第二巻 教えて革ジャン先輩! ― Over Print

はじめに

 誰しもが子供の頃、色とりどりに彩られた物語の世界に憧れた。

 それは、絵本や小説に限った話ではない。漫画やアニメ、映画にドラマ、古今東西、世界中に物語は溢れていた。


 物語りは星の数ほど存在する。


 特撮ヒーロー番組を見ては自分なりにアレンジしたストーリーを考え出し、日がな友達とを繰り返した。

 恋愛ドラマを見ては、いつか自分の前に現れる素敵な異性を夢見もした。

 綿密に作り上げられたヒューマンドラマに自分を重ね涙し、巧妙なテンポのギャグ漫画を真似て人前でお道化てみたりもした。


 誰もが物語の主人公であって、作者だった。


 そしていつしか人は、その自分の中の物語を形にしようと考えるようになる。

 おそらく殆どの人達が、ノートや広告チラシの裏に漫画や物語を書いた覚えがあるのではないだろうか。

 上手い下手は関係ない。最初はキャラクターを真似て描き、それがいつしかオリジナルのキャラクターを創造し、設定までをも書き記した。

 今思い返せば黒歴史にしかならない自作の小説も、書いた当時は自分の中での最高の物語だった。

 小説投稿サイトで読み専と呼ばれている方々だって、そこに至るまでに沢山の物語を作ってきたのだ。

 書き手と読み手の間に明確な差はなかった。



 書き手がギラギラしていた時代。それは読み手もしかりだった。

 まだインターネットが当たり前ではなかった時代。お気に入りの同人作家の作品を手に入れるには、イベントに出かけるか手紙をやりとりするしかなかった。


 ドキドキした。

 ただ、新作の注文をするだけなのに、用件ばかりだとそっけなく思い、前作の感想や好きな所を懸命に考えて書き綴った。そして、読み返して途端に恥ずかしくなり、クシャクシャに丸めてゴミ箱へ投げ捨てた。

 何度もそれを繰り返し、ポストに投函する直前でさえ、高鳴る胸を抑えようと最後に一度深呼吸をした。


 そして新刊が届き、封を開けるその瞬間まで動悸は収まらなかった。震える手でペーパーナイフを握り、中身を傷めないよう細心の注意を払って封を切る。

 逸る気持ちを抑え手にした新しい本。イベントへ行くか、直接注文する以外には手に入らない同人誌。

 同封されていた作家さんのお礼の言葉が、喜びに拍車を掛けた。

 描かれた髪の毛一本も逃さないようじっくり吟味し、時間をかけて何度も読み返した。もちろん感想も書いた。

 それはまるで、愛しい人とのやり取りと何の変りもなかった。


 物語に出会う事が難しかった時代に、そのような作品に出会えた事は本当に奇跡に近かったであろうし、そしてそれはとても幸せな事だった。


 インターネットが当たり前になった世の中では考えられない強い想いが、たかが一冊の本を巡って渦巻いていた。

 作者の想い、読者の想い、そしてそれを繋いできたのが印刷の仕事である。


 その時代を知らない人たちには笑われるかもしれない。

 Web上で検索し、本を見つけてボタンをポチる。気軽に感想を伝え、それに対して返事があるのが当たり前。なければ作者の全否定をつぶやいてみたり。

「そこまでして、欲しい本なんてある?」なんて言われそうだ。

 それを否定はしない。時代は移り変わる。いずれ、色褪せていく常識の中での感想でしかないのだから。



 本がなくなった世界で人は何を思うのか。



 2053年。印刷自体は完全に消えたりしていない。しかし、事業のごく一部所程度の規模でしかない。大きな機械も必要としない。民生用、オフィス用の軽印刷機で事が足りた。そこから学ぶは皆無に等しかった。

 印刷は情報社会によって完全に塗り潰された。


 新しく、本を手に入れる事が困難になったこの世界で、一人の娘が心から願った。

「印刷の事が知りたい」と。



 その望みはきっと叶う。



 さぁ、印刷の話をしようか――

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