第7片 偽りの魔女②
長く寝ていた気がするし、いつも通りな気もする。
「……おはよう、莉乃」
目の前に莉乃がいる。
また会えた。
また私に戻れた。
それだけで嬉しい。嬉しいはずなのに、心が痛む。
莉乃の複雑な表情に、ないはずの心が痛む。
× × ×
食卓にご飯が並ぶ。
トーストでいいと言ったのに、目玉焼き、ベーコンが目の前に置かれ、莉乃が焼いた魚を持ってきた。申し訳なさすぎて、ご飯は自分でよそおうとしたが「あんたは座っていなさい」と注意された。
空気が重い。災厄の魔女を倒し、人々に被害なく、解決したのに重い。
その原因は私だ。
莉乃がエプロンを外し、対面に座る。
「お、お腹空いたね~」
「そうね。昨日の夕方からずっとバタバタだったからね」
「そうだね~」
できるだけ笑顔を意識して話しかけたが、莉乃の口調は低いテンションだ。怒らないはずがないよね……。自分のことを、『ツグ』のことをずっと黙っていた。そしてみたのだ、私の異様な部屋を。
「いただきます」と挨拶し、朝食を食べ始める。昨日のお昼の鰻以来のご飯だ。
「おいしい」
「そう」
言葉少なに食事が進む。彼女にきちんと話しかけられたのは、食べ終わってからだった。
「莉乃」
呼んでから数秒経ち、彼女がこちらを向いた。鋭い目つき。
「ごめん」
「……ちゃんと話してもらうよ」
「うん、話す。本当にごめん」
食器を台所に持っていき、食後のコーヒーを飲みながら話を始める。
「高校生になってすぐに、魔力がなくなった話をしたよね」
「ええ、芸大に潜入していた時に言われたわ」
あの時は、『前島さん』、変装した莉乃に詰め寄られて困ったっけ。今となっては懐かしい出来事。あれからすべてが変わりすぎてしまった。
「正確には違う。私は魔力を失ったのではなく、魔力を生み出す“感情”を失った」
「感情を失った? そんなわけ」
「見たよね。虚ろな目をした私を」
「……」
沈黙は肯定だ。
「感情を失った。と同時に感情に大きく関係した思い出、記憶もごっそりと抜け落ちたんだ。原因はわからない。朝起きたら、私が、私だったものが無くなっていた」
私だった部分、『ツグ』を失った。
けど、すべてではない。記憶にはならない、体にしみ込んだものは覚えていた。危ないと思うこと、息の仕方、人としての最低限の尊厳。反射。
でも、それだけだった。私が築き上げてきたものはすべて崩れた。
「だから、ごめん。ツグだった時の記憶はないんだ。忘れたんじゃない。思い出すものがない。無いものを思い出すことができない」
「ツグはいない……」
「うん」
ショッキングな事実だ。彼女が四国から探しに来た人はもういない。
「……莉乃は当然うちの家のことは知っているよね」
古湊ツグの血筋。古湊の家系。
「わかっているわよ。魔女として古湊家を知らない方が可笑しいわ。四国にある4つの魔女学校の経営者にして、魔女界における絶対的な権力者。実質的な支配者といっても過言ではないわ」
「そう。だから私が魔力を失ったことは大問題だった」
「跡取りとして優秀だったあんたを必死に戻そうとしたのね。でも絶対的な力を持った古湊家でも無理だった」
現実は違う。
力を失った私を、両親はあっさりと見限った。すぐに東京のおじさん、おばさんの所に送る手配をし、数日もしないうちに私は四国の地を去ることになった。
力を失った私なんて興味が無くなったのだろう。感情を失った当時の私は両親の言いなりで、何か思うこともできなかったが、今考えるとひどい話だ。
三大派閥の古湊、古河、古日山。その中でも最も抜きんでいた一族と言われている、一大勢力。厳格で、容赦がない。たとえ、それが自身の娘だとしても。
と、家庭の事情は置いておく。今話しても莉乃は困惑してしまうだろう。
「魔女の力では戻すことはできなかった。なら今のあんたは?」
「感情を失った私の心を動かしたものが、1つだけあったんだ」
