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 こんにちはー! ヒナでー……あっ、革ジャン先輩!


 ピンクのフォークリフトに乗り、ハンドルやレバーを小刻みに動かしながら、木製パレットに積まれた沢山の紙を右へ左へと動かしている革ジャン先輩。

 モヤモヤと熱気が上がる駐車場のアスファルトの上を行ったり来たり、まるで頭脳ゲームのように入れ替えている。その左側には二段二列に並べられた金属のメッシュパレット。中身は無造作に放り込まれた印刷物。あれはきっとゴミでしょうね?



「革ジャン先輩ー! きーまーしーたーよー!」



 私は作業中の革ジャン先輩の邪魔にならないように、駐車場の入り口から大声をあげた。革ジャン先輩はピクッと首をのばしフォークリフトを止めると、私を探すようにキョロキョロと首を振る。

 私は全力でフォークリフトに乗った革ジャン先輩に駆け寄る。



「おーまーたーせーしーまーしーたー!」

「イヤ、待ってはないけど」

「酷ッ! そこは嘘でも『待ってたよ』って言ってくださいよ。優しく……嘘なんだ」



 私はずっと会いたかったのに、革ジャン先輩はそう思ってくれてないんだ。

 何かとても寂しくなって、私はシュンと項垂れる。

 革ジャン先輩はフォークリフトに乗ったまま、私の頭をポンポンッと叩いた。



「冗談だろ? そんな顔すんなよ」



 私は頭上の革ジャン先輩の手を押さえつけ、彼を見あげた。

 温かい大きな手。色々な色のインキとパウダーで汚れた紺色の作業着。

 長い髪を無造作に後ろで縛りピンクのタオルを巻き、若い頃よりも全体的に下がり気味の顔をクシャッと歪め笑う革ジャン先輩。トレードマークは丸眼鏡――老眼鏡。

 また印刷を教えて貰えるのが嬉しくて、瞳に涙が浮かぶ。そんな顔を見られるのが恥ずかしくて、私は腕を組み背中を向けた。



「もうッ、嫌いです! そうやって飴と鞭で女の子を誑かすんですよ、革ジャン先輩は」

「ははっ」



 革ジャン先輩が私の前にまわり込み、頬をパンパンに膨らませる私の目の前で、小さなビニール袋を破る。そしてそれを摘み、私の口元へ……

 思わず口を開けてしまった。まるで餌をもらう雛鳥のように。

 コロコロコロ……柑橘系のフレーバーが口の中いっぱいに広がった。



「お望み通り、飴」



 ホント、狡い男ですよ。こんな事で破顔一笑している私も私ですけど。

 私は飴玉を口の中で転がしながら、ポッカリと大きな口を開ける工場のシャッターの前に立つ。



「ここに置いてある紙って、みんな印刷する紙なんですか?」

「ああ、在庫や余った紙もあるけどな」

「沢山ありますよね」



 工場へのサッシまでのスペースに、うず高く積まれた茶色の紙の包み紙がいくつもある。その横に、多分紙の種類であろう名前と数字が書き記されていた。



「まぁ、機械が大きいって事もあるし、前の小さな印刷屋とは印刷量がまるで違うからな」



 革ジャン先輩は大きな紙の包みをパンパンと叩く。

 何本も積みあげられた高さ10㎝くらいの包み紙の横に、『上質44.5A/T』と黒ペンの太字で書かれている。

 上質のA判44.5㎏の紙に違いない。けどTって何だろう?

 私は他の山の紙に視線を移す。別の包み紙にはの文字も見て取れた。



「一つ聞いていいですか? 包み紙に書かれている文字って……」

「紙の斤量――って、勉強したんじゃないのか?」

「いえ、そうじゃなくて、アルファベットが書かれていますよね? A/TとかK/Yとか。AはA判でKは菊判って事はわかるんですけど……」

「ああ、ね」

「は?」



 今、革ジャン先輩、何て言いました? め、目、芽、女……女!?



「かっ、紙に性別なんてあるんですか!?」

「はぁぁぁぁぁ~」



 深く深く、萎んでぺたんこになってしまうくらいの溜息を吐き出す革ジャン先輩。そして、呆れたように私を見ると、チョイチョイっと小さく手招く。私は誘われるままに革ジャン先輩の後について、工場の中――大きな印刷機の給紙部の前まで移動する。

 革ジャン先輩は青い台車の上の包み紙をカッターナイフで切り裂く。コート62.5K/Yと書かれた茶色い包み紙の中から、真っ白な紙が顔を出し蛍光灯の光で艶やかに輝く。

 コート紙、菊半裁62.5㎏のY。だからYって何なんですか?

 台車の上で菊判半裁の大きなコート紙を両手で抱え、勢いよく引っくり返す革ジャン先輩。

 ツルンとした膝に両手をつき、私はそれをジッと見おろした。そんな私を一瞥して、革ジャン先輩は紙の上で真っ直ぐ指を横に滑らせる。



だから。目、鼻、口の。で、こっちが目ね。紙の目は重要だから」

「紙に目があるんですか!? どこかの妖怪みたい……」

「オイッ!」



 台車に積まれた紙を手の甲でペシッと叩く革ジャン先輩。

 私、放送コードに引っかかるような事を言った覚えはないですよ? あれは紙じゃないですし。思い浮かべましたけど。



「だって、いきなり紙を引っくり返してこっちが目だって言われたら、裏側に目があると思うじゃないですか?」

「思わないだろ!? そんなもの見た事あるのか!?」

「ありませんッ!」

「だから、ない胸を張る……」

ギロッ!

