第10話 子供を殺すの? 後編

「教会には普段からシスターが一人、お悩み相談は基本的に何時でも受け付けているらしいが、午後九時から午前五時が基本的な営業時間だそうだ」

「うわ、昼夜逆転だね」


 禮次郎とクチナシはすすきのでは有名な某酒造メーカーのヒゲのおじさんの看板の下を歩いて行く。そこからキャッチを無視し、迷案内ロナンと書かれた案内所を素通りし、すすきのの外れへと進んでいく。


「騒がしい街だね。南区とは大違いだよ」

「これでも地下の零番地のあたりは侘び寂びが有って良いものなんだぜ。美味いそばの店が有ってな。深夜にそこで飲む日本酒がまた堪らねえんだわ」

「またお酒? 程々にしなよ?」

「分かってるって」

「あ、禮次郎、前から人来てるよ」

「ん?」


 禮次郎の横をホスト風の優男が通り過ぎる。

 ホスト風の男は、電信柱と禮次郎の間に有る狭い隙間を通ろうとして、禮次郎にぶつかってしまった。


「おっと、失礼」

「いや、こっちこそすまねえ」


 二人は軽く頭を下げた後、何事も無かったように歩きだす。


「ねえ、禮次郎。もしかして今の人ってスリとかだったりしない?」

「安心しろ。そんなマヌケ、俺がやらかす訳無いだろうが」

 

 そう言って笑う禮次郎のポケットには小型拳銃デリンジャーが二丁入っている。

 先程の男が禮次郎の服のポケットにこっそりと仕込んだ物だ。

 警官に声をかけられるリスクをギリギリまで減らす為に、禮次郎は武器を教会の側で入手することにして、事前に清水会の人間に武器の調達を依頼していた。


「さて、此処が教会だ」


 禮次郎とクチナシは教会へと辿り着く。

 すすきのの隅に打ち捨てられたレンガ造りの一軒家。

 十字架と【お悩み相談受付】と書かれた看板だけが目印だ。

 近くの電信柱の下には清水会の組員に用意させたブリーフケースが放置されている。中には禮次郎が頼んだガソリンが入っている。


「クチナシ、一芝居付き合ってもらうぞ」

「本当にやるの?」

「……ああ」


 ――清水会の組織力で火器の準備や人払いを行い、クチナシの父の遺した手記を元に魔術師対策を練った。

 ――準備は完璧だ。

 ――気がかりなのは、命より大切なクチナシを連れてこなくてはいけなかったことだけ――

 禮次郎は内なる不安を誤魔化す為に、ポケットの中の二丁のデリンジャーを握りしめた。


     *


 教会の中に入るとすぐに礼拝堂だった。外見のみすぼらしさと裏腹に内部は清潔に保たれている。

 礼拝客のためのベンチが左右に三個ずつ並べられ、奥には祭壇が設けられている。祭壇のすぐ側には小さくて黒い箱のような懺悔室があった。


「……あら」


 祭壇の前で跪いていたシスターは、禮次郎達の来客に気づいて立ち上がる。

 

「ようこそ、こちらは神の家です。どうなさいましたか?」


 微笑むシスター。

 どこか儚げで、おっとりとした雰囲気の美女だ。

 ――マリア本人じゃなかっただけマシだが……似てるな。

 修道服の上からでも分かるスタイルの良さに、禮次郎は若干の恐怖を覚える。


「此処で女性の悩みを聞いていただけるという話を聞きまして。妹を連れてまいりました」

「……」


 クチナシは無言でシスターに頭を下げる。

 シスターは何か辛いことが有ったと解釈して、表情を曇らせる。


「お嬢さん。私は一介の修道女ですし、貴方は信者ではないかもしれません。でもだからこそこれは懺悔ではありません。どうぞ素直に悩みを打ち明けて下さい。例えどのような内容であっても、神に誓って口外はいたしませんから」

「本当……ですか?」


 クチナシはか細い声でシスターに尋ねる。


「当然です。神に仕える者ですから」


 シスターは力強く頷く。


「さて、お兄様はこの礼拝堂で待っていただいて良いですか?」

「ええ」

「それでは妹さんにはそちらの懺悔室に入ってもらいます」


 シスターは礼拝堂の隅の懺悔室を指差す。


「シスターさん、よろしくお願いします」

 

