第59話 送り火と厄災
「やあ、お孫さん。ずいぶん早かったね」
ケイににこやかな笑みを向ける禮次郎。
赤黒いイゴローナクの体液と、姫奈とその弟の血を浴びた姿にはあまりにそぐわない。
ケイは思わず息を呑む。
「香食さん……これどういうことっすか」
「It is quite simple. 見れば分かるだろうケイ……香食禮次郎がこの惨事を引き起こしたんだよ。先程の狙撃手――恐らくMs.シグマは我々をここから遠ざける為の囮だ。やはり途中でこちらに急行して良かったよ!」
「シグマ?」
首をかしげるケイだったが、その問いには誰も答えない。
「……
禮次郎はMr.クロックの入った妖神ウォッチを凝視する。
燃える炎を背にした禮次郎の影は、ケイから見れば悪魔のように映った。
「何時もながら真っ黒だなニャルラトホテプ」
「香食さん、あなたは何を……」
「イゴローナクならばもう消えた。その子を唆してなにかするつもりだったんだろうが、残念だったな」
「What? 君は何を言っているんだ……?」
「しらばっくれるつもりか」
禮次郎は持っていたデリンジャーを構える。
――これ、香食さんなのか?
普段とあまりに違う禮次郎に、ケイは戸惑う。
だが同時にこうも考えた。
――話を聞かなきゃいけない。きっと俺たちが知らない情報を持っている。
ケイがチラリとMr.クロックの方を見ると、ケイの考えを肯定するように「OK」という表示が浮かんでいる。
「あの、待って下さい!」
「待つ? 何を? そいつは君を利用している可能性が高い。その時計をすぐに外せ。話し合いはそれからだ」
「駄目です。時計さんは俺のパートナーだ。香食さんこそ、俺達に隠れて何をやってんすか? それにイゴローナクって名前をなんで知ってるんすか?」
「……ああ、君は優しすぎる。そんな怪しげな奴を信じてしまうとはな」
禮次郎は悲しげに溜息を吐いて首を左右に振る。
「優しすぎるって……時計さんは俺を守ってくれたんだ」
「それがやつのマッチポンプじゃないという確証は? 君の家に魔道書を持ち込んだのは奴だろう?」
「違う。時計さんは俺がその……魔道書を読まされそうになっていたのを阻止してくれた」
「その回答はマッチポンプの可能性を必ずしも否定しない。そいつがニャルラトホテプで、グラーキやイゴローナクと裏で操っている可能性を、君は否定できるか?」
「香食さんが疑いっぱなしなだけだ。俺はこの町を助けたい」
「だろうな。俺は邪神共を根絶やしにしたい。こいつは困った。ほんの少し目的が違う。なあお孫さん、何処が落とし所だと思う?」
二人はにらみ合う。
――大事なことは話してくれないか。
――香食さん、こういう事態の専門家っぽいけど。
「ケイ、これ以上は埒が明かない。Mr.香食には少しおとなしくなってもらおう。大丈夫さ。少し身動きを封じてお話をすれば分かってくれる筈だ。Ms.シグマがこちらに駆けつけてくる前にね」
「意見が合うなニャルラトホテプ。クチナシの苗字を知っている時点で貴様は真っ黒だ。丹念にぶち壊してからお孫さんに話を聞こうと思う」
「香食さん。悪いけど、あなたも信用できない。せめて後少し話をして欲しいんだけどさ……」
「そいつは無理な相談だ」
「そうか。じゃあ……!」
ケイはゆっくりと葬鬼刀に手をかける。
――今の俺なら、きっと何処から弾が飛んできても大丈夫。
と、一歩踏み出した瞬間に、ケイの視界が霞む。
意識がゆっくりと薄れ、ケイは顔面から畳の床に激突する。
禮次郎は葬鬼刀を蹴り飛ばし、妖神ウォッチにデリンジャーを向ける。
「いやあ奇遇なことに俺も君たちが信用出来ないと思ってさ」
「な、にを……?」
「先程から長話をしている間に、この部屋に神経ガスを散布していた。いくらニャルラトホテプの力を得たところで、いくら送り人であったところで、君の身体がアセチルコリンを用いた神経伝達によって動く限り、アセチルコリンエステラーゼを阻害されてしまえば身動き一つとれなくなる。そして解毒剤を用意していた分、散布していた俺に回るのは若干遅いって訳だ」
禮次郎はペラペラ喋りながら服の中から注射器と割れた試験管を放り出す。
「驚いたか?」
ケイの顔を禮次郎が覗き込み、勝利を確信した笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間、ケイの身体が突然動き出したかと思うと、禮次郎からデリンジャーを奪い取る。
――身体が勝手に動いた!?
