16ページ目 サカエくん

「何で学校来たの!? カタがつくまで休みなって言ったのに」



 マキちゃんが栗色の髪を振り乱して私に駆け寄る。

 眉間に深い皺を寄せて、泣きそうな顔で、私の頬の擦り傷を優しく撫でたあと、優しく、そしてきつく抱き締めてきた。


 革ジャン先輩の所に行くまでは、学校なんて来る気もなかった。もう、このままVRの世界に逃げ込もう……なんて、本気で思ったりもした。

 けど、そんな事をしたらお父さんもお母さんも悲しむ。お爺ちゃんなんか、血圧上がって卒倒しちゃうに違いない。

 そして何より、革ジャン先輩の顔を真っ直ぐ見られない。

 怖かったけど。道ですれ違うどこの誰ともわからない男の人も、怖かったけど。

 こんな事で負けていたら、私はこの先二度と、革ジャン先輩の所へは行けない。革ジャン先輩を拒絶したくはない。


 それよりも……

 私はマキちゃんを優しく引き剥がして、彼女の頬に手をのばす。



「どうしたの、これ?」



 マキちゃんのシュッとした頬に、大きなガーゼがあてられている。

 マキちゃんは今気づいたように自分の頬を撫でて、少し笑った。



「ヒナに比べたらどうって事ないよ。残ってた男どもにヒナの居場所を問い詰めてたら、ちょっとね」



 酷い。女の子の大切な顔を傷つけるなんて。

 私なんて擦り傷程度で済んでいるのに、マキちゃんの頬の方がよっぽど痛ましい。

 


「ねぇ、マキちゃん? 昨日の合コンって何だったの?」

「直前でミカの知り合いから面子が変わったんだって。もう最初っから、アレ目的だったみたい。ウチの学生かどうかも怪しいもんよ。そんな事に気づかず、本当にゴメン」



 私を前に、深く深く頭を垂れるマキちゃん。マキちゃんが謝る事なんて何一つないのに。

 私はマキちゃんの小さく丸まった背中に手を添える。

 まさか、あのサカエくんがそんな子だったなんて。怖い。こんな話、対岸の火事だと思っていた。まさか、自分が巻き込まれるなんて、考えた事もなかった。

 マキちゃんは悔しそうに声を震わせる。



「ヒナがいなくなって、残った男どもに追及してたら殴られて、私達三人は男どもに囲まれた。大声出そうとしたら、今度は口も塞がれて、その時……」

「こんにちは~」



 私との体が恐怖で固まる。聞きたくない、声。思い出したくない、顔。

 私を襲ったサカエくんが薄気味悪い笑いを浮かべて、いけしゃあしゃあと私たちの間に割り込んできた。

 私は思わすその場でしゃがみ込み、足を抱えて小さく丸まった。

 あの時の、吐き気がするような記憶がフラッシュバックする。



「なんだよ、つれないなぁ。昨日はあんなにいい声で鳴いてたじゃないか」



 屈辱だ。確かに変な声が出てたかもしれない。けど、それはサカエくんに触られたから出た声じゃない。間違ってもない。天と地がひっくり返っても、ない。


 ジリジリと、私に近寄ってくるサカエくん。

 亀が甲羅で身を守るように、私は丸めた体に力を込めるも、細かい震えを抑えられず思うように力が入らない。



「ちょっ、いい加減にして!」



 ふと見上げると、大きく振りかぶった拳をサカエくんに向かって振り下ろすマキちゃんがいた。

 その細い腕をいとも容易く受け止め、サカエくんはマキちゃんを引き寄せる。そして、空いた手でマキちゃんの胸を鷲掴みする。

 助けなきゃ。マキちゃんを助けなきゃ。なのに、体がまったく動かない。

 対決しなきゃいけないのは私なのに、いつも守られてばっかだ。本当に情けない。

 マキちゃんは身じろぎせず、真っ直ぐサカエくんの目を睨みつけている。

 サカエくんはマキちゃんの髪を掴み、お互いの鼻が触れるほどに顔を寄せる。



「じゃぁ、オマエが代わりに股を開くか? 別にどっちだっていいんだぜ?」

「ふんッ、下手くそ。アンタじゃあ力不足よ。蒟蒻で修業してきなさい」

「ああ!? ふざけんなよ、このアマァ……ガッ」



 大きくごつい手がサカエくんの手首を握り締め、捩じ上げる。自由を取り戻したマキちゃんはその場から飛び退き、捕まれていた方の手首を摩りながら、サカエくんの鳩尾に蹴りを入れた。

 体をくの字に曲げて、サカエくんはマキちゃんを睨みつける。



「クソッ、誰だ! ふざけ……」



 怒りに震える顔で、自分の腕を捩じあげる男の人を振り返ったサカエくんは、みるみるうちに青ざめ言葉を詰まらせた。



「こりねぇヤツだな」



 沢山のワッペンやスタッズ、バッヂでデコレートされたライダースジャケットに、ブラックジーンズとロングブーツ。今ではほぼ絶滅したと思われる、整髪料で光るリーゼントのような髪型の強面の男の人が、面倒臭そうに口をゆがめる。

 誰? と言うか、見た事ある。

 初めてサカエくんに会った時、彼とぶつかった男の人だった。



「この前は深追いしないでいてやったんだぞ? そのまま消えてくれてりゃぁ、放っておいてやったのに」

「スイマセン、ゴメンナサイ! 痛い、痛い! ゴメンナサイ~!」



 強面の男の人はフンと鼻を鳴らして、放り投げるようにサカエくんの手を放す。

 何が起こったのわからず、ただポカンと大きな口を開けるだけの私を守るように腕を回し、マキちゃんは強面の男の人を見あげた。

 肩を押さえて丸まるサカエくんは、ゴソゴソとジャケットのポケットを弄る。

 えっ、何? もしかして、刃物とかじゃないよね?


