2ページ目 未来からこんにちは
ついに――ついに、やってきちゃいました!
まだインターネット回線が最高56kbpsという、恐ろしいほどナローバンドな頃。
カクヨムはもちろん、小説投稿サイトなんて存在しません。
自分たちが書き上げた作品を、自費出版で本にして、コミケのようなイベントで発表するしかなかった時代。
その手の本を紹介してくれる商業誌もありました。
あとは学校の漫研などのクラブ活動。印刷した部誌は、週刊少年雑誌くらいの厚さがあったそうです。
作り手さんがギラギラしていた頃――って、革ジャン先輩が言っていましたっけ。
早速、印刷オペレーター駆け出しの頃の革ジャン先輩に会いに行きましょう!
若い革ジャン先輩――気になりますね。
* * *
私は片側三車線の大きな道路を挟む歩道で、それを見あげる。
二階建ての木造の建物。
建築基準法に沿っているのかどうかもわからないほど、隣の建物と近接しているので、奥行まではわからないけど、横幅は車一台分ほどしかない小さなお店。
とても、
街の小さな印刷屋さん――そんな言葉が似合う赤基調の正面ガラス張りのお店だ。
ガラスにはお店の名前がカッティングシートで貼られている。
「こんにちはー!」
「いらっしゃいませ」
十畳ほどしかない室内、店の半分を隔てるカウンター越しに、眼鏡をかけたお姉さんが元気な声を上げる。
カベにはカラフルなステッカーが並べられ、可愛いキャラクターがプリントされた巾着がぶら下がっている。左側の壁際には、『紙見本帳』と書かれた棚に、何冊もの見本帳が所狭しと並べられている。その隣には、同人誌の見本。
ラジオから流れる当時の流行歌と、右の壁側を向いて、男の人が古いマッキントッシュを打鍵する音が聞こえる。
私は挙動不審に店内に目を泳がせた。
お店――印刷なんてしてるの? ここで?
印刷
「あのー……革ジャン先輩はいらっしゃいますか?」
「ん? 革ジャンくんのお客さん? 彼なら奥で印刷してるよ。ちょっと待ってて」
眼鏡のお姉さんは、カウンター奥のドアを開けて大きな声を上げた。
「革ジャンく~ん! お客さんだけど」
「今、無理~! 入ってもらって!」
ドアの奥から革ジャン先輩の声が聞こえた。
お姉さんは、それがまるでいつものことのように、私を扉の向こうへ招き入れる。
************
はいっ、革ジャン先輩です。
実際、お客様が私を訪ねて来る(印刷をお願いに来る)ことは多々ありましたが、常連様や自己製本希望のお客様以外が、奥の
お店と言っても、一応会社ですからね。
工場には、お客様の印刷物が山積みされていましたし。
まぁ、プライバシーマークの使用の許諾が開始される前の話ですけどね。
お客様的には、面白い時代だったのかもしれません。
************
お店に入る前にも思ったけど、ここはきっと普通の民家を改築したお店に違いない。
十畳+十畳の間の壁を取っ払い、床を抜いてコンクリートで固めただけ。民家の中に印刷機器が置いてある――そんな感じだった。
入ってすぐ、手前の十畳部分には、オフィス用の長机が二つ合わせて並べられ、その上に印刷された漫画や便箋が積まれている。
その横には、紙を断裁する機械。壁一面の棚には、見たこともない色々な種類の紙が、足元から天井までギッシリ詰め込まれている。
ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン……
以前聞いた、大きな印刷機の音よりも、格段に軽い機械音が小さな空間に反響している。扉の前に立つ私の視線の先、一段低い奥の部屋に、二台の小さな機械が並んで設置されていた。
縦に細身のアンテナのようなものが飛び出している機械と、少し横に広めのずんぐりむっくりな機械。そちらの方は、女性が動かしている。
あれ……? この細い方の印刷機って、大きな
「誰? お客って?」
細身の印刷機の奥から、ヒョコッと顔を覗かせる男性――革ジャン先輩。私は、元々大きくて可愛らしい目をさらに大きくさせて、革ジャン先輩を凝視した。
インキのシミがついたブルージーンズに、ラフな黒いTシャツ。長い髪を無造作に後ろで束ね、小さく首を傾げている。
えーっ!? 若ーい!! 目がたれてなーい!! 髪は相変わらず長いけど、相変わらず? 相変わらずなのは、未来の革ジャン先輩か。
私は段差をピョコンと飛び降り、若き日の革ジャン先輩へと駆け寄った。
眉間に皺を寄せて、あからさまに訝し気な表情を浮かべる革ジャン先輩。
私はすぐさま手作りプリンター出力の名刺を取り出す。
「私、未来よりやってまいりました、ヒナと申します。革ジャン先輩に印刷のことを詳しくお聞きしようと思いまして……」
ピー! ガッシャン! ブーブーブー……
機械に設置されたプレートに、いきなり紙のようなものが飛び出してくる。私は大きく肩を弾ませ頭を抑えた。
唸るように動き続ける印刷機。やがてその低い音が鳴り止むと、すぐに印刷機は自動停止した。
革ジャン先輩はジッと私の名刺に視線を落としている。
「印刷のことを詳しく聞きたい? えっと……タイムストリッパー、ヒナ?」
「タイムスリッパ―です!! 何なんですか? 昔からまったく変わってないじゃないですか! ……当然か」
若かろうと年を取っていようと、結局この人はいつもこうなんですかね? まったくもって男って奴は――って感じですよ。
私は白磁のような艶やかな頬をパンパンに膨らませて、革ジャン先輩をきつく睨みつける。それを、面白くなさそうに一瞥すると、革ジャン先輩は私を押しのけるように、印刷機から飛び出してきた紙のような物と同じ物を棚から一枚手に取り、そのすぐ手前に置かれた横長のシュレッダのような機械に差し込んだ。
ググググググ……
くぐもったモーターの低音が、機械からじわりじわりと漏れ出す。
「で、印刷の何を聞きたいの、ヒナちゃんは?」
「えっ……と、そっ、そう! 私、この時代の革ジャン先輩とは初顔合わせなんですよ? タイムスリッパ―はスルーですか? 時を越えてやってきたんですよ? 嘘だ――とか、馬鹿な――とか、スッゲー――とかないんですか?」
「ああ、変わったお客は多いから」
今まで不愛想だった顔をクシャッと歪めて、子供のように笑う革ジャン先輩。
どうなんでしょう、この無邪気さは? いやらしい武器を持っていやがりますよ。
それに、変わったお客が多いって、お客様に失礼じゃないですか? 私にも。
革ジャン先輩はシュレッダーのような機械から出てきた紙らしき物を手に、印刷機のボタンを押す。再びガシャンガシャンと部屋に響く音を立てて動き出した印刷機の、二本飛び出したアンテナのような物に、その紙のような物をのせた。
そしてもう一度、機械のボタンに手をのばす。
ガシャン!
うわっ!
ビックリした。紙らしき物が印刷機に自動で吸い込まれていった。
もう、どういう説明すればいいのか全然わからない。さっきから、『~のような物』とか『~らしき物』ばかりじゃ、伝わる物も伝わらない。
私は作業を始めた革ジャン先輩をジッと見つめる。その視線に気づいた革ジャン先輩は細い目を大きく開けて、「何?」と言いたそうに小さく首を傾げた。
「と、取り敢えず、印刷機のことから教えてもらえますか?」
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