第13話 函館湯の川キングスホテル波止場亭
禮次郎は組長から貸し出された自分より一回り若い
宿泊先は函館湯の川キングスホテル波止場亭。函館でも有数の高級温泉旅館である。禮次郎は組長から貰った金に加えて、身銭を切ってこのホテルに宿泊することを決めた。禮次郎は彼等に今回の仕事が命の危険を伴うことは言い含めてある。だったら、最後の宿くらい贅沢をさせてやろうという訳だ。
禮次郎はフロントの隅で若い衆を整列させる。
「じゃあお前ら、ここで解散だ。それぞれ部屋に入ってゆっくりしていろ。先程タクシーの中で渡したのは
「「「「「うっす!」」」」」
若い衆はそう言って同時に頭を下げる。
「あ、そうそう。ここは俺の地元だから一つ警告しておく。函館では若い女にだけは気をつけろ」
「若い女っすか?」
まだ顔にニキビの残る少年が首を傾げる。
「引っ掛けた女にガキが混じっててしょっぴかれたら、明日の仕事がおじゃんだ。昔芸人が一人引退に追い込まれてな……洒落にならん」
その場に居た
ジョークと捉えるべきか否か悩んでいるのだ。
何せ彼等のリーダーである禮次郎の隣には、外見だけで言えば、どう見てもまだ中学生のクチナシが居るのだから。
「……」
「……」
「……う、うっす!」
――ん、もしかしてこれブーメランか俺。
禮次郎は遅ればせながら若い衆の困惑に気づく。
――んん、どうする俺、どうしよう俺。
禮次郎はクチナシの方をチラリと見る。
クチナシは札幌から函館までの旅行中に極妻気分を味わって楽しんでいるせいか、機嫌良さそうに微笑みを浮かべるばかりである。
要するに特に何も考えていない。
パートナーからの気の利く支援も受けられないと見た禮次郎は一番無難なごまかし方を選んだ。
――そうだ、ジョークということにしよう。
「どうしたお前ら、笑うとこだぞ」
禮次郎はそう言って肩を竦める。
青少年達はわざとらしいくらいに笑ってくれたが、禮次郎にはそれがまた申し訳無くて仕方なかった。
禮次郎はその後事務連絡をして、明日の朝までの自由行動を許可した。
禮次郎は部下達がホテルから遊びに繰り出すのを見届けた後、自分はクチナシと共に部屋へと向かった。
*
函館湯の川キングスホテル波止場亭。
そのスイートルームにて。
――懐かしいな、あの頃と何も変わっちゃいねえ。
禮次郎はクチナシと共に夕暮れに染まる函館湾を窓から眺めていた。
――変わっちまったのは俺ばかりだ。
そんな禮次郎の憂鬱をあえて無視するかのように、クチナシは禮次郎の肩を揉む。
「いやー禮次郎って偉い人だったんだねえ。あんないかついお兄ちゃん達があそこまでペコペコするだなんて」
「ま、
「そういえば、あの後せっかくお兄ちゃん達から誘われたのに、一緒に飲みに行かなくて良かったの?」
「もし明日の仕事が上手く行ったら飲みに行くさ。それまでは行けねえ。死ぬかもしれない相手に情が移るのは嫌だろ」
「そっか……」
「飯までまだ時間が有るな」
「そうだね。何する?」
「……少しそこで風呂にでも入りながら、のんびり話そうぜ」
「風呂?」
クチナシが禮次郎の指差す方を見ると、其処には露天風呂がある。
「このホテルは高級な客室になると露天風呂がついているんだよ」
「うへえ……すごいや!」
「ガキの頃はこういう場所に泊まって接待されるような偉い人になりたいなんて、思ってたりもしたものさ」
「なったじゃん。偉い人」
「……ああ、そう言われてみればそうかもな」
――父さんと母さん、元気にしているかな。
禮次郎は携帯を取り出して電話をかけようが迷ったが、もう半ば絶縁したような相手を今更心配する気にもなれなかった。
――仮に、俺の話を信じず、事件をもみ消すことに加担していた理由が、俺を守るためだったとしても。
――俺の言葉を信じてくれなかったのは事実だ。
「ま、ここまで来たらあんまり考え込むのはやめようよ」
「……ああ、そうだな」
