3ページ目 オフセット印刷機
ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン……
印刷機に積まれた紙が、滑り台のような箇所を滑り、次々と機械に吸い込まれていく。それが、排出口から印刷された状態で木製の台車に積まれていく。
革ジャン先輩は絶妙なタイミングで、排出口から一枚の印刷物を抜き取り、ジッと見つめたかと思うと、横一列に並んだつまみを少しづつ回す。そして、チラッと私に視線を向けた。
「印刷機、見るのは初めて?」
すぐに視線を印刷機に戻す。
私は革ジャン先輩の斜め後ろに移動して、積まれていく印刷物を目で追った。
「あ、いや、初めてではないんですけど……全然、知りません!」
どやッ! と、胸を張ってみたところで、まったく振り返ってもらえなければ、それはただ単にとても恥ずかしいだけだ。
ふ~んと、鼻を鳴らす革ジャン先輩。
ピー! ガッシャン! ブーブーブー……
さっきと同じように、機械に設置されたプレートに紙のようなものが飛び出してくる。革ジャン先輩の正面の、赤く光るデジタルカウンタが千で止まっている。
印刷機横のハンドルを回して、印刷物が載った台車を下げる革ジャン先輩。そして、両手で優しく掬い上げるように持ち、長机の上にそっと下ろした。
「じゃぁ、印刷機の説明からしよう。関さん、ちょっとゴメンね。版、焼いていてくれる?」
関さんと呼ばれた女性は、印刷機を後にして、部屋の隅、プレス機のような機械の方へ歩いて行った。
革ジャン先輩は今まで使っていた印刷機の隣、関さんが使っていた印刷機の前に立つ。革ジャン先輩が使っていた印刷機よりも高さがない。
女の子向け? まさか、そんなことはないか。
革ジャン先輩は印刷機の、網の目のような金属のカバーを手前に引き上げる。
「ここにある印刷機は、オフセット印刷機と呼ばれている。さて、オフセットとは何だ? ってことなんだけど……」
「あっ!」
そこには、先ほど革ジャン先輩が使っていた印刷機から、大きな音を立てて飛び出してきた、ピンク色の紙のような物が巻きつけられていた。ピンク色の紙には漫画のキャラクターが写し出されていた。その下に――これは大きなゴムのローラーかな?
革ジャン先輩は印刷機横のハンドルを回しながら、もう一方の手でピンク色の紙を指さす。
「このピンク色の紙が版。この漫画の部分についたインキ――今は赤インキが、その下のゴム版――ブランケットに転写される。どう? ブランケットの画像が反転されているのがわかるだろ?」
革ジャン先輩の指の先、緑色のブランケットに転写された赤い画像は、鏡に映った絵のようになっていた。革ジャン先輩はなおもハンドルを回す。
「それで、このブランケットの下を紙が通って、今度は正常な向きで紙に転写される。これが、オフセット印刷。コスト的に安いピンクマスター――紙版を使っている印刷機だから軽オフセット印刷機って言われている。通称、軽オフ。ベビーって言う人もいるな」
きたー! ベビー!
赤ちゃんじゃなくて、軽オフセットの印刷機のことだったんですね。
私はすぐさま、細くしなやかな手を高々と挙げる。
「紙以外の版ってあるんですか?」
「今はない。たまに使うけど。PS版って言う、金属の版がある」
「何が違うんですか?」
「う~ん、色々メリットデメリットがあるんだけど……そこまで説明必要?」
当然です! 勉強しなきゃいけないんです!
