第33話 邪神残侠伝・破①~悪党二人~

 最初に店の外に出た瞬間、龍之介は違和感に気づいた。

 街に人通りが無い。

 ――ここは札幌じゃ一番賑わう歓楽街だぞ?

 危険を感じ取った令也は龍之介に耳打ちする。


「兄弟、こいつは不味いぜ」

「だからって今更退けねえよ」

「けっけっけっ、任侠だねえ兄貴は」

「からかうな」


 龍之介は一つ咳払いをした後、店の前で一触即発の状況になっている男達に声をかける。

 どちらも五名一組のちょっとした集団だ。

 この街で龍之介の顔を知っていて、彼とやりあうつもりであれば、誰だってこの三倍は連れてくる。

 ――俺達を狙っている訳じゃない筈だ。

 そう思って龍之介は自らを勇気づける。

 いくら札幌と言えど、縄張りに入ってきた怪しい連中にいきなり殴りかかるようでは命が幾つ有っても足りない。


「おいあんた達。ここはうちのシマだ。喧嘩なら他所でやってくれ」

「iy:@yt<3yd@t@ttZwe.fr@ukiup@bbie.」


 店の前で睨み合う男達の片方の頭目と思しい男が、怪訝そうな顔で龍之介を見る。

 感情を感じさせない魚のような目に、龍之介は思わず令也に助けを求める。


「日本語じゃねえな? 分かるか兄弟?」

「クイーンズでも進駐軍の英語でもねえよ。ちょいと困ったぜこいつは」


 令也は肩を竦める。


「bbを立a去;……ん、ん、ここを立ち去れ゛。b;f我々k問題q@。下等u人間t@口を挟]u」

「おいおい……日本語っぽいぜこりゃあ。しかも馬鹿にされてるみたいだわ。笑えてくるぜ。ステイツの兵隊さんかもなあこりゃ」

「笑い事かよ。なんだってんだこいつら。だが、話すつもりは有るみたいだし、米兵さんってなら此処は一つ――」


 龍之介がそこまで言った時だった。


「――我は希ういあいあ神の恵みをくとぅるうふたぐん我はいあ――」


 もう片方の頭目と思しき、帽子を目深に被ったスーツ姿の男がが龍之介に向けて手をかざし、そう唱える。

 ――何かをされる!?

 龍之介は直感した。


「――兄弟!」


 ――殺られる前に殺る!

 龍之介は走り出した。


「――おうよっ!」


 それを見た令也も、先程まで会話をしていた集団の頭目に向けて飛びかかる。

 丁度その瞬間、龍之介の頬が裂け、鮮血が迸る。更に彼の背後の壁もパキンという音を立てて切り裂かれたように破損した。

 だが龍之介は止まらない。

 龍之介とスーツ姿の男の距離は1m。

 スーツ姿の男は帽子の下の瞼のない瞳を見開いて、直ぐ側まで近寄ってきた龍之介に驚愕する。

 咄嗟に壁を作ろうとするスーツ姿の男の部下達の足元をすり抜け、龍之介は飛び上がりざまにスーツ姿の男の首元にドスを突き立てる。

 ――浅い!

 龍之介は驚いた。

 下顎骨の隙間から、頭の中まで貫く形で刺したというのに、手応えが薄い。

 スーツ姿の男は切られているというのに痛みに呻くばかりでまだ生きているのだ。


「があああああああああああああ!」


 そこから龍之介は必死だった。

 ドスを引き抜いて振り回し、男の首筋を切り裂く。

 目の前で冷たくなっていく男に、龍之介は安堵と同時に「一手遅れていれば己がこうなったであろう」という恐怖を覚える。

 

「てめえらどきやがれ!」


 勢いに任せて周囲に居た男達の目や鼻先も狙う。その度に血しぶきが舞うが、同時に異臭が彼の鼻をつく。

 ――なんだ、臭え。磯臭いぞこいつらの血!

 ――なんだってんだこんな妙なことばかり!


「畜生! 今日は厄日だ! てめえら全員ぶった切ってやる!」


 頭目を刺された上に奇声を上げて切りつけてくる龍之介に驚いた男達は、その場から慌てて逃げ出す。


「逃がすな兄弟! なんか知らないけど仲間呼ばれたらやべえ! この雰囲気なら警察マッポも来ねえ! 全員沈めるぞ!」


 額を割られて脳震盪でガクガク震えるもう片方の頭目を踏みつけながら、令也は叫ぶ。

 ――もうぶっ飛ばしてるのか、仕事が早いじゃねえか兄弟。

 令也の両手の鉄拳が血に染まっているのを見て、修羅場であることも忘れ、龍之介はニヤリと笑う。

 龍之介と違って令也は囲まれている。

 彼が相手している集団は、頭目がまだ生きているせいで、部下達が諦めていないのだ。


「分かった! そいつら店に通すんじゃねえぞ!」

 

