第31話 虚ろなる器
「ああ……僕、どうして此処に?」
目を覚ましたクチナシは弱々しく呟く。
――どう説明したものかな。
禮次郎は迷うが、クチナシ相手に隠し事をしても無駄なのは彼自身が一番良く理解している。
「有葉が助け出してくれた」
「有葉さん? あの人、随分と禮次郎の事を気に入っているみたいだね」
「お前はあいつのことをどう思う? というより、どういうタイプの人間だと見ている?」
「あの人は……自分の楽しいことにしか興味が無いタイプだと思う。今みたいな状況なら、この異常事態や僕達を助けたことそのものを楽しんでいるだろうし、あの人が黒幕でもない限りは、いきなり裏切ることは無いと思うよ」
クチナシは禮次郎の気になっていたことを聞かずとも答える。
――やっぱり頼りになるな。
「分かった。じゃあ、あいつとの行動は続けないといけないな」
「僕も行きたい」
「……それは駄目だ」
「どうして?」
クチナシは不満そうな声だ。
――顔色が悪いな。こいつ自身も自分の体がなにかおかしいというのは気づいている筈だが……それでもついてきたいのか。
「クチナシ……今のお前の身体には心臓に相当する器官が無いそうだ。どういう理屈でお前がそうして生きているのかは俺にも分からないが、それが嘘でないのならお前をこの病院から外に出す訳にはいかない」
「心臓が? 嘘でしょう? そんな状態で生きているなんて……」
そう言ってクチナシは自らの胸に手を当てて、それからすぐにただでさえ悪かった顔色がなお一層悪くなる。
「……禮次郎、ちょっと耳を当ててみて」
禮次郎は言われるがままに胸に耳を当てる。
脈がある事は分かる。だが心音は無い。
こんな状況、魔法以外のなにものでもない。
「音はしない」
クチナシは自分の手首を握り、脈を測る。
彼女はそれでやっと安心して溜息をつく。
「確かに……よく分からないことが起きているみたいだね」
「心配するな。すぐにその奪われたって心臓を取り戻してくる」
「ねえ禮次郎……僕は一体何なの? 何者なの?」
「人間だよ。それでいいって話をしただろ?」
禮次郎はそう言ってクチナシの肩に腕を回す。
「だけどこんなの普通じゃないよ……今までも変な事はあったけど、こんなの生き物じゃないよ……」
――神の類なんて話はさすがにできないな。
「……佐々先生の力だろう。あの人なら何をしていてもおかしくない」
クチナシを慰める為に禮次郎は咄嗟にごまかしを口にしてしまう。
そして言ってから、自分が迂闊だったと気づく。
「――嘘だ」
クチナシは鋭い。禮次郎はそれを改めて痛感する。
――不味いな。下手に嘘を吐いて感づかれたくないから素直に話したのに。
――いや、待て、そもそも佐々先生の力であることそのものは嘘じゃない。だから俺もごまかしとしてちょうど良いと思ったんだ。
「何でそう思うか不思議そうだね禮次郎。でも分かるよ。だって流石に心臓抜かれているなら佐々先生のところまで保つ訳が無いでしょう?」
「あっ……!」
「ねえ禮次郎。これはなに? 何が起きているの? 私が何なのか知っているんじゃないの?」
クチナシの言葉に責める雰囲気は無い。
それでもまっすぐに見つめられれば禮次郎の胸は痛む。
「……有葉や佐々先生曰く、お前は神の類だそうだ。佐々先生はお前の正体について詳しく調べる為に、今病院を空けている」
「ここに居て大丈夫なのかな?」
「ここは厳重に守られているから大丈夫だろう。ここ以上に安全な場所を俺は知らないよ」
「言われてみればそれもそうだね……禮次郎はこれからどうするの?」
「これから? そうだな……まずはお前の体の一部を持ち去った奴を捕まえて取り返すよ。そうしたら後はどうとでもできるだろう?」
「それは……まあそうなんだけど」
「どうした?」
「僕としては、今後の身の振り方も考えた方が良いかもしれないなって思ったの」
「今後の身の振り方?」
「清水会に戻るなり、何処か大きな組織に身を寄せないと僕達も危ないってこと」
「……お前もそう思うか」
禮次郎は煙草を取り出して火を点ける。
「って……すまん。吸っていいか?」
――クチナシが居るのに勝手に吸おうとしていたな。
禮次郎は自分がさっきから注意力散漫になっていると気づく。
――焦っているのか。まだ思考が落ち着いていない。
「別に良いよ。どうせ佐々先生もいらっしゃらないし」
「悪いな」
禮次郎は煙草を吸う。
心なしか煙も辛い。
「ともかく、
「でも……変だよね」
「何が?」
「手際が良すぎるよ……佐々先生だって今から急いで調べているのに」
「言われてみればそれもそうだが……」
――そうだ。おかしい。
――佐々さんも知らなかったようなクチナシの正体を明確に理解していた奴が居る。調べるという言葉が嘘なのか? じゃあわざわざこんな事態を演出しているのもあの人の思惑があるのか? それならそもそも俺達にあの人を疑うような余地を残さない方法を考える筈だ。そもそもあの人ならこんな方法を取るまでもない。
――誰だ? 一体誰がこんなことを?
禮次郎の混乱した頭では何も分からない。
「やっぱり僕達、情報がまるで足りていないね」
「そうだな。必要な情報を集めたらまたここに戻ってくる。それからお前の知恵を貸してくれ」
「分かった。しばらくおとなしくしていることにするよ。早く戻ってきてくれないと寂しくて死んじゃうからね?」
「冗談じゃない。こんな時にやめてくれ」
「嘘だよ、嘘」
クチナシは悪戯っぽく笑う。
「お前は死なせないよ。約束する」
「信じてるよ。大丈夫」
「……じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
禮次郎は病室を出る。
それまで柔らかだった表情はすぐさま鋭くなり、今にも誰かを殺しかねないようなものになる。
病院の自動販売機の前で缶コーヒーを飲んでいた緑郎は、そんな禮次郎を見てニッと笑う。
「行くかい香食君」
「おう有葉、車を出してくれ」
「んん、いいともさ……それにしても良い表情をしているねえ。流石にお姫様のピンチとあっては穏やかでいられないか」
「当たり前だろうが」
二人の男は肩を並べて歩き始めた。
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