邪神任侠~仁義なき探索者~
海野しぃる
1st Season 仁義なき探索者
第1話 少女と墜ちる夜が来る
――未成年者略取は三ヶ月以上七年以下の懲役を食らう犯罪だ。
――捕まれば性犯罪者扱いで
――まったく、冗談じゃねえ。
「はん、まったくもって任侠じゃねえな」
午前二時。
「さーて、どうしたもんかなこいつは」
禮次郎の目の前では十代前半の少女が布団にくるまって寝息を立てている。
彼女は男の住むアパートの前でボロ布一枚だけ身に纏って倒れていたのだ。
まだ夜は氷点下に突入する三月の北海道でのことだ。
――アパートの前で凍死なんてされたら流石に胸が痛む。
こうして、男は少女を部屋に連れ込んだのである。
彼は気付け代わりにワインを飲み干すと、布団の中で眠る少女に近づく。
「おい、起きているか」
彼は少女の頬を叩いて意識があるか確かめる。
呼吸は有るし、死んではいない。
「……んにゅ?」
少女はうっすらと目を開けて男を見る
透き通るような青い瞳、すっきりと整った目鼻立ち、ボロ布から覗くスラッとした四肢、柔らかそうな唇、むにむにとした太腿。子供と大人の間に居る少女の美しさを、彼女は惜しげもなく振りまいていた。
「お兄さん、誰ですか? ここはどこです?」
少女は上半身を起こしてあたりを見回す。
「此処は俺の家。俺は香食禮次郎。仕事帰りにお前が行き倒れていたのを拾った人。わかったか?」
「はい……なんとなく、ですけど」
「なら良い。お前は誰だ?」
「僕は……クチナシ、です」
それだけ言うと、クチナシは黙り込む。
禮次郎は「ふむ……」と小声で呟いた後、矢継ぎ早に少女に質問を浴びせかける。
「まあ良い。喉は渇いていねえか? 腹は減ってねえか? 着替えは? 男物しか無いけど、まあそのボロ布よりはいくらかマシだぞ」
「ボロ布……」
クチナシはそう言われると、自分の纏っていた元タオルケットや自分自身の匂いを嗅ぎ始める。
「あの、その……」
「どうした?」
クチナシは顔を真赤にしてうつむきながら、早口で懇願する。
「シャワー、お借りしても良いですか。僕、その、ここ最近ずっと身体洗ってなくて」
「それならあっちだ。バスタオルは洗面台の下に入っている。着替えに使えそうな物は適当に置いておくからよ、勝手に使え」
クチナシはペコリと頭を下げると、シャワー室へと向かった。
*
「ありがとうございました」
素肌の上にスウェットというなんともしまらない格好のまま、クチナシはまたペコリと頭を下げた。
スウェットの上下は禮次郎の物で、サイズは当然合ってない。
「腹は減ってないのか?」
「大丈夫です」
「表で倒れてたのに?」
「だ、大丈夫です! お腹は減ってないから!」
妙に焦ったような表情を浮かべるクチナシ。
禮次郎は訝しむものの、それを表情には出さない。
元来、仕事で作り笑いを浮かべる時以外は、常に不機嫌な顔の男だった。
「……そうか、そこの炊飯器に朝炊いた米がまだ少し残っている。喰いたきゃ喰え。それと眠くなったらそこの布団で勝手に寝ろ」
禮次郎はクチナシがシャワーに入っている間に敷いた予備の布団を指差す。
「ありがとうございます……禮次郎さんは良い人なんですね」
「んなこと、初めて言われたよ」
「まさか! 嘘でしょう?」
「実は俺、薬の売人なんだ。だからそこらじゅうで怨みを買ってるの」
「あはは、禮次郎さんは面白い嘘を吐くんですね! 僕が子供だと思って騙そうとしてるんでしょう? いくら親切だからってそんな簡単に騙されませんからね!」
クチナシは外見の年齢相応に無邪気な笑顔でケラケラと笑う。
禮次郎はそれを見て初めて口元を緩める。
「……ああ、嘘だよ」
毒気を抜かれた禮次郎の声は、彼自身が驚くくらい優しいものになっていた。
――こんな無邪気な笑顔を見るのは何時以来だろう。
「俺は眠るけど、何か気になることが有ったら何時でも言ってくれ」
「あ、あの……僕」
「なんだ?」
「僕のこと、聞かないんですか?」
「今日は寝ておけ。話なら明日からいくらでも聞いてやるからさ」
禮次郎は部屋の灯りを消し、枕元のベッドランプだけを点ける。
そしてそそくさと布団に入り込んで目を閉じた。
*
禮次郎が布団に入って三十分が経った。
まだぼんやりと起きていた禮次郎は、少女が何者なのかを考えていた。
――家出娘か? ホームレス? 妖精? 怪物? それとも俺に差し向けられた殺し屋の類?