宛てもなく外を歩いた。かすかに残っている記憶とも言えない覚えを頼りに、一日中移動した。記憶が戻ることなく、最後に訪れたのは閉館間際の美術館だった。西洋名画を複製し、展示する陶板名画美術館だった。
そこで私は見たのだ。
名画だが、当時の私は誰が描いたかもわからなかった。
絵には、一人の女と風景が描かれていた。
戦争でもなく、死でもなく、祝福でもなく、ただ一人の人間が佇んでいるだけ。
表情もわからない一人の絵。
そんな特筆すべきところのない画を見て、私は涙が止まらなかった。
失ったはずの感情に引っかかったのか、
それとも私の奥底にある何かに引っかかったのか、原因・理由はわからない。
声もなく、ただただ涙を流した。
絵が私にとっての救い。
芸術が私にとっての魔法、そう思ったんだ。
「芸術が私を救ってくれた。何もないはずの私に水を生んだ。アートにこそ、私を取り戻す術があるのだと思った」
それからすぐ東京にいった。
沸き上がらない感情と、涙を流した芸術を頼りに私は歩み始めた。
「こっちに来てから、毎日芸術を学んだよ。何か感情が沸き上がるんじゃないかと、ツグを取り戻せるんじゃないかと燃え上がらない感情の中で、必死にもがいた。おじさんとおばさんは何も言わずに私の好きなようにやらせてくれた。私のことを理解し、手を差し伸べず、ただ見守ってくれた。少しの休憩には魔法を取り戻そうと、ツグの残したノートを読んだ。彼女は感性で魔法を覚える天才で教科書としては不親切だったけど、それでも読み解いた。そうやって2年が過ぎた」
高校1年生だった私が学校も行かずに、高校3年生の歳になっていた。
「絵のスキルはどんどん磨かれていった。それしかなかったからね。絵だけじゃない、芸術と呼べるものを空っぽの私はどんどん吸収していこうとした。それでも感情は湧きあがらなかった。言葉は出なかった。そんなある日気づいたんだ。それは模写をしていた時だった」
模写。
他の人間の作品をきっちりと再現し、またはその作風を写し取ることで描いた作者の気持ち、意図、狙いを体感、理解するための手段、方法だ。
絵に置いて、いや何においても真似ることが上達への早道だ。何もない私は真似ることが、正確に再現することが得意だった。
「模写って……、あんた」
「そう、私はかつての自分を模写しようとした。ツグをこの身に再現し、彼女の気持ちを体感・理解しようとした。模写することで、感情を呼び起こすことができる、生むことができると信じた」
素材は揃っていた。
「実家から自分の荷物はすべてこちらに送られてきていた。写真だってたくさんあった。記憶の無いツグの物がたくさん存在した。そして真っ白な“紙”もここにあった」
自身を指さす。
「あとは方法。手段の確立。2年経ち、ツグのノートがボロボロになるほど、魔法のことは熟知していた。あとは再現するだけだった。3カ月かかったかな。けっこうな時間がかかったよ。でも成功した」
それは理から外れた悪魔の所業。けど私には救済だった。
「『ツグ』を模写し、私で再現させた。それが新しい私、『つぐみ』だった」
感情が豊かになった。言葉が溢れた。
おじさんとおばさんは私の急な性格の変化に驚いたが、すぐに慣れ、たくさんのことを話し、たくさんの思い出をつくった。やがて二人は安心したのか、私が芸大に受かり、大学生になるタイミングで海外へ旅立った。
「『ツグ』の思い出や感情を媒介に、ツグを再現し、『つぐみ』の更新情報をアップデートし続ける存在」
しかし感情の消費は激しかった。ツグの物とはいえ、1日しか私は私でいることができず、物は消え続けた。
それでも私は、『ツグ』の偽の存在、『つぐみ』であり続けた。
戻れなかった。
偽り続ける毎日から逃げることができなかった。
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