29ページ目 綺麗に撮ってください

「無駄です!」

「なっ、失礼じゃないですか!? 私の写真が無駄なんて」

「違う違う。出来ないって事」

「えー、どうしてですか?」



 革ジャン先輩は指先で私の視線を製版機に誘導すると、ガラス板を降ろす。

 方眼の刻まれた台とガラス板で、プレスされているような状態の原稿。そして、革ジャン先輩は製版機の操作パネルのボタンを押した。

 まるで稲妻のような強い光が私の目を襲い、一緒にガラス板の下の原稿を鮮やかに照らし出す。そして足元の受け皿からピンク色の紙が排出された。

 それを私の前でピラピラと振る革ジャン先輩。



「これが理由」

「これがって――紙版ですよね? 漫画の画像が転写されてます」

「これ、見てわからない?」

「何がですか?」

「じゃぁ、ヒナちゃんに質問です。この紙版は何色ですか?」

「は?」



 唐突な革ジャン先輩の質問に、私はただ間の抜けた声を漏らす。

 紙版が何色かって、見たままですよね? ピンク色と黒に近い紺色。他に色なんてありませんよ。漫画の原稿だって白と黒の二色なんですから。



「ピンク色ですよ。革ジャン先輩の頭の中と同じです。ププッ……イタッ!」



 光の速さで革ジャン先輩のデコピンが飛んでくる。

 私の額を刺すような衝撃が貫いた。

 脳までダメージを負ったらどうするんですか? ウイットに富んだヒナちゃんジョークですよ。大人げないなぁ。



 「アホちんな事言ってなくていいから、ちゃんと答えてください」

 「は~い。えっと、ピンク色と紺色の二色ですね。原稿を撮影して現像しているんですから当然ですよ、モノクロってヤツです」

 「あー、モノクロームの直訳は『一つの色』だからね。背景色+1色でモノクローム。まぁ、正解でいいや」



 革ジャン先輩は私に、少しばかり裏向きにカールした紙版を手渡す。

 私は賞状を手にするように両手で紙版を広げ、ジッとそれを見つめた。

 A5サイズ、4ページ分。この紺色の部分についたインキが、ブランケットへ、そして紙へ転写される。



「じゃぁ、別の質問をします。ヒナちゃんの顔は何色ですか?」

「は?」



 何色って、肌色? 春の新作チークを使っているから、ほんのり桜色――とか?

 私は製版機の前から飛び出し、グルッと回って流し台の上の前の鏡をみる。

 うん、今日も可愛いぞ、ヒナッ!

 じゃない、じゃない。今は鏡に向かって愛されフェイスをしている場合じゃない。

 私は返答に詰まり、革ジャン先輩に頼りない視線を向けた。



「難しいか。じゃぁ、何色なんしょくですか?」

「は? 何ですか何色なんしょくって? そっちの方がわかりませんよ! フルカラーですよ、彩色豊かです! そもそも、そんな質問に答えなんてあるんですか?」

「だから無駄」

「はい?」



 ゆっくりと大きく首を傾げる。そして思い出す。

 元々、製版機で私を写せないか聞いたんでした。革ジャン先輩の話が反復横飛びするので、何の話をしていたのか忘れてましたよ。



「製版機はアナログ撮影のモノクロ出力だから、人の顔なんて撮影しても現像出来ない。輪郭も目鼻もわからない亡霊ヒナちゃんが、紙版上で幽霊画のように不気味に浮かびあがるだけです」

「やー、そんなおどろおどろしい表現ヤメてください! もっと可愛らしい言いまわしは出来ないんですか? 神秘的かつ美しい妖精と見紛う私が、濃霧の中をユラユラと朧気に漂うが如く紙版に浮かびあがる――とか!」

「おっ、おう。メルヘンチックだな」



 チラッと鏡を見て、幽霊画の方を想像しちゃいましたよ。まぁ私の場合、幽霊画になっても透き通るような肌の美しい女幽霊なんですけど。

 私は頬をパンパンに膨らませたまま、再び製版機の前に戻る。そんな私の風船のような頬を、楽しそうに指先で突っつく革ジャン先輩。

 もうッ、許可なしに女性に触れるのはセクハラ案件ですよ?



「後はピントだな。製版機はこのガラスをおろした所でピントが合うようになっているから、立体的な物は撮影できない。それから――ヒナちゃんは漫画読む人だったよね? この部分は何色かわかる?」



 そう言って、革ジャン先輩は漫画のキャラクターの髪の毛を指差した。

 オリジナルの同人誌だろうか。見た事のない可愛い女の子があっちへこっちへと、小さな猫を追いかけている漫画だった。

 そして、女の子の髪の毛の色は……



「グレーです」

「見た目はね」

「それくらいわかりますよ。アミです。黒い点の集合体です」

「おー!」――パチパチパチ。



 心底驚いたように目を丸め、何度も何度も手を打ち合わせる革ジャン先輩。

 私は得意げに鼻を鳴らし胸を張る。

 ずっと昔の本ですけど、漫画の書き方の本を持ってますから。その髪の毛の所に貼ってあるものはスクリーントーンって言うんですよね? 生原稿もスクリーントーンも、ここで初めて見たんですよ。未来では見る機会がないですからね。



