第57話 グラーキの黙示録
ケイとMr.クロックが香食薬局から出る頃には、夜も更けていた。
「HAHAHA、驚いたよ。凄まじいおしゃべりっぷりだったね」
「長かったな……まさか唐突に爺ちゃんにオススメの漢方薬トークを始められるとは思わなかったよ。ショーだのキョだのジツだの……さっぱりだ」
「それを延々と君に聞かせる彼女の話術は魔法そのものだったよ」
「爺ちゃんにそろそろ本格的に禁煙させなきゃ駄目なんじゃないかな……」
「Hey! 落ち着き給えケイ! 君はそんな話をしに行った訳じゃないだろう?」
「わかってるっての! なんか分からなかったのか時計さん?」
ケイの腕に巻き付いたMr.クロックは液晶に「( ・´ー・`)」というドヤ顔を表示する。
「分かったともさ。分からないということがね」
「はぁ?」
「We are completely at sea! 全く分からないんだよ! この私の解析能力をもってしても! 彼女のことが分からない!」
「待て待て、時計さん、お前神様だろ?」
「Yes! 君の言う通りだ! 私は仮にも神の力を行使する存在だよ」
「ん……待てよ、時計さんですら分からないのか? つまり時計さんの目を誤魔化すことができるってことだよな?」
「ケイ、良いところに目をつけたね! それなんだ。君はこういった場合、どのような可能性が考えられると思う?」
「香食さん家のクチナシちゃんが神様だって言うのか?」
「ああ、私はそうじゃないかと考えている。君はどう思う?」
――香食さんもそうだが、あの娘も半年以上この村で生活をしている。
――おおらかに見えるが、この村は悪意を隠し持つ人間には敏感だ。
――特に、城ヶ崎のお婆ちゃん。彼女は本当に鋭い。あのお婆ちゃんが何も言っていないってことは……!
ケイは短い時間で思考を纏め、Mr.クロックに自ら提案を行う。
「城ヶ崎照代って知ってる?」
「あの霊媒師の女性かい? 彼女は確かに優れた魔眼の持ち主だ!」
「あのお婆ちゃんが、クチナシちゃんにとても優しかったんだよ。クチナシちゃんも、お婆ちゃんのところにしょっちゅう配達で通ってて仲良しなんだ。だから仮に彼女がその……邪神って奴だとしても、今回の事態の原因とは思えない」
「OK! やはり君を協力者に選んで正解だった! その観点は私には無いものだ! 彼女程の霊能ならば、クチナシという少女が何者か薄々理解している筈だ。その上で彼女を遠ざけないということは、それ相応の理由があると見て良い。君の意見は非常に参考になる!」
「……でも、そうなるとやっぱり調査は振り出しか」
「いいや、手段はまだ有るさ」
「何?」
「日記だよ、君が預かったあの日記! あれには何か特殊な魔術がかかっている。恐らくは君があれを読むことで、何か良くない現象が起きてしまう! だから私は君があれを読もうとした時に、妨害に動いた!」
「……なあ、時計さん」
「どうしたんだい?」
「そういうの、先に言え」
「Sorry! それに関しては申し訳なかったと思ってるよ」
ケイは諦めて溜息をつく。
それは酷く疲れ切った雰囲気のものであると同時に、自分が危ないところだったのを救われてたことに感謝する。
「なんでそれを最初に言わなかったんだ?」
「君が敵か味方か判断できなかったからだよ。今は信用しているから、情報も開示すべきだと考えた」
「成る程な。そういうことなら……」
「待ち給えケイ! 君の自宅の前に何か居るぞ!」
急に叫ぶMr.クロックの声でケイは立ち止まる。
ケイが曲がり角の向こうをそっと覗くと、彼の家の前に確かに人が居る。
「……母さん」
――死んだ筈なのに。
――俺が、俺が送り出した人なのに。
ケイの顔色がみるみる悪くなる。
「ま、待ちたまえケイ。本当に君の母親かね?」
「母さんも霧の中から……ってことだろう?」
――なんて言葉をかけたらいい。
――どんな話をしたらいい。
――結局、家出してからちゃんと話ができないままお別れしてしまった。
――ちゃんと謝ることも。
「しかしよりにもよって都合が良すぎる……少し様子を伺っても良いのではないか?」
「時計さん……悪い。少し静かにしててくれ。話をしてみたい」
「むぅ……分かったよ。私は様子を見る」
ケイが曲がり角から一歩踏み出そうとした時、家の前に居た人影がケイを呼ぶ。
「ケイ? ケイなの?」
それは間違いなく、ケイの母親である鈴原清香の声だった。
その声がケイの心の柔らかい部分に触れる。
「母さん……!」
――変わらない。何も変わらない。
ケイが思わず喜んでしまう姿に、Mr.クロックは複雑な気持ちを抱えたまま黙っていることしかできなかった。