 おどおどしながらもう一度頭を下げるクチナシ。

 シスターはクチナシの手を引いて、彼女を小さな黒い箱に似た懺悔室へと導く。

 懺悔室には二つ出入り口が有り、片方が懺悔する人間、もう片方がそれを聞く人間の為のものとなっている。


「ご安心下さい。これでもお悩み相談には自信がありますから」


 クチナシが部屋の中に入ると、シスターはその小さな黒い箱に反対側から入る。

 禮次郎はポケットラジオに見せかけた盗聴器にイヤフォンを繋げ、目を瞑った。


     *


「僕、好きな人が居るんです」

「あら、恋の悩み?」

「そうとも言えますし、そうじゃないとも言えます。とにかく、複雑で……」


 盗聴器から禮次郎の耳にクチナシとシスターの会話が入ってくる。

 シスターは禮次郎と違ってクチナシには砕けた口調で接しているようだ。


「あの、シスターさん。恋愛とかってしたことありますか?」

「勿論よ。昔は結婚して子供だって居たんだから」

「そうなんですか?」

「でも事故で旦那も息子も亡くしちゃってね……今は此処でこうして働いているわ」

「辛い事があったんですね……」

「過去の出来事よ。神様に頼って、なんとか乗り越えたから大丈夫」

「神様に……」

「私の夫も、息子も、今は神様の所に居るから大丈夫。そう思えるようになったの。そしたら神様に感謝したくなって……気づいたらこんな所まで来ちゃった」


 そう言ってシスターは笑う。


「そういうの、僕は素敵だと思います」

「あらそう? そう言ってもらえて嬉しいわ」

「僕、父親から愛された記憶が無いんですよ」


 その台詞で禮次郎は凍りつく。

 ――おい、台本にねえぞ。

 しかし一度始まってしまった会話を今更止めることはできない。

 禮次郎は二人の会話の成り行きに耳を澄ます。


「……苦労したのね」

「父は狂っていました。兄に助けてもらうまでは、ずっと監禁されていて、自由な生活もありませんでした」


 クチナシはポツポツと話し始める。

 真実と虚構を織り交ぜて、己の悩みを打ち明ける。


「父は新興宗教の類に嵌っていたようで、僕は今の僕じゃなくて、一度蘇った時に記憶を失って不完全な状態になっていると言っていました」

「……」

「ある日のことです。僕は本物の娘になれないと言われて、父の言う良く分からない儀式の生贄にされることになりました」

「生贄?」

「訳の分からない薬を飲まされて、朦朧としている内に裸にされて、父親が近づいてくるんです」

「……」

「ギラギラとした目で、でも少し泣いていて、薄ら笑いも浮かべていて、その頃には毎日殴られていたから特に怖くもなんともなかった筈なのに、怖いと思ったんです。父の手が私の身体に触れた瞬間、怖いと思ったんです。こんなのお父さんじゃないと思ったんです。あいつを、父親だなんて思ったことは無かったのに。このまま大人しくしていたら、一生残るような傷をつけられると思って……」


 シスターは沈黙を保つ。


「それで……殺しました。無我夢中だったので、詳しいことは覚えていません。だけど僕は父親を殺して逃げました。そして兄の家に転がり込みました」

「……よく告白してくれました。神は貴方の罪を咎めません。だけど、どうしても心が咎めるならば、お兄さんと一緒に警察へお行きなさい……。勿論ですが行かなくても、誰も咎めません」


