第58話 イゴーロナク陥落

「今から佐々木さんの民宿まで走ったら何分くらいかかる?」

「十分程だろう」

「早くない? ノンストップで走り続ければいけるかもしれないけど」

「問題は無い。既に妖神ウォッチを通じて君の体調をモニタリングし、心肺機能にのみ焦点を絞って魔術による強化を行っている。勿論、魔術探知に引っかからないように最低限にしているが、気づかれることさえ恐れなければもっと早くできるぞ?」

「そういえばさっきから走り続けてるのに妙に楽だなって……待て! 勝手に俺の身体に何してるんだよ時計さん!」

「Sorry! 申し訳ないと思っている。説明が手間かなと思ったんだが、不快にさせてしまったようだ」


 ケイはまた溜息をつく。

 ――このテンションに次第に慣れてきているのが本当に駄目だな。

 そんな事を考えて、更に大きな溜息が出た。


「ちなみに今更だがあまり大きな物音を立てることは、お勧めできないね」

「それ、誰のせいだと――」


 ケイが文句を言おうとした時だった。

 液晶画面のMr.クロックの顔が「(*_*)」という見たことも無い顔に変わっていることにケイは気づく。


「後ろに下がれ! 話は後だ!」


 Mr.クロックの叫びに応じて、ケイは後ろに飛び退く。

 次の瞬間、ケイの鬼装束に仕込まれた強化プラスチックを掠め、地面に巨大な穴が開く。

 スロー再生になった視界の中でゆっくりと砕ける鬼装束のプラスチック装甲と、比較的大柄なケイをかすっただけで吹き飛ばす衝撃。遅れて聞こえる銃声。音速を超越した弾丸による長距離狙撃の証だ。

 今、身体がバラバラになっていないのが奇跡のようなものだ。


「ケイ、これは対物ライフルだ! 香食禮次郎が仕掛けてきたぞ!」


 ケイは空中で身体を回転させながら、猫のように両手両足で着地。続く第二射、第三射を紙一重で回避する。

 今のケイには、不思議なことに弾がどう飛んでくるかが光の線になって見えた。

 

「弾道が……見える?」

「君の五感を一時的に強化し、私の中枢AIとデータリンクした! 弾道予測の結果を送り込んでいるんだよ!」

「すごいのは分かった」

「それよりも逃げるぞ! 銃声で住民たちが我々の行動に気づく!」

「逃げた後は?」

「そうだね、狙撃手を追い詰める……というのは如何かな?」


 妖神ウォッチの液晶画面に「(^_-)」の顔文字が浮かぶ。


「それ気に入った」

「That's good! Start our mission!」


 ケイの視界に光の矢印が浮かぶ。

 ケイはその方向へと駆け出した。


     *


 一方その頃、香食禮次郎は既に尋問を終えようとしていた。


「もう一度確認をしますが――」

「お願いします……弟を……!」


 禮次郎は姫奈の弟に銃口を向ける。

 姫奈は怯えた顔で押し黙る。


「ああ、それで良い」


 禮次郎が作り上げていた丁寧な口調が砕ける。

 そこから彼の邪悪にも似た純粋な狂気がほんの僅かに覗く。


「弟さんを隠しているのは二人きりで過ごしたかったから。鈴原一佐の日記に関しては夢の中で誰かに届けるように命令されたから。そして命令した存在はグラーキと自ら名乗った。それで間違いありませんね?」

「はい、そうです! 間違いないです! ねえ、だから早くその子を――」

「分かりました」


 ――疑問は残るが、これ以上の情報は聞き出せそうにないな。

 ――既に俺とクチナシが一度は追い詰めた筈のグラーキに、これだけの異変を起こす力を蓄えておく余裕があったのか?

