第14話 これから小説を書きます

 禮次郎とクチナシは緑郎から渡された原稿を読み始めた。


     *


「ああ、金が無い」


 そう呟いたところで答える者は居ない。

 この俺、有葉緑郎は売れない小説家。今日も家で孤独に作業を続けるしかやることの無い寂しい身の上だ。


「金を稼ぐにはどうすればいい」


 ああ、そうだ。小説を書こう。

 来月の雑誌に載せる為に依頼されていた短編だ。

 原稿料が入ったら焼肉でも食べたいものだ。


「まずはキャラだな。キャラを立てるのはエンタメの基本だ」


 俺は誰に聞かれることもないのにそう呟く。


「キャラの名前だ」


 何かモデルを探して、そこから名前をもらうことにしよう。

 なんなら筋書きだって名作から適当に換骨奪胎してくれば良い。


「まったく、パクリが好きだな俺は」


 そこまで考えてから俺は自嘲気味に笑う。

 パソコンから伸びるイヤフォンを耳につけてトランスを流す。

 このサイケデリックな電子音の連なりが、良い具合に意識を空想の彼方へと飛ばしてくれる。

 脳をかき混ぜられるような感覚に身を任せながら、俺は早速仕事を開始した。


「まあ良い。ともかく名前を決めよう」


 俺は机に積み上がる本の山から良さげな資料を取り出す。緑革で表紙には蝙蝠の翼を生やした蛸頭の悪魔が描かれている。古本屋に捨て値で置いてあった胡乱な洋書だ。


「Chorazin、コラジン……これなら筋書きに合う。そうだ、こいつから名前を借りるとしよう」


 名前は大事だ。小説とは人の心を彩る魔術であり、キャラクターの名前とはその魔術の中核を為す詠唱フレーズだ。故に耳に残り、美しく、そして何より妖しく人の心を捉えなくてはいけない。特に俺の書くような空想怪奇小説においては。

 

「コラジン」


 目を瞑る。頭の中でキャラを呼び出す。そして想像する。

 白い髪、浅黒い肌、黒曜石の如き瞳。何処の国で生まれたかは分からない。

 このコラジンという青年がいきなり名前を呼ばれたらどんな反応をするだろうか。


「あんたは誰だ? なんで俺の名前を知っている?」


 そうだ。知らない相手からならばそう答える。


「やあ、有葉じゃないか。どうしたんだ?」


 仮にこの俺を知っているならばそう返事する。


「なんだ?」


 もしも仲が悪いのならば無愛想にそう答え、眉をひそめるくらいはするだろう。

 今後の質問に支障が生じないように、今はどんな質問にも違和感を感じないと設定しよう。

 ゲームで言えばデバッグモード。友好度は親しい友人としようか。そっちの方が深い話が聞ける。


「お前の性別は?」

「男だよ」


 瞼を閉じる。

 今、俺は記憶の中からランダムに人間の情報をつなぎ合わせ、一つの架空人格を作っている。

 仮想人格は俺の用意した経歴に則り、俺の脳を使って擬似的に思考を行い、俺の質問に返答する。

 その返答を後からまとめ、キャラクターとして使用するのが俺のやり方だ。


「好きな食べ物は?」

「アーモンドを薄切りにしたものを乗せたクッキーかなあ?」

「その理由は?」

「母さんが昔よく作ってくれたんだ」


 母さん。面白い単語が出てきた。彼には母親が居るのか。そうだな、居た方が話は広がるだろう。


「母さんとはどんな関係なんだ?」

「仲はあまり良くないな」

「そりゃまた何故だ?」

「親父と離婚して以来、一度も会ってくれないんだよ。親父も会わせてくれない」

「お前はその理由を知らないのか?」

「まあこの歳にもなれば察しはつくさ。俺にとっては優しい母親でも、親父にとってはろくでもない女だった。きっとそういうことだろう」


 コラジンは溜息をつく。

 居もしない人物だというのに少し哀れになってきた。


「有葉、憐れむことはないぜ。誰だって何がしかそういうろくでもない事情を抱えて生きているものさ」

「そうか?」


 コラジンは脳内で俺が浮かべた悲しげな表情を憐憫として受け取ったのだろう。

 彼は鋭いところがある。これは重要な情報だ。


「では質問を続けよう。君は父親とどんな家に住んでいるんだ?」

「美しい港街さ。毎日何隻も船が来て、遠い国から奴隷や財宝を運び込んでくれる」


 成る程、丁度ファンタジーを書きたいところだった。海の底に沈んだ古い王国の物語。まるで一枚の絵画のような、美しいイメージを掻き立てる物語を。


「不思議かい? 歴史の流れを見れば奴隷制の無い文明の方が珍しい気がするけど」

「いや、別にそこは俺の興味ではないが……」


 その時だった。


「良いところだぜ? あんたも来いよ」


 突如としてコラジンの姿が瞳を閉じた暗がりの中から現れて、親しげに俺の肩を叩いた。

 俺は驚いて耳からイヤフォンを外す。集中する為に聞いていたトランスの音色が途切れ、俺は瞬く間に現実に引き戻される。


「なんだったんだ……今の」


 あまりにリアルだった。にやにやと楽しそうな笑みを浮かべ、まるで友人にでも語りかけるように彼は語っていた。

 勿論想像を重ねていけばキャラのイメージを強固に形成することは可能だ。

 だが今のはあまりにも唐突すぎる。何故あんなにもすぐさまキャラのイメージが降って湧いてきたのだろうか。

 いや待て待て、これは俺の想像力が成長を見せているということではないか?