 禮次郎はポケットの中のデリンジャーに手をかける。

 実のところ、禮次郎は迷っていた。

 ――このシスターが本当に善人である可能性は捨てきれない。

 ――それでも、相手が魔術師かもしれない以上は、魔術を使わせる前に不意打ちをかけるしかない。

 ――俺は悪党だ。今更何をしても、地獄行きの罪状が一つ増えるだけだ。

 禮次郎は自らに言い聞かせ、震えるその手でデリンジャーを握る。


「でも、まだ僕は話していないことがあります。僕にはこちらの方が罪深いことのような気がしてならないんです」


 その台詞が禮次郎とクチナシの間で決められていた合図だった。

 禮次郎は椅子から立ち上がり、懺悔室へとゆっくり歩み寄る。


「まあ、それは何?」

「僕は、実の兄を愛してしまいました。これはまだ兄にも言っていません」

「まあ……」


 シスターの注意が完全にクチナシの方に向いた瞬間。

 禮次郎はデリンジャーで懺悔室の扉の鍵を破壊し、そのまま懺悔室の中になだれ込む。


「きゃあ!?」

「動くな、この教会に来た女性についてお前に聞きたい事がある」


 禮次郎は怯えるシスターにデリンジャーの銃口を向ける。


「――どうやって殺した?」

「え、あ、あの……一体何のことですか?」


 禮次郎はシスターに向けて引き金を引く。

 暗く狭い懺悔室の中で響く銃声。


「ははっ、こいつのことだよ」


 シスターは無傷だ。

 弾丸は空中で直角に曲がって、シスターの足元に孔を開けていた。

 禮次郎はその弾痕を見てニヤリと笑う。


「お退き下さい!」


 次の瞬間、禮次郎は見えない力に押し出され、礼拝堂の床に叩きつけられる。

 ――ビンゴだ。


「くははははは! やっぱりそうか!」 

「妹さんの語る内容に嘘が無いと思って信じてみれば! まさか神の家で狼藉を働くなんて! 信じられない方ですね! 妹さんに恥ずかしくないのですか!」


 怒りに燃えるシスターは懺悔室から飛び出す。

 禮次郎は床に寝転がりながらゲラゲラと笑う。


「嘘も分かるのかシスター様! こいつはいよいよ魔法使いの類らしい!」

「魔法使い? まさか、貴方も――」


 シスターはそこまで言ってから気づく。

 なにやらガソリン臭いと。


「俺? 俺は只のヤクザだよ」


 禮次郎は懐からライターを取り出し、着火して投げ捨てる。


「――化物が許せねえだけのなあ!」


 シスターの足元、懺悔室の出口近辺の絨毯に、禮次郎はガソリンを染み込ませていた。

 禮次郎の投げ捨てたライターの火はガソリンに引火して、シスターの修道服に一瞬で燃え移る。


「キャアアアア!」


 苦悶の声を上げてのたうち回るシスター。

 禮次郎はむくりと起き上がって、靴の中に仕込んでいたナイフを取り出す。


「高速で飛翔する弾丸を逸し、見えない力で大の男を吹き飛ばす。そして正体不明の呪いで女ばかりを腐らせ殺す。そんな魔女には火あぶりがお似合いだろう?」


 禮次郎は礼拝堂の中を転げ回るシスターに向けてナイフを勢い良く振り下ろす。

 しかしその時だ。


「なっ……!?」


 禮次郎の身体はまるでコンクリートで固められたように動かなくなる。

 そしてシスターの身体を包んでいた炎は一瞬で止まり、今度はシスターがケラケラと狂気じみた笑い声と共に起き上がる。


「魔女……ふふ、魔女ね。良いわ。凄く似合っているかもしれないわね」

「認めるのか?」

「でもね、仕方ないことなのよ。だってそうしないとあの子が見つからないんだもの」

「……は?」

「生まれてこれなかったの。あの子は、私の可愛い息子は生まれてこれなかったの。あの人は最後まで自分の子が無事だったと信じて死んだのに。なのに私のお腹のあの子まで死んでしまった。だから生まれなくちゃいけなかった。私の子、生まれ損ねたあの子をどうにかして生まなくちゃいけなかった」


 ――狂ってやがる。

 禮次郎は自分を半ば無視して喋るシスターに困惑する。

 禮次郎を見ているようで見ていない。その狂気に彩られた瞳は、禮次郎ではない何処か遠くを見ている。


「だから呼んだの。マリア様のお導きに従って。呼んだ、よんだ、ヨンダ。何処に居るかはわからなかったから、手当たり次第に沢山呼んだの。でもどれがあの子かなんて分からない。母親失格よね。最低、最低だけどこれしかなかった。若い女性が集まりそうな場所を選ぶように言われたわ。そして集まってきた彼女等に、を降ろしてあげたの! 身体を求め、肉をかきあつめ、生まれる場所を探し、でも上手にできなかったから内側で腐って破裂した。ええ、そうよ。全部失敗していた。全部全部、でも私は違う、私は――」

