第39話 混沌いわく流石にどうかと
その日の夜。
佐々凛の勧めも有って禮次郎はクチナシの病室に泊まることにした。
龍之介が航空機の手配を含めたカチコミの準備、緑郎がダゴン秘密教団北海道支部から魔術的な援護を要請する間、禮次郎も安全な場所で休むべきだと言われたのだ。
「……おや、そろそろ病棟は消灯時間ですよ。一応他の入院患者様も居るので気をつけてくださいね」
禮次郎が病室の外で煙草を吸っていると、佐々総介がひょっこりと顔を出した。
「佐々さん……いらしたんですか」
「ええ、先程帰ってまいりました。事態が切迫しておりますので」
「入院患者ってのはどういうことですか? この病院では一人も入院患者なんて見ませんでしたが」
「簡単な結界ですよ。事態が切迫していると言ったでしょう?」
「……まあ、佐々さんならできるのか」
総介はニッコリ微笑んで静かに頷く。
「魔術師である以前に、医療人ですからね。クチナシさんも含め、患者の安全が第一ですよ」
「それで、事態が切迫しているってのはどういうことですか」
「その前に一つ謝らせていただきたい。あなた方を危機に追い込んだ者の一人として」
「もう気にしないでくださいよ。俺もフリーランスはそろそろ潮時だとは思っていたんだ。それにクチナシは無事だ。あとは化け物どもを東京まで殺しに行くだけでいい」
禮次郎はクチナシを取り戻したことで、いつもどおりに動き始めていた。
即ち、神話生物を見つけ次第仕留めようとする闘争心の塊だ。
「これを受け取って下さい。今回、調査活動の間に手に入れたものです」
そう言って総介は小さな箱を渡す。
禮次郎が確認してみると、中にはルビーの指輪が入っていた。
「これは?」
「クチナシさんの力を解き放つ為のものです。勿論あなたが持っていることもできますが……これ以上人間離れをしたくないならば、クチナシさんに任せてしまうことをお勧めします」
「俺が持っていれば、クチナシを通じて力を借りることもできる……ってことか?」
「お勧めはしません。クチナシさんの本来の力を損ない、あなた自身も狂気に近づいていく」
「もうとっくに正気じゃないさ」
「だが狂気でもない」
総介は禮次郎に微笑みかける。
「ところで、今後のことについてお話しようかと思いましてね。清水さんからは明日の飛行機が手配できたとのことでした。貴方たちだけを先行させずに、清水会の戦力を同行させられるそうです」
「大量の銃火器を運ぶ筈だ。
――いったい、いくら金を積んだやら。
質問しておきながら、禮次郎は龍之介がえげつない方法を使ったのだと予想ができていた。
――まあそのくらいやってくれるからこそ、あの人は頼れるんだけどな。
「それは貴方の専門でしょう? 私は只の子煩悩な町医者ですよ」
「黒幕の間違いでは?」
「ふふふ、秘密です」
総介は眼鏡をクイッと上げる。
丁度その時、二人の間に一枚の紙飛行機が飛んでくる。
紙飛行機はひとりでに折りたたまれ、広げられ、二枚に増えている。
二枚だった原稿用紙は同じように折りたたまれて、広げられ、四枚に増えている。
くしゃくしゃになっては広げられる原稿用紙は瞬く間に増えて折り重なり、人の姿に変わっていく。
「んんー? 楽しそうだねえ君達ィ! 悪巧みかい? 俺抜きでされると嫉妬してしまうよ! 良いのか?」
「ようこそ有葉君」
「これはお久しゅう佐々先生」
「来やがったか。仕事は?」
「任せ給え! 君に任された仕事は完璧にこなしたとも!」
「ほう、仕事? それは気になりますね」
「悪いがね佐々先生、クライマックスまではネタバラシは無しだ。それが俺の愛する物語というものだよ」
「ふむ……まあ良いでしょう。あまり深入りしないのが魔術師同士の流儀というものですから」
「ほら香食君! 使うと良い!」
緑郎は何処から取り出したのか封筒に入った紙束を禮次郎に押し付ける。
禮次郎はそれを受け取ると、脇に抱える。
「ありがとよ」
「それでは緑郎君も来た所で、今後のことについて相談しましょうか」
「有葉、吸うか?」
「喘息だから要らない」
「あっ、そう」
「二人共」
総介が指を鳴らすと空中に日本地図が浮かび上がる。
「こいつはすげえ」
「魔術によるプロジェクションマッピングです。空中を自由に飛ぶ小型の光源を大量に用いることで、空中に映像を映し出しています。このレベルの精度は今の技術では不可能ですがね」
「未来の技術を魔術で模倣しているのか。佐々一族は代々魔眼持ちだと聞いていたが、さしずめ貴方は未来視という訳だ」
禮次郎の目から見て緑郎は嫉妬していると分かった。
――魔術師としては、佐々先生の方がやはり格上か。
――いやしかし、それにしても、妙だな。
「なあ有葉、未来が見えるだけで技術を再現できるのか? 理論が有るのと再現できるのは別だろ。お前の知る未来視ってのはそんなことができるのか?」
「ん……言われれば変だな」
「私、天才ですから」
禮次郎と緑郎は顔を見合わせる。
――そういう奴だしな。
二人は追求するのをやめることにした。
「真面目な話をするとな」
緑郎は咳払いをして、地図の一点を指差す。
「ダゴン秘密教団の東京支部は東京の蜷川区に存在している」
すると地図が東京を拡大して、品川区と大田区の間を映す。
「蜷川区? なんだそりゃ?」
「あー! 蜷川区ですか!」
「佐々先生は知っているんですか?」
「私、大学生の頃にアーカム市のミスカトニック大学で一年ほど勉強していたんですよね。アーカムと姉妹都市提携をしているんですよ」
「そうなんですか。生まれも育ちも北海道なので詳しくないんですよね」
「良いところですよ。昔から佃煮が名物で、東京湾の海産物が美味しいなんて言われていました。町並みも古風で、粋な町でしたよ」
「はっはっは、田舎者だねえ香食君」
カチンと来た禮次郎は思わず反応してしまう。
「お前だって道民だろうが」
脱線開始の合図である。
「僕ァ偶に出版社までお呼ばれするからね! 比較的シティボーイだよ!」
「自称するのが最高に哀れだな……哀れなシティボーイ」
「やめないか!」
脱線の気配を読み取った総介が無理やり話の流れを変える。
「それで、ダゴン秘密教団の東京支部は蜷川区のどちらにあるんですか?」
「この図書館のすぐ隣のビルだよ。一方通行の地下通路で、隣の図書館と近くの
「図書館も囲んでおいた方が良いな」
「一般市民を巻き添えにするつもりか?」
「魔術の隠匿を旨とする魔術師ならば、まあやらない方法ですね」
「川に毒も流しておけ。しびれる程度で良い」
これには魔術師二名がドン引きである。
「完全に悪党の発想じゃないか!」
「ヤクザだぞ!」
「あの、その、美洲川は生活用水にも使われていまして……流石にどうかと」
「それは……まあ、その」
――化物を殺すのだから手ぬるいくらいなのでは?
