8ページ目 デザインペーパー
私は黄金色に輝く樽型の一口大のスイーツを、喜々として頬張った。
「美味しいですねー、このスイートポテト! 甘すぎずまろやかな口当たりで、とろけるようなクリーミーな食感が……」
「デパ地下の有名デザートだからねぇ。泣かせたお詫びも兼ねてるし、久しぶりに俺も食べたかったからちょっと奮発しちゃったよ」
「そうだ! 私、革ジャン先輩に意地悪されたんだった」
私は口いっぱいにスイートポテトを詰め込むと、腕を組んでそっぽを向いた。
危うく懐柔される所でしたよ……モグモグ。いくらデパ地下の……モグモグ……スイーツだからって……モグモグ……ガラスのように砕け散ったか弱い私の心を……モグモグ……癒せるとでも……モグモグ……あー、美味しい! もう一つ。
「だから悪かったって。まさか押し倒されるなんて……」
「なー、そういう言い方ヤメてください! "
「誰に?」
「だから(上条さん)……私に?」
「ヒナちゃんは嫌ってるヤツに跨って、その胸で号泣する娘だったんだ」
私はグッと言葉を詰まらせる。あー言えばこー言う、こー言えばあー言う。ホント、口が達者ですよ、革ジャン先輩は。
「嫌っては――いませんよ。まだ」
私は顔をクシャッと歪めて小さな舌をベッと出す。
こんな反抗が精一杯。大体、もう少し言葉を選んでくれてもいいのに。いちいちもっとも、まったくもってその通りではあるんだけど、男の人に跨ったって言い方だとまるで私が痴女みたいじゃないですか。そりゃぁ私だって色々妄想しますけど、間違ってもこんなシチュエーションではないです。もっと心がフワッとなって、気づいたら服が――って、何考えてるんだ、私は!?
古臭い建物の、二階の部屋の窓際の、作業机に置かれた紅茶を一口、すぅっと口に含む。自動販売機の缶紅茶も、美味しいデザートと合わせると、これはこれで捨てたもんじゃあない。
私は隣に座る革ジャン先輩をチラッと一瞥する。革ジャン先輩は私の視線に気がついて、お道化たように大きく目を見開いた。
「で、今日は何を聞きにきたんだ?」
「紙です、紙。デザインペーパーについて教えてください」
「デザインペーパー――って、レザックとかファンタスとか?」
「ううっ、紙の名前を言われてもよくわからないですけど、それを含めて色々です。ここのお店って、いっぱいデザインペーパーがありますよね?」
「ん、まぁ、同人の表紙や便箋に使うから」
未来の革ジャン先輩の
革ジャン先輩は少し考えてフムと鼻を鳴らすと、部屋から出てすぐ三つの包み紙を持ってきた。
茶色い包み紙――ワンプの横にはそれぞれ、『レザックろうけつ白』、『ファンタスブラック』、『OKミューズコットンあじさい』、と太い黒ペンで記されていた。
その内の一つ、『レザックろうけつ白』のワンプを開ける革ジャン先輩。中から出てきた紙は、ひび割れのような凸凹の模様の入った白い紙だった。
「これは俺のお気に入り。印刷し辛い紙ではあるんだけど、こう、何て言うのかな? 寒々しくって、よくない?」
「はぁ、その感覚はちょっとわかりませんけど、綺麗な紙ですよね。何で印刷し辛いんですか?」
「じゃぁちょっと触ってごらん?」
私は言われた通り、レザックの表面を細い指でスゥッとなぞる。
むむっ、これは思ったよりも凸凹がきついですよ。しかも、なだらかな凹凸じゃなくて、広い平野に突如切り立った崖が出現したかのような凸凹。仮に私がこの紙の上を旅していたとしたら、見あげるような崖を前に絶望して打ちひしがれるに違いない。
「ビックリしました。思った以上にデコボコしていて。で、この紙が印刷し辛いとは?」
「もう忘れてるのかよ!? 封筒の印刷で教えただろ?」
「ああ、印圧ってヤツですね? そうか、一番厚い所に合わせると薄い所が印刷されないし、薄い所に合わせるとブランケットが凹んじゃうって事ですよね?」
「その通り!」
革ジャン先輩は満足げに笑うと、私のすぐ脇から手を伸ばしスイートポテトを一つ抓んで口に放り込んだ。細く骨ばった頬をポコリと膨らませ、美味しそうに口を動かす革ジャン先輩。
私は革ジャン先輩をジーッと見つめる。心のフィルムに焼きつけるように。
二度と会えないと思っていた革ジャン先輩との感動の再会は、それはもう散々なものだった。そんなゴタゴタに流され当たり前のように隣にいたけど、やっと心が追いついてきた。
革ジャン先輩の所に帰ってきたんだ。
革ジャン先輩の意地悪を本気にして飛び乗った、彼の体温と匂い、声、息遣い、が鮮明に蘇ってくる。革ジャン先輩を見ていると、今度は普通に抱きつきたくなって体がウズウズとむず痒い。
「どうした?」
「や、何でもないです」
「トイレなら下だけど」
「そんなこと知ってますよ!」
もうッ、どうして革ジャン先輩はいつもこうなんだろう? ふざけて、お道化て、茶化して、いつだって子供みたい。
不意に、革ジャン先輩の大きな手が、私の小さな頭の上でポンポンと跳ねる。私の胸が110デシベルの大音量で高鳴る。騒音だ。聞こえたらどうしよう?
