6ページ目 頭から煙が出ますよ

「と、言いたいところだけど、あの印刷機の前に、教えないといけないことがある」

「えっ、何ですか?」

「それは……」



 革ジャン先輩はそう言うと、茶色の紙で包装された箱のような四角い何かをテーブルの上に置いた。

 決して広くはない長テーブルの上に積まれたいくつものカラフルな印刷物の中、その茶色の塊は異質な存在感を醸し出している。

 包装紙の横に印字された70kという文字。印字と言うか、多分ゴム印だ。所々がかすれて、地の茶色が浮かんで見える。

 革ジャン先輩は爪を立てて、丁寧にテープを剥がし包装紙を開けた。

 包装紙とは対照的な純白の塊が、部屋を照らす明かりで輝いて見えた。



「紙……ですよね?」



 紙の側面は、まるで磨かれたようにツルツルだ。けど、真っ直ぐ綺麗に断裁されているはずなのに、約2.5㎝間隔くらいで段になって見える紙の束。革ジャン先輩はおもむろに上の一枚を手に取り、私の目の前に差し出した。



「そう、紙。ヒナちゃんは、紙のサイズって知ってる?」

「サイズですか? 詳しい寸法はわからないですけど、よくA5サイズとかB6サイズとか書いてありますよね?」

「そう、それ。そのサイズが印刷には重要なんだ」



 若ジャン先輩はそう言うと、手にした紙をテーブルの上に広げ、断裁機の横のペン立てからボールペンを一本取る。そして、器用に指先でボールペンを回しながら、用意したパイプイス二つの内一つを私の隣においた。もう一方には自分が座る。

 革ジャン先輩は紙にペンを立てながら、上目づかいでチラッと私を見て、ゆっくりと話し始めた。



    *    *    *


 はい、ここはテストに出るから!

 ん? 何のテストかって?



 いっ、印刷マイスター?


 と、冗談は置いといて、これを知っておくと、すぐに印刷屋で働けるようになる。

 ん? 働きたいわけじゃない? まぁ、いいけど。 


 この紙は上質紙、四六しろく判90㎏の8切りの紙。印刷屋では『上質90の8切り』で通る。と言っても、何が何やらだよな?

 印刷する紙は色々な基準のサイズがあるんだ。

 四六しろく判の他、B判、菊判、A判、ハトロン判って言うのもあるけど、それは今はいいや。取り敢えず四六しろく判で説明しよう。


 90㎏って言うのは、四六しろく判の断裁していない状態――四六しろく全紙、千枚の重さが90㎏ってことなんだ。㎏の読み方は、そのままキログラムでいいし、キロでもいい。

 他にも四六しろく判の上質紙で言うと、45㎏とか55㎏とか70㎏、110㎏、135㎏、180㎏がある。上質はこれが全部かな?

 千枚の単位は『れん』、紙によって枚数は様々だけど『そく』って単位もある。

 上質紙90㎏の場合、一そくは250枚。

 8切りって言うのは、全紙を八等分するってことだから、一束の8切りは250×8

で二千枚。この包みを横から見ると、段が四つ見えるだろ? これの段がそくだから250×4で、一包みが千枚だとわかる。これを重さで計算すると、単純計算で90㎏÷8で約11㎏。

 重いだろ? 紙を侮るなかれ。90㎏でこれだからな? 180㎏とか……ガクガクブルブルって感じ。


 次は寸法ね。

 四六しろく全紙のサイズは788㎜×1091㎜。B1正寸サイズよりも少し大きい。

 それを八等分にした8切りも、一般的に言うB4正寸サイズより少し大きくて、392㎜×271㎜。B4正寸が364㎜×257㎜だから、B4正寸サイズの印刷をしたとして、トンボまでキッチリと印刷されるって訳。


 ん? トンボが飛んでいない? 赤? しおから? 糸?

 違う! そのトンボじゃない!

 これ――この8切りに印刷した製品を見てみろ。

 この四隅にある、B4正寸に断裁する箇所に線が入っているだろ? これがトンボ。

 印刷では正寸の紙で印刷することはあまりないんだ。印刷してから正寸に断裁して製品の完成。まぁ、絶対にないってことはないんだけど。

 

 面白い話でさ、印刷する側は正寸で印刷することがほとんどないから、正寸の寸法を詳しく言えなかったりする。

 オレもそう。いきなり言われても、ん? ちょっと待ってってなるんだ。

 四六しろくの8切りは? って聞かれると、すぐに答えられるのにな。

 試してみる?


