1ページ目 時をかけるアシスタント

 近い将来、この世から本は淘汰される――なんて、実しやかに囁かれてきた。

 誰が何と言おうとも、私は電子書籍よりも本が好きなんだ。

 だからずっと、印刷の事を知りたかった。



    *    *    *


 みなさん、こんにちはー! ヒナでーす!

 今日は、革ジャン先輩が働いている印刷会社にきちゃいました。

 むむっ、やっぱり工場こうじょうですからね、意外と大きいですね。

 観音開きのサッシの前に、大きな紙の包みが何十本も積んでありますよ。

 ピンク色のフォークリフトが、まるで「紙の積み下ろしはオレに任せろ」と言いたそうに、高々と積まれた紙の下に敷かれた木製パレットにその先を突っ込んだ状態で、堂々と鎮座しています。

 こ、れ、か、ら……革ジャン先輩に印刷のことを聞いてみたいと思いまーす!

 それでは、行ってみましょう♪



    *    *    *


 木製のパレットに積まれた大きな紙の横をすり抜け、私はサッシに手をかけ、そっと中を覗き見る。

 頬を撫でる熱気が私にまとわりつき、嗅いだ事のない不思議な香りが鼻を刺す。


 ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン……


 途切れることなくリズミカルに鳴り続ける機械の音が、印刷物のひしめき合った工場こうじょう内に充満していた。

 私は目だけで革ジャン先輩を探す。


 正面奥にクリームと青色のツートンカラーの小さな機械が二台。サッシのすき間から覗かせた目をスライドさせると、左方向にはその何倍もある大きな機械二台が工場の大部分を占拠している。

 その奥の壁側に――いました! 革ジャン先輩です!


 ところどころ、原色と白っぽい粉で汚れた作業着。

 長い髪を後ろで束ね、薄いピンクのタオルを頭に巻いた革ジャン先輩が、機械の上でヘラのようなものを突き立て、大きく左右に振っている。鼻背びはい部分に乗せた丸眼鏡が、蛍光灯の光を反射してキラリと光った。

 日常生活では、どんなに暑くても、太陽が燦々と照っていても、革ジャンを着続けるヘンタイ。

「オレって人見知りだから、これが心の壁なんだよね」と、意味不明なことをのたまう、引き籠り印刷オペレーター。


 私はサッシのすき間に両手を滑り込ませ、大きくそれを左右に押し広げた。



「こんにちはー! お邪魔しまーす!」



 工場こうじょうで働く方々が、一斉に私を振り返る。

 私はロックオンした目標物へ一気に駆け出した。




************


 誰がヘンタイだ!? 誰が?


 革ジャン先輩です。

 まず、ヒナの行動は現実にはあり得ません。

 個人情報保護法が設立され平成も終わりに近づくと、印刷会社の多くがプライバシーマークを取得するようになりました。これは、より沢山の仕事を受注する為であり、会社の信用にもつながりました。なので、たとえ業者であっても工場こうじょうへいきなり人が入ってくることはありません。

 安心して印刷をご依頼ください。

 まぁ、昔はお客様が遊びにくるなんてことは日常でしたけど。


 それ以前に……ヒナ! 開けたサッシくらい閉めていけ!


************




 ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン……


 私の身長よりもずっと背の高い機械が、大きな音を立てて動き続けている。

 目の高さより少し下、排出口と思われる木製の台車の上に、凄い速さで止めどなく印刷された紙が積まれていく。

 その光景を真正面に、私の右手側にある角度のついた大きな台の上には、今しがた印刷された印刷物が一枚広げられ、工場こうじょう内に設置された蛍光灯よりも強い光が当てられていた。


 どこかのラーメン屋の広告チラシ。

 赤と黒の二色刷り。今時、カラーじゃないなんて珍しい。

 横幅50㎝ほどの紙に、二面つけられた状態で印刷されている。



「革ジャン先輩! お邪魔しまーす! 今は何をされているんですか?」


 

 私は機械の上の革ジャン先輩に声をかけた。

 革ジャン先輩は、まるで見えていないように私の前を素通りすると、小さなペン型の物を台の上の印刷物に当てて、顔を近づける。ペン型の何かとメガネのレンズが触れて、コツンと小さな音を立てる。

