10ページ目 製本あれこれ
革ジャン先輩に続き、左の壁と右の紙棚に押しつぶされそうになりながら、暗く狭い階段を上りきる。左に視線を向けると、そこには向き合った襖が左右にあった。その間――突き当たりの壁にも、紙の包み紙が隙間なく詰め込まれた棚が鎮座している。
狭い家屋をここまで有効利用している店舗も、それはそれで珍しい。印刷屋さんにとって、紙は大切な備品であり宝の山なのだと、物言わぬ景色に語られている――そんな気がした。
革ジャン先輩は右手側襖を開け、私を部屋の中へ誘う。
真正面の窓から差し込む陽の光を浴びるように、壁際に大きな机が置かれた畳の部屋。柱は茶色と言うより黒ずみ、元々は白かったであろう土壁も時の流れの中薄黄色に変色していた。
机の上には白い方眼がプリントされた濃緑のデスクマットが敷かれ、安っぽいスタンドライトとセロハンテープ、数本のペンが入ったペン立てと長いホチキスが置かれている。
机の横の棚には何冊もの薄い本――たぶん同人誌が何冊も並べられている。机の反対側には一回り小さな机。その上には何かが入ったビニール袋が積まれていた。
部屋の片側の襖――配置的には押入れになるだろう、その前に積まれた段ボール箱。一番上の気持ち上部が開いた段ボール箱の中にも、同人誌が平積みで詰め込まれていた。
「まぁ、座ってよ」
革ジャン先輩は机の前に置かれたパイプイスを私に勧める。畳に刻み込まれる、パイプイスの存在した時間の証。
新しい畳ではない。もしかしたら何十年も代えていないのかもしれない。たとえそうであったとしても、机の前だけ畳の損傷が他の個所に比べ著しく激しかった。
イスに腰をおろす私の目の前に、そっと置かれるスチール缶の紅茶。
デリカシーがない事も口にするけど、革ジャン先輩は基本優しい。
「ストレートだけど大丈夫だった? さっきから飴ばかり舐めているから、甘くない飲み物の方がいいかと思って」
「はい、大丈夫です。革ジャン先輩は?」
「オレはこれ」
そう言って私の紅茶の隣に置かれる、革ジャン先輩の飲み物。無糖のカフェオレ。こんな飲料水は見たことがない。と言う事は……
「メッチャ不味いんだけど、何か癖になっちゃって」
屈託もなく笑う若い頃の革ジャン先輩が、少し可愛らしくも思えた。そんな事、絶対に言わないけど。
革ジャン先輩は私のイスの背もたれに手をかけ体を支え、斜めになりながら棚の同人誌に手をのばす。そして、トランプを切るように一冊ずつ束の後ろへ重ねると、そこから三冊を取り出し私の目の前に並べた。残りは重ねたまま机の隅に置く。
「じゃぁ、製本の話をしようか。あっ、飲みながらでいいから」
「いただきます」
プルトップに指をかけ、それを手前に引き上げる。フッと紅茶の香ばしい香りが顔の周りに広がった。
革ジャン先輩もカフェオレを一口飲んで、くすんだ白いカバーのスタンドライトの脇に置く。そして、一冊の同人誌に指先を添え、スッと私の前に滑らせた。
「パラパラパラって捲ってみて」
「はぁ……漫画ですね。見た事ないキャラクターですけど」
「見た事ない!? 今、メッチャ人気だけど。ヒナちゃんってアニメとか見ない人?」
「いえ、アニメは好きですよ」
「――っと、今はその話じゃないな。その同人誌を見てどう思う?」
「どうって……」
普通の漫画だ。素人が書いたとは思えないくらい絵が可愛くて、凄くほのぼのしたストーリーの。ちょっと薄いけど。
「面白いです」
「そうじゃなくて……まぁ、いいや。じゃぁ、これは?」
「はい。ゲームの説明書――じゃないですね。攻略本かな? 知らないゲームですけど」
「知らない!? ヒナちゃんはゲームをやらない人?」
「あっ、いえ、少しは……(スマホで)」
この時代にない物の話なんて出来ないですよ。いくら未来から来たと明かしていても、未来の事を話していい道理はないですから。
机に両肘をつき、同人誌をペラペラと捲る私を、革ジャン先輩は目を丸くして見おろした。
「イカン、イカン。今は製本の話だった。脱線する。話を戻すけど、今の二つの同人誌の違いはわかる?」
「え……っと、こっちが漫画で、こっちが攻略本」
私は上目遣いで革ジャン先輩を見あげ、「合ってますよね?」と言わんばかりに小さく首を傾けた。革ジャン先輩はコクコクと微かに頷く。
「それから?」
