22ページ目 時代のうねり

「革ジャン先輩~! 教えてくださ~い!」



 操作ディスプレイが設置された台を照らす証明の下、大きな紙を広げる革ジャン先輩に駆け寄る私。革ジャン先輩は目を丸めて振り返る。



「なっ、何を!?」

「『悪魔アイランドへ』って何ですか~?」



 革ジャン先輩は一瞬ビクッと肩を弾ませると大きく息をはき出し、印刷物が置かれた台の上で大きな紙を丁寧に折り始める。

 何やっているんですか? それも印刷に関係あるんですか?

 革ジャン先輩の背中からピョコピョコと左右に顔を覗かせて、彼の折る紙を見る。

 山に折って、谷に折って、山に折って、谷に折って――細長くなった紙の下部を布テープでグルグル巻きにして…………あっ、これはハリセンじゃ?



 スパーン!!

「イッターイ!」



 何するんですか、突然。小動物のような可愛い女の子の頭をハリセンで叩くなんて、暴行罪ですよ、懲役刑! 動物愛護協会に訴えてやりますから!



「お前は何を勉強しに行ってるんだ? 何で俺の小学校時代なんだよ?」

「や、ちょっとした手違いでして」

「手違いもクソもねぇだろ! 印刷の勉強はどうした、印刷の勉強は?」



 私はお尻の上で手を合わせ、モジモジと体を揺すりながらはにかむ。

 勉強はしてきましたよ。ちょっとだけ。気になる事が出来たから、この時代に戻って来たんですから。



「で、『悪魔アイランド』って……イタッ! イタタタタ……ヤメッ、痛いです! ごめんなさい! 革ジャン先輩に乱暴されるぅ!」



 私の小さな頭に拳を押し付け、グリグリと手首を捻る革ジャン先輩。私は首をすぼめ背中を丸めて頭を押さえる。

 工場の人達が、一斉に私達を振り返る。革ジャン先輩はサッと手を引き、ピクピクと顔を小刻みに痙攣させながら苦笑した。



「毎度毎度、誤解を生むような言動はやめろ! 変な噂が立ったらどうするんだよ。で、『悪魔アイランド』? オレが小五の春休みに書いた宿題の小説のタイトルじゃねぇか。何を見てきたんだ? 出来上がった本か、ボールペン原紙か?」

「ボールペン原紙? 何ですか、それ?」

「何だ、版を見たんじゃねぇのか。青い、フイルムみたいなシート……」

「それです! それ、見ました。小さな印刷機を使っている、可愛い革ジャン先輩も」



 革ジャン先輩はそれを聞いて、私をベビーの印刷機の前に引き連れていく。

 あの小さな印刷屋さんにもあった両面機を真ん中に、左側には封筒を印刷していた小さな機械――あれ? ちょっと違うかな? それと右側には両面機よりも一回り程幅が広い印刷機がある。



「この印刷機は何ていう印刷機だ?」

「両面機とその他です!」

「そうじゃなくて」

「ベビー?」

「正確には?」

「えっと、軽オフセット印刷機――ですよね?」



 革ジャン先輩は両面機のボディにポンポンッと手を置く。そして、両面機の吸版装置を取り外した。そこには茶色いブランケットがあった。



「版を見たって事は、印刷している所を見てきたんだろ? あの印刷機にはブランケットがない。ブランケットはわかるよな?」

「はいッ! 版からブランケットに、ブランケットから紙に。それがオフセット印刷機ですよね? じゃぁ、ブランケットがない印刷機って何なんですか?」



 革ジャン先輩は気持ち遠くを見つめ、古い記憶を掘り起こすように話し始めた。



    *    *    *


 昔の学校にはコピー機なんて物はないから、学校で配るプリントは印刷するしかなかった。ガリ版と言って、ボールペン原紙よりももっと薄いロウ引き原紙に先の尖った鉄製のペン――鉄筆で文字を書いてそれを版にしたり、ヒナちゃんの見たボールペン原紙を版にする印刷なんかが主流だったな。

 構造はロウ引き原紙もボールペン原紙も同じ、書いた文字の部分からインキが出て、それを直接紙に転写する方式。


 孔版印刷機――小型の輪転機って奴だ。まぁ、今で言うスクリーン印刷機だな。


 オレが子供の頃の話だ。

 クラスの各班ごとに学級新聞を作ったりしていて、自分たちで印刷機を動かして印刷していたもんだよ。それで、件の春休みの宿題だ。

 国語の教科書の最後のページに描かれていた地図を元に、自作の物語を書く宿題が出てな。オレが書いた物語が『悪魔アイランドへ』って訳。

 わら半紙にクラス全員の物語を印刷して、全員で順番に帳合いを取って本にしたんだ。懐かしいな。


 ん? わら半紙って何かって?