「うん、まぁ、そう思っても仕方ないよな」



 革ジャン先輩は小さく溜息をついて肩を竦める。そして、もっと近くに寄れと、無言で私を手招いた。

 私はスカートの裾を膝の裏にしっかりと挟み、革ジャン先輩の正面からズレた場所にしゃがみ込む。もう、絶対にパンツは見せませんよ。



「紙は折りやすい方向が必ずある。それをまたはって言うんだ。これは印刷や製本をする上でかなり重要だから覚えておくように」

「折りやすい方向? 折り紙とかも?」

「そう。実は折り紙も折りやすい方向がある。じゃぁ、何で折りやすい方向が重要だと思う?」

「え――っと…………折るから?」

「もっしもーし? 当たり前ですよー、ヒナちゃんはアホですかー?」



 むっ、感じ悪いですね? どこの学校で、生徒にアホと言う先生がいるんですか? 暴言です、パワハラ! 心に痛く傷を負いました。病院で診断書を貰って、労働基準監督署に相談に行ってやりますから。



「紙を折る事って何だって聞いてるんだけど」

「あっ、わかりました! 製本です!」

「正解」



 革ジャン先輩は手をのばし、私の頭を優しく撫であげる。何だかそれがこそばゆくて、私はスッと首を窄めた。



「他にも理由があるんだけど、簡単なのが製本。特に中綴じ」

「中綴じッ! 自己製本です!」

「ははっ、そう自己製本は中綴じだな。中綴じは何枚も紙を重ねて折るだろ? 紙の目なりに沿って折らないと、最悪一番外側の紙の折り目が割れちゃうんだ」

「紙が割れる!? そんな事もあるんですね」



 感心して鼻を鳴らす私の目の前で、革ジャン先輩は一枚の紙を縦横に折る。そして再びそれを広げた。



「折ってみればどっちが目かわかる。目に沿っている方が綺麗に折れているはずだけど……」



 私は台車の上の紙を覗き込む。天地左右の中心に十字の折り目がついた大きな紙。縦の折り目と横の折り目を見比べて……



「全然わかりません!」

「あ? 本気で言ってる? この紙は横目だから……あっ、包み紙――ワンプに書いてあったYっていうのが横目ね。Tは縦目って事。で、全紙の状態で短い方に目が走っているのが横目で長い方が縦目」

「ちょっ、ちょっと待ってください。全紙の状態で短い方向に目が走るのが横目だから……この半裁の紙だと……長い方に目が走っているんですね?」



 革ジャン先輩は満足そうに頷く。そして、作業着の胸ポケットからボールペンを取り出すと、紙に大きな長方形を書いた。



「長方形を書いて考えると悩まなくていい。これを全紙とすると、横目は短い方に目が走っているから半裁は長い方になる。で、四裁は短い方。八裁は……」

「長い方ですッ!」

「ん。縦目も同じ考えでいいよ。全紙で長い方に目が走っているから、半裁は短い方は縦目になるって訳。で、この折り目で言ったら、こっちが目なんだけど……」

「わかりませんッ!」



 や、本当に区別がつかないんですよ。革ジャン先輩は本当にわかっているんですか?

 革ジャン先輩は眉間に皺を寄せて縦横の折り目を見る。裸眼で離れて、老眼鏡越しに近づいて、そして首を傾げた。



「わからないな」

「ですよね?」

「じゃぁ、こうだ!」



 革ジャン先輩は折り目の入った紙を手に、縦方向と横方向に向かって10㎝ほど破ってみせた。



「手で破って綺麗に破れる方向に目が走って……むむっ?」

「すいません、わかりません」

「長い方が目だから、こっちの方が綺麗に破れている……気がしない?」

「気のせいですよ」



 どう見ても、斜めに見ても、多分逆立ちしたって、どちらも綺麗に破れているとは言えない。や、逆立ちはしないですけど。チラッ、どころかモロになっちゃいますから。

 革ジャン先輩は低く唸って口を尖らせる。いい年したおじさんなのに、まるで子供みたい。

 そして突然立ち上がったかと思うと、機械の側面に取りつけられたプラスチック製の籠からカッターを手に取る。

 ニヤリと不気味な笑みを浮かべる革ジャン先輩。

 なっ、何するんですか?

 革ジャン先輩は怪しい光を放つその薄い刃を、一気に振り下ろした。



「これなら絶対だ!」



 長方形の、大きな紙の縮小サイズ。数学で言ったら相似。そこまで厳密じゃぁないけど。直角だって出てないし。けど、大きい紙の長い方と小さい紙の長い方は合っている。



「こっちへ来てごらん」



 革ジャン先輩のあとについて行った先は、軽オフの印刷機の向こう、工場隅のシンクだった。

 革ジャン先輩は私が見ているのを確認すると、蛇口をひねって流しに水の柱を作る。そして、そこへ紙切れを浸した。

 みるみるうちに短い方向へ、細長い管のように丸まる紙切れ。

 あっ、これって紙の目とは反対方向だ。



「どう? 目が走っている方向は腰があるから丸まらない。反対方向は腰がないから丸まる。これだと確実に目がわかる」

「へぇ~、どんな紙でもですか?」

「どんな紙でもです」



 ちょっと勉強になった。そもそも日常生活で紙の目なりなんて考えた事もなかったから。紙って折りやすい方向も、丸まる方向も決まっているんですね。

 ん? あれ? じゃぁ……



「今までの話の中で、紙を引っくり返した理由ってありました?」

「いや」

「じゃぁ、なんで引っくり返したんですか? 目の方向と何か関係が……」

「紙には表と裏がある!」

「はい!?」

「今度はその話をしようか」

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