第7話 美唄、神の通る処

「日本の未来はフンフンフフフン、世界がフフフンイェイイェイイェイ~♪」


 金曜の夜。

 麻薬密造も、薬局勤務も、恙無く進む四月のある日のことである。

 禮次郎は寝そべりながらクチナシの父が遺した手記を眺め、クチナシはその隣で金曜夜の音楽番組アイドルステーションを見ていた。


「クチナシ、お前の名字ってなんだっけ?」

「いーじゃん。そんなこと」


 クチナシは鼻歌を続ける。


「もう居候して一ヶ月が近いんだぜ?」


 なおも食い下がる禮次郎。

 クチナシは鼻歌をやめてため息をつく。


「そんなに気になるなら、僕に一ヶ月記念で名字をくれてもいいんだよ。僕、法的には二十歳になったんだから」

「まあそれはそれでやぶさかじゃねえがよ……」

「そう言って毎度日和ひよるくせに。早く責任とやら取ってよー。名実ともに香食にしてみろよー」


 この二人、名字は同じだが、戸籍上は他人だ。

 クチナシに偽造戸籍を用意した組長の粋なはからいというやつである。

 禮次郎も良い迷惑だという顔こそしているものの、内心は組長に自分の性癖が完全にバレていることが分かり、本気で恐怖を覚えている。


「分かった。心配するな」

「え、本当!? 何時! 何時役所に行くの! 禮次郎のちょっと良いとこ見てみたい!」

「――だがもう少し待て、こういうのには準備ってのが必要だ」

「あー、またそうやって逃げる」

「ところでクチナシ。これから美唄焼鳥を食べに行く」


 クチナシは目を丸くする。

 続いて首を傾げる。

 額に手を当ててしばし考え込むが、クチナシには禮次郎の言っていることが理解できない。


「んー、ちょっと何言っているかわからないな。話をごまかす手段にしては斬新過ぎるんじゃない?」


 クチナシも禮次郎の身軽さはこの一ヶ月で理解していたつもりだった。

 だが、この唐突さは理解を超えている。

 何か事情が有ることは分からないではないが、じゃあどんな事情かと聞かれても全く分からない。

 

「何も聞くな。ホテルの部屋はとってある」


 ――もしやサプライズ! 

 ――ロマンティックな二人のミステリーツアー!

 クチナシは期待に胸をふくらませる。

 だが素直に喜ぶのも癪に障るので少し戸惑う素振りを開始する。


「……うーん? いや、そうじゃなくて、もうちょっとそういうのってムードとか欲しいかなって……」

「そして翌朝は美唄の炭鉱跡地を見に行く」


 ――炭鉱?

 何かがおかしい。

 此処まで来るとクチナシも気づき始める。

 だが一縷の望みを捨てられない乙女として、彼女はあえて不審感を押し殺す。

 ――禮次郎だって、偶には僕の喜ぶような旅行を考えてくれるよね!


「いや、確かに暇してたけどさー。そんな急に言われても心の準備というか……なんで炭鉱?」

「お前の父親の協力者の中に、佐々博士と呼ばれる男が居た。奴に会いに行くことに決めた」


 ――どうせ、こうなると、思った。

 ニコニコ笑っていたクチナシの表情が凍りつく。

 そして暗い眼差しで禮次郎を見つめる。


「はぁ……なんで?」


 禮次郎はそんなクチナシの表情に気づく素振りも無い。


「佐藤喜膳の小説、阿僧祇あそうぎマリア、神居古潭の怪物、ここ最近で妙な事件に出くわす回数が増えてきた。奴の様子を探り、可能ならば手を組みたい」

「……あー、そういうこと? でもなんで今?」

「シュブ=ニグラスの正体について、この手記には書いていないんだ。もしかして、佐々博士ならば知っているかもしれないと思ってな」

「でもあまりに無計画すぎないかな?」


 禮次郎はニヤリと笑う。


「いいや、計画自体は進めていた。ただ……ギリギリまで隠しておきたかった」

「なんで? 僕には話してくれたって良いんじゃない?」

「佐々博士、いいや佐々総介さんは俺の友人だ」


 クチナシは目を丸くする。


「知り合い? あいつの協力者が? 禮次郎と?」

「お前の父親の手記の中に、彼の連絡先が残っていた時は驚いたよ」

「どんな人なの?」

「精神科医だ。しかも先祖代々医者をやっていて大金持ち。その縁で清水会のお偉いさんにも顔が効く。かつて俺が大学病院に勤務してた頃に偶々仲良くなってな。俺が病院を辞めた今も偶に連絡して一緒に酒を飲んでいる」

