第36話 悪魔の取引

「んん~~~~! ちょっと待ってもらえるかなあその話!」


 龍之介の語りを遮ったのは有葉緑郎だった。

 禮次郎と龍之介からの冷たい視線を気にする素振りは無い。


「ショゴス=トゥシャじゃあないかそれ! 香食君の祖父がショゴス=トゥシャということは……あれ、もしかして君って僕達の親戚かい? ダゴン秘密教団北海道支部に来るかい? 歓迎するよ?」

「歓迎するよ、じゃねえよ。お前らの内輪もめに巻き込まれたせいでクチナシは今も病院で寝込んでいるんだぞ」


 禮次郎は緑郎を睨む。

 怒られた緑郎はしょんぼりとしてしまう。


「それで、ショゴス=トゥシャってのはなんだ?」

「ああ……ショゴス=トゥシャというのは深きものどもの中でも特別な資格がある連中のことでね。魔力の籠められた指輪を使ってショゴスと呼ばれる神話生物を操ることが出来るんだ。ちなみに俺もできるけど、エサ代がかかるからやってない」

「それが俺の祖父ってことは……」


 禮次郎は龍之介の方を見る。龍之介は静かに頷く。


「お前もその血が混じっている。俺は最初、ダゴン秘密教団の連中がそれもあってお前らを狙うんじゃないかと考えていた。そして狙われこそすれすぐに殺されるようなことは無いとも見ていた」

「なんだ。今回の事件が一気に他人事じゃなくなってきたな……というか。あれか、俺も将来的には……」


 ――魚面の化け物になるのか?

 ――神居古潭で魚人達が俺を見逃して消えたのもそういうことか?

 ――俺が化物になったら誰がクチナシを守る?


「君も大概不幸だね」

「うるせえ」


 禮次郎はため息をつく。


「でも心配は不要だよ」


 緑郎はケラケラ笑う。


「何故だ?」

「君は一度クチナシ嬢に喰われているだろうに。その時に君の身体は細胞レベルで作り変えられている。故に深きものどもの因子は君に作用しない」

「そのことか……良いんだか悪いんだか」


 禮次郎もマリアとの戦いの過程で自らの肉体が人間から離れていることを知っていた。勿論、それがこういった形で役に立つことは想像していなかったが。

 話を聞いていた龍之介も安堵の溜息をつく。


「佐々先生だけじゃなくて、深きものに近い作家先生からもそういう意見が聞けて安心したよ」

「安心したまえ清水翁。今は良い薬が有るから、変化を可能な限り抑えることもできるぞ。それを使って社会に潜伏している奴もいる。老人たちは根性論を騒ぐがそれで変わる時代でもないし」


 ――深きものどもが気づかれないように潜伏している可能性があるのか。

 それを聞いた禮次郎と龍之介が鋭い目つきで緑郎を睨む。


「そこら辺はほら? プライバシーってやつだし? 教団の事情だからお互い詳しく突っ込まないということで頼むよ?」

「うちのシマで妙なことをしてみろよ。その時は……」

「分かっているともさ清水翁。水清ければ魚棲まず。我々は貴方の縄張りを荒らすような真似はしないさ……四~五十年前の一連の抗争で懲りたからねえ」

「作家先生、お前さん幾つなんだ? 見てきたみたいに語るな」

「老人たちの昔話が好きなんだよ俺は。だから清水翁の活躍も聞かされたぜ。本人からそういう話を聞かせてもらったのは特に面白かった。今度それで一本書いていいかな? 格好良く書くからさ」

「はっ、好きにしな」


 ニィと笑う龍之介。満足そうに頷く緑郎。

 禮次郎は話を実務レベルに戻す。


「それで、今のところカチコミは上手く行っているのか?」


 禮次郎にそう聞かれると、龍之介はこの年に生まれたばかりのiモードメールを眺めて配下からの報告を確認する。

 符丁を使った簡単な報告だが、最低限知りたい情報がすぐに分かると龍之介はこれを重宝していた。


「今のところ首尾は上々だ。話が終わる頃には片付くと踏んでいたが、まあ予想通りだったな」


 そう言って龍之介はパタリと携帯電話を閉じる。


「俺たちのシマを荒らした連中は叩き潰した。ダゴン秘密教団北海道支部との連携が大きかったな。今になってあいつらと仲よしこよしをするとは思わなかったが、今回はお互いの得になったし結果オーライだ。令也の奴もあの世で喜んでいるだろう」

「だったら後は残党狩りか」

「んん、追い詰められた連中が神々を呼ぼうとする可能性も有る。可及的すみやかに頼みたい」

「阿僧祇シモンと奴に持ち去られたのであろうクチナシの心臓が優先だ。有葉、そして組長オヤジさん、二人共それで良いな?」


 禮次郎は状況をまとめる。


「低級とはいえ神の心臓。そんなものを喧嘩相手のダゴン秘密教団の本部には渡したくないね。阿僧祇シモンが持っているならば阿僧祇マリアの復活に使われる可能性もあるし。そこから俺たち北海道支部がどんな反撃を食らうか分かったものじゃない」

