第61話 果てしない戦いを此処で全て終わらせる為に
「ふぃー……無事にあいつらも逃げよった。後はここで放送を行うだけか。あの馬鹿息子が煙草吸いに外に出とらんかったら、気づかないまま留人の餌じゃったわい」
サイレンが鳴り響く中、木梨商店の主である木梨は安堵のため息をついていた。
都から逃げてきた息子家族を公民館に逃し、自らは商店へと残っていたのだ。
目的は一つ、留人の危険を深夜の木帰町に伝える為だ。
「なーんで蘇ったんだか分からんかったが、この時の為だったのかもしれんな」
木梨が蘇るまでの間によく整備された商店の放送室は、彼の一族が木帰町で見張り役という仕事を任されてきた為に存在するものだ。
「はん、あいつら……ワシと違って生真面目に整理しとったんか」
目を閉じれば、気弱そうだが生真面目な木梨の息子の顔が瞼の裏に映る。
――孫の顔もまた見せてもらったし、もう心残りは無い。
――今度こそ無い。
「神様に感謝せんといかんな」
そう言いながら木梨は、部屋の中の拡声器のスイッチをオンにする。
二度目ともなれば慣れたもの。
彼はよどみなく村中へと危機を告げる。
【この放送も久しぶりになるのう。いいか、全員良う聞いとくれ! この町に留人の群れが来とる! 霧の向こうから現れたからどれくらい居るかは良う分からん! この声が聞こえとるもんは皆すぐに公民館まで逃げろ! 若いもんは足の悪い年寄りを背負ってくれ! いいか! ヤケになったり、諦めたりするんじゃないぞ! この木帰町にはケイ君が居る! 恐山さんもそのうち応援を連れて霧の向こうから戻ってきてくれる! 絶対にこんな奴らに捕まるンじゃあねえぞ!】
話している間にもキィキィと小さな店はきしみ始める。
せっかく息子夫婦が再建してくれたというのに、惜しいことだと木梨は思った。
店のシャッターを凹ませるガツンガツンという音。
【良いか! 皆で逃げ――】
放送はそこで途切れる。
「くそっ! 機器の不調か! 電波が悪いのは知っとったが拡声器までやられるとは……!」
木梨は歯噛みする。
一年前、自らが一度死んだ時と異なり、町の危機を告げることもできずに死ぬのかと。
シャッターが音を上げて凹み、歪み、僅かな隙間が生まれた。
留人たちの放つぞっとするような香ばしい匂いが入り込んできた。
「南無三……!」
当然だが今から逃げることはできない。
分かっていたことだ。
ただ、鼻腔を侵す死の匂いが、かつての恐怖を思い起こさせた。
ギィ、ギィ、ギィと階段をゆっくりと登ってくる音。
二度目ともなれば、それは酷く長く思われた。
――何時だ。何時になる。何時来る。
「皆ぁ! 逃げろぉ! 無事に逃げてくれ!」
必死だった。
せめて最期まで村の人々に危機を告げ、留人たちの目を引く囮になろう。
それに二度目の命を使おうと。
何時来るともしれぬ恐怖にあえて背を向け、窓から彼は叫び続ける。
もはや商店の階段を何かが登る音は聞こえない。
それでも、木梨の叫びを聞きつけて留人たちは木梨商店を既に取り囲んでいた。
――すまんな、先に逝くぞ。
そう、覚悟を決めた木梨の肩に手が触れる。
「木梨さん」
聞き覚えの有る声に木梨は驚いて振り返る。
顔を確認して二度驚く。
「……ケイ? ケイ坊! 何をしに来た!?」
「後はもう大丈夫。大丈夫だよ」
ケイの左手に巻かれた腕時計が青白く輝く。
「拡声器、少し借りるから」
「あ、ああ……だがそれは」
そう言いかけたところで木梨は崩れ落ちる。
ケイはそんな木梨を受け止め、優しく微笑む。
「なんや、なんや知らんが、急に……眠く……」
木梨はケイの眼の前で瞳を閉じ、穏やかに眠り込む。
そして木梨の身体はケイの腕の中でゆっくりと霧になって崩れ落ち、開いた窓からの風に吹かれて消えていく。
「……木梨さん、ゆっくり休んでください」
ケイは静かに呟いた。
*
ケイはため息をつき、黙して天井を仰ぐ。
その両手には先程まで木梨だった砂がある。
彼に恐怖はない。狂気もない。
ただ、寂しかった。悲しかった。哀しかった。
大切な人の幻を見せられて、奪い取られたかのような。
「はて……おかしいぞケイ」
「どうしたんだ?」
だが今はそんな感傷に浸る時間は無い。
ケイは意識して落ち着いた口調でMr.クロックに応える。
「これまで、死体がこのように消えるということは無かった。Ms.ササキの弟も死体が残っていた筈だ。確かに私は留人化したMr.キナシにかけられた術式を解除したが、今回は死体が消えた。この違いはなんだと思う?」
「……言われてみればおかしいな」
「私はグラーキ側が追い詰められているのだと判断したよ」
「その理由は?」
「簡単さ! 死体を保つ余力も無いんだろう! もしくは残った死体を吸収してエネルギーにしているのか……しかしながら、Mr.キナシは一年前に死んでいる筈だ。だとすればやはり前者の可能性が高いな」
ケイは窓の外を眺める。
まだ留人は残っている。だが遠くから香食薬局の車が大きな音を立てて近づいてきているのが見えた。
そしてここに来るまでに切った留人の亡骸が消えていることに気がつく。
――外は禮次郎さんたちに任せて良さそうだな。
――だが、この様子からすると本当に時計さんの言う通りなのか?
