第60話 ラ・カンパネラ

 慌てて消化器を持ってきた二人は部屋の中に燃え広がっていた炎を消すと、遺体の処理へと動き出した。

 禮次郎は宿の裏に停めていた車に二人の亡骸を運び込む。


「じゃ、遺体はこっちで処理をしておく」

「もしかして薬品を使うんですか?」

「ああ、死体を消す方法は薬品だけじゃないんだ」

「本職……」


 ケイは苦々しげな表情になる。


「ま、この二人には悪いが、遺体さえ無ければいくら奇妙な事件が起きても問題にはならない」

「OK! では民宿の人々の記憶は私が暗示によって書き換えておこう。申し訳ないが、ここで一旦お別れということで構わないかな?」

「死体の処理は俺が、記憶の処理は君らが、仲良くやっていこうじゃないか」

「だったら……あんまり悪いことはしないでくださいよ、香食さん?」

「分かっているさ。本当に悪いことっていうのはね、最後にほんの少しだけするから効果が出るのさ」


 ケイは更に苦い顔をする。


「びっくりっすよ。本当にヤクザなんすね……なんだかそう思えなくて」

「悪いことをしているという自覚が薄いんだ。神話生物を殺す以外、正直なんでもよくてね」

「……」

「ケイ、Mr.香食は既に正気ではない。根本的に対話は不可能だ。彼に悪意は無いが同時に良心も無い。自動的に神話生物と神格を殺す為の装置と言っても良い」

「確かに、ニャルラトホテプに分析されるのは不快だが……そうだな」


 ケイは首を左右に振る。


「違いますよ」

「何?」


 ケイは困ったような顔で、それでも笑う。


「香食さん。あんただって良い人だと俺は思う。誰かに心を預けてしまってるだけだ」


 禮次郎は驚いたように目を丸くする。


「……一本取られたな。じゃあ預けた良心取ってくることにするよ」


 禮次郎はそう言うとニコリと笑って車を出す。

 遠ざかる車を見つめながらケイは民宿へ再び向かった。


      *


 民宿の人々への暗示を終えて、ケイとMr.クロックは家路につく。

 月のない夜に、闇に溶けるような二人は誰も居ない田園の真ん中を歩く。

 しゃくしゃくという土の音。何処からか聞こえる蛙の声。涼しい風が田の上をすべり、ケイの頬を撫でる。

 良い風だった。

 ――きっと、これから先もこの町にはこんな風が吹くんだろうな。

 そう思うだけで、ケイの心は癒やされた。

 ――頑張らないとな。

 そんな言葉が浮かんで初めて、ケイは自分の心がきしんでいることに気がついた。

 ――後少し。後少しだ。

 言い聞かせるようにして小さく頷く。

 そんな時、ケイの物思いを紛らわせるようにして、Mr.クロックが口を開く。


「それにしても、得心がいったよ。城ヶ崎の巫女は、Ms.シグマがあの男の邪気を封じる要石としての役割を持っていることを直観したのだろう」

「待って、時計さん。もうちょっと分かりやすく」

「香食禮次郎は、君が洞察する通り、自らの人間的な心をMs.シグマ以外に使わないようにしている。だからこそ狂気の淵にありながら辛うじて我々神々の敵としての己を見失わない訳だ。実に面白い。私はあれも人類の可能性なのではないかと……」

「時計さん、分かるように話して」

「Excuse me! 関係のない話をしてしまったね! 話を本題に戻そう」

「木帰町の異変のこと?」

「そう、我々はこれからただ一柱残った哀れな旧支配者グラーキを追い詰めるという雑事が残っている。Mr.香食及びMs.シグマと協力すれば朝飯前の仕事になるだろうけどね」

「そうなの?」

「魔術を使うというのは、自分の居場所の手がかりを残すようなもの。町全体に作用する魔術を使っているグラーキが、何処に身を隠しているのかを探すのは、今の我々にとってそう難しい仕事ではない。ではないのだが、ただ……」


 Mr.クロックは気まずそうにケイの顔を見つめる。

 ――言いたいことは分かっている。

 ケイとて、彼の意思が分からぬ程鈍感ではない。


「今まで蘇った人が皆居なくなっちゃうって言うんだろ?」


 Mr.クロックは「(-.-;)」という表示を液晶に浮かべる。

 

「Yes. まったくもってその通りだ……君たち人間にとっては、親しい人との別れは何より辛く悲しいものなのだろう? 君はこの先戦えるのかね?」

「なんだ、そんなことか」


 ケイは笑う。


「そんなことじゃないだろう!?」


 Mr.クロックは動揺した声で問いかける。


「今、蘇っている人たちは俺や爺ちゃんが送り出した人々だ。それが無理やりこちらに引きずり出されちゃったって言うならさ。俺がもう一度送り返すのが筋だよ」

「む……! いや、その、全くそのとおりだが……!」

「それとも、時計さんの言う勇気ある少年って言うのは、一時の感情で大切な人々を守る戦いから目を背けるような奴のことかい? 時計さんにはお世話になりっぱなしなんだから、最後までちゃんと付き合うぜ」