そう思う禮次郎だが、どうにも理解してもらえ無さそうだと判断して、手段を変えることにした。
「いや、まあ、わざわざ毒とか流すまでもなくなんとかする方法もあるけど……」
「隠蔽が楽ならなんでも良いぞ」
「隠蔽は重要ですね。それと無関係の市民を巻き込まないのが何よりです」
「爆破しようぜ。マリアのところみたいに」
それはそれとして、禮次郎は特に二人の話を聞いていなかった。既に禮次郎は狂気の淵に落ちている。神話生物及びそれに関わる存在への襲撃に際して、穏便に済ませようなどという意見を聞くわけがない。
「は?」
普段の穏やかな態度を捨てて総介が若干頬を引きつらせている。
「雑な爆発オチ良くないぞ!」
冗談であってくれと緑郎は祈っていた。
「いやいやいや、俺にもちゃーんと考えが有るんだって。任せておけよ。面倒事はできる限り少なくしながら、カチコミは完璧に済ませるからさ」
狂人相手に議論は成立しない。
カウンセリングをする時間は無い。
佐々総介の判断は早かった。
「……良いでしょう。有葉君、君は香食君についていって下さい。彼が何をしでかすか分かりませんので」
「俺に押し付けないで下さい!」
緑郎が悲鳴を上げる。
「では貴方が肝盗村に行きますか?」
「おい、佐々総介。何をするつもりだ」
「香食零斗は肝盗村に逃げ込んでいる筈なんですよね。首を切られた程度じゃ死なないでしょう」
もはや二人を無視してダゴン秘密教団東京支部の周囲の建物を見てニヤついている禮次郎。
そんな禮次郎の横で、緑郎がまたも悲鳴を上げる。
「やめてください! あそこはダゴン秘密教団の北海道支部にとっても聖地なんだ!」
「でも放置するとやばいでしょう? それに北海道支部だって君を含めた理事たちが面子大事で東京相手に突っ張っているだけで、下々は別ですよね? 戦後日本の暗部と神話世界の窓口だった香食零斗を匿っている可能性は高いと思いますよ」
「だ、だが……!」
「そもそも、清水龍之介にすら知られずに、これまでどうやって生きて来たと思っているんですか。放置するつもりですか?」
「そもそも貴方が行かなくても……」
「禮次郎君に行かせるつもりですか? それともあなた方の内の誰かが? 身内を殺させるのは忍びない。それにあなた方の中の誰かが香食零斗を匿っていた可能性もある以上、私自ら……あるいは禮次郎君にお願いするのが良いとは思いませんか?」
その時、禮次郎がポツリと呟く。
「あんなのでも俺の祖父なんだろう。俺も、手元が狂うかもしれない。頼んだよ……佐々先生、いや総介さん」
「……恨んでいただいて構いませんよ」
「知りもしない男のことだ。それでいいだろう?」
「きみたちさー!」
「話は決まったな。俺と有葉が東京への
「一度撤退した彼らが戦力を再構築して防備を固めた清水会の本部に攻撃を仕掛けるのは一苦労でしょうね。魔術的にも、物理的にも、既に私が防御を固めなおしています」
「この土地の管理者である佐々総介が魔術師としてそう言うならば、信用すべきだというのが俺の判断だ。それにダゴン秘密教団北海道支部の理事も居る。みすみすこの土地で東京の連中を暴れさせないだろう」
「その通り、それに加えて私が肝盗村に仕掛ける事を知っているのは……有葉君、あなただけなんですよ。なので向こうは私が待ち構えていると思いこんでいます」
禮次郎はそれを聞いてニヤリと笑う。
――有葉も苦労をしているな。
「俺も今は理事側なんだけどなあ。あなたの行動を黙っているのは、背任行為にあたる気がするんだが……」
「背任? そんな事を言っている場合ではなくなるので、ご安心下さい」
「どういうことだ。佐々総介」
「まだ言う訳にはいきません。香食令也という戦後の闇に巣食う怪人は、既に狂気の内に居る。彼を倒す為には
「……まあ、あなたが怪しいのは何時ものことだな」
「よろしい。ではお二人にはオフェンスを、私もオフェンスを、余計な事をされる前にこちらが反撃の芽を叩き潰します」
佐々総介の声はこころなしか弾んでいた。
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