「じゃあ……厳密に言えば今回蘇った人々は留人じゃないのか?」
「Good Question! 良い質問だね。しかし実はその定義はとても難しい。ただ、この世界の“留人を生み出す法則”をグラーキが悪用したことは推測ができる。グラーキが“適当な蘇生魔術で作り出した不完全な生者”を作り出し、それが“魔術の効果切れで生まれた死体”に変わり、この世界が“死体を留人に変えた”。グラーキ自体が猛毒を操り人間を動く屍に変える力を持つ為、この世界の法則と親和性が高かったのではないかと考えられるね! いや実に興味深い! 神々が世界線を移動する場合は、自らと親和性の高い世界に招かれるものなんだろう。世界が、自らを支配すべき神を選んでいる訳だ。いや、違うのか? いいやむしろ逆で、アズライトスフィアのようにむしろ神こそが世界を……」
「時計さん、何言っているのか分かんねえ」
「I'm sorry! 要するに、留人が発生するメカニズムを、グラーキは理解しているということだ。神の叡智だね」
「なに?」
階段がギシギシと軋む。
ケイは会話を止め、葬鬼刀を構えて音の主を待ち構える。
「ケイ、そちらのお方の言う通りよ」
「母さん……!?」
ケイの眼の前に現れたのは清香だった。
「Mrs.スズハラ……何故ここに?」
「ニャルラトホテプ様ですね。私はケイに大事なことを教えてあげなくてはならないのでここまで来ました。少しお時間をいただけますか?」
――どう見ても様子がおかしい。
――蘇るまでの記憶が曖昧だって話していたじゃないか。
――だがそれでも、話ができるのだからまずは話をしよう。
そう考えてしまうのは、きっと相手が母親の姿をしているから。
ケイはそれを理解しながらも、目の前の女性と話したくて仕方なくなっていた。
――ああ、親子の会話ができる時間がもっと欲しかった。
――せめて、もう一日くらいは。
「時計さん、良いか? 俺も話したい」
「ああ、構わないとも」
何かろくでもないことが起きる。
それだけはケイにもよくわかった。
*
「何処から話したものかしら。そう、まずなんでこんな事が起きているのか……かしらね。ケイ、グラーキ様があなたを求めているの」
「どういうことだ?」
「今、グラーキ様は信仰を求めている。人々の信仰が、グラーキ様が目覚める為に必要なの……」
「信仰……?」
「信仰を集めるシンボルとなる英雄が、必要なの。だからこそ今の事態を引き起こし、その中で生活していく為の偶像として、若くて皆から信頼されている貴方を使ってグラーキ様への信仰を……う゛っ!」
そこまで言いかけたところで清香が頭を抑えてその場で蹲る。
「母さん!?」
「大丈夫……母さんは、心配要らないから……お願い、話を聞いて」
「なにかされてるんじゃないのか? なあ母さん!」
「話を、聞いて」
清香は力強く言い切る。
――いつもの母さんだ。
――まさか、操られているけど抵抗しているのか?
「あなたは、今起きている留人たちを始末してグラーキ様の信仰を皆に広めなくてはいけない……名前は、この町の川下にある湖の底の神様だから、龍神様でもなんでも良い。崇めることが、みんなが崇めることが必要なの。分かった?」
――何故、今わざわざ場所を話した?