なんにせよ、禮次郎は仕事の都合で恨まれる心当たりが多すぎる。
――薬局と自宅を行き来して、偶に組のクスリの密造を監督するだけのゴミみたいな人生だ。
――今更何も惜しくない。
それが彼の偽らざる気持ちだった。
「まだ……起きてますか」
彼の思索はクチナシの声で中断を強いられる。
「起きてるよ」
「聞いてくれますか」
「勝手にしな」
「……ありがとうございます」
クチナシは隣の布団からもぞもぞと這い出すと、そのまま禮次郎の枕元へ這い寄る。
そして彼女の顔が禮次郎の目の前まで迫る。
「どうした? こっちの布団にでも入りてえのか? それなら勝手にしなとは言えなくなってくるが……」
彼女は一瞬ためらった後、真剣な面持ちで禮次郎に囁く。
「実は僕、父親を喰い殺しました」
「そうか、何言ってんだお前」
単なる家出少女だとは思ってなかったが、それでも父親を殺したと聞かされると流石に驚く。しかも食い殺したと言った。禮次郎は冗談だろうと思って鼻で笑う。
「だから、明日になっても警察には突き出さないでくれると助かります。その……言ってもらえれば、なんでもしますから」
「ハッ、若い女の子がそんなこと言っちゃいけねえな」
――警察に駆け込まれると、俺も薬局や組をクビになるな。
禮次郎はそんなことを考えてにやけている。
「禮次郎さんも美味しそうですよね」
クチナシはそう言って禮次郎の瞳を真っ直ぐに見つめる。
彼女の瞳は真剣そのもの。嘘を言っている気配は無い。
急に、禮次郎の背中を冷たい物が走った。
「お、お前……本当に何を言ってるんだ……!?」
「きっと、禮次郎さんは良い人です。良い人は食べたらどんな味がするんでしょう」
「俺は人を食った事がないからどう答えれば良いか全く分からん」
――さては頭のイカれたガキだったか。
――そろそろ付き合いきれなくなってきた。
――叩き出すか、黙らせるか、クスリの妄想でイカれた
――この部屋の拳銃を使えばできないことは無い。
禮次郎は目の前の少女をどうしたものか、冷静に考え始める。
「美味しいんですよ。赤くて、シャクシャクしてて、りんごみたいです」
「あいにくとステーキはウェルダンと決めていてな。ガキの頃に腹を壊したことがあるんだよ。幼馴染に笑われて恥ずかしい思いをしてな、トラウマだ」
「そうですか……じゃあ僕とは趣味が合いませんね」
そう言ってクチナシは突然着ていた服を脱ぎ始める。
禮次郎は自分の理解を超えた展開に一瞬フリーズした後、我に返って叫ぶ。
「お、おいおいおいおい!? ちょっと待て! どうした!!」
ベッドランプの橙色に照らされた裸体は艷やかで、イタリアの石膏像かなにかみたいにきめ細やかだった。
胸の先はツンと尖っていて、成長途中。そこだけが均整のとれた彼女の身体の中で浮いていた。
だがそれを見て驚く余裕は、禮次郎の頭に残されていなかった。
「――ッ!」
息を呑む禮次郎。
「香食さん。この子達が皆禮次郎さんを食べたがっています」
――口だ。
禮次郎は口を見た。
クチナシの白い脇腹に、柔らかそうな二の腕に、艶めく肘に、あどけなさの残る掌に、まだ浅い胸の谷間に。
鋭い牙が幾つも生え揃った口が、彼の目の前で幾つも幾つも現れたのだ。
唾液でテラテラと光る牙、チロリと覗く赤い舌。
そして嬉しそうなクチナシの微笑み。
「なんだ、そいつは……!」
「この口が、父を殺して食ったんですよ。この口で指、この口で太もも、この口で鼻、気持ち悪いから全部は食べなかったけど……」
クチナシは次々と口を指差しながら禮次郎に近づく。
咄嗟に逃げ出そうとした禮次郎だったが、クチナシは人間と思えない俊敏な動きで禮次郎の上に跨る。
布団越しに押し付けられる細い体と固い牙。
「教えてください。禮次郎さん、良い人ってどんな味なんですか。表面上はツンケンしてても、僕を可哀想だと思って拾ってくれた素敵な貴方なら、きっと教えてくれますよね? 外はカリカリ、中はフワフワだったりして……うふふ」
「残念ながら俺は悪党だ。きっと腹を下すぞ」
禮次郎は涼しい笑顔を作りながらも、全力でクチナシを突き飛ばそうと両腕に力を込める。
だが駄目だ。クチナシは禮次郎の両手を恋人のように握り、力任せにねじ伏せる。
「家族以外の男の人と初めて手を繋ぎました。素敵です。まあこれから家族みたいなものになる訳ですが」