 醜く口をゆがめて顔をあげたサカエくんの鼻に、ピジョンがのっている。そして、は虫類のような目を輝かせて高笑いをした。



「ハハハー、バーカ! 三流大学の脳筋が! オイッ、中庭だ! 時計塔のある」



 真っ直ぐ男の人を睨みつけたまま、勝ち誇ったように声をあげる。

 もしかして、ピジョンを介して誰かを呼んだ? これって罠?

 けど、男の人はサカエくんの言葉を聞いた後も、涼しい顔をしている。わたしに手を添えるマキちゃんも。

 もう、何がどうなっているのか、さっぱりわからない。



「オイッ、聞こえてるのか? オイッ!」

「寝てると思うぞ? ピジョンの向こうがわでな」

「え!? は!? なっ、何で!?」



ジリジリと後ずさりするサカエくん。引けた腰で、男の人の目をジッと見据えたまま。男の人はコキコキと首を鳴らして、ゆっくりとサカエくんを追い詰める。



「いい友達を持ったな? あの晩の連中をちょっとシメ上げたら全部話してくれたよ。姑息なヤツの考えそうな事だ。自分の名前を隠して、女をモノにしようなんて」

「な、何でそんな事まで…」

「はぁ、まだわからねぇの? サカイシゲルくん?」



 真っ白な顔で逃げ出すサカエくん。

 …………サカイくん? えっ、何? サカイくん?

 ふらりと立ち上がって、サカエくんと名乗ったサカイくんの背中をボーッと眺める私。

 サカエくんがサカイくんでサカイくんのサカエくんがサカイくんに……はぁ!?



「マッ、マキちゃん! どうなってるの?」

「落ち着きなよ、ヒナ。カタをつけるって言ったでしょ? 全部、そこの彼が協力してくれたんだよ。荻原サカエくん――元、市村サカエくんが」

「はぁ? 元? …………はぁ?」



 間の抜けた顔で、気の抜けた声をあげる。

 ライダースを着た厳つい男の人、荻原サカエくん――市村サカエくんなの? 本当? 元って何? 何を信用していいのかまるでわからない。

 また、さっきの人みたいにウソつかれて襲われたり、しない? 本当に、本当?



「まるで信じてない顔だな。全然覚えてないのはちょっとショックだわ。アンタの本を破っちまった後すぐ、親の離婚で引っ越しちまったからな、オレ」

「そう、だっけ?」



 まるで覚えていない。本を破かれた事くらいしか。本当に嫌いだった。心の底から嫌いだった。

 その頃の、幼い自分の気持ちを思い出し、フツフツと怒りが湧いてくる。

 気持ち下を向き、射抜くような目でサカエくんを睨みつける。強面の顔を、睨みつける。そんな私に向かって、マキちゃんが掌を振りおろした。



「何て顔してるのよ。あの晩だって彼に助けてもらったのに」

「えっ、革ジャン先輩じゃぁ……な訳ないよね、やっぱり。私を、助けてくれたの?」

「私もね。あの男どもに囲まれてた私たちを助けてくれて、ヒナを探し出してくれて、ホントにカッコよかったんだよ」

「え~? ホント~?」

「アンタ、失礼でしょ! お礼もまだ言ってないし」



 あっ、忘れてた。と言うか、未だに半信半疑。

 厳つい顔の、黒く光るライダースの、まるでお爺ちゃんの昔の写真をみているようなサカエくん? 本当にサカエくん? 駄目だ、まるで信じられない。



「革ジャン先輩って、アンタの爺さんだろ? オレ、アンタの本を破った後、怒られたんだ。怖かったな。今のオレよりも強面だろ?」

「そんな事、ない!」

「そうかぁ? まぁ、いいや。そんな強面の大人が、ガキのオレの目線までおりて言ったんだ。悪いと思ったんなら態度で示せってな。まず謝れって。オレは謝ったよ。アンタの爺さんに。頭、叩かれたけどな。オレにじゃないって」



 言いそうだ。お爺ちゃんなら言いそうだ。

 サカエくんなの? 本当に本当の、サカエくん?

 襲われそうになっていた私を助けて、マキちゃんも助けて、今日も助けてくれた人がサカエくん? お礼を言うべき――だよね。大切な本を破かれているんだけど。

 何かとても複雑だ。

 さっきまでの恐怖が跡形もなく消えている。サカエくんが、男の人に恐怖を感じてない。何だろうこの感じ。複雑だ。とても複雑だ。



「あ、りがとう、ございました」



 引っかかりながらもお礼の言葉が口をつく。肩を強ばらせながら、顔を引きつらせながら。

 感謝している。本当に、本当に、どんなにお礼を言っても足りないくらい。

 そんな私の頭にポンと手を置いて、サカエくんは顔をクシャッと歪めて笑った。



「今度、革ジャン先輩に合わせてくれよな」

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