「あなたはこの事件を解決して……うっ」
また清香は表情を歪める。
何かの痛みに堪えるように。
「この霧の中で、皆の信仰が集まればグラーキ様はさらなる力を得る。そして霧の範囲は広がる。死者は蘇り続ける。皆いつまでも幸せに暮らせる。あなたの為の世界で、私もあなたを見守れる。だからお願い。ケイ、お願い……お願い……! こんなことを頼むのは申し訳ないけど、もうあなたにしかできない……」
「時計さんを裏切れっていうのか!」
「大丈夫、グラーキ様が、合祀する形にすれば、そちらの神様も喜ぶ筈だと……この神無き世界に残る人間たちをまるまる自分のものにして完全に復活ができるなら、それは皆にとって幸福だと……う、ぐぅ……!」
ケイはMr.クロックの方をちらりと見える。
Mr.クロックは「^_^」という優しい笑顔をケイに見せた。
「――分かったよ、母さん」
ケイはほとんど一瞬で清香との距離を詰める。
柔軟な筋肉が生み出す爆発的な加速力は、Mr.クロックが機械的に神経を制御していることで、もはや瞬間移動の域に達していた。
「ケイ!」
事態を把握したところで清香は動けない、否、動かない。
ケイは左手で清香に触れると叫ぶ。
「時計さん!」
「OK!」
そこで初めて清香は嬉しそうな表情を見せた。
それと同時に、彼女の身体も霧へと還っていく。
ケイはそれでも彼女を抱きしめていた。
「ケイ」
ケイは顔を上げる。
清香は消えゆく身体でそれでも微笑む。
「あ、り、が……」
最後まで言い切ることなく、彼女の身体は消えていった。
「……母さん」
ケイは腕の中で消えていった母親の感触を思い出し、右手を強く握りしめる。
しばしの沈黙が有った。
「時計さん」
「なんだね?」
「グラーキって奴は絶対に許さねえ」
「OK! 良く言った! 少々荒っぽくなるが構わないね?」
「知ったこっちゃねえ!」
ケイの怒号が小さな放送室を揺らす。
同時に腕の妖神ウォッチから質量を無視した大量のアームが展開、木梨商店に突き刺さり近くにあった金属を瞬く間に融解させたかと思うと、それらが一瞬でネジやリベット、鉄板に変わり、ケイとMr.クロックを包んでいく。
「Absolutely! 文字通り総力戦だ! どちらかが沈むまで退かんぞ! 私も命を賭けようじゃないか! なあに、おあつらえ向きに相手は弱りきっている! 既に勝算は十二分にあるともさ! 我が変幻なる機巧神チクタクマンの名の下に、君へ
ケイの脳裏に名前が勝手に浮かんでくる。
――何故だ? 何故だか分からないけど、俺はこいつを知っている……!
彼の口が、一人でに動き出す。
「ケイオスハアアアアアアアアアウルッ!」
その叫びと共に、一度ケイの意識は吹き飛んだ。
*
「クチナシ、ありゃなんだ」
「えっと……わかんない」
木梨商店前で留人を片付け、ケイを探そうとしていた禮次郎とクチナシは、目の前の光景に視線を釘付けにされていた。
これまで、様々な冒涜的儀式を見た二人であったが、そんな彼らの常識すら嘲笑するようにして発生したこの名状しがたき事態に、二人は語るべき言葉を失ってしまっていた。
ロボだった。
木梨商店のシャッターが、いや、近くにあった全ての金属類が、そもそも禮次郎が乗ってきた車と銃火器の一切合財が、突如木梨商店の内側から伸びてきた作業用アームによって、木梨商店の内側に引きずり込まれてしまった。
そしてすぐにケイの雄叫びが聞こえたかと思うと、木梨商店が光に包まれ、しかる後に質量を無視した奇妙な動きで、木梨商店だったものに腕が生え脚が生え、巨大な葬鬼刀を背負う全長20m程はある漆黒の鎧武者へと変形してしまったのだ。
鬼の面に似た顔、胸に刻まれた時計の紋章、全体的にスリムだが各所に白兵戦用の
「うわかっけー……ロボだ。ガキの頃に見たことがある。ありゃロボだよロボ、巨大ロボだ。すげー」
その常識を冒涜するあまりの勇姿に禮次郎の思考回路は停止する。
「頭が痛い……ねえ禮次郎、何が起きているの?」
その理解を超えたあまりの展開にクチナシの頭脳はオーバーヒートを起こす。
「わかんねえ。わかんねえけど……いや、待て。ありえねえだろあれは……! かっけー……じゃねえよ、なんだよあれ……!?」
「わかんないよ……わかりたくない……」
「ここは世界が違うって言っても日本だろ!? だよな!?」
「で、でも……あそこに居る……! 待って、そうだよ、待って、冷静に考えよう禮次郎! ほら、死体が見つからなくて僕が力を出せない状況だったじゃん? だからオーライ! 結果オーライ! 頑張れ! 頑張れロボー! アハハハハハ!」
「クチナシ、帰ってこい。頼むから、お前までおかしくなったらどうしようもなくなるんだぞ」
「アハハハハハハ!」
戸惑う二人を完全に無視し、突如現れた漆黒のロボは、両足のジェットエンジンを唸らせ、木帰町の外へと繋がる川に向けてとてつもない速度で飛行を開始した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます