第56話 香食禮次郎という男
公民館に集まった老人たちは皆一様に困り顔を浮かべていた。
彼らはそれぞれ年長者であったり、都では専門的な職業についていた類の人々であり、村の運営に関わる立場にある。彼らは話し合いを通じて戦争の間も様々な問題を解決してきたのだ。
だがそんな彼らでも今回の事態には打つ手を見いだせずにいた。
「今の所、生き返ったのは兎谷さん、木梨さん、石橋さん家のお孫さんかね……」
「死んだ順番って訳でもないんやね。それならもっと沢山蘇ってる筈やもの」
「じゃのう。石橋さん家のお孫さんが蘇ったということは、この村のものだけでもないちゅうことやし……何が何やら分からんわい」
「兎谷の爺さんの調子はどうじゃ?」
「ピンピンしとったわ。なんや診察を再開させろ言うてましたけど」
「どう思うね香食君、君はあの人と一番話しとったやろ」
老人の一人が、白衣姿の香食禮次郎に話をふる。
禮次郎はいつもの険しい表情のまま答える。
「私見で良ければですが……少なくとも兎谷医師におかしなところは見つかりません。何時も通りの彼であると思われます。ああ、もちろん微量と言えどお酒と一緒に睡眠薬を飲んでいたことについては、厳しく注意させていただきましたが」
そう言って禮次郎は肩を竦める。
場に居た人々はそれを見て笑い、空気が和む。
――今はこれで良い。
禮次郎は作り笑いを浮かべながら、周囲の状況を鋭く観察する。
――俺の今の嘘の報告に対して、妙な反応を浮かべている奴は居ない。
――この寄り合いの中には、黒幕が居る可能性は低いと見るべきか。
――それならば、今日ここに来たばかりの佐々木姫奈が何かしたか?
「ほんならやっぱり兎谷先生には診療所に戻ってもらいましょうかねえ」
「あの人が居ないと処方箋出せないものねえ」
「俺もあの人が居ないと商売あがったりですので、彼には少しでも早く普段の業務に復帰して頂きたいですね。こういった状況になると、」
「香食君、次はお酒飲みすぎないように見張っておいてくれよ」
「あはは……畏まりました。あ、そうそう、糖尿病や高血圧の薬は一ヶ月分の備蓄はありますが、できるだけ保たせたいので、家に置きっぱなしになっている薬がある場合は薬局まで持ってきて下さい。分別して再利用いたしますので」
「おお、ありがとうな香食君。それは隣近所で確認しあっておくわい」
禮次郎はペコリと頭を下げる。
「まあバリケードも築いたし、食料も武器も用意してある。何かあったらまた公民館に立てこもろうや」
「しかし木帰町も人が増えたやろ」
「言うて100人くらい、地下も使えばなんとかなるわい」
それから禮次郎は黙して会議の行く末を眺め、昼飯と同時に薬局の業務を再会しなくてはいけないと言って薬局へと戻った。
*
香食薬局の地下にある資料室で、禮次郎とクチナシは遅い昼食をとっていた。
大根の漬物を切り刻んで上から昆布茶をかけたお茶漬けである。
「調子はどうだった禮次郎?」
「収穫無しだ。寄り合いの中には怪しい奴が居なかった」
「いやあ……ここ半年くらいは何もなしだねえ」
「収穫はあるさ。古い民家を薬局に改装して使わせてもらってるし、村の寄り合いにも呼んでもらっているんだ。大きな進歩だよ」
禮次郎はそう言ってお茶漬けをかき込む。
クチナシも同じくらい勢いよくお茶漬けをかき込む。
「とはいえ、そろそろ血の滴るようなステーキが恋しいよ僕」
「齧るか?」
禮次郎は腕まくりをして、クチナシに向けて手を伸ばす。
「ような、って言ったの。本当に滴っても困るからね?」
「悪い悪い」
悪戯を叱られた子供のように笑う禮次郎。それを見て溜息をつくクチナシ。
「大沼の近くにあった旧支配者のカルトを追い詰めたまでは良かったんだけどねぇ……」
「悪かったよ、俺が深追いしたせいでこんな事になったんだ。門だかなんだか知らないけれど、俺たち揃って飛ばされちまった訳だし」
「禮次郎を責めてはいないよ。僕、ここの暮らしが気に入っているし」
「さっきまでステーキが食いたいって言っていただろうに」