「へえ……そんな人が」

「だから俺にはあの人が悪人に思えない」

「でも……」

「分かっている。もしも彼が阿僧祇マリアや佐藤喜膳のような怪物だった時の為に警戒はする」

「どういう風に?」


 禮次郎はパタリと手記を閉じ、身を起こす。


「まず、彼の本拠地には乗り込まない。彼が自宅から離れた時を狙う」

「うんうん」

「次に、彼の弱点である家族が近くに居る状況で接触する」

「弱点?」

「佐々博士も家族が側に居れば無茶なことはできない」

「そんなの、それこそ家にでも乗り込まないと無理なんじゃない?」

「幸い、今週末佐々博士は家族旅行で三笠の恐竜博物館に向かった後、温泉宿で一泊することになっている。これは先週の土曜日に俺があの人と飲みに行った時に聞いた話だ」

「家族なんてどうでもいいような奴だったら? 僕の父親みたいに」

「それは無い。手記の記載通りに佐々博士が魔術師だった場合、その魔術は父祖伝来の物だ。つまり彼自身も子供にそれを引き継がせる必要がある。だから子供は大事な筈だ」

「そうだとしたら佐々博士のお子さんは幸せだね」

「かもな」


 二人は見つめ合う。

 親に捨てられた子供と、親に愛されていると気づけなかった子供。

 クチナシも、禮次郎も、親の愛というものに飢えていた。


     *


 一時間後。

 札幌と美唄の間の高速道路を使い、禮次郎とクチナシは美唄でも有名な焼き鳥屋“いぬい”を訪れていた。


「おう! お兄ちゃん達どっから来たんだい?」


 二人がカウンターの隅の席に座ると、すぐに老人から話しかけられる。

 クチナシは困惑していたが、禮次郎は柔和な笑みを浮かべて老人に応対する。


「札幌から観光です。お爺さんは?」

「おう、俺はここのもんだ。今は退職して年金暮らしの暇人よ。これでも昔は炭鉱夫として頑張ってたんだぜ。わっはっは!」


 そう言って老人は酒臭い笑い声を上げる。

 その一方で近づいてきた店員にクチナシはウーロン茶と禮次郎のビール、そして塩味の美唄焼鳥を四本頼む。


「炭鉱ですか! そいつはまた大変な……」

「なあに、大したことはねえよ。そっちのお嬢さんはおいくつだい?」

「二十歳なんですけど」

「こいつぁたまげた! わりいな姉ちゃん!」

「別に良いですけど」


 クチナシはツンとしたままだ。


「そっちのお姉ちゃんも何か飲むかい? ガキ扱いのお詫びに一杯おごるぜ?」

「いいんですか?」

「勿論だ!」

「クチナシ、折角だから頂いておきな」


 クチナシは嬉しそうにメニューのソフトドリンクの欄を見る。


「むむ……では後でオレンジジュースをもらいます」

「ははは、構わんぜ。なんだかまるで孫みてえだな……少し泣けてくらぁ」

「せっかくのお酒の前で湿っぽいのは無しですよ」

「だな、じゃあまずは乾杯だ」


 運ばれてきた飲み物で、三人は改めて乾杯した。


「しかしこのあたりで観光ってなると何を見るんだい?」

「そうですねえ。炭鉱、焼きとり、後は……温泉でしょうか」

「ふぅん……温泉ねえ。じゃあこのあたりをぐるっと?」

「ええ、土日を使って車でね」

「若い者には退屈じゃないかい?」

「いえいえ、ワイナリーもあるので楽しみなんですよ」

「もう禮次郎ったらお酒ばっかり」

「わりぃわりぃ」

「廃校になった小学校を使った美術館も有るみたいなんで、其処にも連れて行ってもらおうかなって思っているんです」

「廃校になった小学校?」

「ええ、確か名前は……カステラピッツァ?」

「甘そうだな」

「ちゃかさないでよ! うろ覚えなの! ともかく立派な美術館みたいで……」


 廃校と聞いた途端、老人の表情が途端に厳しくなる。


「お二人さん、我路がろって町を知っているかい?」

「僕知りません。禮次郎は?」

「廃墟だの、心霊スポットだの、噂は多く聞きますね」


 老人は禮次郎の言葉に頷く。


「そうだ。今は殆ど廃墟になっちまった町だ」

「殆ど、とはどういうことでしょう?」

「まだあそこにも住んでる奴が居るんだ」

「そうなんですか? てっきり誰も居なくなったもんだとばかり……」

「昔はあそこに財閥の炭鉱が有ってよ。まあ随分景気も良かったんだわ」

「北海道のこのあたりは全体的に炭鉱で潤ってましたよね」

「んだ。でも日本の石炭がどんどん売れなくなっていって……今じゃすっかりさびれちまった」

「ええ……なんだか寂しい話です」

「でもよ。我路はちげえんだ」

「違う?」

「あそこが閉鎖されたのはまだ日本に炭鉱需要が残っていた時代の話だ」

「単純に石炭が取り尽くされただけでは?」


 老人は禮次郎の意見に対して首を左右に振る。


「ちげえ。あそこにゃまだ手付かずの鉱脈が残ってる」


 禮次郎は知っている。

 北海道にはまだ大量の石炭が有る。安くて高品質な海外産の石炭に比べて需要が無いだけだ。

 ――あの手記で、見た覚えがあるな。


「じゃあ、なんでですか? もしかしてお化けでも出ました?」