 そうか、わら半紙を知らない世代か、ヒナちゃんは。


 紙の原料は何だ? そう、木だ。


 わら半紙は藁を原料にしたパルプから作られた紙で、オレが子供の頃は安価で大量に印刷する紙と言ったらわら半紙だったんだよ。学校新聞や宿題のプリントなんか、全部わら半紙だったな。


 ただ、わら半紙は紙の表裏が顕著でな。比較的表は滑らかなんだが裏はザラザラしていて、さらに紙自体に強度もないから、尖った鉛筆やシャーペンで書き込んだり消しゴムをかけたりするとよく破れたんだ。

 それに、ヒナちゃんが見た印刷機――小型の輪転機だとインキののりがよかったものの、手に入りやすくなったプリンターなんかだとインクが滲んだり紙詰まりを起こした。


 そして、印刷機の進歩と共に、コピー用紙や上質紙などが比較的安価になると、わら半紙からそういった類の紙に移り変わっていった。

 コピー用紙や上質紙に比べ、わら半紙は白色度が劣っているから好まれなかったってのもあるんじゃないかな?

 今ではわら半紙を手に入れるのは非常に困難だ。取り扱っている店がない上に、取り寄せることも出来ない。しかも、上質紙よりも高価になっている。そこまでして手に入れるメリットがない紙って訳だ。


 時代のうねりって奴だよ。


 印刷機もガリ版印刷から小型輪転機、謄写ファックス、プリンター、コピー機に変わり、紙もわら半紙から中質紙や上質紙に変わっていった。

 そして今では、印刷機や紙を必要としない世界になろうとしている。

 残酷なもんだよ、時の流れって奴は。

 印刷業界はこの先、どこへ向かっていくんだろうな?



    *    *    *


 革ジャン先輩は両面機に手を添えたままフッと顔を伏せる。その横顔はどこか寂しそうだった。

 私は革ジャン先輩の作業着の裾を引っ張る。



「らしくないですよ。太々しい態度で自信満々な、いつもの革ジャン先輩はどこに行ったんですか? そんな革ジャン先輩なんか……」

「誰が太々しいって!?」

「やー!」



 私の頭に両手の指を立て、グシャグシャッと髪をかき回す革ジャン先輩。私は頭を抱えてその場で膝を折る。

 私の頭を優しく包み込むように、革ジャン先輩の大きな手がリズミカルに数回跳ねる。恐るおそる振り返ると、瞳に光を取り戻し革ジャン先輩が、穏やかな顔で私を見おろしていた。



「ヒナちゃんに心配されるなんて、オレも焼きが回ったな」

「心配なんてしてません!」

「何だよ、女の子は素直が一番だぞ?」

「私はいつでも素直ですよ。真っ直ぐです、真っ直ぐ! 革ジャン先輩みたいに捻くれてませんから」



 何かを掴むような形で、再びサッと両手を上げる革ジャン先輩。私は目を丸め、一目散に逃げ出した。

 逃げ込んだ先は、革ジャン先輩が使っている大きな印刷機横のステップの上。

 革ジャン先輩は追って来ない。振り返ると、その場から一歩も動かずケタケタと楽しそうに笑っていた。


 もうッ、すぐ私を馬鹿にするんだから。

 男の人って気になる女の子にはいじわるしたくなるものですからね。革ジャン先輩も私のことが気になるんですよ、きっと。


 肩を竦める私の視界の端に、棚がある事に気づく。

 インキの缶が所狭しと並べられた大きな棚。よく見るとどの缶にも、アルファベットと数字が書き込まれていた。棚の仕切りごとに、100番台、200番台と分けてある。

 そう言えばそうでした。元々、インキの事を聞きに来たんでしたっけ。

 私は小走りで再び革ジャン先輩の下へ駆け寄り、インキ缶が並べられた棚を指差した。



 「革ジャン先輩! インキの事を教えてください!」

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