Cross Over1 境界線上の交神規定 A.D.1999 【世界卵崩壊率30%】

第19話 境界線上の交神規定《プロトコル》 前編

※今回のエピソードはヨシツゴキヨシ様(@yosituguo )からキャラクターをお借りしました


     *


 1999年8月。香食禮次郎とクチナシは沖縄のある離島を訪れていた。

 浜辺に降り注ぐ太陽。

 鼓膜を撫でる潮騒の音色。

 禮次郎は素肌の上からアロハシャツ、海パンを兼ねた短パン、麦わら帽子にサングラスというラフな服装だ。


「一応大事な仕事だった筈なんだが、まるでバカンスだなこいつは」


 禮次郎はビーチチェアにもたれかかったまま、葉巻を吸う。

 ――盲目生活にもすっかり慣れちまった。

 そんなことを考えていると、クチナシが海の中から上ってくる。

 目は見えないが、波音の変化と砂浜の上を歩くわずかな音、そしてクチナシから漂う潮の香りが近づいてくることで禮次郎には判断できた。


「ねえ禮次郎! まるでプライベートビーチだね!」


 禮次郎は葉巻を吸うのを一旦止める。


「楽しんでいるようだな。何よりだ。随分泳いできたな?」

「うん、体力余ってたからね!」


 クチナシの楽しそうな声に、禮次郎の表情がほころぶ。


「禮次郎も遊ぼうよー! ちゃんと手は掴んでおいてあげるからー!」


 クチナシは禮次郎の手を握って振り回す。

 露出を控えた青いビキニ、濡れた黒髪、長いまつげ、徐々に女性らしくなっていく途中のアンバランスな体つき。

 何処か大人びた体つきと、子供っぽいふるまい。

 クチナシはその不均衡が禮次郎の心を溶かす甘い毒になると知っていた。

 そんなクチナシの悪戯心を知らない禮次郎ではないが、それでも彼は少女の誘惑にあえて負けることを選ぶ。

 ――毒を喰らわば皿までってな。

 今は、子供でも大人でもない妖精のような彼女の魅力、甘い毒に溺れたかった。


「ふふ、それも悪くはない」


 禮次郎はクチナシに手を引かれて海へと歩き始める。

 目が見えない禮次郎の足取りはゆったりとしたものだが、クチナシは上手にペースを合わせている。


「はい、海入るよ」


 禮次郎の足に波が触れる。

 南の海は少しぬるい。

 

「なあクチナシ、海はどんな色をしているんだ?」

「凄く綺麗だよ、真っ青」

「空は?」

「おんなじ」

「そうか、それは良い」


 瞳の光は消えたとしても、心に映る色が有る。

 

「ああ……生きていて良かった」


 禮次郎がポツリと呟いたそんな時だ。


「君達、もしかして二人だけ? 良かったら俺達と遊ぼうぜ」

「地元の娘じゃないよね? ここって誰もいないしさ」


 海水浴場の入り口からの声。

 

「禮次郎、なんか二人組の女の子が二人組のチャラ男にナンパされてる」

「のんびり海を満喫していたかったんだがな……」


 禮次郎はため息をつく。

 クチナシの指差す先では二人組の少女が他の観光客につきまとわれていた。


「クチナシ、ちょっと行ってくるから白杖ステッキ寄越せ」

「放っとけない訳ね。禮次郎ったら良い人なんだから。僕も行くよ」


 禮次郎はクチナシから白杖を受け取ると、葉巻をゆったりとくゆらせながら少女達の方向へと歩きだす。

 一人は背が高く黒髪で、胸元の露出が激しい黒いビキニトップと太腿の露出が激しいデニムのホットパンツ姿の少女。

 もう一人は眼鏡をかけていて小柄な茶髪の少女で、これでもかと豊かな胸の谷間を強調した奇怪な花柄の赤いビキニトップと蜘蛛の巣柄のパレオが特徴的だ。

 どちらも高校生くらいだ。

 禮次郎も視力があれば目を奪われていたかもしれない。


「俺、渋谷しぶや拓哉たくやって言うんだ。良かったら……」

「わたし達、急ぎの用が有るの」


 黒髪の少女は男のセリフを遮って歩きだす。


「まあ待ってよ。俺達、この近くのコテージを借りてて……」

「ごめんなさい。こちらも宿泊先は間に合ってますので」

 

