第49話 美少女、売ります
「さ、コーヒーを飲みたまえ。客室は余程の乱痴気騒ぎを行わない限り絶対防音。船長さえも盗み聞きはできない。政治家の密談にも使われるそうだよ?」
「あ、ありがとうございます」
有葉さんの客室まで戻ると、彼は機嫌良さそうにコーヒーを出してくれた。
有葉さんが飲んだのを見てから遠慮がちに口をつけてみると、さっぱりとしていて喉元を過ぎれば香りが広がるなかなか美味しいコーヒーだった。
【
「むっ、気に入ってくれたようだな。アメリカン、あるいはウィークコーヒーという奴さ。荒く挽いた豆を使って多めのお湯で手早く淹れることで少ない豆でたっぷり飲める。執筆活動のお供という奴だよ。おかわりも有るぞ」
僕が美味しいと思ったのを察したのか、有葉さんは更に上機嫌だ。
こんな状況じゃなきゃ有葉さんともゆっくり話してみたいのだが、今はそれよりも気になることが有った。
「どうした。なにか話したいことがあるのか?」
「この後はどうやって脱出するんですか?」
「あっ……ああ、んん、大事な質問だ!」
有葉さんはそう言ってコーヒーを勢いよく飲み干す。
「説明しよう。この船のセキュリティは基本的に厳重だ。船に乗るのはコネがあれば誰でもできるが、船を降りる時は大変でね。乗船者の証である切符を本人が持った上で各種の検査に合格しなくてはいけない」
「僕が降りることはできるんですか?」
「ん~、鈴森恭平が降りることはできないだろうね。だが君が船から降りることはできる。明日の朝、函館港に停泊する予定があるからさ」
「どういうことです?」
「話は簡単だ。君が有葉緑郎になれば良い。薬を飲んで姿形を変えたことは無いか? 魔術としては非常に基本的なものなんだが」
普通は無い。
「そしたら有葉さんはどうするんですか?」
「はん、俺がどうやって君の居る部屋に忍び込んだと思う?」
有葉さんはニヤリと笑う。
「この船のセキュリティは乗るのが簡単で降りるのが難しいことになっている。だが客室に関して言えばその逆、入るのが難しい。切符を持っていなければ、魔術によって構築された防壁が侵入者を焼き尽くす」
「どうやって突破したんですか?」
「俺はほんの少しだけ時間を超えた。大魔術だぞ、凄いだろう?」
「時間を?」
「地球上の位置座標を固定した上でわずかばかり未来に跳躍する。そうすれば部屋の中にだって突然あらわれることができるという訳だ。部屋に張り巡らされた防壁はこの時空にしか存在しないからね」
時間を超えて魔法を突破する……それってつまり!
【
「それが原因であのティンダロスの猟犬に追われているんですよね?」
「その通り」
平然と言っているが、危険極まりない行為の筈だ。
「そこまでしていただいた……ってことですか」
「何、俺は元いた時間に戻るだけだ。ほんのわずか、五秒ほど過去に戻るだけだよ。俺の身体は特別製でね、時間移動の負荷に耐性があるんだ」
「分かりました。でも気になっているんですけど……」
「どうした?」
「僕が逃げ出したことが発覚したらチェックが厳しくなりませんか?」
「ああ、実はこっそり身代わりの人形を置いてきた。24時間は保つ筈だ。明日の朝には函館に着いている事を考えれば、まあ充分なんとかなる数字だな」
仕事が早い。
じゃあ本当にあとは逃げ出すだけか……。
「本当に後は船を降りるだけなんですね」
「ん~、鈴森京太郎には借りがあるとは言え、危険だったらわざわざ助けに来ないからね」
「正直ですね……」
苦笑いしか出ない。