「清水会としちゃ、同盟相手の教団の北海道支部と足並みを揃えてやるまでさ。組の利になる限り、準備は手伝ってやるから、嬢ちゃんのことはお前がなんとかしな」


 緑郎と龍之介はそれぞれ頷く。


「阿僧祇シモンの行方は見当がついたらすぐに連絡してください。それまで俺は有葉と独自に動きます。必要な銃器に関してはリストに纏めておきました。あとで目を通してください」

「おう、お前さんに任せて悪くなるこた無いだろう。少し聞きたいことが有るんだが良いか? なに、時間はとらせねえ」

「ええ、勿論です。おい有葉、お前は車準備しておけ。俺もすぐに行く」

「良いともさ。先に行ってくる」


 緑郎が居なくなった部屋で、龍之介はため息をつく。


「ところで禮次郎。さっきの魔術師の兄ちゃんには教えなかったがな、この事件、まだ裏があるぞ」

「どういうことです?」


 禮次郎は驚いて目を丸くする。


「嬢ちゃんの心臓なんてものの情報を知っている奴が誰か分からん。佐々先生じゃなさそうだ。それにあの阿僧祇シモンとダゴン秘密教団を仲介した奴も分からん。そもそも阿僧祇マリアが居なくなったからと言って、ダゴン秘密教団って連中が北海道支部を強硬に支配下に置こうと思う理由もイマイチピンとこねえ。それに対して北海道支部が速やかに俺達清水会との提携を選択した理由もな」

組長オヤジさんはどう見ている?」

「そうさな。俺はこの事件の裏には、野心ギラギラの大悪党が居ると見ている。そしてそいつは北海道支部にとっても俺達にとっても脅威となる人材だ」

「野心ギラギラ?」

「漁夫の利を狙う第三者だよ。佐々先生じゃない。先生は人間らしい欲の無い方だからな。もっとこう……俺達に近い奴だ」

「マジかよ……」


 ――神にまつわる知識を得た同業者ヤクザってことか。

 ――本当に人間同士の利権争いになっちまってるな。


「なあ組長オヤジさん……実はあんた、心あたりがあるんじゃないか?」

「さてな。俺もハッキリしたことは言えねえ」

組長オヤジさん、もう俺はここに戻ってくる人間なんだ。腹の探り合いは無しにしようぜ」

「そいつは……」


 龍之介は葉巻に火を点ける。

 ちょうどその時、部屋の外から爆音が鳴り響いた。


「……何だ今の?」

「おいおいおい、やべえぞ禮次郎。駐車場の方から聞こえたぞ!」


 ――俺のフィアット!

 禮次郎は危うく叫びそうになったのをこらえて走り出す。


「様子を見てくる! 組長オヤジさんは大将だ。ここで待っててくれ」

「待て、趣味の品だがデリンジャーよかマシだ。こいつを使え」


 龍之介は咄嗟に引き出しから取り出したコルトのSAAシングルアクションアーミーを禮次郎に渡す。

 それと同時に部屋の外に控えていた龍之介の護衛がぞろぞろと部屋に戻ってくる。


「ありがとよ、組長オヤジさん」

「頼んだぞ!」


 禮次郎が階段を駆け下りて地下駐車場まで辿り着くと、そこには既にサブマシンガンを構えた清水会の組員数名と、服のあちこちが焼け焦げてボロボロの緑郎が、一人の男を取り囲んでいた。


「いやはや……随分とぼろっちくなっちゃったねえこの建物も」


 溜息をつく男。冬にも関わらずアロハシャツを着ており、派手なリーゼントと縁の無いメガネをかけている。

 その背後には一体の巨大な黒い粘液の塊。ショゴスと呼ばれる怪生物だ。

 アロハシャツの男は爆発炎上してスクラップとなった禮次郎のフィアットに腰掛け、楽しそうに笑う。


「昔は新築だったんだぜ? これの手配が、清水会における俺の最後の仕事だった」

「お前……何者だ!」


 緑郎の問いかけには答えず、アロハシャツの男は懐から取り出した櫛でリーゼントを整える。


「お前が香食禮次郎だな? 俺はお前さんに用事があってきたのさ」


 男は櫛を使って禮次郎を指す。


「用事?」


 禮次郎は男を睨み返す。


「それにしても、さっすが男前だな……グッと来るぜ」


 アロハシャツの男はにやりと笑う。

 禮次郎の背筋に寒気が走る。


「そうかい。話はお前が死んでから聞いてやる」


 禮次郎は男に向けて引き金を引く。それに合わせて清水会の組員もサブマシンガンの引き金を引く。銃弾の壁が男を喰らい引き裂こうと迫るが、それらは全て男の背後に居る粘液に受け止められ、溶けて消える。

