第7片 偽りの魔女⑥
『災厄の魔女』の夢の中で説得するのは難しかった。あの壊れた世界をどうにかすることは厳しい。できたとしても時間が足りない。だから夢から別世界に飛ばした。
そこは、作り上げた夢のような世界。
いわば、ヴァーチャルワールド。
最初からこっちに飛ばせよという話だが、下調べが必要だった。
彼女の夢の中で発見した、彼女の幸せの対象を作り上げた。
いなくなったお父さん。
彼女を温かく迎え入れ、魔女として育てくれたおばあさんとおじいさん。
一緒に働き、気にかけてくれた会社の女性の先輩。
皆、もうこの世にはいない。彼女の思い出の中にしか存在しない。
思い出の中にはあった。
でも彼らが見えなくなるほどに、思い出せなくなるほどに彼女は壊れてしまった。
だからこうやって再現させて、対面させた。
偽物。模倣した作り物。
でも彼女の中に確かに生き続ける幸せ。
そして、向き合うのは幸せだけではない。
災厄の魔女が狼狽える。
「なんで、私がいるんだよ!」
目の前に作り出したのは、彼女の鏡。
普段の彼女の姿、藤元弥生。
鏡の弥生さんが、災厄の魔女に優しく語り掛ける。
「私は寂しかった。一人だった。誰かが救ってくれると思っていた」
「やめろ、やめろ私」
災厄の魔女が魔法を出そうと手を突き出すも、何も出ない。
「無理だよ。ここは私のつくった場所だから」
私が作り上げたもの以外、生まれない場所。他の魔女は魔法を出すことなどできない。
鏡は話し続ける。
「救ってくれた人は全部消えた。返す前に全ていなくなった」
「返すって何をだよ、私」
「恩だよ。私を救ってくれた厚意、愛」
自分と自分との対話。
こうでもしないと向き合わない。案外、自分のことが1番わからないものだ。向き合う時間を作らないと、自分を知れない。
「どんなに頑張っても報われないんだ。なら、壊してしまえばいいと思った。でも人知れず消えるのは寂しかった。寂しかったの私」
大人な女性が「寂しさ」を口にする。弱い。誰だって一人では弱い。弱さに、魔女は言い返せない。
「人を不幸に陥れることで、自身の存在を確かめていた。簡単な方を選んだ。罪でも人に認められる。私がいることが証明される」
自己の存在の証明。一人ぼっちじゃないことを証明したかった。
「でもそれは災厄じゃなくてもいいんだよ、私」
女性が自分に優しく微笑む。
「『幻惑の魔女』は夢を見させることで笑顔にした。『空間の魔術師』は魔法で芸術を見せることで人々を感動させた」
「無理だ。私は違う。私にそんなことはできない」
「理解者ならいるよ」
× × ×
声をかけたのは気まぐれだった。
たまたま魔法をかけているのを見かけてしまったのだ。小さな女の子。私とは違い汚れの無い女の子。悪びれることもなく、彼女は言ってのける。
「皆を笑顔にするんです」
馬鹿だと思った。でもまっすぐで眩しかった。それは私にないものだった。
「面白いな、お前」
「本当ですか!?」
一緒に行動するようになった。彼女の魔法は使い勝手は悪かったが、人の夢に潜れる、強力な魔法だった。
「弥生さん、今日は何をするんですか?」
「ムカつく会社への嫌がらせ」
「……そんなことして楽しいんですか?」
「楽しいよ」
日芽香は私のすることを止めなかった。悪いことだと思っていても、「弥生さんが楽しいなら」と黙認してくれた。
「日芽香、もっと面白いことをしようぜ」
「面白いことなら大歓迎です、弥生さん」
「あぁ、とびっきりの笑顔を見せてやるんだ」
友達と呼ぶには年が離れすぎていて、
仲間と呼ぶにはお互い単独行動ばかりで、
理解者と呼ぶには壁が多すぎた。
日芽香があっちの味方をした時はショックだった。
彼女は理解者ではなかった。
でも、負けた私を解放してくれた。
「今度こそ、心から笑えるようになってください」
理解者ではない。でも、私のことを思ってくれる人。
× × ×
魔女の目から涙が流れる。
「そうか、そうだったんだ」
鏡の弥生さんも、彼女の思い出の中の人ももう消えていた。
もう必要はない。
「あなたは寂しくない」
そこには普通の女性がいた。
魔女の威厳もなく、恐怖の対象でもない。