革ジャン先輩は意図してこんな行動を取っているんだろうか? それとも無意識? だとしたら危険だ。誰にでもやってそうで。上条さんもそれに騙されたんじゃ。関さんや川口さんにも……考えたら何かちょっとムカッときた。
私は眉間に皺を寄せ、ジト目で革ジャン先輩を見あげる。
「何だよ、今度は急に不機嫌になって。悪かったよ。どうせデリカシーがないとか、エッチとか、セクハラとか言うんだろ?」
「言いません」
「は? 何で?」
「言って欲しいんですか?」
「や、そんな事はないけど……」
「じゃぁ、今日は許してあげます」
革ジャン先輩に再会できた嬉しい日ですから。
私はご機嫌真っ直ぐに紅茶を一口……?
開いたワンプの中、積まれた『レザックろうけつ』。デコボコがきつい方が上を向いている。確か、ワンプを開けた時に裏になった方が表って、未来の革ジャン先輩が言ってましたよね?
『レザックろうけつ』をもう一度手に取り、私は両面をに指先を這わせた。
下の方もデコボコしてはいるけど、上に比べると格段に滑らかだ。
「この紙って、どっちが表なんですか?」
「んあ? どっちがも何も、ワンプを開けた時に上になっている方――凸凹がきつい方が表だけど……何で?」
「ワンプを開けた時に下になっている方が表って聞いたんですけど……未来の革ジャン先輩に」
「おおぅ、また未来の俺が出た。んー、そういう意味で言うと、確かに滑らかな方が表だけど、デザインペーパーはロール紙を引き出して、金型の間を通すんだ。で、上が表になる。必ず全部って訳じゃないけど、デザインペーパーに関しては、模様があったりやデコボコがきつい方が表だと思えばいいよ」
は~、なるほど。そりゃぁ、当然ですよね。その模様やデコボコをわざわざ選んだのに、そっちの方が裏になったらイヤですから。
革ジャン先輩は残り二つのワンプも開けて、中の紙を見せてくれる。
コーティングされたような光沢を放つ表面だけ真っ黒な『ファンタスブラック』。等間隔な細かい線模様の『OKミューズコットンあじさい』。どっちが表か聞かなくても、紙のデザイン的には一目瞭然だ。
「そう言えば、私の名刺の紙って何て名前の紙ですか?」
「あっ、忘れてっただろ? ちょっと待って、持ってくるから」
革ジャン先輩がトントントンと階段をおりていく音が聞こえる。ほどなくして戻ってきた革ジャン先輩の手に、プラスチックの名刺ケースが握られていた。
私の名刺。元の世界に一枚だけ存在する私の宝物。
ここで革ジャン先輩に名刺を渡されても、持って帰れるかどうかわからない。や、VRである以上、持って帰れるはずがないんだ。
私は名刺ケースから一枚だけ名刺を摘みあげる。
一面の雪景色に柔らかな羽毛が舞いあがったような模様の凄く可愛い紙。
「この紙は『OKフェザーワルツ雪』。俺チョイス。凄く柔らかい雰囲気の可愛い紙だろ? ヒナちゃんにピッタリなんじゃなかなって」
嬉しい……そんな事を考えていてくれたんですね。
『OKフェザーワルツ』、『OKフェザーワルツ』……
覚えました、『OKフェザーワルツ』。
私は手にした名刺を胸に押し当て、キュッと目を瞑る。
沢山のデザインペーパーが眠る街の小さな印刷屋さんで、私の心は革ジャン先輩の優しさに包まれ、この上ない喜びを感じていた。
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