第18話 外なる神の殺し方・急~君のゆくさき~

「おおマリア様!」

「あの男だ! あの男がマリア様を殺したんだ! 悪魔め!」


 禮次郎は自分の周囲で交わされる会話を聞き、ゲラゲラと笑う。


「あははははは! 悪魔か! ああ、悪魔! そいつは良い! そうだ悪魔だ! 俺は悪魔だ! 大切な人を殺し、罪のない人を殺し、人ならざるものも殺し、殺して殺して殺し続けた。そして最後には神さえ殺した。俺は確かに悪魔に相違あるまいよ!」


 禮次郎の周りをぐるりと取り囲む修道服の女達。

 そしてそれに伴う生肉を固めたゴーレムのような巨人。

 女達はいずれも奇形であり、肥大化した手足や増えすぎた耳目などを持つ異形の存在であった。

 生肉のゴーレムも、所々に素材になった人間の目や髪の毛が残る歪なものであり、中には皮を剥いだだけの人間がそのまま埋め込まれているものもある。

 普段の禮次郎ならば青ざめるような異形の群れだが、今の禮次郎は何も見えないが故に恐怖を覚えない。


「コロセ!」

「殺せ!」

「ころせ!」


 修道女が吼える。

 それにつづいて巨人も名状しがたい低音で雄叫びを上げる。

 この場に居る誰も彼もが禮次郎を憎んでいた。

 だが禮次郎は笑っていた。

 ――マリアに愛されるよりも、ここでボロ雑巾みたいに滅茶苦茶にされて殺される方がずっとマシだ。

 

「どうした。怖いのか? マリアを殺した俺が!」


 既に光を映さない両目から血を流し、禮次郎は歩きだす。

 肌で感じるわずかな気流を元に、禮次郎は確実に出入り口へと進んでいた。

 一方で怒り猛る群衆は、同時に怯えてもいた。禮次郎の推察した通りに。


「うわあああああああああ!」


 シスターの一人が持っていた聖書を禮次郎に投げつける。

 聖書が頭に当たった禮次郎はその場で倒れる。

 起き上がる様子は無い。

 そこからの群衆の動きは早かった。


「簡単に殺すな!」

「八つ裂きにするのよ!」


 恐怖が消え、全てを怒りに塗りつぶされた彼等は、救い主を奪った禮次郎へと殺到する。

 椅子を振り上げて殴り、巨大な足で踏みつけ、禮次郎一人を嬲り続ける。

 