禮次郎も目を見張ったが、一番驚いたのはケイだ。
「Start our mission again! この程度で我々の戦いが終わる訳無かろう!」
「時計さん!?」
「現在身体の各部をモニタリングし、私の神経を接続した! 簡単に言えば、君の思考を私がこの身体に中継している訳だ」
「さんきゅ!」
禮次郎は既にコルトSAAを抜き放ち、狙いを定めようとしていた。
ケイは奪い取ったデリンジャーを猛烈な勢いで投げつけ、禮次郎の手元に当てる。
その勢いで銃弾はケイを逸れ、床や天井に突き刺さる。
ケイが葬鬼刀を拾う間に、禮次郎は懐から銃弾を取り出して込め直す。
だがリボルバー式のコルトへの装弾よりも、ケイが駆け寄ってきて繰り出す斬撃の方が遥かに疾い。
――峰打ちで動きを止める!
そう思って横薙ぎに放つ一閃を、禮次郎はあろうことか脛で止める。
「っ……!」
顔面を真っ青にしながらも装弾を終えた禮次郎は、銃口をケイに向ける。
骨を砕き、脛にめり込んだことで、ケイは葬鬼刀を抜くのに手間取る。
ケイの額に向けて放たれた弾丸を、とっさに首をひねって躱す。
二発目、三発目はMr.クロックの力で更に強化された防弾仕様の鬼装束で受け止め、弾丸を止めた分の衝撃に耐える。
「――はぁん、痛覚は止めてないのか」
銃弾を受け止めた反動に苦悶の表情を浮かべるケイを見て、禮次郎は邪悪な笑みを見せる。
次の瞬間、一発の銃声と共に三発分の衝撃がケイの右足を襲った。
ファニングショットだ。本来狙い撃ちなど不可能なその技術で、禮次郎はケイの鬼装束の防弾アーマーの脛に当たる部分に三発の弾丸をほぼ同時に当てたのだ。
「いくら機械的に肉体を操作できても、送り人の一族でも、俺みたいにいくらでも酷使できる身体じゃない。違うかよお孫さん」
禮次郎はコルトにまた弾丸をゆっくりと詰め直し、妖神ウォッチを狙う。
――まずい。
ケイの心は焦るが、肉体はついていっていない。
刀の踏み込みに必須な脚が負傷してしまったのだ。
いくら頑健な送り人と言っても、ケイの肉体は人間のもの。
常軌を逸した速度で再生する禮次郎との戦いでは不利になる。
加えてこの密室で、ケイとMr.クロックは得意とする行動速度を活かせずにいた。
――このままじゃ時計さんがやられてしまう。
――俺だってどうなるかわからない。
縦に真っ二つになった佐々木姫奈を見る。
そしてどこか佐々木姫奈に良く似た同年代の少年の苦悶に満ちた死に顔を見る。
――あれ? 待てよ、あれ、留人? 留人だよな? 畳が焦げる臭いと血にまぎれて気づかなかったけど、これ、留人の臭いもする。
――つまり、香食さんは留人を始末していた?
――だったら!
「時計さん! あの男性の死体を解析してくれ! 姫奈さんの方じゃなくて、何か妙だ……きっと時計さんじゃないとわからない何かが有る!」
「What!?」
「ん? ニャルも知らないのか? 妙だな、お孫さん……君は何を知って――」
ケイは禮次郎がその注意力故に下手に動けないことを逆手に取り、彼にスキを作り出した。
――今しかない。
「――ごめん!」
ケイは葬鬼刀を投げつける。
突然の無謀な行動に不意をつかれたこと、そして何より純粋な身体能力では劣っていることもあり、その一撃は禮次郎の肩を捉え、彼を壁に串刺しにする。
勿論、禮次郎も反撃の為に引き金を引いたが、その銃弾は妖神ウォッチが奇妙な輝きを放つと共にあらぬ方向に逸れて天井や壁に穴を増やすだけの結果に終わる。
「……ちっ、やっぱ持ってたか防御魔術。これだから魔術ってのは嫌になる」
「Of Course! 私の友人が結界の天才でね。コツを教えてもらったんだ」
「ニャルラトホテプなら何でもできるだろうが」
「彼は……特別なんだ」
舌打ちする禮次郎。
だが肩を深く貫かれ、壁に串刺しにされている今、彼にできることはない。
「急いで時計さん。今の香食さんなら壁に穴開けてまた動きそうだ」
考えを見透かされてしまった禮次郎は更に機嫌悪そうに溜息をつく。
煙草も吸えないのでストレスはいや増すばかりだ。
「解析終了! 良い目のつけどころだったみたいだよケイ! これは旧支配者レベルの高度な偽装魔術だ! その留人の死体には認識を偽装する魔術がかけられた痕跡が有るぞ!」
「そうか……そうか、そうなると……」
――とすると、なんだか良くない感じがしてきたぞ。
――でも、なんだこれ。情報が多すぎる。
――香食さんは前に聞いたイゴローナクを殺したと言っている。
――姫奈さんは縦に真っ二つになって死んでいる。
――姫奈さんに似た顔立ちで、俺と同じくらいの歳の男は香食さんに撃たれて死んでいる。
――しかもその男は留人になっていた。おそらく殺されたのはつい先程の筈だ。
――姫奈さんは留人を自分の部屋に留め置いていた? 何のために?
