第32話 邪神残侠伝・序~闇語り~

「……来たか」


 まずは清水会によるダゴン秘密教団の支部に対する出入りの成果を聞く為、そして今後の行動の指針を決める為、禮次郎と緑郎は二人揃って清水会の事務所を訪れていた。

 禮次郎にとっては勝手知ったる古巣である。

 周囲の構成員から期待と警戒の入り混じった視線を受けつつ、彼らは清水龍之介の部屋を訪れた。


「まあ座れや」


 禮次郎と緑郎は座る。

 彼らの前で龍之介は葉巻を蒸す。


組長オヤジさん……元気そうだな」

「そういうお前さんもな」


 緑郎は緊迫した空気に耐えられずうつむいたままだ。


「俺達は囮に使われた訳か」


 禮次郎は龍之介を睨む。


「ま、そうなるなあ。いや、あれだぜ? わざとお前らを狙わせた訳じゃないんだぜ。もし何か有ってもすぐに追いかけられるようにしていただけさ」


 龍之介は呑気な口ぶりだ。


「ヤクザのやり口って感じだ……なあ?」

「あたぼうよ、ヤクザだからなあ」

「じゃあこれもヤクザのやり口だ」


 禮次郎は予備動作も無しにデリンジャーを取り出して龍之介に突きつける。

 

「な、なにをやっているんだ!?」


 緑郎は悲鳴を上げる。


「親に銃を向けるたぁ任侠じゃねえなあ!」


 龍之介はカラカラと笑う。

 

「奴らのせいでクチナシは今もボロボロだ! 笑ってる場合じゃねえんだよ!」

「女の為に親に刃向かうとは本当にお前も人間らしくなりやがって! こいつはたまらねえや!」


 龍之介は呵々大笑して、自らの額に指を当てる。


「――撃つか? 撃ちたいのか? 違うだろう? 何だ? 何をして欲しい?」

「俺は今、フリーランスで動いている。確固たる立場なんてものはねえ。それで舐められたらなんだわ」

「任侠だねえ! やっぱそうじゃなくちゃ、お前さんも! 俺も!」

「自慢の息子だな?」

「馬鹿言うな放蕩息子が! ぐっはっはっは!」

 

 狂気に飲み込まれた密室で、緑郎は耐えきれずに間に割って入る。


「やめろ! 頭おかしいんじゃないか君達は! もっと建設的な話をしてくれたまえ! 北海道支部としては、君達まで内輪もめされては組んだ意味が無くなるんだよ!」


 しばしの沈黙。

 禮次郎と龍之介は冷めたとでも言わんばかりに溜息を吐く。


「ダゴン秘密教団へのカチコミで得た情報、これまでに溜め込んでいた情報、それに警察へのワタリ、活動資金、全部吐き出せるだけ吐き出してもらわねえと下がれねえぞ」


 禮次郎はそう言ってデリンジャーをスーツの袖にしまい込む。

 緑郎は安堵のため息をつく。

 ――緑郎、これで丸く収まると思ってるならそりゃ良くないぞ。

 禮次郎は隣で何も知らずに安心している世間知らずの作家を憐れむ。

 既に香食禮次郎は組長に銃を向けた。

 その上でここまで傲岸不遜な要求を出しているのだ。

 その場で石狩湾に浮かべられてもおかしくはない。


「おお出すよ出す出す。おっかないねえこの子は。だが一つ条件が有る」

「なんだ組長オヤジさん」

「禮次郎、お前さん……戻ってきて組を仕切れ」

「……何?」

「函館で起きた阿僧祇マリアの一件で、清水会の下部組織の一部が潰されてな。政治的空白が生じている。増員は欠かせない」


 禮次郎はその提案に驚き、思わず普段の丁寧な調子に戻ってしまう。


「俺が、清水会の下部組織を仕切れって言うんですか」


 龍之介は禮次郎を見てにやりと笑う。


「クスリの管理をしつつ、そこで手に入れた金や武器調達ルート、人員を使って神話生物を潰して回るんだ。知ればきっとお前の爺様も喜ぶだろうさ」

「俺の祖父……どういう……どういうことです?」

「んん、ぜひ聞きたいねえ! そこまで思わせぶりなら何か面白い話が有るんだろう! ネタにしたい、ぜひ聞かせてくれたまえ!!!!」


 禮次郎よりも勢い良く食いつく緑郎を見て、龍之介は笑う。


「流石作家先生、そういうことには貪欲だな。さっきまでビビっていたとは思えねえ」

「んん、命が惜しくてものは書けんよ! 香食君も絶対に興味津津だろう? 聞かない手は無いんじゃないか? ん?」

「……ったく」


 禮次郎は溜息をつく。


「まあ俺も祖父さんについては殆ど聞かされずに育ってきた。今回の事に関係が有るって言うなら聞くし、それに何より、組長オヤジさんは俺の活動のスポンサーにもなってくれる訳だ。だったら話は聞くしかあるまいよ」