 茶髪の少女は物言いこそ慇懃であるものの、興味が無いという態度を隠しもしない。


「おい、ちょっ、待てよ!」


 拓哉が黒髪の少女に手を伸ばそうとした所で、禮次郎は間に割って入ることを決めた。


「おう、お前ら何やってんだ」


 葉巻を手に持ち、低くドスの効いた声で二人組の男に声をかける。


「な、なんだよおっさん……!」

「言っておくがおっさんじゃねえギリギリ二十代だ」


 白杖を砂浜にわざとらしく打ち付けながら、禮次郎はゆっくりと男達に詰め寄る。


「なあアンちゃんよ。振られるのは恥じゃねえが、振られて引き下がれないのは恥だ。そう思わねえか?」


 禮次郎もヤクザの端くれとして、最低限の威圧の方法は知っている。

 険しい表情を浮かべたまま、禮次郎は二人の男の直ぐ側に迫る。

 身を固くした二人の男の目の前で、禮次郎はニッと笑い、答えを待つかのようにもう一度葉巻を吸い始める。

 そして少し待ってから湿った土と木材が混じったような独特の匂いを持つ煙を吐き出して、更に話し始める。


「とは言え、そんなの若い時にはよくあることだ。俺もそうだった。これで酒でも買って嫌な思い出は忘れてこい。こんな離島のビーチに来てまでつまらねえ思いはしたくねえだろ?」


 そう言って禮次郎は幾ばくかの金を財布から出し、二人の男に与える。

 黒い大きなサングラスをかけて、得体の知れない海外の葉巻を吸っていて、ドスのきいた声で話す盲目の男。

 しかもまだ中学校低学年程度の見た目の少女を侍らせている。

 二人組の男はいろいろな意味で禮次郎がヤバイ奴だと直感した。


「ハ、ハイ……」

「ド、ドウモ……」


 結局、借りてきた猫のような大人しさで、二人組はビーチから退散してしまった。


「騒がせたなお嬢さん方」

「ありがとうございますお兄さん。助かりました」

「そうね、面倒が減ったわ。ありがとう」


 二人の少女は禮次郎にニコリと微笑む。


「おうよ、それじゃあ俺達は帰る。後は友達同士仲良く青春しな」

「ばいばいお姉さん達!」


 禮次郎とクチナシは二人に背を向けた。

 しかし茶髪の少女が禮次郎を呼び止める。


「あ、ちょっと待って下さいますか? さん」

「なんだ? 何故俺の名を知っている」

「わたし達、アンタに用が有ってきたんだよね」

「……どういうことだ」


 禮次郎はアロハシャツの中に仕込んだデリンジャーに手をかける。

 だが同時に、禮次郎の右手に衝撃が走り、デリンジャーが弾き飛ばされる。

 何時の間にか黒髪の少女の手には木刀が握られていた。


「止めておいたほうが良いと思うよ、香食禮次郎」

「そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ水着美少女」

「あら?」

「言っておくが、この距離なら視力の有無は関係ない」


 銃はフェイントに過ぎなかった。

 禮次郎はデリンジャーを吹き飛ばされた隙に、白杖の先端を黒髪の少女の腹に突きつけていた。


「仕込み杖……!」

「ご明察。手品が得意なのはお前だけじゃないからな」

「へえ……思ったよりできるのね」


 汗の変化、筋肉や関節のわずかな音、目では捉えられない数多くの情報を用いて、禮次郎は目の前の少女の状態を探る。


「お前、俺を殺しに来た訳じゃないだろう? 用事が有るな?」

「どうしてそう思うの?」

「最初の一撃で俺を斬れば良いところを、デリンジャーだけを弾き飛ばした」

「そうね……ふふ、どうしたものかしら」

 

