17ページ目 Reality and Unreality

 こんにちはー! ヒナでーす!

 色々ありましたけど、私は今日も元気でーす!

 と、ちょっとテンション上げすぎちゃいました。これくらいアゲ気味にいかないと、またイヤな事を思い出しちゃいそうで。


 本当のサカエくんに助けて貰った日、授業の後に彼とお茶をした。

 男の人に対する恐怖が薄まったとは言え、流石に二人きりでお茶をする勇気はなかったから、マキちゃんにもついてきてもらった。何だか嬉しそうだったマキちゃんが腑に落ちないけど。


 サクサクふんわり焼いたデニッシュパンの上にたっぷりのったソフトクリームを突きながら、コーヒーカップを口に運ぶサカエくんをチラリと見る。

 ポマードで固めたリーゼント。UKタイプのダブルのライダースの襟部分に、ざっと数えただけで20個ほどのピンバッヂがつけられている。色々なマークの、良く知らないピンバッヂ。明らかにバイクを模してあるヤツもある。そして、襟の縁や胸ポケットに沿うように、大小さまざまなスタッズが埋め込まれている。左右の袖にはワッペンとスタッズ。とにかく派手。どう見ても派手。業界用語でデーハー。

 とにかく普通の人だったら十中八九避けて通るに違いないタイプの人。

 私は……そんな事ないけど。だって、身内に元祖がいる訳だし。


 サカエくんは改めて、私の本を破った事を謝罪して、深く深く、テーブルに擦りつける勢いで頭をさげた。

 今、その時の経緯を聞いたからとて、「いいよ、気にしないで」なんて言えるような出来た人間じゃないけど、あの時のサカエくんはサカエくんで、心情的にいっぱいいっぱいだった事は理解した。

 どうも、ご両親の離婚で引っ越しが決まっていたらしい。

 私の本を取りあげる悪戯は何度もやっていて、いつもだったら奪い合いになる前に放す手を、あの時は放せなかったと。

 悪ふざけ半分、苛立ち半分。気持ちはわからなくもない。わかりたくもないけど。

 破れた本はお爺ちゃんに買って貰ったと言ったら、憑き物が落ちたような顔で「よかった、手に入ったんだな」なんて呟いていた。まるで、自分も探していましたとでも言いたそうに。

 私の隣に座るマキちゃんは、上機嫌でサカエくんに色々聞いていた。けど、私は未だ不信感が拭えなかった。怖さはなかったけど。

 紅茶を飲みながら、ソフトクリームと一緒に崩したデニッシュパンを黙々と頬張る私。サカエくんの話に耳を傾けながら。


 母親について遠くの街に引っ越したサカエくんは、ウチの大学に入るために、元住んでいたこの街に引っ越してきたらしい。や、これは正確じゃあない。大学へ入る為じゃなく、引っ越す為に大学を選んだって言っていた。

 ずっと住んでいる私としては、思い入れこそあれ、そんなに魅力がある街には思えないけど。

 で、希望していた近代工業学部で大学生活を満喫している所に、変な噂を耳にした。

 市村サカエが女を食いものにしてる、と。

 それはもう驚いたらしい。今は荻原サカエだけど、自分が女を食いものにしているようで気に入らない。で、秘密の人脈を使って調べてみたら、偽サカエくんに行きついた、と。

 直接話しかけずとも、遠目で見ただけで気がついた。アイツは市村サカエじゃあない。って事は、オレの名前を語って女を食いものにしている――だと? 気に入らない。こっちは女っ気の『お』の字もないのに――って、どうなの、それ? 正義感もへったくれもあったもんじゃあない。


 偽サカエくんの正体は、幼稚園の時に同じクラスだったサカイシゲルくんなんだって。同じクラスって、私とも同じクラスって事よね? 全然、まったく、さっぱり記憶にないんですけど。そんな子いたかな? 幼稚園の頃の、私とサカエくんとの一部始終を知っているんだから、いたんだと思うけど……思い出せない。

 親がお金持ちで何をするにもマウントを取ってくるイヤなガキだったって言うけど、そんなのただの嫉妬じゃない。どうせ私と同じように意地悪していたんじゃないの? 