「それから? 本の厚さが違うとか? えー、何だろう? こっちが漫画。こっちが攻略……あっ! わかっちゃいました! 本の開く方向が違います!」
「そう、綴じ方が違う。漫画の方が右綴じ、攻略本の方は左綴じ。教科書で考えるとわかりやすい。国語は右綴じ、英語は左綴じ。縦読みか横読みかで開く方向が違うからね。じゃぁ、こっちの漫画は?」
先に渡された可愛らしい絵の漫画と同じくらいの薄さ。本のサイズも同じ。けど、新しく渡された方は、ついさっきも見た自己製本の漫画のように、綴じた側が少し盛り上がっている。
「こっちの本は自己製本された本なんですか? ここの部分、同じですよね?」
「うん、これは自己製本じゃないんだけど、よく見てるね」
革ジャン先輩は嬉しそうに、私の頭にポンッと手を置き、細い絹のような髪にわしゃわしゃと指を立てた。私は目を細めて首を竦める。
ヤメてくださいよ。枝毛が増えちゃいますから。
「自己製本と同じ製本――これは中綴じ。真ん中から開くとほらっ――何枚も重ねた紙を真ん中で留めて、折っているだけっていうのがわかるだろ? 先に渡した二冊は無線綴じ。または、広い意味で平綴じとも言う。週刊や月刊の少年少女雑誌やコミックなんかと同じ製本方法だね。ここ見てごらん? 厚みがあるだろ? ここが背表紙と呼ばれている」
「こっちの平綴じは、自己製本で出来ないんですか?」
「出来ない……訳じゃないけど、ウチでは推奨しない。知識と技術と経験――最初に一握りのやる気と根性があれば出来るけど」
「それじゃぁ、出来ないと言っているのと同じです」
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はい、製本の種類ですね?
毎度おなじみの、革ジャン先輩です。
広い意味での平綴じ――無線綴じですが、これは製本の際に糸や針金を用いず、接着剤で製本する方法です。接着剤を使う製本には、無線綴じと
この二つの製本方法は厳密には平綴じとは言わず、本来の平綴じはノドの近くを側面から針金で綴じる方法になります。
強度は『平綴じ>網代綴じ>無線綴じ』となります。
他にも上製本(ハードカバー)なる製本方法もあります。
無線綴じされた本文、厚紙や布や皮などの材質でできた表紙のものが主流となっていますが、以前は折り込んだ本文を糸で縫い合わせる糸かがり綴じと言う製本方法が使用されていました。
ちなみに、無線綴じと同じように、上製本も自己製本しようと思えば可能です。実際に手作業で製本作業されている会社もあり、職人さんは一冊5分~10分の速さで製本作業をするそうです。
新聞のように環境、リサイクルに考慮して、針金で綴じたりしないスクラム製本という手法もあります。これは学校新聞なんかにも使われますね。子供たちが針金でケガをしないように、この製本法を使ったりします。
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私は平綴じの漫画本をペラペラと捲り、両手で開いたまま本を斜めに窓からの光にさらす。角ばった背表紙の内側に白い塊のような物が見て取れる。
なるほど、これが接着剤なんですね。
「あとは、こんなのもあるぞ」
革ジャン先輩が開いた本には、表紙のすぐ後にイラストが描かれた紙が折り畳んで差し込まれていた。他にも色の違う紙が本の所々に見える。
「三つ折り込みと、中扉だよ。他にも表紙のすぐ後に別種類の紙を入れる遊び紙や、本の倍サイズの紙を表紙裏に糊づけして本文一枚目にも使用した見返しなんかもある」
「へぇ~、オプションも盛りだくさんなんですね」
自分の部屋にもある何冊もの古い本。革ジャン先輩が説明してくれた物は、幼いころから何度も目にしてきた。何の気なしに。今改めて教えてもらうと、本の見方も変わってくるような気がした。
「一冊の本は、沢山の工程を経て私の部屋にやってきているんですね」
WEB上で読んでいる漫画や小説とは、内容が同じでもまるで別物のように思えます。
私はただただ興味深く、鼻を鳴らす事しか出来なかった。
革ジャン先輩は満足そうに微笑み、パンッと手を叩く。
「よしっ、次は製本のさらに先――と言うかずっと前! 面付けの話をしよう!」
「面付け? 何ですか、それ?」
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