「あのマリアって女を倒して、禮次郎は出世して、僕は誰に憚らず社会の中で暮らす。それで全部円満解決。もうオカルト案件とは関わらない。それで大丈夫だよ、きっとヒグマよりは楽な相手さ」
「化物にせよ、人間にせよ……
――それに。
禮次郎はにやりと笑う。
――もうとっくに切り札は用意してある。
「さて、俺はそこの露天風呂にでも入ってくるよ。そうしたら飯にしよう」
「僕はご飯食べてからにしようかな」
「ふふ、良いのか? 今日は蟹が沢山食えるぞ? 果たして食後に風呂なんぞ入れるかどうか……」
「なあに? 禮次郎ったら僕にお背中でも流してほしいの?」
禮次郎は顔を赤くして慌て始める。
「いや、だから……おまっ、お前! からかうなよ!」
「この甘えん坊さんめ。僕は君のママじゃないんだぞ」
クチナシは部屋に置いてあったまんじゅうを食べながらニヘラっと笑った。
*
結局、禮次郎はクチナシと露天風呂に入った後、ホテルのバイキングへと向かった。
観光シーズンからは少し外れている筈なのに、浴衣姿の人々がぞろぞろと列をなして歩いている。
「蟹かー……そういえば全然食べてなかったなあ。蟹、蟹」
「美味いぞ。函館の蟹はとても美味い。まあロシアからの密漁品ってことも多いが、そこはそれだ。目をつぶっとけ」
そこら辺の取扱も清水会函館支部や清水会の下部組織のシノギである。一介の組員に過ぎない禮次郎がとやかく言える問題ではない。
「成る程、僕はまあ美味しければなんでも良いよ」
「おっ、会場が開いたぞ」
「やったね! 今日はお腹いっぱいになるまで食べるんだから!」
「ああ、申し訳ございませんお客様」
二人がバイキング会場に入ったところ、係員が申し訳なさそうに頭を下げる。
「どうしたんですか?」
「本日大変込み合っておりまして、相席の方お願いできますか? こちらドリンクサービス券をおつけしておりますので……」
「ふむ……どうするクチナシ?」
「僕は別にかまわないよ」
「そっか。じゃあ大丈夫です。お願いします」
禮次郎とクチナシは係員の案内に従って窓際の席に座る。
その直後、不機嫌そうな男が係員に連れられて二人と同じテーブルに着く。
白い中折帽子、紺色のスーツ、ストライプのネクタイ。
どことなく洒落た雰囲気な為か、このディナーバイキングの会場では浮いた雰囲気の男だ。
「……おや、貴方は」
禮次郎は思わず声をかけてしまう。
声をかけられた男は意外そうな顔で禮次郎を見る。
「なんだ? 俺を知っているのか? ……もしかして俺の作品のファンか?」
先程まで不機嫌そうだった男は、禮次郎の反応を見て笑顔になる。
「作品……やっぱり有葉緑郎先生だ。俺、香食禮次郎って言います。貴方の作品は幾つか読ませていただいています。『混沌よりの呼び声』と『波の行方』が特に気に入っている作品です」
「そうか、そうかそうか! それは良い!」
緑郎はキザに笑って帽子を脱ぐ。
そして人差し指を自らの口に当てる。
「素晴らしい。香食禮次郎、お前が俺のファンだとは思わなかった。だがその名前はあまり大声で言うな。バレては困る」
そう言ってお茶目にウインクする緑郎。
先程までの不機嫌そうな表情からは想像できない。
「これは失礼しました」
「なに、悪い気分ではないぞ」
「禮次郎、この人って……?」
「有葉緑郎先生だ。俺の本棚で読んだことないか?」
「僕、禮次郎と違ってホラーとか苦手だからなあ」
「クチナシ、お前失礼なことを言うのはやめろ」
「ふふ、構わんさ。俺の作品は子供には少し刺激的すぎるからなあ……うんうん仕方ない」
「子供じゃないですー!」
「ふふ、これは失礼したレディ。まあ好き嫌いが分かれる作品故、読めとは言える物ではない。なんにせよ気にすることは無い」
緑郎はまたキザに笑って肩を竦める。
「……ところで有葉先生」
「なんだねレディ」
「なんで禮次郎のこと、知っているんですか?」
緑郎はその質問をされた時、一瞬だけ動揺を見せた。