「ここなら禮次郎が普通の薬剤師さんとして生きていけるでしょう?」
それまで半笑いだった禮次郎の顔から、笑みが消える。
それからなんとも言えない複雑そうな表情に変わり、禮次郎は溜息をつく。
「ねえ禮次郎、もういっそずっとここに居ようよ。今なら戦争の混乱で戸籍も滅茶苦茶だし、焼けたことにして再発行してもらってさ。僕、それくらいの暗示なら役所の人にかけられると思う。最初に禮次郎のところに転がり込んだ時の要領で……ちょいちょいと」
「駄目だ。俺たちは本来ならここに居るべき人間じゃない。門を作った例の旧支配者が消えたら、きっと俺たちも消える」
「あんな奴、放っておけば良いよ」
「町を包む霧が無ければ、兎谷老人の蘇生が無ければ、それも考えられたがな。もう異常は起きてしまった。そうなったら命尽きるまで真実一路に走るしかないんだよ。それができなくなったら、ただ理不尽に奪われ、失っていくだけだ」
クチナシは溜息をつく。
「分かったよ。実は、僕の方でも色々調べていてさ。昨日からグラーキ以外の旧支配者の気配が町にあるんだ」
「なに? あいつが復活した訳じゃなくてか?」
「うん。あいつとは違う雰囲気だった。何処か掴みどころが無い……ああ、佐々先生の雰囲気に似ているかも知れない」
「……ニャルラトホテプか」
「まだ断言はできないけどね」
「何処に居る?」
「恐山さんの家。昨日の夜、一瞬だけ気配を感じた」
禮次郎はそれを聞いて顔を青くする。
「鈴原君が奴らに目をつけられているってことか!」
「分からない。すぐに気配は消えてしまったから、断言はできないけど、そういうことだと思う」
「だとすると不味いぞ。あの子ならしばらくは踏みとどまるかもしれないが、あの神の誘惑を受けて抗える人間は居ない。何かとんでもないことをさせられる可能性が有る」
「だったらどうするの?」
「状況を探り、必要ならば殺すさ。わざわざあの旧支配者が彼を選んだ以上、理由がある。彼を殺せば、その目論見は破綻する可能性が高い。昼間は人目も有る。夜間に鈴原君が外出したら、その間に家探しするのが良いと思う。彼も何か動くとすれば夜だろうからな」
禮次郎に殺人をためらう様子は無い。
クチナシはわずかに表情を曇らせるが、すぐに微笑み、頷く。
「分かった。じゃあ何を準備すれば良い? カメラと盗聴器は欲しいよね」
「この霧の中で使えるかが怪しいけどな。アンチマテリアルライフルとサイレンサー付きのベレッタを頼む。それに……」
それまでは何処か虚ろな雰囲気を漂わせていた筈が、水を得た魚のように生き生きし始める禮次郎。
そんな彼を見つめるクチナシの瞳は、憐れむような安心するような複雑な色を帯びていた。
*
こうして禮次郎が恐山の家を見張り始めると、その日の晩に早速ケイは外出した。
しばらく双眼鏡片手に家の中を覗いていると、禮次郎の頭の中でクチナシの声が響く。
『禮次郎。鈴原さんと何かがこっちに来たよ』
夜遅くまで開いている香食薬局に、ケイが尋ねてきたのだ。
――まさかと思っていたが、向こうもこちらが怪しいと踏んでいたか。今回は優秀じゃないかニャルラトホテプ。あいつらにありがちな慢心が無い。
――とはいえ、お陰で大胆に動くこともできる。
禮次郎は行動を開始する。
音も無く恐山家に近づくと、玄関の前の植木鉢の下から鍵を取り出して音も無く扉を開ける。
「……お孫さんも変えたほうが良いんじゃないかなこの隠し場所」
なんだかんだ治安の悪い札幌東区暮らしが長い禮次郎は、木帰町の防犯意識が気になって仕方ないのであった。
――連絡が無い以上、クチナシは上手くやっているみたいだな。
――さっさと済ませちまおう。
禮次郎は忍び歩きで広い恐山家の屋敷の中をざっと見て回る。
「おかしいな……何も感じない」
魔術の素養が無いとはいえ、神々に準じる存在である《光を超ゆるもの》の肉片を埋め込まれて生きている禮次郎は、不穏な気配が近くにあればそれを感じ取ることができる。
その感覚がピクリとも反応しない現状は、禮次郎にとって不審以外の何者でもなかった。
――罠か?
