第30話 蛮神の心臓

「此処に居る限りは一安心だ。もしかしたら知っているかもしれないが、佐々一族はこの土地の管理者だからね。ただまあ……さて、何処から説明したものかね」


 禮次郎は佐々医院の一室へと案内されていた。

 そのベッドにはクチナシが眠っており、禮次郎はその枕元の椅子に座る形だ。

 有葉緑郎は病室の窓辺に腰掛けて、帽子を持ったまま外を眺めている。


「クチナシは無事か?」


 眼帯をつけた右目を擦りながら禮次郎は問う。


「そうか、そこは大事だな。結論から言えば無事だ。今のところはね」

「どういうことだ?」

「佐々総介の診察が正しければ、今の彼女には

「何? どういうことだ!」


 禮次郎は思わず椅子から立ち上がり、緑郎に詰め寄る。


「お、落ち着け。落ち着いてくれ香食君」

「これが落ち着いていられるか! どう考えたって死ぬだろう!」

「いや、そりゃクチナシ嬢が普通の人間だったら死ぬかもしれないけどね。彼女はそうじゃないって、君も知っているんじゃないか?」


 ――こいつも神だ何だと話すつもりか?

 禮次郎は一方的に話を始められる前に、緑郎の持つ情報を確かめてみることにした。


「……ああ、そういえば何時かお前が言っていたな」

「何? なんだそれは? 俺がした話か?」


 ――おかしいぞ。ああいや、待てよ。あれはニャルラトホテプとやらがこいつを操るなりなんなりしていたのか。

 ――ニャルラトホテプとやらが関わるなら、佐々さんの関係か?

 禮次郎は咳払いする。


「お前じゃなかったか?」

「大方佐々先生との話じゃないか? お前の知り合いの魔術師と言えば、俺か彼くらいのものだろう。それでなんと言われていた?」

「詞隈良太郎が実験の中で、化物を人間の身体に埋め込んだ……という話だったな」

「んん、成る程な。その理解で間違いは無い。だがその情報、欠けている部分がある。佐々総介が俺に語ったということはお前に話して構わない状況なのだろうが、別に自分の口から言えば良いだろうに……」

「どういうことだ?」


 ――わざと説明をしなかったのか?

 ――まあ嘘は吐いていないが……病院で勤めていた頃からそういうことしてたなあの人は。


「詞隈クチナシは神、旧支配者と呼ばれる類の存在の化身だということだよ」

「……何?」

「阿僧祇マリアと外なる神シュブ=ニグラスのようなものだ。最も、あれとは異なり後天的に取り憑かれたから、本人に自覚は無かったのかもしれないがな」

「待て、なんで今になって話す」

「そりゃあ君、決まっている。こうなる前に話すと、君達の口からこの情報がダゴン秘密教団のインスマウス本部や日本支部の連中に漏れるかもしれないじゃないか」


 禮次郎は深く溜息をつく。

 ――つまりこいつらは。

 禮次郎は気づいてしまった。


「俺達が危ないと分かっていて放置していたのか」

「だって、今の君達はフリーランスだし。便利だけど助ける義理は無いし。悪いことをしてしまったな」


 緑郎はカラカラと笑う。


「助けられた恩が有る。お前に文句は言わねえ。特にお前のお友達とやらも殺しちまったみたいだしな」

「ああ、洞爺湖でのことか? 気にしてない。そりゃ、あいつは良い奴だったよ。だが人間社会単位で見れば悪いことをした。だから正直どうでも良いんだ。君はあれが仕事、彼はあれが生き方、どちらが悪いなどというものではない」

「質問を続けていいか?」

「良いとも」

「お前、クチナシが何者なのかは知っているのか?」

「それについても佐々総介が文献をあたって既に調べている。光を越ゆるものフライ・ザ・ライトと呼ばれる神性だそうだ。聞いたことは有るか?」

「無いな」

「やはりそうか……こちらは残念ながら俺も知らん」

「佐々先生はどうしている?」

「身代わりの人形だけこっちに残して、調査に出向いてしまった」

「どういうことだ?」

「簡単な話だよ。『当家の魔術基盤を受け継ぐ息子を危険にさらす訳にはいきませんから、調査も兼ねて彼を安全な場所に逃してから動きますね。禮次郎君を支援していれば事態は勝手に解決するので頑張ってください』だそうだ。恐らく行き先はケラエノかドリームランドだろう。追いかけるか?」