しかし緑郎はすぐにその表情を押し隠し、ニヤリと笑う。
そんな緑郎に、クチナシは追求を続ける。
「有葉先生、『お前が俺のファンだとは思わなかった』って禮次郎に言いましたよね?」
「ふふふ、敏いなレディ。だがあまりそれを見せびらかすものではない。そう思わないかね、香食禮次郎」
禮次郎はため息を吐いてから頭を掻く。
「……ま、先生が来た理由はなんとなく分かる。俺もまさかあの有葉先生が来ると思わなかったけどな」
「どういうことなの?」
有葉はその問を無視して席から立ち上がる。
「それを説明する前に、あのバイキングで蟹を取ってこよう。腹が空いては話もできんしな!」
そしてクチナシの疑問に答えることなく、一人で勝手に蟹を取りに行ってしまった。
*
口の中で豊穣なる海の香りを放つ蟹。水晶よりも透き通るイカそうめん。それらを黙々と食べ続けて満足した後、有葉は唐突に話を始めた。
「改めて自己紹介だ。俺の名は
ワインを飲んでいた禮次郎と、寿司を頬張っていたクチナシは
――今更なんだこいつは。
という表情で顔を見合わせる。
「佐藤喜膳? 届け物? 禮次郎何していたの?」
「俺の仕事で付き合いが有ってな。俺の本棚に本が無かったか?」
「えっ、まさか作家の!? その人は知ってる! 恋愛ミステリー『悪徳の章典』を書いた人でしょ!? 僕大好き!」
「……ふん、師匠は読者を選ばんからな」
そう呟く有葉のこめかみがピクピクしていたが、禮次郎は見て見ぬふりをした。
「ところで有葉先生。佐藤喜膳からの依頼ってことは、あれか?」
禮次郎の問に緑郎は頷く。
「その通り! 貴様の依頼したとかいう小説ができたのでな。持ってきてやったよ」
緑郎は持っていたブリーフケースから一冊の本を禮次郎に差し出す。
「世界に一冊しか無い佐藤喜膳の新作だ。大事にしろよ」
「装丁も良い。俺の指定通りだ。あの人にここまでしてもらえるとは、ファン冥利に尽きるよ」
「ふん! それは何よりだ。だが気をつけろ!」
「何をだ?」
「それはあくまで試作品。まだ完成した訳ではない。効果の保証はせん」
「そうか、だが礼を言わせてくれ。無茶を聞いてくれた喜膳先生にも、届けてくれた有葉先生にもな」
「かまわん。貴様には一つ借りが有る。ところで香食禮次郎」
「なんだ?」
「お前にはこいつを渡しておこう。俺の原稿だ。短編だから今此処で読め、そして喜膳先生とどちらが面白かったか教えろ」
「いや、ちょっと待ってくれよ有葉先生。今すぐか? 食事中だぞ?」
「……ふん、明日の朝で良い。携帯電話の番号は原稿の裏に書いておいた。喜膳先生のように妙な物は仕込んでいないから安心しろ」
「あ、ああ……勿論読ませてもらうが……」
――出来れば後にしたいな。
禮次郎のそんな表情を読み取り、有葉は呟く。
「――支笏湖、
「……」
――こいつ、俺が
禮次郎は動揺を押し隠し、にこやかな表情を保つ。
「……わだつみ? 有葉先生、それは一体どういう意味だい?」
「ふっ、まあ良いさ。少なくとも、お前は俺の読者だしな。そもそも奴は俺にとって大事な友だが、同時に死んで当然の悪党だった。知らなかったことにしておいてやろう。何せお前は大事な読者だからな」
緑郎はそう言うと、椅子から立ち上がり、ビュッフェ会場を後にした。
「ねえ、あの人と何か有ったの禮次郎?」
「なんでもない。部屋に戻って原稿を読む。様子がおかしかったら止めてくれ」
「うん、分かった」
「それとクチナシ」
「うにゅ?」
「もし、お前が……」
――人の姿に戻れるなら、どうする?
そう言おうとした禮次郎だったが、彼はその言葉を途中で飲み込む。
――今の彼女だって人間だ。
そう思いたくて。
禮次郎は渡された原稿と小説本を交互に見比べた。
【第13話 函館湯の川キングスホテル波止場亭 終】
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