第38話 暴かれし“神”実
「禮次郎……」
クチナシは病室の窓から天を仰ぐ。
傾いた太陽は、茜色の光で世界を染める。
何もかもが終わりゆく黄昏の時代、世紀末の晩秋を照らす最後の光だ。
――僕にできることはあるのかな。
彼女は静かに瞳を閉じて、遠くに居る人のことを思う。
せめて怪我などせぬようにと。
「あら、お祈りでもしているの?」
驚いたクチナシが目を開くと病室には小柄な女性が立っていた。
佐々凛、この病院の院長である佐々総介の妻だ。
クチナシが返事しかねていると、彼女はスルリとベッドサイドまで近寄ってきて、病室の中の椅子に座る。
「この世界に祈るべき神なんて、果たしてどれほどいるのかしら?」
「別に、お祈りをしていた訳じゃありません」
「あら? そういう顔してた気がしたんだけどなあ……具合はいかが?」
「今のところは大人しくしていれば平気です」
「そう……それは何よりね。流石総介さんの魔術。あの人なら多分死なない限りなんでもありなんでしょうねえ。凛が教えてあげたのに、凛よりも腕が良いわ」
凛はそう言って溜息をつく。
――この人は、佐々総介以外に興味が無いんじゃないだろうか。
クチナシは薄気味悪さを覚える。
「……禮次郎が居ないのでお聞きしようかと思ったんですけど、お二人は一体何者なんですか?」
「あっ、やっぱり気になる? でも……わざわざ聞くってことはやっぱり貴方、まだ不完全な状態なのね」
「不完全?」
「総介さんが調べてくれたのよ。それで話す時にクチナシちゃんを怖がらせたくないからって、説明を凛に任せたの。今日来たのは別に問診をしようというのではなくて、その話をする為よ」
クチナシは神妙な顔で話の続きを待つ。
凛はニコニコと笑ってクチナシの頭を撫でる。
「怖い顔をしなくてもいいわ。ただ貴方自身も少し考えてみた方が良いかもしれないわね」
「僕もですか?」
「何故貴方が、詞隈良太郎の手によって蘇った時、生前と全く異なる人格になっていたか」
凛はクルクルと病室を歩き回りながら続ける。
――怖い。
何か自分にとって致命的な事を明かされるという直感だけが有った。
「何故外なる神の化身である阿僧祇マリアによる攻撃呪文を受けて生きているのか……」
「それは――」
「何故心臓を抜かれた後……生きてここまでたどり着けたのか」
凛はその場でクルリとターンしてクチナシを指差す。
「その答えはただ一つ、
「僕が……旧支配者の……?」
「
クチナシはあまりにも大きなスケールで進む話に頭が追いつかなくなる。
――クトゥルー眷属邪神群?
――ドリームランド? 世界?
「でも、僕はそんなこと全く知らない……知らないですよ。そんなすごい力が僕に有るんですか?」
「それは当たり前よ。貴方の役割は“知らないこと”ですもの。意図的に自らの知識を封印して、人間の世界に溶け込む為のアバターとして、元の詞隈
「僕が……そんなものだったなんて。いや、でも、じゃあそれなら……その神の力はどこに行ったんですか?」
「今丁度抜き取られてるじゃない」
「あっ、もしかして……」
「だからこうして真相について貴方自身に伝えに来たのよ? 今なら何を話したところで、もう一人の貴方が邪魔することはないでしょう?」
「……成る程、理にかないます。最初に出会った夜……僕が禮次郎を手に掛けたのも僕自身が……」
「多分、お腹が空いていたのでしょうね」
凛は特に気にする素振りも見せず、あっさりと答える。
「今、何故僕にこのことを伝えるんですか?」
「答えは簡単よ。今、貴方の力が必要なの」
「僕の力が?」
「もうすぐダゴン秘密教団の崇める旧支配者クトゥルーが復活する。それを阻止する為に貴方の力が必要なの」
「僕の……力が……」
「今こうして全ての真実を伝えた以上、貴方は自分の中に眠る神を認識できる。認識すれば、干渉ができる。特にこの身体の主導権は貴方にあるんですもの、いかに神とて、貴方の中に居る限り、そうそう自由にはできない筈よ」
「でもそれって具体的にどうすれば?」
「時が来れば分かるわ」
凛はクチナシを勇気づける為に笑顔を見せる。