 しばし睨み合いが続く。

 しばらくの沈黙の後、口を開いたのは茶髪の少女だった。


「私はリリスと申します。香食禮次郎さん。貴方が今持ってらっしゃるいしをお渡し頂きたいのですが」

「悪いがあれは俺が預かったものだ。渡せないな」

「何方から?」

「答えられないな。ビジネスだ」

「……そうですか」

「やるのか?」

「禮次郎、此処は僕が……」

「お前は無理をするな。昼日中だ。人に見られる」


 臨戦態勢に移ったクチナシを見て、リリスの全身に緊張がみなぎる。


「そちらの子が出るなら、私も黙ってみる訳にはいきませんね……」

「まあ待てよ。全面戦争にはまだ早いだろう?」

「そうか、いや……それなら……そうですね」


 だが冷静さを失っている訳ではない。

 必要とあらば戦闘にも対応できる適度な緊張の度合いだ。

 ――手慣れてるな、こいつら。

 ――こういう手合が一番厄介だ。

 場の空気の緊張が頂点まで達した時、リリスは唐突に頭を下げた。

 

「……いえ、失礼しました。いきなり訪れて無礼を働いたのはこちらです。貴方達と今戦うつもりはありません」

「ちょっとリリス」

「良いんですよナイア。状況が少し私の予想と違いました」

「……分かったわ」


 木刀を水着の間にしまう黒髪の少女――ナイア。

 禮次郎が先程から痛い程に感じていたナイアからの殺気が消えた。

 ――ナイア?

 ニャルラトホテプを想像させる名前に禮次郎は警戒心を強める。

 だが今武器を下ろさなければ、お互いに引っ込みがつかなくなる。そう考えて禮次郎も仕込み杖を下ろす。

 

「助かった。これで葉巻の続きが楽しめる」

「このままだとアンタ、その葉巻の続きも楽しめなくなるんじゃないの?」

「どういうことだ?」

「やっぱり知らないみたいね」

「ええ、もう少し調査が必要ですね。彼も狂信者や魔術師には見えませんし、其処のお嬢さんも理性的に振る舞っています」

「そうね。じゃあいしはもう少し預けておこうかしら。わたし達はここだと敵が多いしね」

「それが良いわ。それでは失礼しますね、香食さん、それにクチナシさん」

「おい、待て」

 

 禮次郎が呼び止めようとした瞬間、一陣の風が吹いた。


「……居ない! あの二人、消えてるよ禮次郎!」


 風が収まると二人の姿は跡形もなく消え去っていた。

 禮次郎は舌打ちをして歩きだす。


「得体の知れない連中だ。一旦帰るぞ」

「う、うん」


 ――しかし、妙だな。

 禮次郎は内心不思議でならなかった。

 禮次郎をねじ伏せるくらい彼等には簡単だった筈だ。

 それを躊躇う何かが有ったのだろうか?

 ――そういや、俺よりもむしろクチナシの臨戦態勢に警戒していたっけ。

 ――確かに彼女は超常の力を持つが、戦闘的には不慣れだ。

 ――そんなの、彼女の立ち居振る舞いを見れば分かる筈のことなのに。

 少しばかり考え込んだ禮次郎だったが、答えが出なかったので、ひとまずこの後の予定についてクチナシと話すことにした。


     *


「少し、状況を整理しようか」


 民宿に戻った禮次郎とクチナシは、宿の老婆が運んできてくれた沖縄料理を囲んで作戦会議を始めることにした。


「僕達ってそもそもさ。荷物をこっちに届けに来ただけだったよね」

「そうだな。佐々博士に頼まれて石を届けに来ただけだ」

「はい、あーん」

「あーん」


 禮次郎が口を開けると、クチナシがゴーヤチャンプルーを運ぶ。

 鰹節と昆布だしが良く効いており、旨味が舌に染み入ってくる。

 それだけではくどくなりそうなところをゴーヤの苦味が口の中を爽やかにして、其処にもう一度豚肉の油が入る。

 ――油がくどくなるかな?

