37ページ目 同人誌即売会②

 ふぅ~、全部配り終えましたよ。開場ギリギリでしたけど。

 エントランスロビーに続く正面入り口の横で、散々歩き回った会場を一望する。

 並んだ長机には各サークルの方々が、お客さんの入場を今か今かと待ち構えている。

 さぁ、イベントの始まりだ。

 数多のお客さんが我先にと、雪崩のように入口から流れ込む。その勢いの凄さに、私はグッと息を飲んだ。

 あっという間に見渡す限りの人、人、人。

 会場一面の黒、黒、黒。所により赤、白、黄色。

 ウイッグを被ったコスプレイヤーさんも沢山いますね。

 

 楽しみにしていた癖に、少し物怖じしている自分がいる。

 一歩足を踏み入れた途端、蜘蛛の子を散らすような人の波に背中を押され、最後には迷子になってしまうのではないかと気が気じゃない。

 革ジャン先輩はこれからどうするんでしょう? 私と一緒に見て回ってくれるんですかね? それでもはぐれてしまいそうで……



「ほらっ、行くぞ」



 不意に革ジャン先輩が私の手を取る。

 ……私の手を取る?

 手ーーーーー!?



「あの――ちょっと、手を……」

「何?」



 眉間に皺を寄せ、振り返る革ジャン先輩は未だ私の手を握り締めたまま。

 人にぶつかっても揉みくちゃにされても、決して離さないくらい力強く私を引き寄せる。

 私の体温、40℃オーバー。頭から湯気が出そう。

 手――手――手?

 私は突然立ち止まり、革ジャン先輩の大きな手に顔を寄せる。

 何かちょっと小さい頃の事を思い出した気が……



「……ヒナちゃん?」

「あっ、いえ、何でもありません」

「あー、革ジャンさーん。お疲れ様でーす」



 私は革ジャン先輩の手を振りほどき、後ろで両手を固く組む。そして、声のする方を振り返った。

 長机の向こう――創作側の世界に座る長い黒髪を束ねた大きな眼鏡の女の子が、こっちに向かって手を振っている。



「おー、香田さん。どう、出だしは?」

「ん~、さっぱり? インコ本だしねぇ。便箋は出てるんだけど」



 香田さんは笑う。

 って事は売れていないって事だ。なのにその笑みは苦笑なんかじゃない。本当に楽しそうに笑っている。

 印刷している時に、チラリと内容を見た。

 自分の飼っているインコの話、24ページ。

 面白かった。ほのぼのしていて、ちょっとニヤニヤしてしまった。

 けど、って言うのは簡単じゃないんだ。



「今度は余裕を持って入稿しなよ」

「え~、またフライドチキン持って行きますからぁ」



 革ジャン先輩はにこやかに手を上げる。私は革ジャン先輩の後ろで小さく頭を下げた。

「面白かったです」って声をかけた方がよかったのかな?

 作家さんと直接言葉を交わすのが恥ずかしくて、思わず口を引き結ぶ。

 そして、私達は再び人の波にその身を預けた。

 ゆっくりとゆっくりと、革ジャン先輩に手を引かれながら、左右のブースを見て回る。

 景気のいい声。満面の笑顔。ただひたすら無言で本を読み続ける人もいた。


 はぐれないように見失わないように、右手と目に神経を集中しながら人波を掻き分けた先で、私の心臓は跳ね上がる。

 目の前現れた、忍者のような赤い衣装を着た女性。

 私は言葉を失った。鯉のように口をパクパク動かす事しか出来なかった。

 目がから離せない。露出度の高い衣装のすき間から、丸いお尻が覗いている。

 ななな、何ですか!? このハッ、ハレンチな格好は!?

 お尻……お尻が……Tバッ……

 こんなの革ジャン先輩が見たら――けっ、けしからーんッ!!

 私は我に返って、飛びつくように革ジャン先輩の両眼を塞ぐ。革ジャン先輩は驚いたのか「んのぉ?」っと、素っ頓狂な声を上げた。

 その騒ぎで、赤い衣装を着たコスプレイヤーさんが振り返る。



「あっ、革ジャンさん」

「んあ? 何だ川口さんか」



 お尻――じゃない、お知り合い!?

 ん? 川口……川口……あっ、川口さんって会った事がない店員さんだ。

 って、こんなエッチな人――もとい、エッチな衣装を着た人と、革ジャン先輩は一緒に働いているんですか!?

 駄目ですよ! 目に毒です。教育上よろしくありません。



「あっ、彼女がヒナちゃんね? はじめまして、川口です。よろしくね」



 私に手を差しのべ、気持ち腰を折る川口さん。

 かっ、隠している布が少なすぎます。しかも、屈んだ事で強調されるその……

 真正面にも殺傷能力の高い凶器を所持していやがりますよ、川口さんって女性は。

 谷間が……たゆんたゆんって……ああ、柔らかそう……眼福、眼福……



「よろしく……お願い……します」

「コラッ、どこ見て挨拶してんだ?」

「イタッ! だってぇ……」



 コツンと革ジャン先輩の軽い拳骨が、私の小さな頭に落ちる。

 川口さんは手にした白い扇子で口元を隠し、クスクスと笑いを漏らした。

 そんな川口さんを舐めるように見て、私は心の中で叫ぶ。

 隠す所はじゃなーい!!




