35ページ目 さぁ、バイクの話をしようか
シングルベッドの隣にある自分の背丈よりも高いシックな茶色のクローゼット。開けっ広げのルーバー引き戸。
その中、ハンガーや衣装ケース、引き出しから引っぱり出した服を何枚もベッドの上に積み重ね、私はファッションショーさながらオールドチーク材の姿見の前でポーズを取る。
可愛らしいヒヨコのプリントニットにタータンチェックのミニスカート。
私的、気合い入りまくりのデート服。
「うん、可愛いぞヒナ!」
鏡に映る自分の姿をジッと見つめながら、私は待ち合わせを頭に思い描いた。
革ジャン先輩の住むアパートの下。いつまでも現れない革ジャン先輩にしびれを切らして、部屋の前まで赴き呼び鈴のボタンを押す。
眠そうな顔でドアを開ける革ジャン先輩。そして、私を見るなり、細い腕を荒々しく掴み……部屋へ引きずり込み……それで……駄目駄目ッ!
髪を振り乱して大きく首を振る。
危険すぎる。こんなに短いスカートは色々な意味で危険だ。
なんて、ちょっとだけデート服を着てみたかっただけなんだけど。
『絶対にスカートで来るなよ。ミニスカートなんてもっての外だ』と、革ジャン先輩には念を押されている。ショートパンツでさえ駄目だと。
何でだろう?
カモシカのような細くて華奢な私の足を見たくないのかな? や、見せたい訳じゃないけど。
もしかして――ヤキモチ?
同人誌即売会は沢山の人が来る。たぶん男の人もいっぱい。
足を露出している私を他の男に見られたくないから革ジャン先輩はきっと……
鏡に映る私の顔――溶けるアイスのように、徐々に顔が緩んでいく。口元がピクピクと引きつり笑みが止まらない。
なんて、妄想に浸っている場合じゃない。
急ぐ必要はないけれど、もう我慢の限界だ。
「明後日、ヒマ?」と革ジャン先輩に聞かれ、すぐにでも件の明後日にタイムトラベルしようと思った。けど、我慢した。高ぶる気持ちを堪え忍いだ。
我慢すれば我慢しただけ、即売会に行くのが楽しくなるんじゃないか――と。
だから私は一週間我慢した。その間に、マキちゃんと一緒に服を買いに行った。
私は何も言わなかったけど、マキちゃんは上機嫌で可愛い服をいっぱい選んでくれた。
なのに今、ラフな格好しか選べないなんて。わかっていながら買ったんだけど、ちょっとガッカリ。
可愛い服はいつか未来のデートの為に取っておこう。
それでも自慢の足を強調するようにスキニーのブルージーンズをチョイスした。それと、プリントTシャツ。
上着は何を着て行こう? お爺ちゃんに買ってもらったUKタイプのライダース?
…………革ジャン先輩とお揃いになる危険有り。
どこからどう見ても、誰が見ても、並んで歩けばデートにしか見えない。
でも、思い切って着てっちゃえ!
念の為、可愛い下着も選んでみた。見えないお洒落も乙女の嗜みって事で。今日の格好なら絶対に見られたりしないけど。
さて、お爺ちゃんに報告してから、革ジャン先輩の所に行こうっと。
* * *
「あ、――れ?」
どこかの部屋の玄関で、大きく首を折る私。
すぐ右手の壁に小さな洗面台と鏡備え付けられている。
八畳くらいのガランとしたタイル張りのダイニングの奥、シンクとコンロの向こう側に小さな折り畳みテーブルが置かれている。
左手の壁に単身者用の2ドアの小さな冷蔵庫。
開けっ広げの襖の奥の部屋に、ギターのハードケースとガラス板を重ねたローテーブルと、青いカバーのロータイプソファーが見える。そしてその向こうに、スタンドに立てられた三本のギター。アコースティックギター一本と、エレキギターが二本並んでいた。
ソファーの後ろの薄く開いた襖の向こうに、もう一部屋あるのがわかる。
革ジャン先輩に教えてもらった住所を何度も何度も頭の中で繰り返し、時間を飛んだらここにいた。
待ち合わせ場所はアパートの下だったけど、革ジャン先輩を部屋の前で驚かせてやろうなんて考えたのがいけなかったのだろうか?
私の足元に並ぶ、見覚えのある黒い革靴。左足の甲の部分が、擦れて白く色落ちしている。
ここは、間違いなく革ジャン先輩の部屋だ。
えっ? どうしよう? 部屋に引きずり込まれる前に、自ら進んで入っちゃった。そんな軽い女じゃないんですけど、私は。取りあえず部屋を出ないと。
慌ててドアノブを静かに回す。
鍵がかかってる!? まさか、私を監禁するつもりじゃ……?
閉じ込められたか弱い子羊のような私は、舌なめずりする狼の革ジャン先輩にあんな事やこんな事をされて、挙句の果てに海外に……って、部屋の中なんだから、鍵を回せばいいだけじゃん!
我に返って鍵に手を掛ける。すると突然、私の中の悪戯心が目を覚ます。
革ジャン先輩、いないですよね? もしかして、まだ寝ているのかも。
これは、革ジャン先輩の寝顔を見る――じゃない、寝起きドッキリのチャンスじゃないですか?
私は音を立てないようにスニーカーを脱ぐと、背中を丸め抜き足差し足ギターの置かれた部屋の隣の襖を……
ガチャッ……
ビクッッッッッ!!
