第11話 子供の領分 第四曲「雪は踊っている」

 すすきのの一角に有る清水会のオフィス。

 その中にある清水龍之介の部屋に、禮次郎はまたも呼び出されていた。


「清水会合成麻薬MDMA製造管理部門主任、香食こうじき禮次郎れいじろう。只今参りました」


 毎晩遅くまで屍食教典儀Cults of the Ghoulsを読み込んでいるせいか、目の下にクマが出来ている禮次郎。

 そんな禮次郎とは対象的に龍之介は笑顔だった。


「来たか禮次郎。ま、座れや。人面魚騒ぎとススキノの一件じゃあ世話になった」

「いえ、俺にできたことなんぞ大したことはありません。組長が後始末の手配をしてくれなきゃ、今頃俺はお縄ですよ」


 禮次郎は一礼してから勧められた座席に掛ける。


「早速だが、お前さんに任たい仕事が有る」

「仕事?」

「いやなに、今度函館にお前さんの扱ってる合成麻薬MDMAの密造拠点を作ろうと思っていてな」

「クスリの?」

「バブルが弾けて安く売り飛ばされた土地を纏めて手に入れたんだ。私有地の中で打規模に作って、そのまま函館の港から捌ける。函館の組とのデカい共同事業シノギになる予定だ」

「予備のルートを確保……暴対法の強化を見越してですか?」

「まあそれも有るが……それだけじゃない。禮次郎、お前さんもそろそろこっちの仕事に本腰入れてみるのはどうだ。今回の仕事をお前さんが上手いことこなしたら、正式に清水会の顧問として、工場の管理を任せたいと思っている」

「俺がですか? 確かに医薬品の製造管理者には薬剤師の資格が必要ですが……」

「それだけじゃねえ。俺の甥っ子の家の三男坊の相談役もやってもらう」

「ま、待って下さい! そいつぁ俺にゃ荷が重い!」


 禮次郎は慌てて両手と首を左右に振る。


「成る程なあ、ガキは囲い込んで手篭めにする癖に、工場の世話はできねえと。そいつは任侠じゃねえと思うぞ」

「――う゛っ」


 禮次郎の額から冷や汗が一筋流れる。


「お、俺は、彼女のことは、真剣に」

「――いや、皆まで言うな。お前が任侠なことは分かっている」

「と、言いますと、その……」

「別に俺はお前さんの性癖をどうこう言っている訳じゃねえ。お前さんがガキ囲い込んでても、まあそこそこ平和に仲睦まじくやってるなら、一々口出しするのも任侠じゃあねえからな」

「う゛うぅ……!」


 禮次郎はくぐもった奇声を上げ、俯く。

 