考え過ぎとも思ったが、禮次郎は万が一を考えて急ぎ退散することにした。
家を出て、鍵を元の場所に戻し、そそくさと家を出る。
あとは身を隠すような真似をせず、誰も居ない夜の田舎道をできるだけ堂々と歩いていく。
誰かに出くわしたら「今のうちに薬草をとっておきたかった」と言って、一緒に持ってきたカバンを見せるつもりだった。
「……おや?」
禮次郎は道の途中で立ち止まる。
見覚えのない女性が道の前方から歩いてくる。
――この暗闇だ。アウトドア用のジャケットの下に隠したベレッタM9を抜いて、狙いをつけて撃つのには一秒以上かかる。
――とはいえ、もしも留人だった場合はサイレンサー無しの発砲は自殺行為。
――つまり一秒で間合いを詰められない位置取りが命だな。
「こんばんわ」
禮次郎は先に声をかける。
「あら、こんばんわ」
少し年かさで、目元に疲れが残っているが、優しい瞳をした美しい女性だった。動きやすそうな白いブラウスとデニム姿。それに防災用のリュックだけを見ればまるで山菜採りに来た主婦のようである。
――苦手なタイプだ。母さんを思い出す。
「申し訳ないのですけど、恐山家ってこっちで合っているかしら?」
「え? あ、ああ……そうですけど、どちら様ですか? 私はこの辺りで薬局をやっている香食禮次郎と申します」
禮次郎は極力警戒心を気取られぬように柔らかな声色で話す。
「鈴原清香です。恐山清香と言った方がこちらでは馴染むのかもしれないですけど……」
「……もしかしてケイ君のお母様ですか?」
「あら、うちの息子をご存知でしたか! いつもお世話になっております」
「いえいえこちらこそ……鈴原君には多くの患者様を看取っていただいております!」
――はて、妙だぞ。鈴原清香はこの町で一年前に起きた事件で、留人となった後に息子によって改めて葬られた筈だ。
――彼女も蘇ったのか?
「まあ……ずいぶん時間も経ったのね。ありがとうございます薬剤師さん。色々と妙なことになっているのは存じていますので、息子と父には私から話します。どうぞお気になさらずに」
清香はにっこりと笑うと、そのまま軽快な足取りで恐山家へと歩いていく。
『禮次郎、そっちに向かったよ』
頭の中でクチナシの声が響く。
禮次郎は返事をせず、ただ歩く速度を上げる。
「……ん?」
奇妙な視線を感じた禮次郎は、曲がり角を曲がってからカーブミラーで歩いてきた道を確認する。
カーブミラーに写っているのは鈴原清香。
先程すれ違った地点からそう遠くないところにいる。
――こっちを見ている。
禮次郎の背筋に寒気が走る。
――素人じゃない。妙に鋭い。
禮次郎はそのまま何も見なかったかのようにその場を立ち去った。
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