「日芽香ちゃんだけじゃない。莉乃だって、きっとわかってくれる。当分は許してくれないと思うけど、いつか理解してくれる。あなたの力になってくれるよ。おせっかい焼きだから、どんどん頼ってあげて」
「……どうだか」
「一発ぐらい殴られるのは覚悟してくださいね」
「強烈な一発になりそうだな」
口調だけは強がる。冗談も言える柔らかな空気へと変わった。
「弥生さん」
「その名前で呼ぶなよ。調子狂う」
「私からお願いするのも可笑しいけど、あの子を守ってほしい」
「あの子? 正義の魔女のことか? 守る必要なんてないだろう。あいつは強い。それにお前がいるだろう?」
側にいられたらいい。それだけでいいのに。
「私は消えます」
「そうか。悪かったな」
私の身体のことについて、弥生さんはだいたいの察しがついているのだろう。素直に謝られる。
「ごめんなさい、あなたには嫉妬します。不幸でも羨ましいです。まだ続けられる。あなたは誰かの手を取ってあげられる。今までが間違いだとしても、これから救っていける。変えていけるんだ」
私には、できない。
「だから生き続けて。不幸なことはこれからも起こるかもしれないけど、その分日芽香ちゃんと、莉乃と一緒に人々を笑顔にしてあげて。そして弥生さんも笑顔になってくれたら私は嬉しいな」
「無茶なお願いだ」
「無茶かどうか決めるのはあなたです」
見届けられない。託すだけが私の役目。
「なあ、お前は誰なんだ」
「私は天才だった魔女『ツグ』、今はつぐみです」
「そうか。つぐみ、覚えといてやる。変な魔女がいたことをしっかりとな」
「ありがとうございます」
嬉しさがこみ上げる。
体が透けていく。私が作った世界が消滅する。
「じゃあまたな、とはならないのか」
「ええ、残念ながら。お元気で、弥生さん」
小さな声で「ありがとう」と聞こえた気がしたが、それはきっと気のせいではない。
× × ×
目を覚ますと、空の上にいた。
慌てることなく、前を見る。
小さな背中。
「日芽香」
私をのせて、箒に乗っているらしい。
声をかけると女の子は振り返った。
「笑顔になれましたか、弥生」
「どうだろうな」
地上では、ライブが何事もなく続いている。
すっかり夜だが、明るく、眩しい。観客がサイリウムを振っているせいだ。
赤、黄、青、緑、紫、オレンジ、白。
様々な色が地上を彩る。
「綺麗」
こんな景色、空の上からじゃないと見られない。
「これは魔法じゃないよ」
「わかっているぜ。これは普通の人達が生み出した光」
「普通の人かはわかりませんよ。誰だって、特別。それぞれ悩みや、幸せがあるんです」
辛いことがあったかもしれない。悲しいことがあったかもしれない。
それでも光に変わる。人を照らす感動を与える。その小さな光は必死に輝く。
「弥生」
呆けている私に日芽香が声をかける。
「あなたは優しい人だよ。耐えてきた、我慢してきた。今まで必死に生きてきた」
「でも人を殺そうとした」
「でも殺しませんでした。その意識、考えを罪だと思っているなら、今後は救っていきましょう。納得するまで、私たちがついていてあげます」
「……敵わないな日芽香には」
可笑しな奴だ。小さな女の子は私よりも強い。
「やっと笑いましたね、弥生」
指摘され、少し照れ臭かった。
× × ×
音楽が聞こえる。
目を開けると、莉乃の心配そうな顔が目に入った。
私を上からのぞき込む。
顔が近い。どうして私の真上に顔があるのか。
「どういう状況?」
体はベンチに横たわっている。頭が柔らかい。うん、私の頭は莉乃の太ももの上にある。これはどうやら膝枕をされているようだ。
現実ではなく、夢のような心地良さだが、私はまだ生きている。
「ぐっすりと寝られたよ」
冗談を言うも、彼女は笑わない。つれない。
もう夜だ。力はさっきのヴァーチャルワールドの創造で使い切ってしまった。無茶な使い方をしたものだ。二度とやりたくない。二度目はない。
でも救えたのだ。今度こそ救えた。もう大丈夫だ。
安心して、私はいなくなることができる。
「つぐみ」
「ん?」
莉乃が私の名を呼び、告げる。
「私から奪いなさい」
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