「だが、他の奴から痛くもない腹探られねえ為にはある程度地位も必要なんじゃねえか? 特におめえさんみたいなインテリは、こういう組織じゃ何かとやっかまれるだろうに」

「それは、その……はい」

「まあお前さんも今の若いもんだ。出世ってのに興味が無いのはわかっている。だがな……」


 何時になく真剣な面持ちの龍之介に、禮次郎は固まる。

 普段ならば柔和な笑みを浮かべる好々爺だった筈の龍之介が、一人の侠客として禮次郎に伝えたい事が有るのだと、禮次郎は理解した。


「組織も人も、進み続けねえと死ぬぞ」


 禮次郎はクチナシの顔を脳裏に思い浮かべる。

 あの不幸で不思議な少女を幸せにするには、無茶を押し通す権力が要る。戸籍の一件で禮次郎はそれを理解していた。


「……はい、分かりました。その仕事ってのは一体何なんですか?」


 その為に自分が作った薬でどれだけの犠牲が出ようと、禮次郎は清水会の中で“進む”ことを選んだ。

 ――クチナシと暮らす為ならば、何をしても惜しくはない。

 魔術師とは言え、既に一人殺してしまった禮次郎の心からは、既に倫理のタガが外れていた。

 そんな禮次郎の黒く燃える真っ直ぐな瞳を見て、龍之介は満足げに頷く。


「まずはこのビデオを見てくれ。工場の建設予定地の下見に行った連中がカバンの中に仕込んだカメラで遺したもんだ」


 そう言って、龍之介は部屋に備え付けてあったビデオデッキを起動した。


     *


「健太です。見えてますか? おし、撮影できてるな」


 黒いスーツを着てグラサンをかけた背の高い男がカメラの画面を覗き込む。

 彼は健太、清水会の組員だ。


「兄貴、なんなんですかねありゃあ」


 その背後でビクビクしているのは健二。彼もまた清水会の組員である。

 この二人は本当の兄弟であり、紛らわしいので仕事場でも下の名前で呼び合っていることを、禮次郎は知っていた。


「慌てるんじゃねえよケンジ。あれはほら……あれだ。老人ホームって奴だろ?」

「携帯で組に連絡入れてみますか? 俺達、来る場所間違えたのかも……」

「馬鹿野郎。こんなことで一々連絡入れてどうする。一応カメラも起動したし、中の様子を探ってから帰っても遅くはねえだろうが」

「で、でもよぅ……」

「るせえ、とっとと行くぞ。今晩は経費で飲みに行っていいって言われているんだからよ!」


 怯える健二の尻を蹴飛ばし、健太は老人ホームへと進む。

 “神の家”と書かれた鉄門は開け放たれており、その奥にある自動ドアを抜け、健太達は“神の家”の中へと入った。


「おい、誰か居るか!」


 “神の家”に入るとすぐに受付と下駄箱が有る。

 だが受付に人は居ない。

 ただ、何処からかピアノの曲が聞こえる。

 ――ドビュッシーの『子供の領分 第四曲』か。

 禮次郎は何故かその曲を知っていた。しかし何処で聞いたのかは思い出せない。


「なあ、兄貴……」

「うるせえ。行くぞ」


 健太と健二は靴箱に入れ、“神の家”へと上がる。

 玄関を抜けるとそこはリラクゼーションホールになっており、けん玉やベーゴマといった昔懐かしい玩具やおままごとにでも使いそうなプラスチックの玩具が散らばっていた。


「なんだこりゃ幼稚園か?」

「不気味だなあ……帰りましょうよ兄貴。なんか変ですって此処」

「確かに老人ホームだってのに爺さんも婆さんも居やしねえ。もしかしてもうとっくに閉鎖されちまってるのか?」

「でも、それならこの音楽はなんすかね……」

「何処かのスピーカーからテープで流しているんだろ。ビクビクすんな」


 リラクゼーションホールは三つの道につながっていた。

 一つは院長室、一つは礼拝堂、一つは居室棟。

 案内板を見て健太はフッと笑う。


「まずはここの院長にナシつけるとすっか」

「お、おう! こんなふざけた施設、俺達の土地に有るんじゃたまらねえもんな!」


 とりあえずの目的地が出来たことで健二も元気が出てきたのか、言葉の調子が荒くなる。


「そうだその意気だ兄弟! 行くぞ!」


 男達が進もうとしたその時だった。


「もし、そちらの方」


 凛、と鈴のような声。

 二人の男はビクリと身体を震わせて振り返る。

 と、同時に画面の向こうの禮次郎は思い出す。

 ――ああ、そうだ。この曲は俺の幼馴染が良くピアノで弾いていた。


「お、驚かせるんじゃねえ!」

「どっから出てきた!?」


 カメラが捉えていたのは緑の瞳と金の髪を持つ修道女。

 禮次郎はこの女性を知っている。


「あらあらまあまあ、驚かせて申し訳ありません。私の名前は阿僧祇あそうぎマリア。こちらの養老院で身寄りの無いご老人の介護をさせていただいております」


 禮次郎は苦々しげな表情を浮かべる。

 

「へえ、マリアさんってのかい」

「はい。母がロシア人のハーフですの」

「そんな若いのに修道女たぁ勿体無いね」


 そう言って健太がマリアの顔をジロジロと覗き込み、厭らしい笑みを浮かべる。

 ――馬鹿、やめろ! そいつはマジでやばい!