私は大きく頷いて、キラキラ輝く目で革ジャン先輩を見つめた。
「えっと、まったく耐久性が違う。まぁ、紙と金属だから、どっちが耐久性が強いかわかるだろ? 紙版は数千枚しか印刷できないから。紙がふやけるし」
「ふやける?」
「水でな」
「水!?」
おっと、やっと出てきましたよ。印刷機に水。イメージ出来ないですから。
革ジャン先輩は機械の上のカバーを開ける。私はつま先立ちでそれを覗き込んだ。
大小何本ものローラーが真っ赤に染まっている。その一番外側のローラーの下に、受け皿にたまった水が入っていた。
「この水、何ですか? ローラーが半分浸ってますけど」
革ジャン先輩は受け皿の水に指先を突っ込む。そして、親指と人差し指でこすり合わせた。
「水って言っているけど、薬品が少し入っている。正式名称は吸湿液。版を洗い流す水だ。この水がないと、版全体がインキでベタベタに汚れちまう。ちなみに、版にインキを送るローラーがこっちで、水で洗い流すローラーがこっち」
両手で囲いを作りながら、私の顔色を見つつ、ゆっくり丁寧に説明してくれる革ジャン先輩。
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革ジャン先輩です。
少し説明不足なので追記します。
版は、紙版、PS版の他にもシルバーマスター(系統は紙版の部類)と呼ばれる物もあります。
ちなみにコスト、再現性(柄のシャープさ)、耐久性共に『PS>シルバー>紙』となります。軽オフ印刷機でもPS版、シルバーマスターは使えますが、ランニングコストを考慮し、紙版を使用している会社が殆どだと思います。
少部数の漫画や便箋、チラシなどは、紙版が使われていると思ってもらえばいいです。カラー印刷には紙版はむいていません。
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革ジャン先輩は未使用の紙版を持ってきて、角を指先で摘み私の目の前でヒラヒラと振る。
そしてシュレッダーのような機械の前に立った。
「さっき見ていたと思うけど、まず版を薬品処理をする。エッチ液に浸し……」
「エッチ液!?」
ヤダ、革ジャン先輩ったら、いくら私が美少女だからって、性的な目で見ていたなんて。エッチな液が出るくらい……
私は目を細め、軽蔑の眼差しを送る。
「いやらしい……」
「違う! 何考えてんだ? ヒナちゃんの頭の中身はピンク色か?」
「えー、だってぇ、エッチな液ですよね?」
「そういう名称なの! この緑色の薬品がエッチ液って言うの!」
そう言うと、革ジャン先輩はシュレッダーのような機械の蓋を開けた。
中には並んだ二本の細いゴムローラーと、半透明の緑色の液体が入っていた。
革ジャン先輩が機械のスイッチを入れると、ググググググというモーターの低音と共に細いローラーが回り始める。そこに版を差し込む革ジャン先輩。
ピンク色の版は緑色のエッチ液に浸った後、絞るような形で二つのローラーの間を通り、ゆっくりと出口から排出された。
革ジャン先輩はもう一度、機械に版を差し込みながら私を振り返る。
「基本、二回通し。この作業をエッチングって言う。エッチングすることによって、画像がないピンク色の部分にインキが付着しても洗い流せるようになる。そもそも、エッチングしないと、水で汚れを洗い流せない。ちなみに、エッチングする前に印刷面をさわると、指紋がついて取れなくなるから、角っこを持っていたって訳。わかった?」
はい、何となく。いやらしい液ではないことはわかりました。で、それを印刷機にセットすれば印刷ができるってわけですね?
版にインキがついて、ブランケットに画像が転写されて、紙が通ると印刷される。
完璧じゃないですか、私!
革ジャン先輩は元から使っていた印刷機の二本のアンテナのようなところに、紙版を差し込む。
「面倒だからこっちでいいだろ? 向こうの印刷機は手で版を取りつけないといけないし」
ボタンを押して印刷機が動き出すのを確認すると、もう一度同じボタンを押す。
ガシャン!
印刷機に吸い込まれていく紙版。
向こうの印刷機は手で版をつけるって言っていましたけど、ならばこっちの印刷機は自動で版がセットされるってことですね? 少し、印刷のことがわかってきちゃいましたよ。流石、私!
ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン……
私が見ている前、ものの数分で印刷を終え、機械に取りつけられたトレイに飛び出してくる紙版。
自動で入って、自動で出てくる。凄いですね。
ブーブーブーと機械が唸りを上げている間に、革ジャン先輩はもう一台のハンドルを回しながら、布でブランケットの汚れをふき取っていた。
「一ついいですか? ここには三台の印刷機がありますよね? 何か違いはあるんですか?」
「全然違うよ。じゃぁ、今度は印刷機の違いを教えようか」
革ジャン先輩はそう言うと、細身の印刷機の紙が滑り落ちる部分を、グッと手で押し上げた。
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