20ページ目 先祖返り

 革ジャン先輩は訝し気な顔で、白髪の男の人を見る。

 私は革ジャン先輩の背中に隠れて、彼の首に顔を寄せた。



・・・・・誰ですか?

・・・工場長



 気持ち私を振り返って、工場の機械音に隠れるような声で囁く革ジャン先輩。不信感いっぱいの目を工場長へ向けたまま。

 工場長が差し出す印刷物――ボウリング場のチケットを一瞥して、革ジャン先輩は気の抜けた声を吐き出す。



「はぁ、印刷したのは間違いなく私ですね。二週間ほど前だったと思いますけど」



 革ジャン先輩の顔に緊張の色が見える。

 大方、想像はつく。一度、納品した製品の担当者を確認しにきたと言う事は、まかり間違っても褒める為じゃあない。何かのミスがあったか、もしくは……



「クレームだ」

「げっ……」



 勢いよく工場長から印刷物を奪い取り、穴が開くほど凝視する革ジャン先輩。

 私は革ジャン先輩の背中にしがみついて、彼の肩越しに印刷物を眺め見る。

 A判? 菊判? の、どちらかの四切の紙に、細長いチケットが2×4の八面並んでいる。

 茶色を基調としたデザインで、中央に500の大きな数字と、その両脇にマスコットキャラクターが飛び跳ねている可愛い感じの金券だった。



・・・・・・・・・・・どこが問題なんですか?

・・・・わからん



 革ジャン先輩は小さく首を振って、すぅっと目を細める。

 眉間に皺を寄せて、ゆっくりと首を上下左右に動かす。そして、「あっ」と小さな声をあげたかと思うと、その顔がみるみる青ざめていく。



「まさか……先祖返り?」



 先祖返り?

 二足歩行の人間が、段々と四足歩行の獣になっていくシーンが頭に浮かぶ。

 そんなの、印刷と何の関係もないじゃないですか。印刷は科学じゃなくて、いつから生物になったんですか? あっ、もしかして、最新型の印刷機が昔の――革ジャン先輩の小学校で見たような古くて小さな印刷機に変わっちゃうなんて……訳あるかぁ~!


 もの凄い勢いで断裁機の方へ走って行ったかと思うと、すぐに一枚の紙を持ってもどってくる革ジャン先輩。その紙と、工場長から受け取った紙をオぺスタに置いて大きな溜息をつく。



「まったく気づかなかったですわ。紙は入ります?」

「ああ、昼から来る」

「じゃあ、刷り直しておきます」

「おう、頼むな」



 工場長がオぺスタの向こうの通路に消えるのを待って、革ジャン先輩に駆け寄る私。革ジャン先輩は再び大きな溜息をつく。



「先祖返りって何ですか?」



 好奇心いっぱいに聞く私を恨めしそうに一瞥して、革ジャン先輩は無言でオぺスタの上の紙を指差す。

 オぺスタには工場長から受け取った八面付けのチケットと、A3の紙の真ん中にプリンターで出力したものと思われる一面のチケットが並んでいる。たぶん、こっちがカンプだ。

 さっき教えて貰ったように、やっぱり色合いが違う。これがクレームの原因なんでしょうか? 色合いの違いと先祖返りって言葉がまったく繋がりませんけど。



「色が――ちょっとだけ違います――よね?」



 ちょっとオドオドしながら、革ジャン先輩の神経を逆なでしないように聞いてみる。怒ってる訳じゃあないけど、落ち込んでいるのは一目瞭然だ。こんな革ジャン先輩は見た事がない。



「色は、まぁ許容範囲内だな。カンプがカンプだから。問題はそこじゃなくて、二つをよ~く見比べてみなよ」



 と、言われましても色以外に違いがあるようには……?

 あれ? ちょっと待って、カンプは……そうですよね。

 見つけた。間違いを。こんな間違い探しみたいなミスってあるんですか? これが先祖返り。先祖返り? まだ、言葉の意味がよくわかりません。



「印刷した方のチケットの有効期限が、平成31年7月末日になってますよ。7月は、もう令和ですよね」

「そう、この時期気をつけてたんだけどな」

「けど、カンプは令和元年になってますよ」

「それが先祖返りってヤツなんだ」

「毎度で申し訳ありませんが、さっぱりわかりませんッ!」



 カンプが正解で、印刷物がダメって。しかも、先祖返りって。

 先祖に返る? 元に戻る? 印刷データが古い? おや? もしかして、わかっちゃった?



「印刷したチケットは、もしかして古い印刷データなんですか?」

「その通り。カンプを出力した後、刷版の時に人為的なミスで古いデータを使っちゃったって訳。カンプがすでに間違っている事は多々あるんだけど、先祖返りは稀だな」

「けど、気づかなかったってだけで、革ジャン先輩のミスじゃあないですよね」

「まぁ――ね。けど、どこの部署のミスだろうが、会社の損失には変わりないだろ? 気づくに越した事はない。納品した後だと、客が離れて行ってしまう原因にもなる訳だから」



 お客さんの立場なら、確かに言い得て妙だと思います。

 自分のお願いした印刷が、きちんと仕上がってこなければ、イヤな思いしますよね。けど、そこから先は真摯に対応して貰えれば、離れて行ったりしないと思いますけど。



「刷り直して、ちゃんと正しい印刷物を納品します。でも、お客さんが離れて行っちゃうんですか?」

「当然。例えば、明日からイベント開催の予定だったらどうする? 手元にはチケットが届いていない。開催日をずらすなんて、普通は出来ないだろ? 場合によっては賠償を求められるくらいの大問題になりかねない」

「怖ッ」



 どんな仕事もそうですが、印刷業だってアマくはないんですね。

 私は本が好きで、印刷の事を知りたくて、ただ教えて貰っているだけですけど、それを仕事にするために、革ジャン先輩だって私以上に勉強してきたんですよね。

 たくさん勉強して、たくさん失敗して、積み重ねた経験が革ジャン先輩を作り上げている訳です。

 今回の失敗だって、きっと次に繋がっていくはずですから。



「こんな事、私が言うのもなんですけど、元気出してください」

「ん」



 私の頭にポンポンッと優しく手を乗せる革ジャン先輩。



「失敗は成功のもとって言うからな。頭をさげに行く営業には申し訳ないけど、これも一つの経験として、営業に謝るしかない。世の中には失敗なんてした事がないなんて嘯くオペレーターもいるけど、失敗しない=経験不足としか思えない。前に言っただろ? 印刷はどんなに綺麗に刷ってもクレーム言おうと思えば言えるって。手ごわい客だって実際にいるからな」

「印刷のミスだけじゃないですからね。それを探すのも仕事なんですね」

「ああ、毎日間違い探しだよ。老眼鏡が手放せんわ」



 そう言って、革ジャン先輩は子供のように笑った。

 若い頃の革ジャン先輩よりも下がった目尻に皺を寄せて、とても暖かい笑顔で。

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