 禮次郎は叫びたかったが、こうしてビデオになってしまっている以上もはや遅い。

 禮次郎は食い入るように画面に集中する。


「うふふ、そんなこともないんですよ。ご老人と神の相手をして日々を過ごすのは、とても素敵なことですから」

「へえ、俺達の相手もしてもらいたいもんだ」

「あらあら、いけませんわ。此処は神の家だというのに」


 健太はニヤリと笑うと話の本題に入る。


「ところでマリアさんよ。俺達はここの院長に用が有って来たんだ」

「用、ですか? 生憎と院長は出払っておりまして、私で宜しければお聞きしますが……」

「へえ、そうかい。おい健二」


 健太が声をかけると、健二は懐から一枚の紙を取り出す。

 健太はそれを手にとってマリアに見せつける。


「こいつ、なんだか分かるかい? この土地の権利書の写しだ」

「まあ……この土地の? 大変ですわ、てっきり院長が持っているものだとばかり……」


 マリアはわざとらしく口に手を当てて驚く。

 健太は名義の欄をわざとらしく指差してマリアに問いかける。


「困るんですわ。うちらの土地で勝手に商売されちゃあ。なあ?」

「兄貴の言う通りだぜ!」

「ああ、なんてこと……何かの間違いではないんですか……?」


 マリアはわざとらしく萎れた様子になり、涙ぐみ始める。


「こいつが間違いじゃあねえんだよ。なあ兄貴?」

「おうとも、この土地はとっくのとうに売り飛ばされているんだよ。とっととこっからジジイとババアを連れて立ち退いてくれなきゃ困るんだわ」


 マリアを囲んで二人の男が凄む。

 ――こいつらの仲間なのか、クズだな俺は。

 禮次郎は画面を見ながら心の中で自嘲する。


「お待ち下さい。確かに土地はお二方のものなのかもしれません。ですが立ち退くにしてもしばらく待ってはいただけないでしょうか? ここを追い出されては、施設のご老人の行き場所が……」


 マリアは涙を流して二人の男に懇願する。


「そいつはお前さんの態度次第だよ。なあ兄弟?」

「兄貴の言う通りだ!」

「……せめて施設の中の様子だけでも見ていってもらえませんか? 此処には身寄りの無い老人が沢山居るのです。哀れに思って頂けるならどうか、お時間を……」

「俺達も忙しくてよぉ……時間がねえんだけどなあ? どうする?」

「いやあーこの美人のシスターさんがどうしてもっていうならよ……少しくらいは付き合ってやっても良いんじゃねえかなあ? どうかな兄貴?」

「かーっ! 仕方ねえなあ! かーっ! おら、さっさと案内しやがれ」

「まあ! 見てくださるんですか! ありがとうございます! 神もお喜びですわ! こちらです! ついてらして!」


 二人のヤクザはマリアの案内で居住棟へと歩き出した。


     *


「おいおいおい、なんだこいつは」


 健太は素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 居住棟と呼ばれる建物では、大部屋一杯に老人が眠らされていた。