「ほう、じゃあ組に戻るのか?」

「自衛の為にもそうしますよ。こういうでかい事件が有る度に、個人経営だからと真っ先に狙われるんじゃたまらない。清水会の力で、今の事業を拡大できるのなら、その力を使わせてもらいますよ。それに組長オヤジさんの面子も俺達の面子も守れて、なおかつ情報や資金を提供する時に身内ならば他の組員から反感も買いにくい。まあ、ここいらがフリーランスとしての潮時ですわ」

「そうそう、そういうことだ」

「俺がこう言うと分かっていて、俺達を見殺しにしたんでしょう?」


 その問いに答えず龍之介は笑う。


「まあ構わないさ。組から退いた理由の目の怪我も治りつつあるし、どのみちやるしかねえとは思ってたんだ」

「やあ任侠任侠。男ぶりをあげたねえ禮次郎。借りができちまったかもしれねえ」

「聞かせてくれよ組長オヤジさん。俺の祖父さんはどんな男だったんだ」

「ああ……じゃあお前さん達に聞かせてやろうか。俺と禮次郎の爺さんが出くわした、あの異常な体験の話をな」


 そう言って、龍之介はもう一度葉巻を蒸した。


     *


 深夜、H大農学部の研究室に二人の男が招かれていた。

 一人は若かりし頃の清水龍之介。

 もう一人は香食禮次郎の祖父、香食令也れいや

 和風の刺繍を縫い付けた復員服の龍之介に対して、令也はいかにも遊び人といった風体の着崩したスーツにリーゼント。

 背が低くてがっしりした龍之介に対して、ひょろひょろと針金のような体つきの令也のコンビは、ヤクザにもカタギにも見えない異質な雰囲気を放っていた。


「もうアンタ達にしか頼めないんだ! この通りだ。どうにかしてくれ」


 眼鏡の男が二人に頭を下げる。北海道も戦後の混乱していた時期だ。

 警察機構がろくに働かず、どうしようもないトラブルはこうしてやくざものに頼るしか無い時代である。

 この手の頼み事は、龍之介も令也も散々経験してきたことではあった。


「どうにかしてくれ……とは言ってもよ」


 弱りきった顔で、龍之介は令也の方を見る。

 令也も細く鋭い瞳を更に細くして苦笑いを浮かべている。


「どこぞのヤクザものから買った銃で、魚の化物になったダチを撃ち殺した。銃を処理して警察に自首したが、警察は魚の死骸だといって取り合わない……奴が人間だったことを証明してくれ。こんな頼み、どうしろってんだ」

「兄貴、ここは一つお願いしますよ。戦時中には、こいつと同じ学び舎で一緒に勉強した仲なんですって」

「そうは言うけど令也……お前さん、これどうやって解決すりゃいいんだよ。悪いが俺は降りるぞ。兄弟からの頼みだからこそ、無責任に話を受けるなんてできねえよ」

「お願いしますよ兄貴! ここは一つ弟分を助けると思って!」

「弟も何も、五分の兄弟じゃねえか俺達は……都合の良い時だけ甘えやがって」

「五分じゃあねえよ。五厘下りの兄弟だよ」


 令也は悪びれる様子も無くヘラヘラと笑っている。


「……分かったよ、兄弟。今回は特別だぞ」


 龍之介は諦めて溜息をつく。


「おう、任せとけって兄弟。調査の算段はついているんだ」


 令也は眼鏡の男から礼金の前払いを受け取ると、龍之介の肩を叩いて夜の街へと繰り出した。


     *


 すすきのの一角にある小さなスナック。

 そこは龍之介が内縁の妻に経営させている店で、日頃から彼の手下や客人が飲みに来る。龍之介は令也を伴って二階の個室へと入った。


「まあ、これを見ろよ。めんたま飛び出すぜ」


 そう言って令也は乱暴に写真を机の上にばらまいた。

 