「へっ、へへ……はははは!」


 異形達にリンチを受けながらも、禮次郎は笑っていた。

 彼は服から拳銃デリンジャーを取り出して異形へ向ける。

 異形の波はすぐさま禮次郎から離れる。


「がははははは! ビビり過ぎだろうがよ! 弾切れだよ馬鹿!」


 弾の切れた拳銃をカチカチ鳴らして笑う禮次郎。

 光を失ったが故に、自分を襲うものを恐怖として認識していなかった。

 何より、彼は既に狂気の中に居た。

 元より破滅的で刹那的な男だったが、今の彼は生きるという思考が無かった。


「もう良い! トドメを刺しなさい!」


 声が聴こえる。

 ――ああ、やっと楽になれる。

 禮次郎は心から笑った。


「今いくよ、クチナシ」


 禮次郎は呟く。その間にも肉色の巨人が禮次郎に迫る。

 そして彼等が三叉の槍のようなデザインの農耕ピッチフォークを振り上げた時だった。


「駄目っ!」


 禮次郎にとって聞き覚えの有る声が響く。

 漆黒の粘液が禮次郎の足元から湧き出し、巨人達のフォークを防ぐ。

 そして粘液はウォーターカッターの要領で巨人達を両断すると、禮次郎の前に収束して人間の形を取り戻す。


「その、声は……」


 禮次郎の前に少女が立っている。

 夏だというのにベージュのダッフルコート。下には黒いチョッキ、白いブラウス。履いているのは赤と黒のチェックのスカート、110デニールの黒いタイツ、赤いローファー。

 それは全て禮次郎が選んだものだ。

 少女は間違いなくクチナシだった。


「禮次郎、僕だよ」


 逃げ惑うシスター達。

 礼拝堂に残されたのは禮次郎とクチナシだけ。


「クチナシ、本当にお前、クチナシなのか!?」

「いきなりペタペタ触らないで? やめてよくすぐったいんだから」

「ああ……ああ!」


 クチナシを触りながら禮次郎は血の交じる涙を流す。

 クチナシはニコニコと笑いながら禮次郎の手を掴む。


「ほら、逃げよう。こんなところには居られないでしょう?」

「ああ! 行こう!」


 クチナシに手を引かれ、禮次郎は歩きだす。

 彼の目に光は無かったとしても、彼の手の中に確かな希望が握られていた。


     *


「ここまで来れば……大丈夫かな」


 遠くに車のエンジン音が聞こえてくる。

 ――マリア達の“神の家”が在った町の外れから、函館の住宅地まで来たのか。

 禮次郎はクチナシの手を握りしめる。


「助かったよ……クチナシ。ごめんな、助けられてばかりだ」

「そんなことはないよ。あの時、禮次郎は僕を助けてくれたじゃない。禮次郎と一緒に暮らしたから、僕はこうやって人間らしくいられるんだよ」

「そうか……でもお前、どうやって助かったんだ?」

「あの時、焼かれたふりをしながら地面の中に潜ったんだよ。それで周囲の土に馴染みながらずっと傷を直してた」

「あの短時間でよくそこまで……」

「へへっ、撫でて撫でて」


 禮次郎は繋いだ手を離してクチナシの頭を撫でる。


「ありがとう、禮次郎。僕は禮次郎のこと、絶対に忘れないから」

「なに? ちょっと待て、どういうことだ」


 捕まえようとして、禮次郎が伸ばす手をクチナシはかわす。

 盲目の禮次郎はクチナシの気配や足音がする方に手を伸ばすが、クチナシは全て紙一重で避けきってしまう。


「どうもこうもないよ。僕が傍にいる限り、きっと禮次郎はまた今回みたいな事に巻き込まれる」

「そんな、待ってくれ! 俺は……今の俺にはもうお前しか……」

「そんなことはないよ。きっと、禮次郎にはこれからの未来が有るんだから。だってもうマリアは居ないんでしょう? 禮次郎は禮次郎の人生を取り戻して、いろんなことをやり直す必要があるんだよ。お父さんやお母さんと仲直りしたり、お仕事をもっと頑張ったりさ! そこに僕みたいな化物が居ちゃ駄目だと思う! だから、ね!」