 だからと言って、女の子に酷い事をしていい訳じゃない。本当に許せない。偽名使って保身をはかった上で、女の子を襲うなんて最低だ。男の風上にも置けない。風下に置いてやる。

 そりゃぁ、私は……その……未遂だったけど、サカエくんに助けて貰えなかったらと思うと、恐怖で体が震える。

 サカエくん、潰しちゃえばよかったのに。もう二度と、女の子を泣かさないように。って言ったら、サカエくん笑ってた。

 次に私にちょっかいかけてきたら、潰してやろうか? って。

 や、守ってくれるのは本当に嬉しいけど、私に手を出すと潰されるなんて噂が立ったらたまったもんじゃあない。私だってときめくような恋愛したいのに。誰も寄ってこなくなっちゃう。それ以前に、男の人への苦手意識を克服しなきゃ。サカエくんにはそんな事感じないんだけど。

 マキちゃんは目をパチクリさせて私を見ていた。凄い事言うのねって。

 何か勘違いしているようだから言っておくけど、潰すって『面子』の事だからね。


 サカエくんと話しながらキャラキャラと笑うマキちゃん。

 男の人の前ではいつも猫を30匹ほどかぶっているのに、今日のマキちゃんは猫をどこかに忘れてきたかのように、素だ。まるで気取っていない。

 いつの間にか、仲良くなってない? 私が学校を休んでいる間に何かあった?

 なんて事、とてもじゃないけど聞けない。

 いつしかサクサクのデニッシュパンは、溶けたソフトクリームを吸い込んでしっとりしていた。これはこれで美味しいんだけれど、今一つ楽しくない。

 何だろう、このモヤモヤした感じ。

 自分の笑い声がもの凄く乾いた笑いに聞こえた。



    *    *    *


「どうした、ボーッとして。思い出したように溜息ついたり。また、何かあったのか?」



 ハッと我に返り、慌てて焦点を合わせる。

 オぺスタに広げられたカラーの印刷物の上に10倍の箱ルーペが置かれている。

 今まで色々な印刷を教えて貰ってきたけど、カラーの印刷を詳しく聞くのは初めてだ。

 平成も終わったこの時代では、印刷と言えばカラーが主流になっている。

 同人誌の表紙もカラーばかり。なのに、今まで教わってこなかったから、ちょっとドキドキしている、筈なのに気を抜くと意識がどこか遥か彼方へ飛んで行ってしまう。

 いけない、いけない。印刷の勉強に集中しなきゃ。



「ごめんなさい、ちょっと考え事してて」

「オイオイ、しっかりしろよ。ボーッとしてると怪我するぞ!」



 フッと、革ジャン先輩の左手を見る。

 今でも忘れない。グチャグチャに潰れて血塗れになった指先を。あのシーンを思い出す度に胸がキュッと痛くなる。



「本当にごめんなさい。ちゃんと聞きますから、許してください」

「や、別に怒っちゃいないけど。そんなに悲しそうな顔するなよ。何か悩みでもあるなら聞くから。……失恋した?」

「ぶっ、失恋なんてしてませんよ! それどころか、付き合った事もないです!」

「は!? 誰とも!?」

「はい……」

「ごめん」

「何で謝るんですか!」



 ヤメてください。却って傷つきますから。

 そんな化け物でも見るような目もヤメてください。

 不思議なんですよね? それはわかりますよ。何でこんな美少女が誰ともお付き合いしたことがないんだ、なんて思ってるんですよね? そう、思ってください。じゃないと、涙が出ちゃいそうで。

 いいんですよ。私には若い頃のカッコイイ革ジャン先輩がいますから。



 います――から?



 どこに?



 仮想現実の世界に?



 いるの?



 いるって言えるの?



 私は革ジャン先輩を見あげて眉をひそめる。目の前にいる革ジャン先輩。触れればとても温かく、そしてちょっと汗臭い、革ジャン先輩の匂いがする。

 現実じゃあない現実。

 革ジャン先輩はキョトンとした顔で小さく首を傾げていた。

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