「ウチは同人初心者が多いって話したよな? このアミを知らないお客もいる。グレーの部分をスクリーントーンじゃなく、まんまグレーに塗ってくるお客もいるんだ。あと困るのが、鉛筆やボールペンで書かれた原稿」

「何で困るんですか? 別にグレーって訳じゃないですよね?」

「原稿の見た目はね。けど、これも現像できない。鉛筆やボールペンだと、線が飛ぶ(消えちゃう)んだ。露光を短くして濃く出力する事も出来るけど、他の汚れも拾うし印刷が汚くなるからあまりやりたくない」



 要するに、製版機は完全モノクロしか出力出来ないって事ですね?

 最初からそれだけ言ってくれれば、私の顔が紙版には出来ない説明になったと思うんですけど……まぁ、おかげ様でよくわかりましたよ。



「まぁ、問題のある原稿は実際多いんだよ。ヒナちゃんの顔を写せないかってのもそうなんだけど、原稿に色を塗ってあったり」

「色ですか?」

「そう、色なんて出力出来っこない。他にもベタ――ベタってわかる? 黒い塗りつぶしの事なんだけど、ベタにムラがあったり。これも簡単に言えばグレーと同じだね。安いスクリーントーンを使ったせいで、気泡が入ってボコボコになっていたり」

「そんな事もダメなんですか?」

「トーンアミにムラが出るんだ。まず綺麗には印刷出来ないね」



 むむむッ、奥が深いですね製版機。

「白黒ハッキリつけやがれ!」と、どこかの任侠映画に出てくる大親分みたいな機械ですよ。

 私は製版機の奥に頭を突っ込み、ガラス板の下の原稿を見る。

 この原稿のスクリーントーンは綺麗に貼られていますね。ベタも均一、真っ黒です。ただ、前に実際の原稿で面付けを教えてもらった時もチラッと見つけて気になっていたんですが……



「この青い線は何ですか? トンボの中にも入ってますよね? 枠線もこの色ですし」

「よく見てるよ、ホント。この薄い青い線は、原稿の枠やノンブルなんかの基準ポイントを表していて、製版には出力されない。コピーにも出ない。けど目には見える」

「へぇ、じゃぁ青い色鉛筆か何かで絵のアタリをつけている原稿がありましたけど、それも同じ理由ですか? 面付けを教えてもらった時に見つけたんですけど」

「同じと言えば同じだけど、実際あれはヤメて欲しい。よっぽど薄く書いてあれば別だけど、濃く書いたものは製版で汚れとして出力されちゃうんだ。露光を上げて絵柄を飛ばし気味にすると消えるけど、ペン入れした線まで掠れてクレームの原因にもなりかねない。下書きは鉛筆で、ペン入れしたら消しゴムで消す。これが一番」



 ガラスの表面を指でなぞりながら、私と原稿を見比べ、熱心に説明してくれる革ジャン先輩。真剣なその横顔カッコイイです。『』ですよ。

 私は革ジャン先輩の横にピッタリとくっつくように寄り添い、何度も頷きながら彼の指先を追う。




************


 革ジャン先輩です。

 ここまで説明した製版機ですが、平成も終わる頃にはほぼ使用されていないと思ってください。

 カメラであるアナログ製版機は、コピー機のようなデジタル製版機に姿を変えました。それに伴い機械の大きさがかなり小さくなりました。

 メンテナンスも楽になり、パソコンからのデータも紙版に直接出力できるようになりました。しかし、デジタル製版機ですらその姿を消そうとしています。

 あまりにも早すぎる、時代の流れというヤツですね。


************




 これで製版の仕組みもマスターしました。後は最初から最後まで、一通り印刷作業を見せてもらうだけですね。

 そんな時だった。

 背後――工場こうばの入口の方から、革ジャン先輩を呼ぶ関さんの声が聞こえた。



「革ジャンさん、面付け終わったよ。製版前に原稿のチェックをしておくようにって、社長が。原稿は二階に置いたままだけど、よかった?」



 二階からおりてきた関さんが、柱の影からヒョコッと顔を出す。革ジャン先輩は私の頭をポンポンと叩いた。



「しばらく原稿のチェックしてくるから、わからない事でもあったら関さんに聞いててよ」

「私も行きます!」

「あー、お勧めしない……」

「大丈夫です! チェックだけですよね? それくらいなら私にも出来るんじゃないかと」

「んー……」



 革ジャン先輩は関さんの方へ視線を泳がせ、小さく肩を竦めた。関さんは「いいんじゃない?」とでも言いたそうに、八の字に眉を歪め苦笑いを浮かべた。

 何なんでしょうか、この二人のリアクションは?

 原稿をチェックするだけですよね?


 …………何のチェックをするんですか?

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