 そう不安になる禮次郎だったが、そこは流石の伝統料理である。

 豆腐の濃厚な大豆の味が、口の中で主張する多くの食材を包み込んでくれる。


「美味いな……」 

「どれどれ僕も……! わぁ、この豆腐……!」


 一緒にゴーヤチャンプルーを食べていたクチナシが呟く。

 そう、豆腐だ。

 固く、大きく、何より濃厚な風味の豆腐。


「沖縄名物の島豆腐だ。昔ながらの絞り方で大豆を絞り、俺達の知る豆腐と異なって水に晒さないで温かいまま売るから、旨味が逃げずに濃厚な味になるんだ」


 そこまで一息に語ったところで禮次郎は気づく。


「……じゃない。違う。そういう話をしたいんじゃない。俺達は今後の方針について語る筈だ」

「今の禮次郎、グルメ漫画の登場人物かなにかかと思ったよ」

「薬剤師なんてやってると金と時間が余るんだ。グルメにもなる」

「辞めたじゃん薬剤師」

「目が治ったら復帰する」

「自由だね業務形態。そんなことできるの?」

「楽勝、まああと十年もすればそうはいかなくなってるかもしれないけどな」

「ふーん……僕も何か手に職つけておかないと」

「ああ、そうしてくれ……まあ今はこの届け物だ」


 禮次郎は懐から金を中に含んだ水晶を取り出す。


「夜になったらこのいしを神社の神主に届けなきゃいけない」

「あのお爺さん、午前中は準備が有るからって受け取ってくれなかったよね。なんでだろう?」

「額面通りに受け取れば祭りの準備で忙しいってことだろうが、石一つ受け取るのが無理って話は有るまいよ」

「それにこの民宿のお婆ちゃんさ。あんまり神社には近寄るなって言ってたよね。息子さんが居なくなってから様子がおかしいとか……」

「ああ、偏屈ジジイだって話は俺も佐々博士から聞いている。俺も必要以上に関わるつもりはない。用件だけ済ませて帰るさ」

「……あ、分かっちゃったかも」


 クチナシは自信満々だとでも言わんばかりの表情だ。

 禮次郎は鼻息の粗さから、クチナシが自信を持っていると理解する。


「あのお爺さん、昼間のお姉さん達が来ると石を奪われるかもしれないって警戒してたんだよ」

「どういうことだ?」

「ほら、昼間のお姉さん達、石を欲しがってたじゃない? ということは、あの石が神社に有ったら神社の方を襲ってたかもしれないよね?」

「まあ可能性は有るな」

「お爺さん、実はあのお姉さん達の事を知っていたから、石を僕達に押し付けたんだよ」

「なんでこのタイミングで来るんだ。あの石はずっと佐々博士が持っていた筈だ」

「あの博士のところから魔術的なアイテムを奪うとか嫌だな僕」

「俺も嫌だ。恩人とかそういう以前に、仮に試そうとでもしたら絶対に死ぬ」


 二人は強くうなずき合う。


「その推測はあながち間違っては居ないのかもしれないな」

「でしょう?」

「お前は賢いな……」


 禮次郎はクチナシの頭を撫でる。

 クチナシは昼寝している猫のような幸せそうな顔で、されるがままになっている。


「じゃあ何故、俺達を直接襲わなかったのか。その理由も推測できるな」

「あの二人は禮次郎が狂信者じゃないことや、僕が人間の姿で居ることを疑問に思っていた。もしかしたら、あの石が神社に渡ると不味いことになると思っているんじゃないかな?」

「そうだな。となると、今の神主が佐々博士の考えているような人物じゃない可能性がある」

「どういうこと?」

「例えば既に狂気に飲まれていて、正しくいしを使えないとかじゃないか? 少しクライアントに意見を伺ってみるか」


 と、禮次郎は携帯電話を取り出し、クチナシに渡す。

 だがその画面を見てクチナシは首を横に振る。


「圏外だよ……島の電話を借りる?」

「いや、駄目だ。確か、ここの電話通信はコストの関係から無線式で……」


 禮次郎は窓を開けて外の様子を伺う。

 窓の外は、昼までの様子とは打って変わって肌寒く、また50m先も見通せないような深い霧に包み込まれていた。


「ねえ、禮次郎……」

「行くぞ。あの石が必要なのかもしれない」


 禮次郎とクチナシは民宿の老婆が止めるのも振り切り、大急ぎで神社へと向かうことにした。


【第19話 境界線上の交神規定プロトコル 前編 終】

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