玄関の左手の壁の向こうから、扉を開ける音が聞こえた。私の奥ゆかしい心臓は、口から飛び出す寸前まで跳ねあがる。
ゆっくり深呼吸して、暴れる胸を落ち着かせる。
静かな部屋に革ジャン先輩の鼻歌がBGMで流れる。
寝てなかった。ちょっと残念。トイレだったのかな? 作戦変更で驚かせてやれ。
私は足を高く上げ、音を立てないようにゆっくりゆっくりと壁の向こうにいる革ジャン先輩に近づいた。
「お待たせしましたー! ヒナでーす!!」
両手を大きく広げて革ジャン先輩の前に飛び出す。
鳩が豆鉄砲を食ったように――キョトンと、ホントに間の抜けた顔で私を見て固まる革ジャン先輩。
私の視線も凍りつく。
青白く、顔の黒さとは対極の、白い肌からゆらゆらあがる水蒸気。
肩に巻いた大きなタオルが、細くも盛り上がる筋張った胸の筋肉を隠す。その下は……その下は……その下は……
「キャァァァァァ~!!」
私の純潔はぶっ壊れた。
* * *
ただ無言でアパートの通路を歩く革ジャン先輩。私は親の後に続く小鴨のように、革ジャン先輩の後をついて行く。
大きな白文字でRockersと入ったライダースの大きな背中を見つめていると、ふと革ジャン先輩の白い肌を思い出し、一気に顔の温度が上昇する。
「あの……怒ってます――よね?」
返事はない。
初めて見る、革ジャン――ライダース姿の革ジャン先輩。
首の辺り、低い位置で長い髪を縛り、脇にバイクのヘルメットを抱え、同じ方の手にもう一つ、ゴーグルのついたヘルメットをぶら下げている。
ストレートタイプのブラックジーンズにロングブーツ。
ちょっと、カッコイイ。
バイクで出かけるから足を出しちゃいけなかったんだ。
「怒ってま……」
「怒ってますねー!」
革ジャン先輩の大きな声にビクッと肩を弾ませ立ち止まる。遠ざかる革ジャン先輩の背中。私の目に涙が浮かんでくる。
革ジャン先輩は振り返りもせず、スタスタと通路を歩き続けた。
お風呂あがりの革ジャン先輩と対面した、あの後が大変だった。
私はその場にペタンと尻もちをついて大声をあげ続け、タオルを腰に巻いた革ジャン先輩がもの凄い勢いで私の口を塞ぐ。すぐ目の前にある革ジャン先輩の裸に動揺した私は、ムグッ、ムグッと、必死になって体を捩り抵抗した。別に襲われている訳でもないのに。
ピンポーンピンポーンピンポーンと続けざまに呼び鈴が押され、ドンドンドンドンとドアを叩く音がけたたましく響く。
私の叫び声を聞きつけて、近所の人が集まった。ガヤガヤと賑やかな声が部屋の中まで聞こえてくる。
真っ青を通り越して真っ白になる革ジャン先輩。
その後の事はよく覚えていない。
必死になってドアの向こうに群るご近所様に向かって、革ジャン先輩が釈明していたような気がする。「田舎の妹が~」とか「ゴキブリが~」とか、沢山の嘘を交えながら。
「待ってくださ~い」
たすき掛けにしたポーチからハンカチを取り出し涙を拭うと、エレベーターに一人乗り込む革ジャン先輩の後を全力で追いかける。
置いていかれちゃう――本気でそう思った。
けど、革ジャン先輩は開のボタンを押し続け、私が到着するのを待っていてくれた。私と目を合わせないように、そっぽを向いていたけど。
沈黙の密室にグワングワンと重苦しい機械音だけが響く。
エレベーターをおりて、数えきれないほどの自転車やバイクが並ぶ駐輪場の一角で、革ジャン先輩はヘルメットから外したゴーグルをかける。そして、脇に抱えたヘルメットを、無言で私の前に差し出した。
まだ、怒ってますよね? ずっとこの雰囲気で今日一日過ごすんでしょうか? 楽しみだった筈のイベントなのに気が重いですよ。
「革ジャン先輩? その――ライダース、カッコイイですね」
もう何度も繰り返した「ごめんなさい」も言えず、私が選んだのはそんなどうでもいい事だった。
革ジャン先輩のライダースジャケット。
私のシングルタイプと違い、前立てが2重になったUKタイプのダブルのライダース。
前立ての部分にいくつものピンバッジがつけられ、両袖には刺繍のワッペンが並んでいる。そして全体を飾り付けるスタッズが星のように銀色の光を放っていた。
革ジャン先輩はヘルメットを被り、チラッと私を見おろす。その口元は薄い笑みで歪んでいた。
「そう? わかる? ヒナちゃんもライダース似合ってるよ。このライダースはオレの自慢でさ、バイクのイベントに足繁く通ってバッジを手に入れて……Rockersって言う……」
今までの不機嫌はどこ吹く風。見た事ないくらいご満悦で、革ジャン先輩は嬉しそうに革ジャンの話を始めた。
私の目、点になる。絶対に点になっている。
もしかして、革ジャン先輩は意外とチョロいのかもしれない。
革ジャン先輩は上機嫌で自分のバイクであろう、ちょっと古めかしいバイクのシートをポンポンと叩く。
「さぁ、バイクの話をしようか」
「結構です」
「何だよ、オレに散々迷惑かけたのを忘れたのか?」
「それは謝ります。本当にごめんなさい。けど、それとこれとは話が別ですから。早くイベントに行きましょうよ」
「だな」
革ジャン先輩は無邪気に微笑みウインクすると、バイクにまたがりエンジンからのびるレバーを力いっぱい踏みおろした。
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