 老人はクチナシの質問に再び首を左右に振る。


「お姉さん。我路ってのは我の路って書くんだ」

「我の……路?」

「その我ってのが誰のことかは分かるかい?」

「僕はちょっと……」

「それはな、桜井良三って地主さんなんだ。桜井さんが開拓した土地だから、我路って名付けられた」

「俺は聞いたことが有ります。有名な方ですね。美唄市の文化財として彼の邸宅が指定されていた筈です」

「そうなの?」

「ああ、今度行ってみてもいいぞ」

「ふうん……じゃあ明日明後日にでも連れてって」

「分かった。明日の午前中に早起きできたら其処に寄ろうか」


 盛り上がる二人を老人は楽しそうな笑顔で見つめている。


「二人共お熱いねえ」

「えへへ……」

「いやはやすいません」


 禮次郎は恥ずかしそうに頬を掻く。

 老人は微笑みながら話を続ける。


「構わんさ。それでその桜井良三が我の路と名付けた我路だがな、これがまた妙なことに戦後になってから急に水没が始まったんだ」

「水没?」

「ああ、俺がガキの頃住んでいた地区や子供を通わせた学校もどんどん水の中に沈んじまってな……人は住めんようになった」

「人が住めなくなったんですか?」

「ああ、だがそれだけじゃない。これはここだけの話だがな」


 老人は急に声のトーンを落として囁くように語る。


「夜な夜な水に沈んだ地区を誰かが走っていたんだ」

「走る?」

「白い衣を着た翁がな。毎晩毎晩水の上を走るんだよ。滑るように、ワッハッハッハ! って大声で笑いながらな」


 老人は目を爛々と輝かせながら語る。

 笑い声の所など、禮次郎が周囲を気にする程の大声をあげていた。

 だが、周囲の人間はそれを気にする様子も無い。

 ほんの僅かだが、禮次郎はそれが妙だと感じた。


「それだけじゃないぞ。その翁がな、そこかしこに現れるんだよ。二丁目の煙草屋で見た。いいやバス停近くの蕎麦屋に居た。俺なんか家に帰ってきたら当たり前に上がりこまれた。そんな噂もあって我路からは皆逃げていったのさ。不気味だってな」


 禮次郎は白衣の翁が不気味な嘲笑と共に日常の各所に溶け込む光景を思い浮かべる。

 水に沈んだかつての街。

 月光に照らされながら駆け抜ける正体不明の翁。

 そんな正体不明に侵食される日常。

 彼は一体何がおかしかったのだろうか? 何を笑っていたのだろうか?

 それを思うと禮次郎の心はなんとも言えない重たい不安に苛まれた。


「確かに……気味が悪い」

「本来あそこは神の通り路だ。神と、神と共に生きる人の土地だ。それが受け入れられないんならあそこにはいられない」

「神? それはその……」

「桜井さんの路が神の路なんですか?」


 禮次郎とクチナシの疑問に答えるでもなく、老人は一人呟く。


「元来、あそこはあんなに多くの人間が住んで良いところじゃなかったのかもしれねえなあ……うんうん」


 老人は店の中をグルリと見渡してから呟く。

 

「ちょいと人間が増えすぎた。まだ人間のお兄ちゃんはともかく、お姉ちゃんはそう思わねえか?」

「……」

「……」


 ――こいつ、何者だ。

 禮次郎とクチナシは黙って老人の様子を伺う。

 老人は二人の方を見てニカッと笑う。


「爺さん、あんた――」


 禮次郎は意を決して口を開く。

 しかし、その時だった。


「お客様、如何なさいましたか?」


 禮次郎とクチナシは背後から店員に話しかけられる。

 店員は明らかに二人を警戒するような目で見ている。

 

「如何も何も……」


 そう言って禮次郎は老人の居る席に向けて話しかけようとする。

 だが、禮次郎はそこで固まってしまう。


「こいつは……」

「失礼ですがお客様……具合などは如何ですか?」

「あ、ああ……少し酔っ払ってたみたいだ。お会計にしてくれ。タクシーを呼んでおいてもらえるか」


 何時の間にか、老人が座っていた筈の席は店の壁に変わっていた。

 そして禮次郎とクチナシは、自分達が何時の間にか店の壁に向けて話しかけていたことに気がつく。

 二人はお代を支払って店を飛び出す。


「――ひっ」


 すると突然クチナシが悲鳴を上げて禮次郎にしがみつく。


「どうした?」


 禮次郎が優しく尋ねると、クチナシは怖ず怖ずと答える。


「今一瞬、風が……笑っているみたいに聞こえたの」

「風?」

「笑ってた。あのお爺さんみたいな声で笑ってたの」

「笑っていた……風が、か」


 ――待て、そもそも風なんて吹いていないじゃないか。

 禮次郎はその言葉を飲み込んで、っと耳を澄ませる。


「今も聞こえる。聞こえない? ねえ? 呼ばれているような……」


 しかし、禮次郎の耳には何も聞こえなかった。

 禮次郎はホテルの部屋に戻るまで、クチナシの手をしっかりと握り、その晩は彼女をきつく抱きしめて眠った。


【第七話 美唄ピパ、神の通る処 終】

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