************


 革ジャン先輩です。

 この時代のコスプレは露出が高いと言っても、肌色のタイツなどでカバーしている事が殆どでした。

 件の青年向けの同人誌と同じく、運営側から注意される事もあったようです。

 平成も終わりの頃となると、タイツもなく素肌を露出した、もう本当に裸のような衣装のコスプレーヤーも多々いましたが。


 今回モデルになっている同人誌即売会は、元々同人誌メインで運営されていました。しかし、この時代より10年も経つと、同人誌は会場から姿を消して行きます。

 来客は低年齢化。お友だち同士の寄り集まりの場と化し、販売はグッズばかり、コスプレーヤーメインの会場になっていると口伝えに聞きました。

 寂しい話です。


 書きたい――読んでほしい――読みたい――

 まだネットが普及し始めたばかりの頃、イベントに参加しなければそれも叶わなかった時代です。イベントでしか飢えを満たす事は出来ませんでした。

 寄り集まりが悪いとは言いません。それも時代の流れです。しかし、この時代のようなギラギラと滾る心は失って欲しくないと切に願うばかりです。


************




 革ジャン先輩と一緒に会場を歩き回った。

 どれだけ経っても興奮は冷めやらなかった。

 企業ブースと隣接する出店でたこ焼きを頬張り一息つくと、またザワザワと蠢く黒い流れの中に身を投じる。



「あー、桧山さん。お疲れ様です」

「桧山さん?」



 立ち止まった革ジャン先輩の影から顔を覗かせると、長机の向こうに座った桧山さんがいた。



「革ジャンくん、ゴメンね。パンフレット配りやらせて。あれ、ヒナちゃん? 革ジャンくん、ヒナちゃんも駆り出したの?」

「そうなんですよ、桧山さん。聞いてくださいよ、革ジャン先輩ったら……」



 もう、全部バラしてやった。

 二人でイベントへ行く素振りを見せておいて、会場に着いた途端仕事を手伝えだなんて、ホント酷い男ですよ革ジャン先輩は。



「あはははは、それは革ジャンくんが悪いわ。いっぱいおごってもらいな。あっ、向こうに上条さんもいるよ」

「上条さん!? 上条さんもサークル側で参加してるんですか!? 行きましょう、革ジャン先輩! すぐです、今すぐ!」



 革ジャン先輩を引きずり、行き交う人にぶつかりながら歩く事数m。桧山さんの言ったがどこなのかわからず、オロオロと革ジャン先輩に助けを乞う私。

 革ジャン先輩は呆れたように小さなため息をつくと、再び私の手を取り先を歩いてくれた。

 私の時と違って、割れる人だかり。

 長い髪に厳つい顔、派手なライダースとくれば、好んで近づく人もいない。こんなに優しいのに。



「あっ、いましたよ。上条さーん!」



 少し離れたテーブルに上条さんを見つけ大きく手を振る。すぐにその間を人に遮られ、上条さんの姿が見えなくなる。

 私はピョコピョコと飛び跳ねながら、上条さんのもとへ急いだ。



「ヒナちゃんも来てたんだ。どう? 楽しんでる?」

「はいッ! …………ところで上条さんは、何をやってるんですか?」



 長机の半分――1スペースに自作の本や便箋を並べ、売り込みをするでもなく、本を読むでもなく、大きなスケッチブックにペンを走らせている上条さん。

 こんな雑多な場所であるにも関わらず、創作意欲が爆発してしまったんでしょうか?



「えっ、スケブ描いてるんだけど」

「スケブって何ですか? 何描いてるんですか?」

「オイッ、あんまり上条さんの邪魔をすんなよ」

「いいよ、革ジャンさん」

「そうですよ! 私と上条さんは仲良しなんですから」



 革ジャン先輩に向かってベッと舌を出す。

 上条さんはそんな私を見てケタケタと笑った。



「これはね、私の作品を気に入ってくれた人たちに頼まれたものなの。版権キャラとかね、お客さんのリクエストで描いているんだ」

「へぇ~、本を売る以外にも、そうやってお金を稼いでいるんですか」

「お金は貰わないよ」

「は?」

「サービス、サービス」



 上条さんはスケッチブックをパンパンと叩きウインクする。



「同人誌で儲けている人なんて極一部だって。殆ど採算度外視。ちょっとでもプラスになればいいかな。それも、次の本を作るのに使っちゃうんだけど。みんな、そんなもんだよ。とにかく自分が作った本を読んで欲しいんだよね」



 あ、これなんだ、会場を埋める熱気の正体は。

 作る側の熱意と、それを追う読む側の情熱。

 この時代は作った本を発表する場が限られている。当然、それを手に入れる場所も。みんなのがここにある。

 読んで欲しい――本が欲しい――



「確かに買って貰うのが一番だけど、手に取ってくれるだけでも嬉しいな。中には新刊を楽しみにしていてくれるお客さんもいるし、今日みたいに朝一でスケブを持ってくるお客さんもいる。私のが否定されないんだよ。こんな素敵な事ないじゃない」



 顔をクシャッと歪めて笑う上条さんがとても大きく見えた。

 作り手さんがギラギラしていた頃。その言葉の意味を私は明確に理解した。

 同人誌即売会――それは創作の要。

 読み手と書き手が集う、夢のような場所だった。

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