「ケラエノ? ドリームランド?」

「そういう土地が有るんだ。気になるなら説明するよ。まあ全員が合意していたとは言え、お前達を囮に使ったのは悪かったと思っているからさ」

「全員? 待て、全員ってどういうことだ?」


 緑郎は気まずそうに頬を掻く。


「俺達ダゴン秘密教団北海道支部は、阿僧祇マリア不在に乗じて介入を強めてきた本部から独立を決めていた。佐々総介は自らの土地で大事件を起こそうと動いている奴を叩きたかった。清水会は……そろそろお前達を手元に回収したかった」

「……分かったぞ、その為に俺を囮にしたのか。お前達は俺を使って相手の戦力と拠点の場所を探り、佐々さんは自ら手を汚さずに他の勢力を争わせ、オヤジさんはフリーランスが危なっかしい立場だと俺に教え込んで、俺が清水会に戻るようにしたと」

「清水会に関してはそれだけじゃないぞ?」

「分かるさ。元は組員だ。清水会の巨大な組織を動かす為には、組長オヤジさんの一存じゃできない部分もある。今回の抗争も反対の構成員が無視できない数居たんだろう。だけど、怪我が理由で穏便に退職した元組員が、カルト教団に捕まって拷問を受けた。そうなったら面子の為にも黙っている訳にもいかない。俺だって組は辞めたが組長オヤジさんの盃を返した訳じゃねえ。仁義の上でも、機密の保持の上でも、兵隊を動かす理由ができる」

「その通り! 良い筋書きだろう? 他の幹部を納得させる為に、あの老人も無茶をしたという訳だ」

「それだけじゃないな」

「どういうことだ?」


 ヤクザの事情に疎い緑郎は首を傾げる。


「そうやって組を動かした以上、組としてもお前を引退させっぱなしじゃいられない……組長オヤジさんは俺にそう迫ろうという訳だ」

「成る程!」


 緑郎は嬉しそうに叫ぶ。


「ちなみに、完全武装した清水会の組員が、現在ダゴン秘密教団日本支部の拠点とインスマウス本部が北海道に作った拠点にカチコミを行っている。その案内役をしているのは我々北海道支部の魔術師達だ。これは人間と怪物の争いじゃない。只の醜い権力争いさ」

「成る程、だとすると動きが早いな……」


 禮次郎は腕時計を見る。

 現在は夕方。

 拷問を受けてからそう時間は経っていない。

 ――もし本当に攻め入っているなら、全て練られた計画だったんだろうな。

 禮次郎は苦い顔をする。


「それをわざわざ明かしたのはどういう理由だ?」

「フェアに取引をしたくてね」

「取引?」

「クチナシ嬢の抜かれた心臓、何処に有ると思う?」

「ダゴン秘密教団の連中が持っているんじゃないのか?」

「俺もそう思っていた。だがどうやら、奴らの内部に放った間者の話では、彼らの手元にすら無いというんだよ」

「……じゃあ何処に?」

「シモンだ。阿僧祇シモン。聖母教会の残党を率いている。まさかダゴン秘密教団本部の連中と合流しているとは思わなかったけど、彼らに黙って動いているのかもね。なにせ彼らの象徴であり、聖女である阿僧祇マリアを殺したのは君なんだから」

「阿僧祇シモンの阿僧祇って……まさか」

「お察しの通り! 阿僧祇マリアの知り合いだ! 聖母教会とダゴン秘密教団北海道支部は清水会と関わりのない所で、以前から小競り合いを繰り返していてね。俺もあの男と以前から因縁が有ったんだよ」