「ああそうだ。良いことを教えてやるか。俺が殺すまでは只の人間だったぞ。俺も騙されていたのかもな」
禮次郎はそう言って荒い息をつきながら笑う。
――あの出血量でなんで平気なんだ?
――いや、今はそれを考えるべき時間じゃない。
「つまり……つまり、姫奈さんは、いや香食さんも、人間を留人と思わされていた。時計さんみたいな神様の、魔術って奴でさ。多分この村全体が、今そうなっているんじゃないかな……?」
それを聞いた禮次郎の目つきが変わる。
「確かに佐々木姫奈も神に弟を返してもらったみたいなことを言っていた。この村で蘇りを果たしていた人間の正体は皆留人で、俺達は……いや、蘇った奴まで魔術で認識を操られていたってことか?」
Mr.クロックも「(・o・)」という顔に変わる。
「Make Sense! それならば辻褄が合うぞ! 今すぐ外に出て、この偽装魔術の解除を試みようじゃないか!」
「いいや待て。留人には意識が無い筈だ。俺はそういう風に聞いているぞ」
禮次郎の言葉に少し俯きながらも、ケイは首を左右に振る。
「……違うんです」
「何がだ?」
「先程、母から話を聞きました」
「清香さんから? そういえば彼女も蘇っていたな」
「留人になった人間は、その後も酷く歪んだ状態で自我を保っているそうです。だからその自我を、香食さんや時計さんが言うところの魔術……って奴で更に歪めてしまえば、きっと留人すら騙し日常を過ごさせることはできます」
その言葉を聞いた禮次郎が苦い顔をする。
「それは……嘘じゃなさそうだな。だが何故そんなことをしたかが分からないな」
「理由、邪神って連中の行動の理由ってそんなに大事なんですか?」
「そっちの方が相手を追い詰めやすい。だから俺みたいな奴はそれも調べる。ま、そして狂う訳だが……」
「やめてくださいよ?」
「分かっている。ともかく、そこのニャルラトホテプが術の解除をできるならやってもらうべきだな。そっちの方がグラーキも迷惑だろう」
「ええ、手伝って下さいよ。俺の脚がこんなんなので」
ケイはそう言って撃たれた脚を見せる。
既に出血は止まっているが、まだ痛々しい傷は残っている。
「わかってるよ。一時休戦だ」
「ずいぶん素直に信じるのだね、Mr.香食。その豹変ぶりは人間の特権という奴かい?」
「ああ、掌を返す理由なら有るさ」
Mr.クロックのトゲがついた言葉にも禮次郎はケロッとしている。
「送り人が留人のことで嘘は吐かないだろう。俺だって薬で嘘は吐かない。しかも母親の言葉だってわざわざ言うんだから、これまでの生活からすればそこまで来ると疑う方が非合理的だ。俺と同じように鈴原君がイカれているっていうなら話は別だが」
「私が言わせているだけかもしれないぞ?」
「だったら、さっきの戦闘中に鈴原君はもっと身体を酷使している筈だ。お前が防御魔術を使ったのも、自分を狙われたからというより、流れ弾がケイの急所に当たる可能性を危惧したように見えた。完全に信用する訳じゃないが、戦い方を見て敵とも言い切れないと判断している」
「やっと分かってもらえたみたいっすね。時計さんって、案外良い人なんですよ」
禮次郎はケイの言葉を鼻で笑う。
「それはどうだかな。誰も信じないのが俺たちのルールだ」
「俺たちって?」
「神話生物退治の専門家だよ。まあその時計さんとやらにせよ、俺にせよ、あまり馴れ合おうとは思わない方が良いぞ。事件解決の為に必要なら、少なくとも俺は平気でお前らを切り捨てる」
「そっすか……まあとりあえず火を消しませんか?」
「……だな。このままじゃ部屋全体に燃え広がる」
二人とMr.クロックはすっかり部屋中に燃え広がっている煙草の火を見てため息を吐いた。
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