 しかもただ眠らされているのではない。まるで赤ん坊のように白いおくるみに包まれて眠らされているのだ。

 白いベッド、白いおくるみ、白い布団。その空間だけは時が止まっているような錯覚さえ覚える。


「どいつもこいつも気持ちよさそうっすねえ」

「おい爺さん。何昼間っから寝てるんだよ」


 健太は老人の一人に声をかける。

 老人は目を覚ますと健太を見て億劫そうに答える。


「眠らしとくれ。眠ってる間は痛くも苦しくも無いんじゃから……」


 そう言って老人は眠る。


「おい爺さん。痛くも苦しくもないってどういうことだよ?」


 返事は無い。


「そちらの方は末期がんで家族の方からも見捨てられた所を引き取りました。此処以外に生きる場所は有りません」


 代わりにマリアが答える。

 だが、マリアの姿が見えない。

 てっきり画面の外に居ると思っていた禮次郎だったが、どうにも画面の中の健太と健二の様子がおかしい。二人はせわしなく周囲を見回している。


「おい、あのシスター何処に行った」

「今、声はしましたよね?」

「……」

「……」

「気味、わりいな」

「帰りましょうよ」


 二人はそう言って元来た道を引き返す。


「おい、どうなってんだよこれ!」

「わかりませんよぅ!」


 しかし、二人がリラクゼーションホールにたどり着くことはない。

 カメラから見るとリラクゼーションホールの手前で引き返しているようにしか見えないのだが、画面の中の二人には道が見えなくなっていた。


「畜生!!」


 健太は懐から拳銃を取り出して窓に向けて引き金を引く。

 軽い音が二発。しかし窓は割れない。

 弾丸は脆い筈のガラス窓に弾かれて壁に突き刺さる。


「うわああああ!?」

「な、なんだ!? 壁がうご、うご、動いてやがる!!」


 二人は腰を抜かしているが、画面の中の窓そのものが動く様子は無い。


「おい見ろ! 窓に、窓に!」

「来るな! こっちに来るんじゃねえ!」


 二人はそう言って隠し持っていた拳銃で窓に向けて撃ちまくる。

 だが窓は拳銃弾を無傷で弾き続けるばかりだ。


「ああ、ああ……!」

「兄貴! どうしよう兄貴!」

「こんな奴らに殺されたくねえ! いやだ! 死なせてくれ! 俺を人として死なせてくれ! こんなのに飲み込まれるなんて――」


 健太は自らのこめかみに拳銃を当て、引き金を引く。

 健二もそれに続いて自らに向けて引き金を引く。

 ビデオカメラには何も映っていなかった。


「あらあらいけないわね。死んでしまうのは」


 ビデオカメラの前に、阿僧祇マリアが再び現れる。

 頭の無い二人の死体をおくるみに包んで、一人ずつ担架の上に乗せていく。


「みなさん。運んで頂戴。身体まで死んだら勿体無いわ」


 どこからか現れた修道女が、マリアの指示で担架の上の死体を運んでいく。

 修道女達は皆一様に手足が多すぎたり、あるいは無かったり、そもそも首が無いものまで居る。

 足を引きずるようにして歩く異形の修道女達。

 その中に、禮次郎がすすきので見た女性も居た。腹から血を零しながら、他の修道女と同じように働いている。

 ――化け物の巣か。

 怪物修道女に運ばれていく二人のヤクザを、神の家の女主人たる阿僧祇マリアは薄ら笑いを浮かべて見送っていた。


     *


 ビデオの再生が終わると同時に、禮次郎は龍之介に頭を下げる。


組長オヤジさん」

「どうした? 流石にこの仕事は無理か?」

「いえ、殺す算段はつけてます。予算さえあれば十分駆除できる相手です。俺にやらせてください」

「金なら有る。だが何故、急にやる気を出した?」

「阿僧祇マリアとは因縁が有ります」

「因縁?」

「奴は俺から人生を奪いました。奴が居る限り、俺は俺の人生を生きることができない。お願いします。ケジメつけさせてください」

「そうか……そいつは任侠だなあ!」


 頭を下げる禮次郎を見て、龍之介はにやりと笑った。


     *


●シュブ=ニグラス

 古代より世界各地で信仰されていた旧き神である。

 大地母神と呼ばれる異教の神々全ての原型にして母であり、その性質から信奉者に永遠の生命と無限の豊穣を齎す。

 神としての姿は多くの場合で無数の生物を内側に閉じ込めた暗雲として顕現し、羊に良く似た落とし仔を生み出す。

 人間としての化身は、男性であれ女性であれ際立った美貌を持っており、その本能のままに周囲の人間を誘惑する。ただし、その思考は人間レベルにまで低下しており、会話したり接触しただけで化身と判断することは難しい。


 この神の最も優れた、そしておそるべき能力は、人間から産み落とされた全ての存在を強制的に自らの内部に回帰させる力である。

 これこそは神の祝福であり、我々の目指す救いの一つの形だ。

 である限り、かの神に抗うことはできない。

 いあ、しゅぶにぐらす。


 ~ススキノの教会より発見された屍食教典儀Cults of the Ghoulsより一部抜粋の上、和訳~


【第11話 子供の領分 第四曲「雪は踊っている」 終】

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