4ページ目 両面機

 革ジャン先輩が、まるで蓋を開けるように、印刷機の紙が滑り落ちる滑り台のような部分を押し上げると、そこにはもう一つ自動で版を入れる装置があった。そして、その下には何本ものインキのローラーと、インキを入れる器のような物。

 この印刷機は上と下に、同じ働きをする物が二つあったんですね。ってことは……



「さっきは片面しか印刷していなかったけど、実はこれ両面機なんだ。一度紙を通すだけで、一気に両面が印刷できる」

「へぇ~」



 やっぱり。思った通りです。

 両面機だなんて、そんな印刷機があるんですね。――って、よくよく考えれば、家庭用プリンタだって自動両面プリントが出来る時代ですからね。あっ、この時代じゃないですよ?

 私は両面機の隣で膝を折り片手で後ろ髪を束ね、のぞき込むように首を曲げる。

 それを見た革ジャン先輩が、両面機の滑り台の下に備えつけられたライトのスイッチを入れてくれる。

 何本ものローラーのインキに眩しいくらいの光が反射して、私の目を眩ませる。

 革ジャン先輩は、私の目と鼻の先にある版を入れる装置を指先でトントンと叩いた。



「上にもあるこれが、版を自動で取りつけてくれる自動吸版装置。下のはちょっと形が違うけど。要するに、上と同じものが下にもある。インキローラーも、洗浄装置も、インキツボも――あっ、このインキを入れるところね」



 革ジャン先輩は私の頭越しに一つ一つ指を指しながら、色々と説明してくれる。

 さっきまで革ジャン先輩が印刷していた時に、指先で回していたつまみが下のインキツボにも横一列に並んでいる。きっとこれで、インキの量を調整するんですね?


 私は鼻を鳴らしながら興味津々に両面機を眺めていた。

 ふと気づくと、後ろに革ジャン先輩の気配がない。私は不安になって、印刷機から体を引いて立ち上がる。今まで手で束ねていた髪が、フワッと頬に流れてくすぐったい。それを耳にかけ振り返ると、革ジャン先輩は刷り上がった印刷物が置いてある長机の前で私を手招きした。



「ヒナちゃんは、同人誌って知ってる?」

「あ、はい。そこそこは」



 私はいそいそと革ジャン先輩へ駆け寄る。

 机の上には、まだ形になっていない漫画や表紙が積まれ、断裁されていない便箋やフリーペーパー、封筒が置かれていた。

 印刷された商品の、一時保管場所ってところだろうか。

 間に紙が挟まれ、何層にも積まれた漫画の印刷物を、指先で一枚めくり上げる私。

 あっ、ちゃんと裏も印刷されてますね。



「それが漫画の中身――本文。A5サイズの本だと、A3上質紙一枚に片面4ページ、両面で8ページになる。見ての通り、裏も印刷されているだろ?」

「はい」

「両面機は自動で版が入って、印刷後に自動で版が出てきて、さらにブランケットも洗ってくれる。一連の作業時間が他の印刷機よりも格段に短くて済むんだ」




************

 

 革ジャン先輩です。

 恒例の補足説明になります。

 両面機は自動吸版、自動排版、自動洗浄の上さらに、印刷中に次の版をエッチングして吸版装置にセットしておくと、洗浄が終わったらすぐに次の版が印刷機に入ります。なので、とてもスピーディに印刷することが可能です。

 例えば100部で3台分(100部を3回)の印刷をするのに要する時間は僅か10分程度です。

 ただし、その時間にインキの調整の時間は入っていないので、そこはオペレーターの腕の見せ所となります。

 ちなみに、私の最高印刷台数は、一時間に28台です。50部の本ですが。


************




「凄いですね。他の印刷機だと、片方の面を印刷して、引っくり返した後、もう一度印刷しなきゃいけないんですよね? ――私、ちょっと凄くないですか? 応用まで出来ちゃうんですから」



 鼻高々に胸を張って、フンッと鼻を鳴らす私。革ジャン先輩はそんな私を見て目を丸くする。そしてすぐに、クシャッと顔を歪めて吹き出した。

 


「なっ、何が可笑しいんですか!」

「小学生かよ?」

「しっ、失礼じゃないですか! こんな美少女を捕まえて」



 両手を腰にグッと顔を寄せ、上目づかいで革ジャン先輩を睨みつける。片手で顎を撫でながら、細い目をさらに細めて、舐めるように私を見る革ジャン先輩。

 ヤダ、何ですか、そのいやらしい目は?

 革ジャン先輩の下卑た視線に身の危険を感じ、私は思わず両手で胸を抑える。

 自意識過剰? ううん、そんなことない。だって、いつもお爺ちゃんに「ヒナは本当に可愛いなぁ」って言われてるから。



「美の少ない女?」

「美しい少女ッ!! このやり取りかーい!」



 何なんですかこの男は? 失礼にも程がある! 

 帰ったらお爺ちゃんに言いつけてやるんだから!

 私はそんな言葉を飲み込んで、ただパンパンに頬を膨らませた。



「また?」

「あっ、未来の革ジャン先輩にも同じことを……」

「未来のオレ!?」

「あれ? 未来から来たって、私言いましたよね? 『変わったお客は多い』って台詞は、本気で私を変人扱いしていたってことですか!? あの、ちょっと持っていかれそうになった笑顔は、馬鹿にした笑いだったんですね! それって失礼どころじゃないですよ! 無礼です! いや、非礼だぁ!」



 私の頭から煙が出ているかも。

 革シャン先輩は慌ててブンブンと首を振る。



「わかった、わかったって。ヒナちゃんは、未来から来た。OK、OK! 最初からそうだと思っていたんだよ、ホント。ちゃんと印刷のことを教えるから、そんなに怒るなって」



 眉間に皺を寄せて、ジリジリと後ずさりする革ジャン先輩。

 もう……いいです。絶対に信じてないですから、その適当な返事は。その内、わかってくれるでしょ、きっと……たぶん。



「落ち着いた? じゃぁ、次の印刷機を教えようか」

「落ち着いたように見えますか!?」

「じゃ、じゃぁ、次は隣の印刷機だ」



 私から視線を逸らし、背の低い方の印刷機を指さす革ジャン先輩。

 男って、本当にズルい。

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