第9話 子供を殺すの? 前編
金曜日、午前十一時。
その日、禮次郎は清水会のオフィスに呼び出されていた。
スリーピースのスーツを着た老人――清水龍之介――は、同じく赤いネクタイに黒いスーツ姿の禮次郎が入ってくると早速要件を切り出した。
「札幌で、女が次々殺される事件が起きている」
「女?」
「女子大生、キャバ嬢、OL、共通点は成人女性ってことだけだ」
「そんなの
「うんにゃ、そうもいかねえ。殺された女どもってのがどいつもこいつも真夜中に
「H大がねえ……そいつはまた懐かしい名前だ」
「うちのシマで働く女共も大分死んでいてな。このままじゃススキノ中の店が空になっちまうんだ。禮次郎、なんとかしてくれ」
弱りきった顔の龍之介だが、禮次郎はそれに輪をかけて困った顔である。
――断れねえ。
正直なところ、禮次郎はもうこんな事件に関わりたくないのだが、そうも言っていられないのが渡世の定めである。
「待って下さい
「人面魚の一件をどうにかしたのはお前さんだろうが」
「いや、ですから、あれは……その……」
「ああ別に皆まで言うな! お前さんがなんとかしたってのは分かってる!」
「……違うと言えば、嘘になりますが」
「ほら見ろ。こいつが事件の資料だ。お前、すすきのから女が消える前になんとかしてこい」
「無茶言わんでくださいよ
禮次郎は珍しく弱気な声を上げる。
「無茶は言ってねえさ。誰とは言わんがお前さんならやれるってよ」
「俺が? 一体誰です?」
「この資料を横流ししてくれたお医者さんさ。こいつにはお前宛のプレゼントも入っているって仰っていたぜ?」
龍之介はそう言って大きな封筒をバサリと投げ渡す。
医師の知り合いは何人か居るが、こういった異常現象について関わっている医者といえば一人しか居ない。
――佐々総介だ。
――となると、逃げ切れないか。
禮次郎は溜息を喉の奥で飲み込んで、頷く。
「……分かりました。俺も
禮次郎は諦めて大人しく仕事を受けることにした。
龍之介は破顔して頷く。
「おう! よく言ってくれた!」
「代わりと言ってはなんですが、組以外の人間に仕事を手伝わせる許可をいただけますか?」
「組以外の人間?」
「先だって戸籍を用意してもらった子供です。俺が拾ってきた子供ですよ」
「ああ、前に話していたな! あの小娘か!」
「お許し頂けますか?」
「構わねえよ。そうか、あの子供の力で人面魚もなんとかした訳か」
「いや、まあ、企業秘密ってことでお願いします」
「構わねえよ。お前さんが組の為に働く限り、こまけえことは不問にする。だからなんとかしてこい。良いな?」
「承りました。香食禮次郎、一仕事して参りやす」
禮次郎はソファーから立ち上がり、龍之介に向けて深く頭を下げた。
*
清水会のオフィスから出ると、禮次郎は車の中に戻り、すぐに佐々総介に電話をかける。平日の昼日中だったにも関わらず、総介はその電話にすぐに出た。
「香食です」
「おや、香食君。三笠以来だね」
電話口で呑気に笑う総介。
余裕のない禮次郎はいきなり主題に入る。
「一体どういうことですか。総介さん。何故今回の仕事に首を突っ込んでるんです?」
――酷く情けない声を上げているな。
禮次郎は自嘲する。
「それはほら、その事件が僕にとっても大事な話だからだよ」
「どういうことですか? 総介さん、貴方は一体……」
「ん? 僕は君が知るとおりの男だ。詞隈先生の手記は読んでいるだろう?」
禮次郎は凍りつく。
総介は隠す素振りすら見せない。
――話しても問題ないと思われている。
――俺は結局この人の掌の上か。
「……はい」
「三笠のことは覚えているかい? 恐らくあのクチナシって子が君に説明してくれたと思うけど……」
「……」
「怯えることは無いよ。僕は生前のクチナシさんを知っている。だから君達のことが可愛くてしょうがないんだ。君達をどうこうしようというつもりは無い」
禮次郎は真っ青になって沈黙する。
