11ページ目 面付け 基礎編

 革ジャン先輩は薄茶色くくすんだ押し入れの襖の前、同人誌が覗く段ボール箱とは別の段ボールを開けた。そこには、ビニール袋に入れられた紙の束――漫画の原稿が入っていた。



「お客さんに返却する原稿だけどね。ちょっと一つ借りて勉強しよう」



 段ボールの中、本を立てるように隙間なく並べられた原稿の上で、革ジャン先輩は指先をスライドさせる。そして、選んだ風もなく、原稿の入ったビニール袋を一つ取り出した。

 ビニール袋の口を留めてあるセロハンテープにカリカリと爪を立てそれを開けると、中から原稿の束を抜き取り机の上に置いた。

 濃緑のテーブルマットの上にイラストが描かれた白い原稿用紙が映える。

 私はつぶらな瞳をさらに大きく見開き、興奮気味に鼻息を荒くする。



「これが生原稿ですね? さっき関さんが製版していた時に見ましたけど、目の前でじっくり見るのは初めてです」



 白い原稿用紙に、よく見ると薄いブルーの線が印刷されている。それを目印に、書き手さんが枠を引き絵を描き、原稿として完成させる。漫画の吹き出しの部分には、パソコンか何かでプリントアウトした台詞が貼られていた。

 よく見ると、原稿用紙の片側の枠外が薄いブルーの線から切り落とされている。



「じゃぁ、面付けの話だ」

「はいッ!」

「説明しよう! 面付けとは、お客さんが送ってきた漫画の原稿を、印刷や製本ができるように付け合わせる事だ」

「はぁ……ちょっとフワッとしすぎていて、よくわかりません」

「だよねぇ? じゃぁ、まず一枚目を見てみよう」



 重ねて置かれた原稿の束の一番上を指先で摘み上げ、さらに私に近づける。

 革ジャン先輩は原稿の右下に小さく書かれた数字を指さした。



「はい、注目! これは何でしょう?」

「え……っと、3って書いてありますね。薄いブルーの罫線の外側に、3ですか?ページ? あっ、でも一番上の原稿だったらページは1か」



 私は柔らかい唇に人差し指を押しつける。そして、小さく首を傾げた。革ジャン先輩は満足気に頷き、二枚目の原稿を手に取る。



「正解! 人それぞれだけど、一般的に同人誌の一番最初のページは3ページから始まる事が多い。表紙が1ページ、裏表紙が2ページってことだね。実際にページは入っていないけど」

「でも、ページなのに何でこんな隅っこに書いてあるんですか? この薄ブルーの罫線の外側って本になる場所ですか?」



 手にしたもう一枚の原稿を、私の前に置かれた最初の原稿と裏合わせにする革ジャン先輩。



「相変わらず、よく見てるな。いいセンスしてるよ、ホント」

「えぇ~、そうですかぁ~?」



 思わず小さな口をおさえてはにかむ私。

 そんな事、急に言われても照れますから。優秀だって言っているんですよね? はい、昔から出来る子だったんです。

 革ジャン先輩は空いた手の拳の裏で、コツンと私の頭を叩く。



「イタッ」

「コラッ、調子に乗らない!」

「乗ってませんよ。いいから早く続きを教えてください」

「まったく、教えてもらう奴の態度じゃねぇよなぁ。いいか? これはノンブルとも通し番号とも言われる。要はヒナちゃんが言うようにページで間違いないんだけど、お客さんが入れてきた数字じゃないんだ」