 ――まあ良い。俺のやるべきことは変わらない。

 禮次郎は返事の代わりに引き金を引く。

 銃弾は誤つことなく姫奈の弟を貫き、彼は悲鳴をあげることも動くことも無くなる。


「いやああああああああああ!!!!」


 禮次郎は拳銃を腰のホルスターにしまうと、煙草に火を点けて、不機嫌そうに吸い始める。


「ここで起きているのはこの世界の法則からも外れた異常事態だ。それは引き起こしたのはグラーキとの取引に乗ったお前だ。悪いがかける情けは無い。そもそも蘇った死人が、本当に安全な存在だと思っているのか?」

「キミタケ! 起きてよ! キミタケ!」


 泣き叫ぶ姫奈。両の手足を縛られながらも、必死で弟の下へと這いずっていく。

 禮次郎は眉をぴくりとも動かさず、煙草を畳の上に放り投げる。


「死因は火の不始末。それで――」


 と、言いかけた禮次郎の視界を光が包み、焦げるような熱波が襲う。

 突然、室内を包んだ力の奔流に禮次郎は為す術なく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


「ぐっ……」


 ――全身が痛い。骨も折れてるかもしれないな。

 ――やけになっての自爆したのか?

 禮次郎の視界が戻った時、早くも煙草の火で煙を上げ始めた畳の上に、佐々木姫奈が立っていた。

 ――いや、これは違う。この肌が粟立つような感覚……ついにお出ましか。

 ――グラーキか。それとも別に存在する異変の主か?


「おいおい雰囲気が変わったな……?」


 普段の彼女とは異なり何処か妖艶な雰囲気を纏った姫奈は、足元でうめき声を上げる弟を蹴り飛ばすと、禮次郎の前まで近づいてくる。

 ――おい、待て。あのキミタケって呼ばれてた姫奈の弟。

 禮次郎は異常な光景に釘付けになる。

 とは言っても、禮次郎が注目したのは姫奈の行動の変化ではない。

 ――今、姫奈の弟が動いていなかったか?

 禮次郎が気づいた異変とはそれだ。


「良い見世物であった。この女の悲嘆も、汝の為した悪逆も、全て、全て、全て、われの好む醜悪さを備えていた」


 異常な姿の姫奈は禮次郎にとって考察に値するものではなかった。狂信者に神が取り憑いた。禮次郎が腐るほど見てきた光景だ。

 それよりも、キミタケの異常な速度の留人化が禮次郎にとって喫緊の課題だった。

 ――確かに死んだ筈だった。死んだ筈の人間が留人になるには通常なら一日以上必要な筈だ。なのにあの速度で留人化していたってことは……。

 禮次郎は困惑を気取られない為に、目の前の豹変した姫奈との会話も開始する。


「お前、グラーキ……って面じゃないな」

「幕は降りた。われは常世の悪を是認する。香食禮次郎、願いを言え」

「願いは無い。俺は魔術師でも神でもないからさ。お前のことは詳しく知らないが、どうせ俺を次の依代にするつもりだろう」

「ふふっ、確かに。奴への協力の報酬として、悪名高き貴様の血肉を貰い受けるつもりではあった」

「奴? それがグラーキか」

「ああ、やれやれだ。鈍い男よ。われが何者か、教えてやろうではないか」


 姫奈だったものは悪魔のような笑みを浮かべ、両手を広げる。

 すると彼女の胸元から、彼女の身体は衣服ごと二つに裂け、中から煙を上げて真珠色の巨体が滑り出す。白濁した粘液をまといながら、ずるりと抜け出したその巨人には、人間でいうところの首が無い。

 だが無いはずの頭で、巨人は興味深そうに禮次郎の顔を覗き込む。すると、巨人の両手にあった口がカチカチと牙を鳴らしながら笑い始める。

 狭い部屋の中でかがみながら禮次郎を嘲笑う巨人。これこそが邪神。人類を弄ぶ上位の存在であり、木帰町に連続して顕現している悪である。


「……そうか、イゴーロナク」


 禮次郎はこの邪神の名前を知っていた。知名度の無い神であり、普段は殆ど活動せず、また仮に活動するとしても元から悪趣味な連続殺人鬼などを自らの依代として選ぶ傾向があることから、禮次郎は今まで気づかなかったのだ。