電話の向こうで総介はクスクスと笑う。
「香食禮次郎。君は知りすぎた」
三文芝居に有りがちな、あまりにもお決まりの台詞。
だが言う相手が佐々総介であるというだけで、禮次郎は震えが収まらない。
「お、俺を……どうするつもりですか?」
「どうもしないよ? ただ、そのシュブ=ニグラスの使徒の一件は君達になんとかして欲しい。僕では相性が悪いからね」
「シュブ=ニグラス? 知っているんですか?」
「ああ、君が興味を持っているシュブ=ニグラスの情報も、きっと其処には有ると思うよ」
「聞いても教えてくれないんですね」
「弟子でもない君に何を教えろと? 我々はあくまで仕事仲間で、友人ですよ。申し訳ありませんが、業務上、これ以上の情報を君に提供できないんですよ」
何時もと変わらない総介の態度に、禮次郎は薄気味悪さを覚える。
だがそれ以上に恐ろしい。総介は自分の秘密を明かしている筈なのに、逆に禮次郎が命を握られているような感覚がする。
「……分かりました」
「事件の解決に必要なものは封筒の中に入れておきました。これは僕から君への好意の証です。我々がこれから先も友人であれることを祈っています」
「ええ……」
「それでは患者を待たせているので失礼します。あと、クチナシさんは大事にしてあげてください。それでは」
総介との通話が途切れる。
禮次郎はため息を吐いて煙草に火を点けた。
生きていると思うことが出来た。
*
金曜日、午後三時。
ちょうどクチナシがマカロンを作り終えた時、禮次郎は帰ってきた。
「ただいま……なんか甘い匂いがするな」
「マカロン作ってた」
「作れるの? マカロン?」
「禮次郎に買ってもらったレシピ集読んだらなんとかなった」
禮次郎は試しにマカロンを一つ貰って齧ってみる。
ふんわりさくさくほのかに甘い。抹茶味である。
――確か、滅茶苦茶難しかった筈なんだけどな。
禮次郎は首を傾げる。
「宿題は?」
「あー、あのドリル? 終わったよ。教科書と参考書読みながらやったら簡単だった。分かりやすい参考書で助かったよ」
――確か、高校生向けの数学の問題だったんだけどな。
禮次郎はもう一度首を傾げる。
――やっぱりこいつ、頭良いのか。
「どうしたの禮次郎?」
「いや、なんでもない。なあクチナシ、ちょっとお前に謝らなければいけないことがあるんだ」
「え?」
「すまない」
禮次郎は深々と頭を下げる。
「えっ、何? 急に何? 浮気? 僕というものがありながら浮気でもしたの?」
「違う。ともかく話を聞いてくれ。実はだな……」
困惑するクチナシに、禮次郎はこれまでの経緯を説明した。
*
「という訳で
「浮気の方がまだマシだったかなこれ……」
ため息をつくクチナシ。
「待ってくれ、クチナシ。どうしようもなかったんだ」
「あのさ……もうそういうの止めない禮次郎? 命が幾つ有っても足りないよ?」
クチナシは呆れて肩を竦める。
「そうは言うが……
「はいはい。分かってます。今回もやるっきゃないもんね」
「やってくれるのか!?」
「ともかくその資料って奴見せてよ」
「それは駄目だ」
「なんでさー! 僕に頼る気有るの!? ねえ!」
「内容は俺が要約して伝える。俺は人間の体が内側からはじけ飛ぶ写真をお前に見せたくない……」
それを聞いたクチナシは、禮次郎が抱える茶色の封筒を見つめながら、表情を引きつらせる。
「それ、そんなにやばいの?」
「子宮の中で腫瘍が膨れ上がって、腫瘍に溜まった腐敗ガスの圧力で中の歯や髪がはじけ飛ぶんだ。この写真を提供してくれた医師の見立てによれば奇形腫の類だってよ」
クチナシは明らかに異常な内容を淡々と説明する禮次郎に恐怖を覚えたが、知らない言葉への興味が勝り、禮次郎に質問する。
「きけーしゅ?」
「人間の体内にできる腫瘍は分かるな。ガンとかの仲間だ」
「うん」
「普通の腫瘍は肉が増えていくが、奇形腫では増えた肉の中に髪とか歯とか眼球とかの人間のパーツが作られるんだ。日本でも昔から有名なマンガで取り扱われているんだぜ」