*
渡された日記の解析はMr.クロックに任せ、ケイは清香と共に食卓を囲んでいた。
清香が手作りしたオムレツの味に、ケイは涙が出そうだった。
――話を、話をちゃんと聞かないと。
胸の中にこみ上げてくるものを抑え、ケイはあくまで冷静に清香から話を聞いてみることにした。
「ねえ、母さん。此処に来る前に何か記憶はある?」
「生き返った時の記憶はあるの。誰かの声が聞こえて……誰だったのかしら、あれは……」
「なにか覚えていることは無いの?」
「生き返りたいかって……聞かれた」
それを聞いてケイは黙り込む。
「でもね。生き返りたいなんて思わなかったのよ。なのに何故だか気づくと村の外れに居て……」
そう言って笑う清香。目だけが悲しげだった。
「なんで? なんでだよ母さん。生き返ることができるならそうしたって……」
「貴方、今はこの村で送り人をしているんでしょう?」
ケイは頷く。
「自慢の息子の初仕事で送り出されたんだもの。受け入れるわ」
「母さん……留人になった時の記憶があるの?」
「あら、いけない」
清香はそう呟いてから気まずそうな顔をする。
「だったら、母さん……あの時動かなくなったの……」
「お爺ちゃんを見つけた時は妙に腹が立ったの。でも貴方を見た時は……なんだか辛くなっちゃって」
「有るんだ……記憶」
清香は首を左右に振る。
「そんな事を考えちゃ駄目。あなたは送り人でしょう? それに記憶が有るって言っても、認識がおかしくなって死んでいるって実感が無いの。そんな状態のままもがき続けているのは……辛いわ。だからあなたのしたことは意味のあること。それは保証する」
「母さん……」
「ところでお爺ちゃんは? お仕事?」
「ああ、軍の人たちにどうしてもと呼ばれて……今は村の外に居るんだ」
「そっか……せっかくこうして居るんだから、会いたかったんだけどな」
文句の一つでも言ってやろうかと思ったのに、と言って朗らかに笑う母の姿が懐かしくて、ケイは泣きそうになっていた。
*
「戻ってきたかねケイ」
「……ああ、そっちはどうだった?」
清香には祖父の部屋で寝てもらい、ケイは自分の部屋に戻ってきた。
迎えるMr.クロックの表情は決して明るいものではない。
だがそれはケイも同じだった。
「良くないニュースだ。あの日記はやはり高度な偽装が施された魔道書だった。日記の内容もここ数日の間に書かれたものであり、君のお父上とはなんら関係ない。とはいえ、これだけ高度な偽装だと、神の力を持つこの私が長時間かけて丹念に調べなければ分からなかったね」
安心すると同時に、ケイはほんの少し残念だった。
――父さんのこと、まだ結局気になっているんだな俺は。
「それで、どんな魔道書なの?」
「グラーキの黙示録と呼ばれるものだ。これを読んだ人間の下には神が降りてくる」
「その、グラーキってやつ?」
「残念ながら答えはNoだ。勿論グラーキの召喚も可能だろうが、この魔道書は読めば別の神を引き寄せる。イゴーロナクという非常に危険な神だ。私と共に行動している君だったら、襲われても何一つ問題は無いだろう。しかし只の人間がかの神に出くわしてしまえば一瞬で精神を破壊され、肉体も奪い取られる」
「乗っ取られるってこと?」
「That's light! 憑依される! あるいは崇拝者として操り人形になるという可能性もある!」
「香食さんがこの神を信奉しているってこと? じゃあ香食さんと佐々木さんが協力をしているのか? いや、もしかしてクチナシちゃんの正体が……」
Mr.クロックは「(-_-)」という顔を液晶に映し出す。
「分からない!」
「また分からないか……本当に状況が滅茶苦茶なんだな」
ケイは溜息をつく。
「そのとおりさ。だから君を頼っている。ケイ、君の方でMrs.鈴原から得た情報は無いのかね?」
「母さんの話? ああ、そうだ。そう言えば……母さんが香食さんを見たと言っていた。だからあの人はやっぱり怪しい。それは間違いない」
「本当かね! 私たちが向こうで足止めを食っている間にこちらを探りに来ていたのか! やはり奴らが諸悪の根源……!」
「いや待って。向こうも俺たちを探っているっていうのが不思議じゃないか? 俺を狙っているなら、調査なんてもうとっくに終わってても良いと思うんだけど」
「Hmm……不確定要素が多すぎるな……ケイ、君はどうすべきだと思う?」
ケイはしばらく考え込む。
――あの佐々木姫奈ってお姉さんはなんとなく怪しげだった。
――逆に香食さんはこれまで村で生活を続けている。
――香食さんは真面目で熱心な薬剤師さんだ。そんな彼が狂信者?