「ふざけるな! 離せ! 何言ってやがる! 俺は死にたくない!」
死が身近に迫っている。
そう思って初めて禮次郎は「生きたい」という気持ちに気づいた。
でも遅い。もう遅い。
「そんなに暴れて……興奮しているんですか? 禮次郎さんってもしかしてロリコンさんなんですか? 別に良いですよ、僕は。子供扱いしてるつもりかもしれませんが、僕だってそういうことくらいは知っています」
「おい、やめ……」
「それに、胃袋に入れば一緒ですから」
まるで恋人にでもするように、クチナシは禮次郎の頬に唇を寄せ……牙を立てる。
頬が裂け、悲鳴を上げる禮次郎。
クチナシは頬から溢れる血を舐めながら、ますます強く禮次郎を握りしめる。
指の骨の内の幾つかが音を立て、砕ける。
その音を聞いてクチナシは悦楽に身を震わせる。
跨った胴体を両膝で締め上げ、禮次郎が叫ぶことができなくなるまで胸を締め付ける。肋骨が折れ、肺に突き刺さる。禮次郎が呼吸をする度に口元から血が吹きこぼれる。
「や……め……助け……」
血を吐きながら救いを求める禮次郎の唇を塞ぎ、クチナシは溢れ出す血で細い喉を潤す。
「んっ……んっ……」
コクコクと鳴る喉の音が酷く艶めかしい。
禮次郎はもはや為す術も無く彼女にされるまま。
満足したクチナシは禮次郎の舌を噛みちぎる。
彼女は抵抗しなくなった禮次郎の布団の中にするりと潜り込むと、禮次郎のパジャマを脱がせ、自らの裸身を擦り付ける。
手に有る口、腹に有る口、全身の口という口を押し付けるようにして、表面から禮次郎の皮を削ぎ、肉を食いちぎる。
その度に禮次郎は細かく震えるものの、結局は何もできぬまま貪られていく。
真皮、筋肉、腱、骨、臓器。
身体の内側に侵入してくる牙、体の内側で自らを味わう舌。その度に神経は引きちぎれ、焼けるような痛みがまだ無傷な禮次郎の脳へと伝えられる。
――痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイタイタイタイタイタイタイタイイイイイイイイイイ。
禮次郎の思考はごく単純なものへと変わっていき、次第にその痛みさえ麻痺し始める。
「し……
禮次郎はろれつの回らない口で死にたくないと呟く。
痛みは無い。その代わりに、自分の中に少女が入り込んでくるような、少女が自分の中に入り込んでくるような、倒錯的な一体感を覚え始めていた。
「美味しい。美味しいよ禮次郎さん。僕もう禮次郎さん以外食べたくない。本当に美味しいんだ。こんなに美味しい人にはきっともう会えないよね。嫌だ……居なくならないで、好き……美味しい……」
クチナシは目玉をくり抜きながら口に含む。その行為が今の禮次郎には天使の抱擁のように思えた。
――嗚呼、こんなゴミみたいな男でも、必要としてくれる娘が居るのか。
――こんな可愛らしい女の子が愛してくれるのか。
――彼女の為に死にたくない。彼女の為に死にたい。彼女の為に死にたくない。彼女の為に死にたい。死にたくない。死にたくない。死にたい。死にたくない。
「禮次郎さん、もう死んじゃうよね? 嫌だな……もう食べられないってことだもんね。お父さんを食べた時は気持ち悪かったんだ。僕に変なことをしようとしたし、僕を娘じゃない化物だって言っていたから」
眼窩に貯まる血を舌先を舐め、鼻を甘噛してその先を舐める。
両足についた口は肺を齧って、まだ空気の残っている柔らかな肺胞の一つ一つを舌でプチプチと潰しながら、ジュルルと音を立てて啜る。
「だけど禮次郎さんは違う。禮次郎さんだったら何処だって食べていい。何処だって美味しい。こんな素敵な人が一度しか食べられないなんてあんまりだよ……僕こんなの嫌……あっ、でも……。そうか、良いこと思いついた」
――食わずにおいてくれるのか?
――今更捨てられるのか?
禮次郎は痛みすら感じなくなった身体でそんなことを考える。
「残さず食べてあげるからね。禮次郎さん」
クチナシの言葉に絶望したのか、それとも安堵したのか。
禮次郎はゆっくりと自らの意思を手放す。
既に今の彼にとっては、絶望も安楽も同じことだった。
【第1話 少女と墜ちる夜が来る 終】
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