クチナシもグロテスクな物に耐性はあるつもりだったが、禮次郎の説明がなまじ分かりやすかったせいで、その情景がありありと想像できてしまった。
「うぇ……なんでそんな嫌な説明するのさー……」
若干涙声である。
「お前がしろって言ったからだろ……俺でさえしばらく食欲無くすレベルの写真だったぞ」
「スプラッタ映画をゲラゲラ笑って見る禮次郎が? 信じられないね」
「一緒にするなよ。映画は人が死なないだろ?」
「はあ……分かりました。それで、僕に何ができるのさ」
「何時も通りだ。俺と一緒に調査に来てくれ」
「調査? 目処は有るの?」
「ああ、警察内部の組員から面白い情報が上がってきている」
「警察から?」
「
「うげ、真っ黒じゃんその教会。前のマリアって女と関係しているんじゃないの?」
「それは俺も思った。だが組の情報網によれば、マリアは現在函館の教会で働いている。こっちの動きが感づかれる前に全部終わらせるつもりだ」
「そんな都合よく行くかな?」
「後は会わずに済むように、神に祈るさ。それしかできねえからな」
「本当に苦手なんだね」
苦々しげな表情をする禮次郎がおかしくて、クチナシは思わず笑ってしまう。
「あいつに限らず、俺は成人女性が苦手なんだ」
――知ってる。
しかしそれを即座に言わないだけの温情がクチナシには有った。
――だから子供が好きなんでしょ?
とも思うが、それも言わない温情が有った。
「それってなんで?」
それはそれとして彼女は常日頃からの疑問を禮次郎にぶつける。
――理由次第では、怒っちゃうかもなあ。
そんなことを考えながら。
禮次郎は暗い顔で答える。普段の自信満々の禮次郎とは大違いだ。
「マリアの家でマリアをナイフで切りつけてたおばさんを見て以来……駄目なんだ。皆あの人みたいに見えてきてさ……」
「……あー、そういうことか。ごめんね」
「ごめん?」
「ほら、禮次郎。良いからこっち来なさい」
クチナシは敷きっぱなしの布団の上で正座して、自分の両腿を叩く。
「辛かったと思うから、今日は僕の膝の上で泣きなさい」
「……え?」
「禮次郎はあれだよ。道間違えて引き返せなくなっただけの普通の人だよね。僕は分かってあげるから、大丈夫」
「俺が? 普通の?」
「まあでもその御蔭で僕は禮次郎に会えたから、僕はきっと禮次郎を大切にしてあげなきゃ駄目なんだと思う」
「どうした急に……」
クチナシは急に恥ずかしくなってしまい、顔を赤くして自分の太腿をペチンと叩く。
「ええい! ぐだぐだ言わないでさっさと来る!」
「は、はい!」
禮次郎は言われるがままにクチナシの膝の上に頭を乗せる。
「ちょっと大人しくしてなさい! いい?」
「ああ……」
禮次郎はいきなり何事が起きているのか良く分からないまま、クチナシの膝の上に頭を乗せる。
お互い何をしているのか良く分からないまま、時間が過ぎる。
だけど、それが不思議と嫌でない自分にクチナシは気づいていた。
――ああ、きっと、これが。
彼女がそんなロマンチックな感情に浸っている時、禮次郎が懐から小さな箱を取り出して彼女に渡す。
「知り合いに頼んで用意してもらったんだ。サイズが合っていると良いんだが……」
「え、これなに? なに?」
箱のサイズから、それが何か分かっているクチナシだったが禮次郎にあえて聞く。
「……家に来てもうすぐ二ヶ月だからな。プレゼントだよ。俺の個人的なツテで用意してもらった」
「プレゼント! ふふ、嬉しいなあ……どれどれ? わぁ! ネックレス!」
「外して指輪にもできる。悪くないだろう?」
「うん……素敵!」
――きっと、こういうのが、幸せなのかな。
禮次郎はそんなクチナシの手の中で静かに光る煙水晶の指輪と、それ以上に輝くクチナシの瞳を見て、幸せそうに笑っていた。
【第9話
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