 逃げ出す男達を追って龍之介は走りだした。


「いやあ……惚れ惚れする殺しっぷりだねえ。親分やってる時より余程イキイキしてるぜ」


 令也は龍之介の背中を見て呟く。


「iy:@y2p@et@33333333!」


 令也を囲む男の一人が、令也に向かって手をかざす。

 だが令也はその手の向きを見切って咄嗟に両腕で顔面をかばう。

 令也の両腕のスーツが切り裂かれはじけ飛んだ。


「それ、何か知らんが金属は壊せねえんだろ」


 だが、血の一滴も流れない。


「せいぜいカミソリ程度だ。あと連発も速射もできねえな? 鉄砲以下だねえ」


 スーツの下から出てきたのは鎖でぐるぐる巻きにした両腕。

 令也は禮次郎と良く似た鮫のような笑みを浮かべた。


     *


 小柄でずんぐりとした体格の龍之介だが、それでも地獄と言われた戦場帰りだけあってとにかくスタミナが有る。

 疲れて逃げ遅れた男から一人また一人と刺し殺し、二手に分かれて逃げられようとも街の構造を利用しては先回りして襲いかかる。


「良くまあ逃げたじゃねえか……楽しかったかぁ?」


 瞬く間に減った男達の最後の一人を豊平川近くまで追い詰めていた。

 血まみれのドスを持った龍之介を見て、男は腰を抜かしてその場にへたり込む。


「ま、待ってくれえ!」


 ――喋れんのか。

 龍之介は驚いて目を丸くする。

 だが彼は気を取り直し、ドスを突きつけて男を怒鳴りつける。


「何だ? 先に喧嘩を売ったのはてめえらだろうが。俺達は舐められたらシマイなんだよ! わかってんのか? あぁん? うちの縄張りで喧嘩を始めたから仲裁に来ただけだぞこちとらぁ! なんで殺されかけなきゃならんのだ! 言えっか!」

「待ってくれ! 龍ちゃん! 龍ちゃんだよな!? 清水さん家の! 俺だよ! 肝盗村小学校のつよしだ! 同じクラスの!」


 そう言われると流石に龍之介も手を止める。

 

「……つよし? 本当につよしか?」

「そう! そうだべ!」

「おま……お前なんでこんなところに!? はあ、また随分と雰囲気が……」


 龍之介の目の前の剛と名乗る男は、龍之介の記憶の中の剛とは随分印象が違っていた。

 首の皮はたるみ、目はぎょろりとしており、声のなかにゼエゼエという音が混じっており、まるで魚のようだ。

 それに何より磯臭い。走る時も、どこかぴょこぴょことして不自由そうだった。

 龍之介が知る剛はもっと快活で爽やかな少年だった。


「……色々あったんだ」

「色々って! なんだよ!」


 剛はかぶりを振る。


「龍ちゃん……あんまり俺達に関わるな」

「俺達って……おいつよし! わけの分からない事を言うんじゃねえ!」

「教団だ。肝盗村にも入り込んでる。下手に帰るんでないぞ。あいつらにはお前達に関わらないように俺が言っておくから、絶対に俺達の事を調べるな。わかったな」


 剛はよろよろと立ち上がり、橋の欄干にもたれかかる。


「それじゃあさよならだ。こんな姿でも思い出してくれてありがとな」

「いや、待て! 話を――」 


 剛は橋の上から豊平橋に身を投げる。

 ダブン、と水柱を上げて剛は川の中に飲み込まれる。

 昨日まで降り続いた雨で濁りきった川をスイスイと泳いでいく人影は、もはや魚と呼んだ方が良いものだった。


「畜生……畜生……! 何が起きてやがる!」


 龍之介は天を仰いで叫んだ。


     *


「おっ、帰ってきたか兄弟」

「ちょっと龍さん! 何処まで行ってたのよ!」

「ああ、わりいなお前ら。久しぶりだからついはしゃいじまって」


 龍之介が店まで戻ってくると、丁度令也が部下の乗る軽トラックを送り出しているところだった。

 龍之介が辺り構わず暴れた後始末だ。

 

「あ、親分。令也さんからの指示で仏さんは片付けておきましたよ。これから石狩湾に沈めてくるところっす」

「わりいな」

「いえ、俺達こそ親分が危ないってのに戻ってこれなくて……」

「令也も居たし危ないってことはねえよ……ただ」


 龍之介は軽トラックの荷台を見て表情を曇らせる。


「どうしました?」

「沈めることはねえ。適当に捨てて帰ってこい。嫌な予感がする」

「え……ええ、分かりました」


 令也は笑いながら、そんな龍之介の肩を揉む。


「おっかねえ顔すんなよ兄弟。あんたが日本に帰ってきてからすぐの頃は、よく有ったじゃねえかよこんなの」

「今時、こんなエゲツない殺し合いが有っちゃならねえだろ」

「その割には躊躇わずいったじゃねえか」

「……やらなきゃやられた」


 それを聞くと令也も真面目な顔で頷く。


「ああ、俺もそう思う」

「兄弟、俺達の……いや、俺の街で何か良くないことが起きている。もうすぐ組として旗揚げするってのに、このままじゃ良くねえ」

「俺もそう思う。それにあいつら……写真の男にそっくりだった。そっちも気になる」

「本腰入れて調査をする必要があるかもな。令也、任せてもいいか?」

「ああ、兄貴は皆の面倒見てやってくれ。こういう胡散臭い仕事は俺が始末をつけるさ。若い衆を二人程借りていくぜ」

「好きなやつを連れて行け」

「りょーかい」

 

 令也は店にぞろぞろと集まってきていた若い衆の中から腕っ節の立つ者を選び出し、ふらふらと何処かへ向かう。


「良いかお前ら、どうにも妙なことが起きた。何をするにも一人で行動するんじゃねえぞ。最低でも二人一組、できれば三人以上で行動しろ。何か妙だと思ったらすぐに逃げろ。もしも魚臭い連中を見つけたら、俺か令也を呼べ。奴らは危険だ。見かけたら最大限警戒して監視しろ。自分たちだけで動いたりするなよ。あとあれだ。あるだけ拳銃チャカを持って来い。それで持ち歩け。使用の判断はお前らに任せる」


 手下にそう説明しながらも、龍之介は最後に見た剛の顔が忘れられなかった。

 ――あれは化物だ。あれは、あれは。

 顔が、忘れられなかった。

 ――化物の筈なのに。

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