8ページ目 自己製本のすゝめ

「はいはい、お疲れ様でした。えっと、自己製本は初めてでしたっけ?」



 革ジャン先輩は足取り軽く段差を飛び上がり、女の子たちの方へ駆けて行く。

 何か気持ち鼻の下のびていません? イヤだ、イヤだ。だから男って。

 両面機の影からのぞき込むように革ジャン先輩を見る私。何か邪魔しちゃいけない気がして、そこから先へ足を踏み出せない。もうすでに十分邪魔している気もするけど。


 階段から降りてきたちょっと可愛らしい女の子三人組の手にはそれぞれ、漫画の本――同人誌が何冊も積まれている。女の子たちが移動するたびに、その本はバネのように手の上で跳ね、踊った。

 女の子たちは本を長テーブルの上に置く。折り方が甘いせいか、真横から見るとヘアピンのように曲がった本は、五冊と積み上げることが出来ず、ザザッと横に流れてテーブルの上に広がった。



「初めてじゃないです」

「じゃぁ、手順はわかりますね。前の時も言われたと思いますが、大切な事なのでもう一度注意事項を言います。断裁作業は必ずで行ってください。他の人は本の手渡し程度でお願いします。作業中は断裁機の上に、私物や本、手を絶対に置かないでください」

「はい、わかりました。ありがとうございます」



 最初に階段から降りてきた女の子――ショートカットたれ目の女の子は元気な声を上げ、ペコッと小さくお辞儀する。そして、三人で楽しそうに作業を開始した。

 腰を屈め、印刷機の影から半分だけ顔を出す私。革ジャン先輩はそんな私を見て目を丸くする。



「ヒナちゃん、何やってるのさ? ちょうどいいだろ? 折角だから自己製本の断裁作業を見せてもらったら?」

「いいんですか?」



 おずおずと上目づかいで革ジャン先輩を見あげる私。女の子たちは目を細め、そんな私に飛びっきりの笑顔を返してくれた。

 喜び勇んで段差を飛び上がり、私は革ジャン先輩の脇につく

 断裁作業をしているショートカットの女の子を真ん中に、右側の女の子は長テーブルの上の本を五冊ずつ手渡しし、左側の女の子は切り終わった本を受け取って長テーブルの上に重ねていた。



「ウチは同人誌を自分で製本できるスペースを無料で貸し出しているんだ。少しでも安く上げたい人は、自己製本を選ぶからね。まぁ、店まで来れるお客様限定だけど」

「お客さんの顔が見られるっていうのはいいですよね? 失敗したら合わせる顔、ないですけど」

「何だと!? 失敗なんかしないわ!」



 革ジャン先輩は私の小さな頭にコツンと拳を落とす。

 イタタ……冗談ですよ。冗談。

 両手で頭を押さえ、ペロッと舌を出して首をすぼめる。そんな私たちを見て、左手側の女の子が小さく首を振りながら嬉しそうな声を上げた。



「失敗だなんてそんな……凄く綺麗に印刷していただいて、私達みんな満足していますよ」



 革ジャン先輩は腕を組み、鼻高々に顎を突き出した。ジトッとした目で私は革ジャン先輩を見あげる。

 このドヤ顔、どうしましょう? 憎たらしいですよ。




************


 言うに事を欠いて、憎たらしいとは何事だ? 色々と教えてもらっている分際で。

 どうも、革ジャン先輩です。



「今回も凄く綺麗に印刷されていました~」



 店頭に訪れるお客様に、よく言われた言葉です。

 お客様が常連様だった場合、当時の私は今思うととんでもない言葉を返していました。

「当然! 誰が印刷したと思ってるのさ?」なんて。

 初見のお客様だったらビックリする台詞です。

 しかし、常連様はその言葉で安心をします。

 この店に、私に印刷を任せておけば綺麗に仕上げてくれる。我儘も聞いてくれる。それで、リピートが増えるんです。

 自信のないオペレーターに仕事を任せるお客様がどこにいます? そんな気持ちから出た台詞だったと思います。

 

 同人誌を印刷する印刷所は星の数ほどありました。その中から、私の働く印刷所を選んでくれたお客様が、一生懸命に書いた原稿です。後悔はさせたくありませんでした。

「ここに出してよかった。またお願いしよう」と、誰からもそんな風に思っていただけるように日々印刷をしていましたね。


************



 