 クチナシが強いて明るく振る舞っているのは、禮次郎にも分かる。

 ――本当は、一番寂しいのは、きっと彼女だ。

 だから今のクチナシを何処へも行かせてはいけないと禮次郎は強く思った。


「そんなものは要らない! 俺は、俺はお前が居なきゃ駄目なんだ! クチナシ、俺はお前を愛しているんだよ……!」


 禮次郎の叫びに答えは無い。

 何時の間にかクチナシの気配は消えていた。

 それに気づいた禮次郎は子供のように鳴き声を上げながら走り出す。

 草をかき分け、塀にぶつかり、車道に飛び出し、救急車に無理矢理担ぎ込まれても、彼は狂ったように泣き続けていた。


     *


 一週間後。

 禮次郎は佐々総介の経営する病院の精神科病棟に担ぎ込まれていた。


「……というのが、この一連の事件の顛末です」


 禮次郎はそこまで語ると深くため息をつく。

 包帯を巻いた両目は相変わらず視力が戻らない。

 病院に担ぎ込まれて処置されたお陰で、ぼんやりとした明暗程度なら分かるものの、これではヤクザとしても薬剤師としても再起不能だ。


「そうでしたか……」


 総介は沈痛な面持ちで頷く。


「女に見捨てられ、視力を失い、なーんにも無くなっちまいましたよ。因縁も、築き上げてきた大切なものも」


 そう言って禮次郎は諦めたような卑屈な薄笑いを浮かべる。


「ふふっ」


 そんな禮次郎を見た総介の口元から抑えきない微笑がこぼれる。


「笑い事じゃありませんって」


 禮次郎は情けない顔でため息をつく。絶望しきっている彼は笑われたと思っても怒る気力が無かった。

 ――こんなことなら、マリアの思い通りになっていた方がマシだったかもな。

 抜け殻になったと感じたことで、マリアとの出会いが大きかったことに禮次郎は改めて気づいていた。


「実はですね。清水会の組長さんから貴方宛に連絡を預かっています。土地の件はカタが付いたとのことでした」

「ああ……そいつは良かった」

「できれば、貴方には顧問として組に残ってもらいたいとのことですが……」

「連絡が無いからてっきり切り捨てられたものだと……」

「私が面会謝絶にしていただけです。此処に担ぎ込まれた時点で、心身共に危険でしたから」

「そいつはなんとも……」

「もう一つ、貴方の勤め先からです。今まで通りの待遇は無理ですが、近年会社の方で力を入れている障害者の雇用枠を使って引き続き雇いたいとのことです」

「薬局ですか?」

「ええ。薬局長さんが是非にと」

「なんとまた……」


 ――今更日常に戻れというのか。

 諦めていたところに思わぬ形で救いの手が差し伸べられた。

 だが禮次郎は何処かでそれを受け入れられない。

 もうそんな暮らしに違和感しか覚えない己に禮次郎は気づく。


「わかりましたか? 貴方の手にはまだ無限の未来が有る。簡単に何も無くしたなどと馬鹿な事をいうので、私は思わず笑ったんですよ」

「いや……すいません。ですが佐々さんも人が悪いですよ。それならそうと先に言って下さい」

「いやあ申し訳ない。こちらも色々と有りましてね」


 総介はコホンと咳払いをして、改まって禮次郎に問いかける。


「さて、香食禮次郎。貴方はあまりにも多くの異常な体験をしてしまいました。このまま全てを忘れて日常へ戻るのも良いでしょう。薬剤師として生きるも良し、ヤクザとして生きるも良し、盲目になってしまった以上、どちらもこなすのは難しいでしょうが、少なくともどちらかはできます。それは貴方が今までどちらの仕事も誠実にこなしてきたからです」


 そこまで言ってから総介は一呼吸して、ニコリと笑顔を見せる。


「おめでとうございます。貴方はあの狂気の日々から解放されました。ここが貴方の戦いの果て、終点です」

「ここが、俺の……終わり?」

「悪い化物を倒して、自由の身となり、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたしって奴です」

「……はん、なるほどね」


 禮次郎は自由という言葉を鼻で笑う。

 彼はそんなもの求めていなかった。


「どうしたのですか? 嬉しそうな表情に見えませんが」


 平和も、自由も、安息も、正気も。

 禮次郎にはもはや意味の無い言葉だった。


「俺は、やりたいことが有りました」

「やりたいこと?」

「クチナシに会いたいんです。クチナシが居なきゃ俺には本当に何も無くなってしまう。あいつに会えるならば、俺は何度だってあの闇の中に走り出せるのに……。ああ、いや、違うな。あの化け物どもを殺して回ることくらいは……ふふ」


 禮次郎がまた神話生物と関わろうと口走った瞬間、総介の表情から柔和な笑みが消える。


「……もう一度あの怪物達の、神と神話生物の世界に関わりたいと?」

「分かっています」

「魔術の才能や知識も無く、生まれ持った特別な資質が有る訳でもない。ただ悪運に恵まれて生き残ってきただけの貴方が、また闇の世界へ踏み出すなんて……無茶というより他にありません」

「それですよ。それが問題なんだ。俺がこんなことになったことそのものが」


 禮次郎の光なき瞳の中に暗い炎が燃えていた。

 その暗く赤く黒い炎を見て、総介は禮次郎がことを悟る。


「ああ……香食君。君は、もう……どうしようもなく……」


 総介はわざとらしくため息をつく。

 そこには何処か楽しそうな雰囲気さえ有る。

 まるで最初からかのような表情だ。

 

「考えてみてくださいよ。佐々さん。奴らさえ居なければ、平凡で大した取り柄の無い俺はこんな目に遭わなかった筈なんだ。クチナシと出会いも別れもせず、マリアだって俺の前には現れなかったかもしれない。そうしたらきっと俺はもっと別の、それこそ平凡だけど幸福と言われるような人生を送っていた筈なんです。だから俺は許せない」

「愚かなことです。全てを忘れる機会でしょうに。今からでも貴方の言う幸福は手に入る。悪いことは言いません。この世界から身を引きなさい」


 禮次郎はため息をつく。


「愚かだと思ったから、俺を利用してマリアを潰したんでしょう?」

「……」


 総介は盲目の禮次郎を相手に、一瞬だけ険しい表情を見せた。

 禮次郎が見たことのない表情だが、盲目の禮次郎は気づかない。


「佐々博士……いいや邪神。そう、あんたがニャルラトホテプなんだ。三笠、函館で俺達の前に現れた神。詞隈良太郎を唆した次は俺って腹積もりじゃないんですか? 構いやしませんよ。今の俺には化物を殺す他に何もない。破滅さえ喜んで受け入れられる」