 地道に書き続けていた甲斐有って、俺が成長したという訳だ。


「疲れていたのかもな、少し休むとしよう」


 俺は先程まで読んでいた本をもう一度広げる。

 執筆されたのは明治の頃らしく、今の英語とそこまで大きな差が有る訳ではない。辞書を用いれば読める。

 俺は先程何気なく開いたChorazinの頁をもう一度探していた。興奮して印をつけたり付箋を貼ることを忘れてしまっていたからだ。

 

「近所の銭湯が開いていればな」


 ポツリと独り言をつぶやいてしまった。

 不安になる。これは果たして自分の意思だったんだろうか。だがこんな時は風呂にでも入って何もかもを忘れたかった。

 なのにまたこうして本を読んでいる。昔からこうだ。読みかけの本が放っておけない性格なのだ。基本的には何が中途半端でも気にしないのだが、大好きな読書に関しては半端が許せない。

 待て、俺のことは関係ない。俺が俺である限り俺のことなど一々考える必要も無い。俺は俺のことについて誰かに説明する必要はない。俺を見ている奴が居るのか? 馬鹿な、だ。


「駄目だな。コーヒーでも飲むか……」


 俺は自分に言い聞かせて立ち上がる。


「君は疲れた時には風呂に入り、コーヒーを飲みたがる訳だ」


 背筋に冷たいものが走る。自分の頭の中で「コラジンならばそう言うだろうな」と思ってしまったからだ。そしてその想像した問が頭の中で聞こえてしまったからだ。


「俺は……休もうとしているのに」


 こんなの想像力の暴走だ。小説の執筆からは程遠い。書くのは一旦止めてまたの機会としよう。何もかも忘れなくては。このままじゃ……。


「このままじゃどうなるというんだい? それは興味深い」


 耳元で何かが囁く。

 いや、勝手に口が動いている!?

 コラジンではない。俺の想像するキャラクターと寸分たがわぬ声だったが、俺の想像するキャラクターは勝手に頭の中でしゃべらない。


「やめろ!」


 叫んでから口をふさぐ。何をやっているのだろう。話せば話す程、俺は相手を理解してしまうし、相手は俺を理解する。

 仮想の人格を作り上げるというのはそういうことだ。


「もっと聞かせてくれ。君のこと。言葉にしなければそれは私に知覚されない」


 俺は思う。

 作品とは虚無から生まれるものではない。

 俺が何時か聞いた言葉、俺が何時か見た存在、俺が何時か読んだ物語、作品とはそういうもののパッチワークである。

 


「その説で言うと、君は何かを作り上げたことはないんだね?」

「そもそもこの世界で完全に独創的な存在などありえない。仮に有ったとしても誰も理解し得ない!」

「故に、もし完全に独創的な存在が居たとしても、人はそれを認識できないと?」

「――ッ!」


 彼我の境界を失う恐怖。それはまさしく俺の主張したいことだった。

 ――見透かされている。

 言葉を失った俺の沈黙を、声の主は嘲笑した。


「君は一面の真実を指摘しているかもしれない」

「真実……?」


 理性と裏腹に俺は言葉を紡ぐ。それだけ、自分の脳髄の中に相手の言葉が染み渡っていくというのに。


「ああ……誰も理解し得ない。それは良い言葉だ。この世界には誰も理解し得ないものが居るんじゃないかと君は思っている。それは君の言う通り、独創的な存在だ」

「ふざけるな。お前は誰だ?」

「君の言うところのだ」


 その瞬間、俺は奴の言葉に納得してしまった。

 俺はこんなものを知らない。俺はこんなものを作っていない。俺にはこんなもの理解できない。いいや、


「独創的な存在。零から自らを作り上げた存在。それは、それならば、もしかして俺を作った……? 俺の方が、作られたもの……?」


 理性と裏腹に口が勝手に動く。俺は恐怖している。

 俺の頭の中の名状しがたい声が俺を作り上げた? 俺よ、馬鹿を言うな。俺は俺だ。他の誰でもない。俺の生み出した言葉が俺を蝕み俺を冒涜している。ふざけるな。ふざけるな。

 だがその冒涜的な声は俺の考えを知ってか知らずか嬉しそうに嗤う。


「――君が作ったものに、君が作られていると感じたことは無いかい?」


 限界だった。

 俺は自らの手に持つ緑革の本を投げ捨てた。


「黙れ、黙れ黙れ! 口を開くな! 俺を見るな俺に話しかけるな俺の声を聞くな!」


 そしてその自我を冒涜する呼び声を無視して、まだ寒い冬の街へと飛び出す。

 もしこれが頭の中で組み上げた名状しがたい存在からの呼び声ならば、環境を変えれば聞こえなくなるかもしれない。環境と思考は不可分だからだ。

 そうだ。こんな声に付き合ってはいられない。きっと俺の気がどうにかしてきたに違いない。

 俺は人の居そうな場所までとりあえず走り出した。

 他人の声が聞きたかった。

 誰もいない街の中で、俺は思わず独り言を漏らしてしまう。

 

「はは、というのも考えものだな。これではじゃないか」


     *


 禮次郎とクチナシは原稿を読み終えると二人で顔を見合わせる。


「どう思う禮次郎?」

「そうだな……」


 二人は緑郎の原稿を読み終えて、そのまま感想会を始めた。


【第14話 これから小説を書きます 終】

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