「ほらっ、オレじゃなく断裁の様子を見てろよ」



 私の頭を大きな手でむんずと掴み、グリッと手首を捻る。私の意志に反して、首だけが断裁機の方へ向けられた。

 ショートカットの女の子は受け取った五冊の本を断裁機の中に入れて、足でペダルのようなバーを踏んだ。すると、上から抑えが降りてくる。女の子は小刻みに、何度も足を上下させ、抑えを動かす。



「ああやって、本をシッカリと折っているんだ。あのクランプは凄い力がかかるからな。ふざけて作業すると大事故だ。もちろん断裁の刃も気をつけないといけない」



 確かに今までヘアピンのように盛り上がっていた本が、押し潰されて平らな本になっている。

 ショートカットの女の子は、寝かせた本の上部分を片手で押しながら、真ん中のレバーを回す。すると、本がゆっくりと断裁機の奥に飲み込まれていく。



「機械の奥にアテがあるからそこに本を当てて、切りたいところまでレバーで調整する。こちら側で自己製本用の切り揃えを大き目にやってあるから、調整はトンボの所までだな。刃が降りる所に光が当たっているから、そんなに難しい作業じゃない。断裁機の左右にあるボタンを両手で同時に押すと、刃が上から降りてくる仕組みだ」

「同時押しですか。それなら、一人で作業している分には、誤って指を切り落とすことはないですね。そう言えば、何でもっと沢山の本を切らないんですか? 一気にやればすぐに終わるのに」



 革ジャン先輩は「ちょっと借りるね」と女の子たちに声をかけ、仕上がった本数冊を手に取る。それを横に向けて私の目の前に差し出した。



「本を平らに重ねた時、どんなに強い力を上からかけたとしても、ここの曲がった部分は少し浮くだろ? 断裁機の刃は真上から真下に降りる訳じゃない。斜め上から、反対側に向かって角度をつけて降りてくる。だから沢山の本を重ねると、この浮いた部分が綺麗に切れないんだ。少なければ少ないほどいい。と言っても一冊一冊じゃ手間だから、まぁ五冊くらいかな? 他にも重ねすぎると本がスリップして、斜めに断裁されたりもする」



 革ジャン先輩はそう言いながら、本の背の部分を指先で撫でた。

 確かに見ているとスパスパスパッて切っていると言うより、バツバツバツッて音が鳴っていますもんね。切った紙クズがバネのように跳ねていますし。



「ああやって、本の天地を切り落としたら、デジタルのメモリを本の寸法に合わせて、小口――開く方を切り落とす。いくらクランプで押し潰すと言っても、クランプを降ろす前は奥の方が浮いている訳だから、この時も五冊くらいで作業をした方が綺麗に仕上がる」



 女の子たちは流れ作業で、次から次へと自分たちの同人誌を仕上げていく。自己製本の冊数が少ないので、全部仕上げるまでにそれほどの時間は要しなかった。

 女の子たちは出来上がった同人誌を手持ちの紙袋に丁寧に入れる。その顔は喜びいっぱいの、とてもいい笑顔だった。



「ありがとうございました。作業終わりました」

「はい、お疲れ様でした。あっ、その漫画面白かったですよ」

「えっ!?」



 女の子たちは顔を見合わせる。そして、ショートカットの子が持つ紙袋から、今仕上げたばかりの同人誌を一冊取り出した。それを、革ジャン先輩に差し出す。



「よかったら、一冊どうぞ」

「ありがとうございます。また来てくださいね」



 革ジャン先輩は何の躊躇いもなくその同人誌を受け取ると、顔をクシャッと歪めて笑った。

 女の子たちは工場こうばの出入り口までの短い距離を何度も振り返り、革ジャン先輩に向かって頭をさげた。

 私は女の子たちの背を目で追いながら、ボソッと口を開く。



「革ジャン先輩って、いつもそうなんですか?」

「は?」

「いつも、『面白かったですよー』なんて声かけているんですか?」

「まぁ……大体は。声をかけにくい内容の漫画じゃなければだけど。だって、同人作家たちって、人に読んでもらうことに飢えているだろ? 感想言うくらいで、喜んでもらえるなら何よりじゃん。こうやって、本ももらえるし……な」



 ニコニコしながら、手にした本を私の目の前でヒラヒラと振る。

 何か、もしかして、革ジャン先輩って天然のですか? 許せませんね。女の敵です。



「はいはい、よかったですねー。折角だから、製本のことを教えてもらってもいいですか?」

「なっ、何か怒ってないか?」



 私はフンと鼻を鳴らし、腕を組んで頬を膨らませた。

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