 総介は否定も肯定もしない。

 ただ、険しい目つきのまま、口元をにやりと歪めるだけだ。


「……はてさて。なんのことでしょうか」

「佐々さん。一度俺を使ったなら、最後まできっちり使い潰したらどうですか。もうクチナシは居ない。だから何も……いいや、違うな」


 禮次郎の虚ろな瞳から透明な雫が一滴流れる。


「俺はあの化物……神話生物って奴らを殺す以外にもう何も無いんだ。俺には何もない。何一つ、何一つやることが無いんだ。それ以外、何もかも。だからもう生きてようが死んでようが……一緒だ」

「恵みを求めた人間に破滅を与えるのは簡単ですが、破滅を求める狂人にはさて何を与えたものでしょうかね」

「なあ、佐々さん、いいや。なんだって良い。俺に殺させてくれ……俺はもうそれしかないんだよ。クチナシが、そうしたらクチナシが俺を見つけてくれるかもしれないんだ……」


 総介は呆れてため息をつく。

 こいつは手の施しようが無い。

 そう物語る表情も、盲目の禮次郎には分からない。


「良いですか。貴方は病み上がりです。しばらくはこの病院で身体を休めて下さい。貴方のしたいは、貴方が健康を取り戻してからです」

「そうっすね……ただでさえ目が見えないんですから。どう戦うか思いつきもしない」

「本当に戦うならば土台を固めなくてはいけません。戦いの土台とは日常の生活です。貴方自身、清水会の組織力と薬剤師の社会的地位を使いながら戦う為の土台を築いていたでしょう?」

「何が言いたいんですか?」

「いや簡単なことですよ香食君。今日から君の世話をする為に、新しい看護婦を雇うことにしたんですよ。紹介したいのですが良いでしょうか?」

「看護婦ですか? わざわざ俺の為に?」

「ええ……入ってきて下さい」


 総介が外に向けて呼びかけると病室のドアが開く。

 ここ数ヶ月で嗅ぎ慣れた香りに禮次郎は思わずベッドから起き上がる。


「佐々さん……まさか!」

「探し出すのに苦労したんですよ。ほら、詞隈さん。挨拶なさい」

「こ、こんにちわ……詞隈クチナシ、です」


 顔を真赤にしてうつむくクチナシ。

 先程までの狂気が嘘のように、毒気を抜かれた禮次郎。


「ふ、ふふ……赤くなることはないでしょうに」


 そんな二人を総介は意地悪く笑う。

 嘲笑するは我にあり、とでも言わんばかりに。


「さーて、後は若い二人に任せますよ。患者はひっきりなしですからね」


 そそくさと部屋を出る総介。

 残された禮次郎とクチナシは何も話すことができずに固まってしまう。

 そのままどれくらい時間が経っただろう。


「……こ、この前の」


 先に声を上げたのは禮次郎だった。


「この前の、返事を聞かせてくれないか?」


 中学生のようにぎこちない禮次郎の問を無視して、クチナシは不機嫌そうに話し始める。


「……何時か、羊が丘で言ったよね。どこまでもついていくって」


 禮次郎はその声を聞くだけで涙が止まらなかった。


「でも僕が居なくなれば全部諦めて、それからなんとか普通に生きようとしてくれるかなって思ったんだ。だけどそれでも……それでも禮次郎が憎くて、怖くて、狂いきって、それでもう止まれないって言うならさ」


 禮次郎は声のする方へと腕を伸ばす。

 クチナシはその手を優しく握り、そして禮次郎の背中へと腕を回す。


「付いていくしか無いじゃない。僕が、のゆくさきへ」


 ――ああ、クチナシが喜んでいる。

 禮次郎は見なくてもハッキリと分かった。

 そのまま禮次郎はクチナシを抱きしめる。

 ――お前となら、何処までだって堕ちていい。

 幸か不幸か、もはや禮次郎にとって、この冒涜的なおぞましい神話的世界こそが、愛すべき帰るべき日常となってしまっていた。


「ああ、行こうクチナシ」


 禮次郎とクチナシは互いの存在を確かめ合うように、何時迄も抱きしめあっていた。


【第18話 外なる神の殺し方・急~君のゆくさき~ 終】

【邪神任侠 1st season Good End】




【2nd season coming soon】

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