「あのオカマ野郎と?」

「強いんだぞあいつ? 阿僧祇マリアから、弟分扱いされていたくらいだからな。君が金属バットでぐちゃぐちゃにしてしまっていたけど」


 嬉しそうに語る有葉緑郎。

 揺るぎなきイケメン死すべしの情念がそこにはあった。


「奴が強い? 信じられないね」

「それ、君が化物になっているってことじゃないかな。そもそも体の一部をクチナシ嬢から分け与えられたんだろう?」


 禮次郎は黙り込む。

 反論ができない。

 ――前々から傷の治りが早いとは思ってたけどな。

 ――今日は流石に異常だ。


「傷の治りが早いとか無かった? あるいは盲目になった後に感覚が異常に鋭くなったとかは? 君は医療人だから知っているかもしれないが、その感覚の鋭敏さは異常だよ。それに、一度目を切り裂かれて弱視程度で済んでいるのもおかしい。佐々総介の手術で視力を回復したって言うけどさ……それ、現代の医療じゃありえないレベルの回復だよね? いや、ていうかその右目。潰されてたよね?」


 禮次郎は答えない。

 医療に関しては門外漢の有葉緑郎だが、彼の意見は正しい。

 禮次郎は眼帯をつけた右目に触れる。


「外してみなよその眼帯。多分傷は塞がってるよその右目。なんなら新しい眼球が再生しているかも……」

「……後でいいだろうが、そんなもん」

「魔術師としては学術的な興味があるんだよ」

「分かった。あとで教えてやるから俺の質問に答えろ」

「オッケー、良いだろう」

「俺はそのシモンを追いかけて、クチナシの心臓を取り返す必要が有るってことだな?」

「そういうことだ。神を宿した人間の心臓は、魔力を生み出す都合の良いエネルギープラントになる。阿僧祇シモンは必ず彼女の心臓を使って阿僧祇マリアを……いいや、シュブ=ニグラスを復活させることだろうさ!」

「……殺すか、阿僧祇シモン」

「奇遇だねえ! 俺もそう思っていたんだよ! 君がやってくれるならそれはそれはありがたいなって!!!!」

「うるせえ。そう思ってるならさっさと金と装備と情報を用意してこい。後は全部やってやる」

「友だち甲斐の有る奴だね君は。任せておけ」

「お前は本気で言っているのかもしれないが、普通そう思われないぜ」

「俺は魔術師で小説家だぞ? 仕方ないだろう。人間のふりを忘れてしまう程に、君に対して興味と好意を抱いていると思ってほしいものだ」


 禮次郎は溜息をつく。


「お前何言ってんだ」

「好きな相手の前ではそうなるんだよ」

「気持ち悪いなお前……」

「友達が! 居ないんだよ!」

「分かった。分かったから……阿僧祇シモンの所在、奴の弱点、奴らを追い詰める為の装備、あと金をなんとかしろ。各方面への根回しは俺がやる」

「金?」

「今は百万あればいい。来週までに追加で二百万だ。クチナシが目覚め次第すぐに動く。その金と装備で聖母教会残党は俺が始末をつける。そうすれば自然にお前らの嫌いなダゴン秘密教団の本部による活動も止まるだろう」

「んん……安くない? それで本当にダゴン秘密教団の侵略止める気? 三倍は必要だよね?」

「そうだな破格だ。ほぼ原価だよ、友情料金ってことで……感謝しておけよ」

「そうか!」


 禮次郎が今にも燃え上がりそうな程に怒り狂っているのも気づかず、緑郎は歓喜の声を上げる。


「嬉しいねえ! 具体的な算盤を弾くのは苦手だが、金の無心は得意だ。何せ作家だしね。理事会にかけあってすぐに用意する!」

「あの佐藤喜膳は引っ張り出せないのか?」

「彼は俺の小説の師匠であっても魔術の師匠ではない。やめとけ」

「分かった……もっとでかい事件の時に引きずり出そう」

「それが良い」


 禮次郎と緑郎は声を合わせて笑う。

 その時だ。


「れい、次郎……」


 クチナシがベッドの上で微かに声を上げ、禮次郎の方に手を伸ばす。


「悪いな有葉、少し空けてくれ」

「分かっているさ。さすがの俺もそこまで無粋ではない」


 緑郎は手をひらひらと振って病室から立ち去る。

 禮次郎はクチナシの手を取り、弱りきった彼女を抱きしめる。

 ――ここから先は戦争だ。

 仮にたった一人でも、既に狂気の中へと沈み込んだ禮次郎の闘争心を止めるものはない。

 たとえ神であっても滅ぼしてみせる。

 禮次郎は目の前の少女に心の中で誓った。

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