「げぇっ、こいつは……」


 思わず龍之介は顔をしかめる。

 写真の中には文字通り目玉の飛び出した男の面。

 しかも人間の目玉とは思えない何やら濁ったような色をした目だ。

 更に首の皮はダブついてエラのようになり、心なしか血色も悪い。

 更に口に生えているのは通常の歯ではなく、乱杭歯のような牙のみになっている。


「まるで魚……だろ?」


 龍之介は無言で頷く。


「臭いもな、魚っぽかったらしい。そう言う病気も有ると医学部のやつが言っていたが……しかしなあ、見た目まで変えるって話は無い」

「……兄弟」

「どうした?」

「こいつぁ、俺の故郷の村の伝承にそっくりだ。というかこの顔はあれだ。チプカムイだ。村の爺さん婆さんが悪いことをするとチプカムイに憑かれるぞって……」

「チプカムイ?」

「オオカミウオだよ、顔がおっかねえんだ。丁度こんな感じでな」


 龍之介は震える声で写真を指差す。


「いいじゃねえか! 話が繋がった! こいつはそのチプカムイ?に取り憑かれたんだろうさ!」


 対する令也は恐れる様子も無く笑う。


「取り憑かれたって馬鹿……そんなこと有るわけねえだろうが!」

「無くても良いんだよ! 要するにあの依頼人が納得すれば良いんだ。死んだって男の出身地や家系図を遡って、兄弟の村の伝承と関わりがあったことにすればいい。加えて、そこに特有の風土病か何かで身体が変わってしまったんだと説明すれば、あとはあいつも納得するだろうさ。なまじ動物の身体にお詳しい分、理屈さえ整ってしまえば未知の病気として認めてくれる。警察には裏から手を回して、一芝居付き合ってもらったら良い。どっかの警官に『確かに人を殺したが、緊急時の処置だったから法的な罪には問われない』とでも言わせれば、あいつだってあいつなりに納得するさ」

「任侠じゃねえなあ、お前さんは……」


 龍之介は呆れて溜息をつくが、令也はそれを気にする様子も無く不敵に笑う。

 ――本当にこいつは困ったやつだ。

 ――とは言え、まあこいつの口八丁手八丁に助けられているのも事実だしな。


「文句を言うなよ。誰も不幸にならない始末の付け方だろう?」

「そうだな。今回も付き合ってやるよ。北大の農学部に務めているインテリさんとパイプができるかもしれないしな」

「助かるぜ兄貴! いやあさっすがこれからのこの街を守る未来の大侠客だ!」

「よせやい馬鹿」

 

 そんな時、龍之介の内縁の妻が血相を変えて部屋に飛び込んでくる。

 龍之介よりも背は高く、色白だが決して美人ではない。

 だが肝は太く、何より人に慕われるタイプの女性だ。

 普段は落ち着き払っている彼女が、密談の場に血相を変えて飛び込んできたという時点で、二人の男はただならぬ事態が起きたと察し身構えた。


「ちょっと龍さん大変よ! 店の前で喧嘩騒ぎが起きてるの! あんなんじゃあ商売あがったりよ! どうにかして!」

「この店の前で喧嘩たぁ……よそもんか。下で屯してた若い衆は?」

「二三人じゃどうしようもないわよ! 店の前で喧嘩している奴ら、十人以上居るんだもの! 他の皆は何時も通り別の店の用心棒で出しちゃってるわ!」

「チャカは有ったか?」

「今のところ無いみたい」


 ――もう少し勢力をでかくしないと。守りたいものも守れねえか。

 ――組って形でしっかり旗を上げないとな。

 龍之介は溜息をつく。


「行くぞ兄弟。俺とお前で2:1にしよう」

「悪いよ兄弟。無茶な頼みをしたばかりじゃねえか。それにあんたはもうすぐ組一つ率いる大事な身体だ。今日は俺も同じくらい暴れさせてもらうぜ」

「……ま、お前さんがそう言うなら任せるか」


 龍之介は白鞘の長ドスを、令也はスーツから鉄拳と呼ばれるナックルダスターの一種を、それぞれ取り出す。

 二人は肩を鳴らしながら店の外に飛び出した。

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