 そして、彼は右手をディスプレイの上で躍らせた。



「革ジャン先輩! センパーイ! 聞ーいーてーまーすー?」

「うっさい! 気が散る! 今、トンボ合わせている最中! うーん……水が少し多いか? 赤が水上がりして弱くなってるな」



 革ジャン先輩はチラリともこっちを振り向く事なく眼鏡をズラし、今度は少し離れた位置から白い台の印刷物を眺めブツブツと呟く。

 まるで誰かに話しかけるように独り言を呟くのは、革ジャン先輩の悪い癖だ。

 そして、横一列に並んだボタンの上で、人差し指をスライドさせた。



「トンボを合わせる? 水? 印刷で? 水が上がって赤が弱くなる?」



 意味不明な言葉の羅列。

 工場こうじょうの中、トンボって飛んでます? 今、春ですけど……

 革ジャン先輩の顔を覗き込むように、私は横からスッと顔を突き出す。



「あの~……印刷に水って……」

「何しに来た?」

「はい?」



 何しにって、印刷のことを教えてもらう為に決まっているじゃないですか?

 私はアシスタントですよ? 革ジャン先輩に印刷の疑問をバシバシして、世の中に印刷のことを知ってもらいたいんです。そして、いつかどこかのテレビ局の目に留まって、ゆくゆくは世界を席巻する印刷アイドルとして……いやいや、それは私の野望でした。



「何でここへ来た?」

「いや、だって……印刷を教えてくれるって……」

「順序! 物事には順序ってもんがあるだろーが! まずはベビーの機械で印刷の仕組みから……」

「ベビー……? 赤ちゃん?」



「…………わかった」



 革ジャン先輩は大きなため息をつく。

 それと同時に、木製の台車に次々と積まれていた紙が止まり、機械の動くスピードがゆっくりになった。

 排出口横のデジタルカウンターが一万を少し超えたところで止まっている。

 どうやら、この製品の印刷が終了した模様だった。



「お前の仕事は何だ?」

「はいっ! 時を駆ける美少女アシスタントです!」



 真っ直ぐ天井を貫く勢いで、私は片手を挙げる。

 革ジャン先輩は気持ちうつむき、上目づかいで目を細め、私の頭の天辺から足の先までをジロジロと見つめる。

 ヤダ、視線がエロくないですか?



「美の少ない女?」

「美しい少女ッ!! 切るとこ違ーう!!」



 何言っちゃんてんだ、このオヤジ? と、口も悪くなりますよ。こんなことを言われたら。あー、腹立たしい!

 革ジャン先輩は頭に巻いた薄いピンクのタオルを外す。そして、生え際の汗を雑にぬぐった。そして、少しばかりたれた目で、私をキッと睨みつけた。



「時代が違うだろ! まずは同人誌……コミケ全盛の時代で勉強してからだ! それでもわからないことがあって初めて、この時代に戻って来い!」

「コミケ全盛の時代? ……それって、にじゅムグッ」

「大きな声で何年前かまで言わなくてもいい。わかっているなら」



 うっすら赤や黒に彩られた大きな手が、私の奥ゆかしい口を荒々しく塞ぐ。

 私はニヤリと口の端を上げ、革ジャン先輩の手を押しのける。



「ピー年前の革ジャン先輩って何歳ですか? 今がピー歳だから、ピー年前は……ピー歳ですね! 若っ」

「だー!! ピーピーうっさい!! 紙通り不具合のエラー音か!」

「何だったらバキュンにします?」

「放送禁止用語じゃねー!! ……放送されても困るが」



 革ジャン先輩は機械に備え付けられたボタンの内の一つを押して、印刷が終了したチラシの台を床に下ろす。

 台車が紙の重さでフラッと揺れた。

 それを、機械から引きずり出す革ジャン先輩。そして、私をフッと見上げた。



「行ってこい、ヒナ! タイムストリッパー、ヒナ!」

「タイムスリッパ―です!! はぁ~……セクハラですよ?」



 深い――マリアナ海溝よりも深いため息をつき、フルフルと首を振る私。革ジャン先輩は私を気にする素振りも見せず、いそいそと次の作業に取り掛かった。



「じゃぁ、行ってきます! バキュン年前の革ジャン先輩の下で、印刷を学んできます!」



 呆れて振り返りもしない革ジャン先輩の背中に手を振り、私は工場こうじょうの外へ駆け出した。 

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