 禮次郎がポツリと呟くと、イゴーロナクの両手の口が嬉しそうに牙を鳴らす。


「佐々木姫奈はお前の趣味じゃないだろう。彼女は本来、善良な人間の筈だ」

「笑止」


 右の口が答える。


「既に死んだ弟の復活を願った傲慢」


 左の口が答える。


「復活した弟と、終わることなき平和な日々を願う強欲」

「いずれも」

「「実に醜悪」」


 禮次郎の瞳が、イゴーロナクを鋭くにらみつける。


「お前たちが醜悪に歪めたんだろうが。偉そうにするなよ自己満野郎」


 カチカチと牙を鳴らして二つの口が笑う。


「は、は、口が減らんな」

「彼我の力の差を理解していないのか?」

「これは最後通告だ」

「改めて問おう」

「本当に」

「願いは」

「無いのか?」


 イゴーロナクの両手の口が交互に語りかけてくる。

 ――断れば殺し、その後改めて俺の身体を奪うつもりだろうな。

 禮次郎はため息をつく。

 そして姫奈の後ろでもがく姫奈の弟だった留人の様子を伺う。

 ――手足を撃って正解だったか。まだ動いているが、こっちには近づけなさそうだ。

 禮次郎は懐に手を入れる。


「何をしている?」

「煙草、そんなものを吸う時間まで願えとは言わせねえぞ」


 イゴーロナクはまた嘲笑う。

 見え透いた嘘だと嘲笑っているつもりで。


「ははは、嘘とは関心せ――むっ!?」


 そう、かの神も見え透いた嘘であることは分かっていた。

 だが圧倒的な力を持つが故に油断してしまっていたのだ。

 《光を超ゆるもの》の肉片を埋め込まれて生きている禮次郎は、既に半ば人間を捨てているというのに。

 イゴーロナク自身が、人間の世界に出る為に本来の力を発揮できていないというのに。


「おせえよ」


 恐るべき速度で肉体を再生させていた禮次郎は、完治した肉体を存分に使い、目にも留まらぬ速さでキャリコM110を取り出した。

 そしてキャリコに詰め込まれた大量の銃弾をイゴーロナクに叩き込む。


「ぶごぉっ!?」


 イゴーロナクは思わぬ反撃に対応できずにただ大量の銃弾をその巨体に浴び続ける。このような事態になった原因は禮次郎の選択していた銃器にある。

 通常、神話生物に銃弾は効果を発揮しにくい。

 銃弾による貫通を肉体再生によって埋めてしまったり、そもそも銃弾で撃たれて困るような部位が存在しないといったことが多いからだ。

 だがこれには例外があり、再生が追いつく前に全身をくまなくフルオート射撃されることにより、思わぬ痛手を受ける事例が有る。

 これを知っていた禮次郎は、装弾数100発の超小型自動小銃“キャリコM110”を用意し、外しようのない至近距離から全弾を撃ち尽くした。


「彼我の力の差って奴を理解出来なかったのは――」


 イゴーロナク自身、人間の前にはそう姿を表さず、姿を表す相手も倒錯した趣向を持つ狂人であるが故に、禮次郎の持つ殺意の煮こごりのような狂気に対して、理解が甘かったのだ。

 まさか魔術師でもないのに、神を本気で殺そうなどという発想の相手に、イゴーロナクは出会ったことがない。


「――お前の方だな」


 銃声が止む。

 高熱を発する銃口から薄く煙が流れる。

 左右百発、合計二百発の弾丸によるフルオート射撃が直撃したことで、イゴーロナクは原型を留めぬ状態になり、赤黒い体液を撒き散らしながらその場に崩れ落ちる。


「ご……う゛ぉ゛……!」

「クチナシが居なきゃ、俺が神と戦えないと思ったか? 人間舐めんな」

「お……の゛……!」


 イゴーロナクは光の粒になって消えていく。

 ――相手は神だ。これで本当に死んだわけじゃないだろう。

 ――だけど、ひとまずこの舞台からは退場だ。あとはグラーキの黙示録を焼けば、この世界にやってくることはできない。

 ――ああ、そうか。グラーキの黙示録をグラーキが持ち込んだから、この世界にイゴーロナクが来たのか。


「やっぱ裏でニャルラトホテプが入れ知恵してるとしか思えねえ。こんな七面倒臭い事態、いかにもあいつ好みじゃねえか」

「あ゛……あ゛あ゛……!」

「ああ、忘れてた」


 禮次郎は姫奈の弟にデリンジャーを向ける。

 乾いた銃声が響いた。


「本職のお孫さんじゃなくてごめんな」


 デリンジャーを向けたまま、そうつぶやく。

 そして、丁度その時。


「……香食さん」


 禮次郎が一暴れした部屋の扉を、鈴原ケイが開いてしまった。

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