「マリア!? お前、やっぱりあの女の――」


 泣いている。シスターは饒舌に語りながらも、泣きじゃくっている。


「ねえ満足? これが事情よ! 貴方が探ろうとした事情! 聞きたかった? 笑う? 憐れむ? 憤る? 自分をすがって来た妹を差し出してまで聞きたかった話?」

「ちょっと待て、差し出すってどういうことだ?」

「今頃貴方の妹さん、外で死んだ連中みたいになっていると思うわよ? だってほら、!」


 シスターは先程までの穏やかな美貌からは想像も出来ないほど醜く歪んだ表情で笑う。


「クチナシ!」


 禮次郎は必死で懺悔室へと走ろうとするが、足が一歩も動かない。


「くそ! そんな馬鹿なことが!」

「アハハハハハハハハ! 馬鹿ねえ! 関わらなければ穏やかに暮らせたものを! 貴方達がいけないのよぉ! 私達親子はただ、幸せに――うっ!?」


 その時だった。

 シスターが口元を抑えてその場でうずくまる。


「う、ぐ……あ、あ゛」


 シスターの口から、とろみのついた茶色い液体が吐き出される。

 鼻にツンと来る不快な酸い匂い。

 ――吐いた!?

 禮次郎がの目の前でシスターの身体に異常が起きる。


「ああ――ああ!」


 シスターの腹が突如膨らみ始めた。


「来てくれたのね、私の赤ちゃん!」


 シスターは涙を流し、笑い始める。

 だが禮次郎は知っている。

 これは単なる呪い返しだ。

 禮次郎がクチナシに与えた指輪、あれは佐々総介からの封筒に入っていたものだ。

 煙水晶は古来より魔除けとして使われていた石。それを加工した指輪にも当然魔除けの力が有る。

 ――総介さんは、ここまで見越していたのか?

 禮次郎の問に答える者は居ない。


「やっと会えた! 待って、もうすぐ、もうすぐ……」


 膨らみ続けるシスターの腹部。

 もはや修道服がはちきれんばかりだ。


「お願い、お願いよ。この子は、この子はちゃんと生まれるの! ちゃんと私の所に来た子なんだもの、この子は私の子供! だったら生まれられる筈よ! お願い、お願いしますマリア様! 私ならどうなっても良い! 私など!」


 その瞬間、禮次郎の身体を押さえつけていた力が消える。

 それと同時に、シスターは一際高く絶叫する。


「ああ! この身が裂けても――/ グチャ /――良いから!」


 肉の引きちぎれる湿った音と共に、修道服が血に染まる。


「禮次郎? 何が有ったの? 大丈夫? 禮次郎?」

「来るな! クチナシ、お前はそこに居ろ!」


 シスターはその場に崩れ落ちて、満足げな笑みを浮かべる。

 彼女の修道服の下で、何かがもぞもぞと這い回っている。


「ちっ……最悪だ」

「来ないで! 待って、お願い! 私はどうなっても良いから!」


 禮次郎が近づいてくるのを見て、シスターは必死で懇願する。

 もう指一本も動かせないと思っていた禮次郎は、その声に一瞬怯む。


「この子、だけは……助けて、神様ぁ……」


 だがその結果、禮次郎は見てしまう。

 修道服の下から這い出した赤ん坊の姿を。

 

「んぎゃあ、んぎゃあ」


 人間の腕を無理矢理引きちぎって強引に繋げたような球体が、掌に開いた口から産声を上げていた。

 シスターはその異形を抱きしめて、かばうように蹲る。


「助けて……助けて……ああ、神様、お救いください!」


 禮次郎は渡されていたもう一丁のデリンジャーを取り出す。


「こいつがお前達の救いだ」

「な、なにそれ!? やめて! せっかく! せっかく! 此処で殺されたら! 私は何のために、のよ!?」

「知らねえよ。俺だって人殺しは初めてだ」


 禮次郎はシスターを蹴り飛ばすと、その腕から転がり落ちた異形を撃つ。

 そして絶叫するシスターの頭部に向けてもう一発。

 禮次郎は親子に残りのガソリンをかけ、ライターで火をつける。


「今日は厄日だな……」


 禮次郎は懺悔室の扉を開き、クチナシが無傷なことを確認する。


「行くぞ、クチナシ。此処が燃え落ちる前にシュブ=ニグラスの手がかりを探す」

「……分かった」


 禮次郎はクチナシを抱きしめ、彼女の目をその手で覆う。


「目を閉じて何も見るな。俺の手を握ってついてこい」

 

 その晩、禮次郎とクチナシはシスターの部屋で屍食教典儀Cults of the Ghoulsなる英語の本を発見し、それを持って教会を立ち去った。

 翌日の朝刊で、教会の小火ボヤ騒ぎが報道されたが、警察は事件性が無いと判断。すぐに忘れられた。

 最初から、何も無かったように。


【第10話 子供を殺すの U n b o r n ? 終】

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