そんな時、部屋の扉がノックで鳴らされる。
「今度は何が起きても大人しく、召使いとして振る舞っていたまえ」
「はい」
有葉さんが部屋の扉を開けて船員に応対する。
【
「今晩のオークションの内容はこちらのカタログの通りになっております」
「ありがとう。ふむ……ふむふむ」
「一同、有葉様の参加をお待ちしております」
「ああ、何時もお疲れ」
有葉さんは船員にチップを渡す。
船員は愛想良く笑みを浮かべながら部屋を出ていった。
「……さて」
有葉さんは実に良い笑顔で僕を見る。
なんだかわからないが絶対に良くないことを考えている。
そういう目をしている。
「仕事も終わったことだし、人買いに行きますか!」
何を言っているんだこの人は。完全に仕事帰りの晩酌感覚だ。
おそらく自分がすごい顔になっているのだろうなと、ぼんやり感じた。
「嫌ですよ」
「いいや、君はノリノリで向かうことになるね」
「そんな馬鹿な……」
「なにせほら、君のお友達が出品中だ。君を助けようとしたんじゃないか?」
パサリ、と音を立てて僕の目の前でカタログを広げた。
*
オークション会場に僕は来ていた。
理由は単純。
シャンを名乗る女に連れられて、僕がよく知る少女が震えている。
月森優奈。
緑がかったボブカットに、同じく緑っぽいベスト。そしてデニムのミニスカート。いつもどおりの格好の彼女だが、ただ一点、赤い宝石のついた首輪を嵌められたその姿が異常事態を物語っている。
「はーい、皆様こんにちわ~! 本日も豪華客船ヤロールのオークションに参加いただき誠にありがとうございます! 本日はなんとサプライズ出品ということで、皆さん楽しみにしてくださったかと思います。今回のサプライズ商品はこちら! 月森優奈16歳、深淵研究会所属の探索者です! この船の秘密を調べ、中に忍び込もうとしたところを警備の者によって捕獲されました! 可愛いですね~? 食べちゃいたいですね~? でも
会場のギラついた瞳を前にシャンは笑う。
優奈さんが怯えているのを楽しむように、会場の人々の下卑た欲望の気配を味わうように。
今にも飛び出したかったが、そうもいかずに僕は椅子の手すりを強く握りしめる。
「ここで商品になっていただいた月森優奈ちゃんから一言~!」
「……」
今にも泣きそうなところを堪え、優奈さんはうつむく。
「もー、愛想よくしないと可愛がって貰えないぞ~?」
優奈さんはシャンを睨みつける。
「鈴森くんは何処ですか!」
「きゃー! 可愛い! そうねえ、教えてあげても良いけど……どうしようかしらねえ? ふふ、うふふ……ああそうだ!」
シャンはなにか思いついたような顔をして息を深く吸い込んだ後叫ぶ。
「会場の皆さん! この女の子、なんと片思いしている男の子を助ける為に、勇敢にもこの豪華客船ヤロールに忍び込もうとしたそうです! ところが仲間の制止も聞かずに深入りし、結局此処でこうして捕まってしまったんですね~! 可哀想ですね~! グッときません?」
会場が笑いに包まれる。腹が立って、情けなくて、悔しくて、目の前が真っ白になりそうだった。
そんな時に、隣に座る有葉さんの手が僕の肩に伸びる。
「まあ落ち着けよ」
そんなに苛立って見えていたのだろうか?
僕は冷静だ。至って冷静だ。怒ってなんかいない。
今すぐ立ち上がって向かっていったら危ないことくらい分かっている。腹が立って、情けなくて、悔しくて、ああ……そうか、怒ってるな僕は。
でも今は駄目だ。分かっている。そんなことは……!