 その間に、緑郎は懐から万年筆を投げつけ黒い球体の影に突き刺す。

 それと同時に、黒い粘液の影から欠けた五芒星を象る光が溢れて、ショゴスの動きが止まる。


「あの魔術師、原稿用紙燃やしたら無力じゃねえのか!」


 忌々しげに男は叫ぶ。


「今だ香食君!」


 禮次郎は銃弾を撃ちきったSAAシングルアクションアーミーを捨てて、服の袖からデリンジャーを取り出し、重い引き金を引く。

 彼我の距離は約10m。

 デリンジャーでは当たる訳の無い距離。

 デリンジャーから放たれる銃弾は、不安定な軌道を描きながらも、まるで魔術のように男の額へと吸い込まれる――筈だった。


「くそっ!」


 間一髪の所で男はデリンジャーの銃弾を避ける。

 ――人間じゃない。

 禮次郎は確信した。


「伏せろ!」


 禮次郎は手榴弾を取り出してピンを抜こうとする。

 だがそれよりも早く男は禮次郎の前まで移動して、その手首を握りしめる。


「まあ待てよ。自己紹介をさせてもらおうと思ってな。俺は香食令也。お前のおじいちゃんだよ」


 ――なに?

 令也は驚いた禮次郎を殴り、手榴弾を奪う。

 そして自らに銃を向けていた清水会の組員と緑郎に向けて手榴弾を投げつける。

 爆風と煙に巻き込まれ、彼らの姿は一瞬で見えなくなった。


「ぐ……てめえ! 何をする気だ……!」

「これ、何だ?」


 令也は懐から握り拳ほどの紅玉ルビーを取り出して禮次郎に見せる。

 それはまるで生きているかのように赤く明滅を繰り返している。


「まさか……」


 彼女の血肉を与えられた禮次郎は直感的にそれが何かを理解してしまう。

 奪い取られた筈のクチナシの心臓であると。

 そして令也の笑みから察してしまう。

 奪い取ったのがこの男であると。


「こいつを返して欲しいだろう? な?」

「俺に何をさせるつもりだ……!」


 それを聞くと令也の表情から薄ら笑いが消え、真剣な眼差しを禮次郎に見せる。


「禮次郎、今から俺と来い。見せたいものがある」


 禮次郎は沈黙する。


「有葉が気になるか? それとも清水会への義理か? あるいは聖母教会残党やダゴン秘密教団の本部と組んでいる俺への抵抗感か? 来ないとこいつは渡せねえぞ?」

「……ああ、分かったよ。良くわかった。わけのわからないことにばかり巻き込まれていたが、しっかり理解できた」

「待て! 行くな! そいつは何か企んでいる!」


 煙の向こうから、満身創痍の緑郎が叫ぶ。

 禮次郎は弾の残っていたデリンジャーの最後の一発をその方向に放つ。

 弾は柱にめり込む。


「香食君! やめたまえ!」


 令也は悪魔のように歪んだ笑みを浮かべ、禮次郎の手を握る。


「――どいつもこいつも」

「ん?」

「どいつもこいつも!」


 禮次郎は令也の腕を引き寄せて思い切り頭突きを食らわせる。

 思わずよろめいた令也の上に馬乗りになり、紅玉を奪い取る。


「お前も! 有葉も! 組長オヤジさんも! 手前勝手なそろばんばかりを弾くクズばかりだ! 仁義ってもんは、筋ってもんはねえのか!」


 紅玉を手にした瞬間、禮次郎の腕に力が漲る。


「おらぁっ!」


 振り下ろした禮次郎の拳を、令也は首をひねって咄嗟にかわす。

 アスファルトが砕け散る。

 ――なんだこいつは!?

 禮次郎が自分の体の異変に驚いている間に、令也はするりと身をかわして禮次郎の下から逃げ出す。


「待てっ!」


 地下駐車場から走って逃げ出そうとする令也。追う禮次郎。


「お前さんの言う通りだ。残念ながら俺とお前さんの大好きな仁義ってものはもうねえんだ。俺の好きだった任侠屋の世界はもう終わっちまったの。お前も薄々分かってんじゃねえの? だから組から離れたんだろ? 怖い顔するなよ!」

「うるせえ!」

「慌てなさんなって! もう少しビジネスしようぜビジネス! 話だけでも聞いてくれよ! なあ……ってやべえ!」


 逃げていた令也の足が止まる。

 令也が逃げ出そうとしていた地下駐車場の出入り口には、火炎放射器を構えた黒服の男達がずらりと並んでいる。


「お、おおう! 久しいな兄貴!」

「……おう、久しぶりじゃねえか。冥土から帰ってきたと思えば、また随分と男前になったじゃねえか……兄弟」


 そして怒りに燃える龍之介が、男達の後ろから令也を睨んでいた。

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