「革ジャン先輩が勝手に書いたって事ですか? 何の断りもなく?」 

「断る、断らないじゃないの! これがないと順番がわからないだろ? 書き込まなきゃ印刷も製本も出来ない」



 ポカンと口を開けて、ポンッと手を叩く私。

 それもそうですね。出来上がった本を読んだらまったく話が繋がっていなかったなんて、見た瞬間血の気が沖まで引いていきますね。



「だから枠外――製本したら切ってしまう箇所に書き込んであるんだ。いいか? 漫画は右綴じ3ページの裏は……」

「4ページです」



 小さく頷き「んっ」っと鼻を鳴らす革ジャン先輩。そして、重ねた原稿の右下、ページが書かれた部分を捲る。そこには小さく4と書き込まれていた。

 革ジャン先輩は次の原稿二枚を手にし裏を合わせ、先に置かれた原稿の隣に並べる。



「あれ? 3ページの隣が6ページですよ? いいんですか?」

「これでいいの!」



 革ジャン先輩は四枚の原稿の綴じ方向で重ねる。そして、私の目の前で捲って見せた。

 3ページ、4ページ、5ページ、6ページ……合ってますね。あっ、そうか。一枚の紙に印刷した場合、3の裏が4で4の隣が5。5の裏が6だったら、6の隣は3ですね。

 私は革ジャン先輩の手から原稿を奪い取り、広げたり重ねたり、捲ったりしてみる。



「これが1台4ページ掛け平綴じの面付け。3ページと6ページ、4ページと5ページの原稿の裏からセロハンテープで留めて完成」

「ああ、付け合わせた原稿にする為に、内側になる方の枠外が切り落とされていたんですね。なるほどなるほど」

「これはもう切ってあるけど、お客さんからはもちろん切っていない原稿で届く。それが右綴じなのか左綴じなのかによって、左右切る方向が違うから注意が必要なんだ。漫画の場合、3ページスタートだったら奇数ページで右、偶数ページで左を切らなきゃいけない」



 革ジャン先輩は奇数ページを左に、偶数ページを右にわけて重ねる。

 むむっ、確かに奇数偶数それぞれ、同じ方向が切ってあります。

 


「じゃぁ、実際に面付けをやってみるから見てて」



 革ジャン先輩は私が原稿を見たのを確認すると、再びページ順に重ね、3ページと4ページを手に取り裏合わせで重ね机の上に置いた。そしてすぐに5ページと6ページを同じように重ね、先に置いた原稿の右隣に置いた。

 私が目で確認するよりも早く上を向いている原稿を二枚一緒にひっくり返し、机の奥、スタンドライトの横に置かれたセロハンテープを素早く二枚切り、原稿を繋ぐように貼り合わせる。

 それを横に移動させ、次は裏を向いている原稿。貼り合わせた二枚の原稿を重ね、次に7ページ、8ページ、9ページ……



「早すぎて何をやっているのかよくわかりません」



 原稿があっち、原稿がこっち、ひっくり返して、貼って……だんだん、目が回ってきました。面付けってこんなに早いスピードでやるものなんですか?

 革ジャン先輩はキョトンと私を見おろす。



「と、まぁ、これくらいの早さでやらないと、仕事が追いつかないのよ。繁忙期はバイトを雇うくらいだからね。で、完成した面付けがこれ」



 隣の小さな机の上のビニール袋から完成品の原稿を取り出す革ジャン先輩。



「それじゃぁ、料理番組じゃないですか」

「何? 全部面付けする所、見たかった? 凄い勢いで目がグルグルと回ってたけど」

「あっ、いや結構です」

「どうせだから、ヒナちゃんがやってみなよ」

「私がですか?」



 革ジャン先輩は目を細め大きく頷いた。

 私はチラチラと革ジャン先輩の顔を見あげながら、恐るおそる原稿に手をのばす。

 15ページと16ページを裏合わせで重ねて置く。その右隣に17ページと18ページを同じように置く。あっ、切ってある方向が違うから、18ページが上向きだ。

 そして、上の二枚をひっくり返してセロテープで貼り、下の原稿も同じように裏から貼る。で、完成? 合ってます?

 心もとなく原稿を重ね合わせて、革ジャン先輩の顔色を伺う。



「うん、そうそう、大丈夫。ヒナちゃん、ウチでバイトする?」

「え~、そんなに私が必要ですかぁ? 照れちゃうなぁ」

「遅すぎて、即戦力にはならないけど」

「酷ッ! 初めてですよ? もっと褒めてくださいよ。私は褒められて成長する子なんですから!」



 私は破裂寸前の風船のように頬を膨らませて、プイッとそっぽを向いた。

 革ジャン先輩は笑いながら、私の頭をポンポンと叩いた。

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