「それは……ああ! いや、参ったな。そのとおりだが、その、すまない……」


 ケイの言葉に迷いは感じられなかった。

 彼の瞳には、極限に追い詰められた状況の中で、なお強く咲き誇る人間の尊厳があった。Mr.クロックはその輝きを喜ぶと同時に、自分には触れられぬ光であると、ほんの僅かに妬ましくなっていた。


「時計さんにはこっちが蘇った人たちは、術を解けば留人に戻るんだよな?」

「あ、ああ……! 私ならば即座にできる。すぐに留人に……いいや、屍に戻ることだろう。私ならば解除のついでにそれくらいできる」

「だったら、お願い」

「任せ給え。とはいえ一箇所ずつ回っていては効率が悪い。ケイ、この村には放送機器が有ったね? 見たところ、あれは有線接続だった筈だ。有線ならば、霧の影響をあまり受けずに作動させられる」

「ああ、それをどうするんだ?」

「それは――」


 Mr.クロックが答えようとしたその時だ。

 木帰町をサイレンの音色が包む。

 それは一年前の事件の時と同じ。

 大量の留人の襲来を告げるものだった。


「まさか……残ったグラーキか、その信奉者の仕業か? どう思うケイ?」

「まずは村の人が逃げる時間を稼ぎたい。今は夜だ。絶対に避難が遅れる。良いかな?」

「Start our mission! 付き合おうともさ! どのみち木梨商店はその方向だしね!」


 二人は駆け出した。


     *


 薬局に戻った禮次郎は既に死体を地下室まで運んでいた。

 そんな時、サイレンが鳴り響いた。


「……最悪だ」

「うんうん、酷いことになったね」


 ――なんでこんなことになった。

 ――何を間違えた。

 禮次郎は顔をしかめる。


「あのサイレンが鳴り響いたということは、見張り役の木梨さん、あるいは都会から戻ってきた息子さんが留人を見つけたんじゃないかな。どうするの禮次郎?」


 禮次郎が動揺しただけ、クチナシは冷静に淡々とした調子を保つようになる。

 まるで天秤のように、彼らはそうやってバランスを保ってきた。


「――多分、相手は焦っている。グラーキか、それともグラーキの信奉者か知らないけれど、ニャルラトホテプと俺達が合流したことで、自分が排除されるかもしれないと考えている」


 禮次郎は自らの思考を大きく飛躍させる。

 だがクチナシは慣れたもので、それを黙って聞いている。

 禮次郎は徹頭徹尾、神々を追い詰めることしか頭にない。

 村人の危機? サイレンの真偽? そういったことはあくまで過程だ。

 軽視はしないが、本質ではない。

 狂気で歪んだ香食禮次郎の頭脳は、ただ神話的事件の解決のみに向けて恐るべき洞察力を発揮していた。

 実際、ケイとMr.クロックが居る現状において、

 あくまで結果論に過ぎないが、真っ先に村の安全を考えるケイと、犠牲を厭わず事態の打開を考える禮次郎とで、一切の打ち合わせ無しに完璧な役割分担がされていた。

 

「つまり、禮次郎はグラーキの陣営を追い詰めるなら今って考える訳ね?」

「その通り」


 禮次郎は地図を取り出す。

 木帰町周辺の地図だ。


「佐々総介、有葉緑郎の両名から、グラーキは基本的に湖を好んで拠点にすると聞いていた。実際、俺達が大沼で奴を追い詰めた時も、カルト教団の連中は湖畔に拠点を作っていたし、グラーキの本体も湖の中で休眠していた。あいつら曰く、魔術師ならば常識だとさ」

「つまり、今回もグラーキは木帰町周辺の湖に潜伏しているって考えているの? 確かにこの村を流れる川の下流に湖は有ったけど……あっ」

「何か気づいたか?」

「この霧って何処から発生したんだろうね? 魔術って普通の人間には見えないでしょう? なのにこの村の人には霧が見えている」


 ――言われてみればそうだ。

 ――俺やクチナシならまだしも、この霧は村の人に見えている。

 ――もしかして魔力を帯びている水で、わざわざ霧を作っているのか?

 ――村を隔離するのに只の結界ではなく、水にした理由……?


「物理実体を持っているってことか」

「僕はそう思う」

「そうだ。するとそもそもあの霧がどこから発生したのか……川だな。大量の水を用意する為には川を使うしか無い」

「じゃあやっぱり下流の湖?」

「だろうな。だが川の上にも霧は出ているだろう。発生源なんだから。湖まではどう考えてもたどり着けないな」


 と、そこまで言って禮次郎は気づいた。


「いや、やっぱいけるわ湖。っていうか霧の向こう側」

「あ、禮次郎も気づいた? そう、あそこは物理的に物が通れないと不味いんだよ。この村が水の底に沈んじゃう」

「分かってるよ。お前の力ならそこを無理やり突破して弱っているグラーキを叩くことができるよな」

「できると思う。あとは僕の燃料。僕が食べられる人間が必要だよ。生きてても良いけど、可愛そうだから代わりになる死んだ人間が沢山」

「となるとやっぱり鈴原君と合流だな。彼なら今頃村の人の為に大挙する留人を食い止めている筈だ」

「出し惜しみは無しにしよう。持っていけるだけ武器出すよ!」


 二人は車に積めるだけの武器弾薬を詰め込むと、逃げ惑う人々と真逆の方へ、木梨商店へと走り出した。

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