「一つアドヴァイスをすれば、狂人の理屈とは我々には理解できないものだ。昨日までにこやかに微笑んでいた隣人が、突如躊躇いのない殺意をぶつけてくる。それが狂人の恐怖というものだ。これまでの生活によるバイアスは捨て、冷静に判断すべきだ」
「それなら姫奈さんに会いに行こう」
「その根拠は?」
「その日記を持ってきた姫奈さんは、少なくとも時計さんの言う邪神に関係していることが確定している。会って話をしなきゃ」
「I see! 成る程、理解したよ。ではその方針で行こう。念のために武装はしておきたまえ」
「分かっている。もしもの時はちゃんと助けてくれよ?」
「ああ、分かっているとも!」
ケイは軍から支給された闇に溶ける新型の鬼装束を着込むと、音も無く夜の闇の中へと飛び出した。
*
同時刻、香食禮次郎は佐々木姫奈の泊まる民宿の制圧を終えていた。
民宿を経営する老夫婦は睡眠薬で昏睡し、姫奈以外の宿泊客も皆同様に眠りこけている。姫奈の部屋に居た宿泊台帳に名前の無い男は出合い頭に両足首を撃った。
そして禮次郎は血に濡れた白衣を着たまま、畳の上で両の手足を縛られて這いつくばっている姫奈に銃口を向けていた。
「さて……」
そんな時だ。
『禮次郎、恐山家での大きな魔力の反応があったよ。ちゃんと探したの?』
禮次郎の頭の中でクチナシの声が響く。
禮次郎は困った顔で頭を掻いてからやる気なさそうに溜息をつく。
「その反応は続いているか?」
『消えた。それから鈴原さんが変な腕時計巻いて今飛び出してきた』
「了解。恐らくあれが諸悪の根源か……家から十分離れたら撃ってくれ。家の近くで騒ぎが起きると恐らく母親が飛んでくる」
『はーい』
禮次郎は咳払いをする。
「おまたせして申し訳ありませんね。佐々木姫奈さん」
「なんですか!? 今のは一体誰と……」
禮次郎は返事代わりに近くに転がっている男性に向けて銃弾を撃ち込む。
ピス、という軽い音がして男性の肩から鮮血が吹き出す。
まだ年若い男性はくぐもった声をあげ、畳の上でのたうち回る。
よく見れば、体格は良いが、ケイとさして歳の変わらない子供だ。
「足首、肩と撃ったので、次は……胸にでもしますか。膝でもいいですが、治療が複雑になるので大人しく全て話して下さい。返事は不要です」
憎悪の籠もった表情で禮次郎を睨む姫奈。
禮次郎はそれを気にすることもなく尋問を開始する。
「佐々木姫奈さん。先程申し上げた通り、質問は三つ。弟さんが蘇ったことを村の人々に隠している理由は何か。鈴原一佐の日記を何処で手に入れたのか。グラーキという名前について聞き覚えは無いか。これだけです。弟さんとの密やかな生活を守りたいのならば、可及的速やかにお話下さい」
禮次郎は薬局で患者に接する時と同じように、酷く愛想よく笑ってみせた。
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