 関さ~ん、A3正寸は?


 


 ほらね?



    *    *    *


 シュー……プスプス……


 私の灰色の脳細胞がショートして、煙が噴き出しているのがわかる。

 数学は苦手じゃないけど、情報量が多すぎてシナプス後細胞に情報が入りきらない。私のシナプスって先細りなのかな?

 トンボが何かは分かりましたけど。

 革ジャン先輩はテーブルの上の紙――上質90㎏の8切りに、細かい図解と注釈まで書いてくれたのに……



「後、簡単なサイズの話だけど……」

「まだあるんですか!?」



 教えてもらっておきながら、私は露骨に不満気な顔になっていたと思う。そんな私を見てもイヤな顔一つせず、革ジャン先輩はメモの書かれた紙を綺麗に半分に折った。

 丁寧に端と端を合わせテーブルの上に置くと、合わせた側の真ん中にもう一方の指先を立て、一気にそれを手前に引く。そして、折り曲げた紙の淵に沿って右へ左へと指先をスライドさせた。



「元の紙の大きさがB4。ちょっと大きいけどB4にしておこう。こうやって半分にするとB5。週刊誌の大きさ。で、もう一回折るとB6。ヤング紙なんかの単行本の大きさ。世の中の本って、こうやって大きさが大体決まっているんだ」



 そう言って、四つに折った紙を私の目の前に差し出す。四分の一になった紙の表にB6と書かれ、それを一度開くとB5の文字が目に飛び込んでくる。全部開くと、その内側には、紙の大きさや重さの計算が図解でビッシリ。

 これ、もらっていいんですよね?

 キョトンと首を傾げる私に、革ジャン先輩は優しく微笑んだ。



「よしっ、これを踏まえて最後の印刷機の説明だ」

「はいッ!! よろしくお願いします!」




************


 補足の時間です。革ジャン先輩です。

 一般的な感覚と印刷業界での感覚には違いがあると思うのですが、印刷用紙のサイズはA0やB0はありません。

 A判全紙はA1正寸よりも少し大きな紙になります。B判全紙も同じ。

 それに伴い菊判と四六しろく判があります。

 

 何故か?


 例えばA半裁の用紙440㎜×625㎜でA6正寸のポスティングチラシを印刷したとします。単純計算ではA半裁の紙に16面つけ合わせることができる計算になりますが……

 ちょっと待て!

 そのチラシのフチには柄がありませんか?

 柄で断ち切る印刷物の場合、断ち切り箇所が最低3㎜は必要です。これは最低であり、通常ならば6㎜は取っています。何故なら、フチまで柄があるので、綺麗に断裁するには塗り足し分が必要だからです。


 A半裁の紙が440㎜――仕入れ紙屋や印刷会社によっても異なりますが、私の会社では438.5㎜。その印刷可能部分は最大428㎜。(これは後ほど説明します)

 A6が105㎜なので428㎜-(105㎜+3㎜)×3+105㎜=-1㎜となり紙が足りなくなってしまうのです。

 そこで登場するのが菊判です。

 菊半裁は469㎜×636㎜でA半裁よりも一回り大きいのです。

 私の会社での菊半裁のサイズは467.5㎜×636㎜ですので、印刷可能部分は457㎜になります。これで計算すると、457㎜-(105㎜+3㎜)×3+105㎜=28㎜となり、余裕で印刷可能になりました。断ち切り箇所を6㎜にしても余裕です。

 こういった、何面もつけ合わせる印刷物の場合、A判やB判よりも、菊判や四六判が適しているという訳です。


 次は重さです。

 同人誌印刷の若かりし頃には関係のなかった話ですが、ハッキリ言って紙はとてつもなく重いです。

 ある日、インペリアルマット菊判125㎏半裁、二万枚の印刷がありました。これを印刷機に手で積む訳です。

 菊全判千枚で125㎏です。半裁だと二千枚で125㎏。じゃぁ、二万枚は?

 恐ろしいですね。

 これ、実は両面印刷なんですよ。一度印刷機から出てきた印刷物をもう一度手で機械に積まないといけない。

 あえて重さを表記しませんが、生死の境を彷徨うレベルです。

 加えて加工に行く訳ですよ。パレットに積むんです。

 さぁ、何tになったでしょう? これ、一日の仕事量ですよ?

 もう、完全に常世の住人です。


 五年後、同じ仕事なんて出来っこない! と思いながら、すっかり五年がすぎているなんて事が日常でしたね。

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