「分かってます」
「ここに来る前にも言ったが、あれは俺が競り落としてやる。金はまあ……気になるなら分割払いなり深淵研究会に請求するなりして返せ。幸い俺もさして困ってないし、深淵研究会の連中に貸しを作ることができるというのは悪くない」
「ありがとう……ございます」
そうだ。今は全て有葉さんにお願いをするしかない。
今は耐えるしか……耐えるしかない。
「この通り、まだ何の加工もしておりません。所持する
会場は盛り上がり、次々と値段が釣り上げられていく。
一方で有葉さんはその流れをニヤニヤと笑って見守るばかり。
シャンは言葉巧みに参加者の欲望を煽り、開始から五分が経つ頃には、既に優奈さんの価格は3000万円に到達していた。
「さて皆さん! 他にいらっしゃいませんか? 女子高生ですよ女子高生! 女子高生がたった3000万円で良いのでしょうか? ピッチピチですよ? こんな安い値段しかつかないならあたし自ら落札しちゃいますよ?」
有葉さんは何をしているんだ?
何をするつもりなんだ?
本当に優奈さんを助けるつもりがあるのか?
そんな思考が頭の中をぐるぐると巡っていたその時、有葉さんが動いた。
【
「んん~、4000万円出そう! 丁度、幸の薄いヒロインの出てくる作品を書こうと思っていてね!」
有葉さんがそう叫んで立ち上がる。
周囲の雰囲気が変わる。
これまで高くとも数百万円単位で少しずつ釣り上げられていた値段が、一気に一千万単位で動いたのだ。
「見覚えがあるぞ。有葉一族の道楽息子か」
「あんな小娘に出すお金? 珍しい能力でもないでしょうに、何考えてるのかしら」
「サプライズの為にこれ以上金もかけられないな……」
「この後の未来予知をする亜人の方が大事よね」
それまでは下世話な熱を帯びていた会場の空気が一気に冷静になる。
有葉さんはこれまでで最高の
「んん、なんとでも言えばいいさ、物の価値を知らぬ貧乏人共め」
そう呟き、彼は落札の時を待つ。
三十秒。後少しで三十秒が経つ。
それまでに誰も手を挙げなければ――
「はいは~い! じゃあ、あたし六千万円出します!」
その場に居た全員がキョトンとした表情を浮かべた。
発言したのは紛れもなくオークションの司会進行を司る筈のシャンだった。
「シャンお姉さんね……他人の
有葉さんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「お客様相手じゃなくて、同じ魔術師として、貴方のその顔を見たくなっちゃったの」
「マジかよあの女、司会進行だろ?」
「やあねえ下品ねえ」
「ですがその手の娯楽は分からないでもないですな。あの有葉緑郎がギャフンというのは愉快だ」
「ですね。所詮、お遊びでしょ? まああの青年は運が悪かった」
「上客相手にあれはどうかと思うけどね」
先程まで有葉さん相手に悪態をついていた他の客も、ドン引きの表情を浮かべている。そして今度は正反対に憐れむような同情するようなことを口々に言い始めた。
「馬鹿な女だ……出せることには出せる、が」
有葉さんは悔しそうに絞り出す。
僕にしか聞こえないような小さな声で。
【
有葉さんが動けない理由は僕だって推測できる。
これ以上、お金を出して執着を見せれば、有葉さんが深淵研究会の為に優奈さんを買い戻そうとしているのではないかとシャンに疑われる。
そうなってしまえば、有葉さんに匿われている僕の身も危ない。そうなるのを避けようとしているに違いない。
あくまで悪趣味な好事家、金回りの良い道楽者の小説家の姿を装って出せる限界が今の金額ということだ。
そんなことは僕にだって分かる。
「……萎えた。運営母体が変わってからすっかり下品になったなこの船は。まあ悲劇のヒロイン向きの女は別の所で探すよ、くだらん」
有葉さんは周囲に聞かせるように吐き捨てる。
あくまで暇と金を持て余す道楽者の仮面を被ったままに。
「じゃあ、こちらの商品はヤロールからこの
何処からかベルの音がカランカランと鳴り響く。
「さーて、それでは次の商品です! アシスタント、どうぞ!」
優奈さんは僕の目の前で何処かに連れて行かれた。
泣いていた。
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