷いて、承諾した。
「弥生はそれでいいよね?」
「いいぜ、一度味わってみたかったんだ。お前の力。夢への介入。あー、安心しろ正義の魔女。日芽香には絶対に何もしないから。こいつには恩もあるんでな。それに疲れた。さすがに疲れたさ。今宵はもう何もしない。それだけは信じてくれていいんだぜ」
敵のことなんて信じられないが、今はそうあることを願うしかない。
「……日芽香、思いっきり夢に介入してやりなさい」
「わかりました。とびっきりの笑顔にしてみせますね」
「笑顔にできるならしてみろよ!」
堂々と言い放つ魔女に、言い返す元気もない。
視線を落とし、小さな魔法で手元に戻していたヘアピンを見つめる。
「莉乃さん、飛んで帰るんですか?」
「ええ、それが1番早い。魔力も少し回復したわ。飛ぶぐらいなら余裕」
「でも怪我が。血も出ていますよ……」
「これぐらい大丈夫。今はゆっくりしている暇はない。これが1番早い」
「……わかりました、止めません。気を付けて」
ヘアピンを投げ、箒に変える。
私から先に乗り、日芽香の補助の元、つぐみを後ろに乗せ、魔法で私から離れないように魔法で拘束する。
「じゃあ、行くわ」
「つぐみさんをよろしくお願いします」
振り返らず、地面を蹴り、飛び立つ。
向かってくる、空気の圧が凄い。
一瞬にして街が小さくなる。
人の顔も、街の姿も見えなくなる。
夜の二人だけの空の散歩。空に雲はなく、月は嫌に思うほどに眩しい。
こんな形で実現したくなかった、思い描いていた夢。二人で空をまた飛ぶこと。
「つぐみ、死なせないから」
背中に感じる彼女に、届かない声を投げかける。
足が痛い。腕からはまだ血が出ている。特に氷の刃が刺さった左肩が重傷だ。それでも、懸命に飛ぶ。
彼女がこうまでして守ってくれたから、私がここにいる。落下して大怪我せず、無事に生きている。
1時間かかった電車での移動が、空中飛行では30分もせず、家に辿り着いた。
彼女から貰った合鍵を使い、玄関の扉を開ける。
背中につぐみを背負いながら、中に入る。いつもみたいに「ただいま」と挨拶している余裕はない。
つぐみの言った通り、2階の彼女の部屋に向かう。階段がしんどい。
飛ぶよりも辛かった。やっとの思いで部屋の前に辿り着く。
「ここに、いったい何があるっていうの……」
ドアノブを握る。
回そうとした。回らなかった。
「え?」
鍵でもかかっているかと思ったが、鍵穴はなかった。
扉が施錠されている。ドアノブすら回すことができない。
「なによこれ」
開かない。私の手では開かない。
でもつぐみはいつも開けていた。彼女の手なら?
そう思い、担いでいたつぐみをおろし、彼女の手をドアノブに持っていく。
一緒に握ったドアノブは簡単にまわり、ドアが開いた。
「……そうまでして見せたくないのね」
今まで気づかなかった。この部屋はこの子がいないと入れない。
魔力。魔法の力が働いているのに、私はこのドアの秘密すら知らなかった。
そして、この先に待っている秘密も。
緊張が走る。心臓の音が良く聞こえる。
彼女の部屋を不審にも思わなかった。不思議には思ったが、恥ずかしがり屋なのだと思った。居候の身だ。彼女のプライバシーを破る気もなかった。
ドアを開く。
暗闇。
入口付近のスイッチを押し、電気をつける。
「え」
そこには異様すぎる空間が存在した。
片方の壁には、『ツグ』の写真が所狭しと貼られていた。
私の探していた『ツグ』の写真。彼女の笑っている顔、悲しそうな顔、怒っている顔。表情豊かな彼女の写真でびっしりと埋められていた。
主に小学校から中学校ぐらいの年のころの写真だ。中には私が知っている写真もあった。作り物ではない。これは間違いなく、『ツグ』の写真だ。
反対側の壁には、紙の切れ端が何枚も貼られていた。紙には細かな字が書かれている。
「何よこれ」
近づき、文字を読む。
つぐみの性格。年齢。芸大生。大学の場所。専攻してる授業名。教授の名前。好きな画家。好きなアート。使うソフトの種類。アートデータの保存場所。コンビニバイトをやっている。店長の名前。今までバイトであったエピソード。
細かい。些細なこと、たいしたことないと思えるような情報も、この壁には書かれている。
ここの壁に書かれているのは『つぐみ』のプロフィール、生きた詳細だ。
私のことも書かれていた。本多莉乃。ツグの同級生。まっすぐな女の子。私を追って四国から出てきた。ちょっと怖い。料理が得意。強そうですぐ泣いちゃう可愛い所もある。一緒にいると楽しい。話して飽きない。……まだまだある。読むのを辞めた。
「いったい何なの……」
片方の壁には、『ツグ』の記憶が眠り、
片方の壁には、『つぐみ』の情報が生きている。
そして目につくのは、天井に描かれた大きな魔法陣。
見たことない魔法の呪文が描かれている。
「本当何なのよ、ここは……」
可笑しい。人として可笑しい。
異様すぎる。
私が一緒に住んでいる場所に、一部屋だけある異質。
何だこの、儀式でも行うような場所は―、
そう、彼女はここで儀式を行っている。
何の? 何の儀式を行っているというの?
災厄の魔女は言った。彼女は歪、普通じゃないと。
幻惑の魔女は言った。彼女は異様だと。
「つぐみ、あんたは何なの?」
音もなく、背負っていたつぐみが離れ、立ち上がった。
突然のことに驚く声も出てこない。
そして、彼女、彼女らしき存在は言葉にしたのだ。
「自動回復プログラム、起動」
――機械みたいな声で。
× × ×
魔法とは「感情の具現化」である。
魔女は、強い気持ち<感情>を魔力に変え、魔法を使う。
その強い気持ちは、何でもいい。
喜び、憎しみ。
悲しみ、怒り。
慈しみ、嫌悪。
諦め、恐怖。
驚き、癒し。
プラスの感情、負の感情、どちらでもいい。どちらかに振り切るほど魔力は高まり、強くなる。
その中でも、1番効率よく魔力に変え、とてつもない力を生む感情があった。
『恋』。
1番のエネルギーは『好き』の感情。『恋』の力は莫大な魔力を生み出す。
『恋』は一人前の魔女には必要な要素だった。恋を知る魔女は強い。恋する魔女は負けない。
そして『恋』は魔女を狂わせる。
恋は人を変え、時には闇を生む。
いや、魔女だけではない。強すぎる想いは人を狂わせ、刃を向ける。
これは、恋の物語。
一致しない魔女と、追い続ける魔女の、
二人の恋の物語。
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