――この人怖いし。禮次郎、帰ってこないかな。
クチナシは窓の外を眺める。
「ねえクチナシちゃん。貴方のその力はとても素敵なものなのよ」
「どういうことです?」
「だって貴方はその気になれば何時までだって生きていられるじゃない」
「そんなに良いことなんですか?」
「凛ね、もうすぐ死んじゃうことになっているのよ」
「死ぬ? お元気そうに見えますけど……」
「そうそう。元気なの。ずっと元気で居る為に、死ぬ度に別の肉体に生まれ変わり続けたのよ。覚えている範囲でいえば、今は……五回目くらいかしら? 実は結構なおばあちゃんなのよね」
クチナシは凛の顔をまじまじと見つめる。
「あ、しわとかは無いわよ。この身体はピッチピチだし、まだ三十手前だし」
――確かこの人子供居た筈なんだけど。
――そうは見えないよなあ。
「その、それも、魔術ですか?」
「そうそう魔術。魂と記憶を保ちながら、生まれ変わるの。アトランティスで生まれて、レムリアで一回、古代エジプトで一回、昔の中国にも居たし……あと産業革命の頃のイギリスで過ごしたこともあるわね。ロシアも楽しかったわ。ああそうそう! 男になったこともあったわ!」
「それってなんというかこう……不思議ですね。何故そんなことを?」
「そうかしら? 結局のところ、今ここにある肉の身体は貴方の抱える魂が世界に存在する為に一番合理的な方法ってだけだし、死後に魂がエネルギーの流れへと統合され、巡るのもまた世界を回す合理的な方法。肉の世界も霊の世界も、合理的であるという意味ではさして変わりが無いの。その流れを差配した存在への究極的な接近……
目を爛々と輝かせながら凛は語るが、クチナシにはその意図する所が半分も理解できない。
彼女は首をかしげるばかりだ。
「……?」
「あらごめんなさい。関係ない話ばっかりしちゃったわね。凛が言いたいことは単純でね。生きている限り万物は劣化するのよ。神という例外を除いてね。そして凛はそれが認められずに足掻いてたけどもうそろそろ限界。だから期せずして永遠に指先が触れたまま、人としての理性を持つ貴方が羨ましいと思ってしまったって話。茶飲み話みたいなものよ。ああそうそうお茶でも飲む? 実は洋菓子作りが趣味なの。筋力が必要なことは苦手なんだけど、まあそこは凛も魔法使いなのでちょっとズルしちゃうのよね。料理はほら、魔法みたいなものでしょう?」
「あー……えっと、頂きます」
クチナシがそう言うと、いつの間にかベッドサイドのテーブルに淹れたての紅茶とモンブランケーキが並んでいる。
クチナシがテーブルの上のものをまじまじと見つめていると、凛が嬉しそうにそれを彼女に差し出す。
「どうぞ遠慮なく」
凛はいつの間にか自分のケーキも用意して嬉しそうに食べ始める。
「うん、美味しい。やっぱり天才ね」
「お、美味しいです……」
「話すだけ話したらさっさと帰ってくるように言われてたんだけど、やっぱりこうしてお茶もした方がお互いの事がよく分かると思うのよね」
「分かる?」
「貴方が禮次郎君のことを大事に思っていることとか、思考回路は本当に普通の人間とそう大きく違わないこととか、凛にとっては結構大きな発見なのよ? 本当に」
「僕、禮次郎のこと話しました?」
「顔に書いてあるわ。早く禮次郎に戻ってきて欲しいって」
クチナシの顔が赤くなる。
「素敵なことよ。大切な人が居るっていうのは」
「僕も……佐々さんのことが少し分かったような気がします」
「凛で良いわ」
「……あの、凛さん」
「どうしたの?」
「結局、お二人は何者なんですか? 何故僕達を助けてくれるんですか?」
「あら……忘れてくれたかと思ったんだけど駄目ね。でも結構話したんじゃないかしら? 前世のことなんて、総介さん以外に知っている人は数える程しか居ないし」
「確かにそうですけど……実像が掴めません。助けてくださるのはありがたいですけど……でも……」
「本当に助けているのかしら? 実は今から戻ってくるであろう禮次郎君を狙って、貴方の心臓を奪い取るかもしれないわよ? もしくは事件解決の為に使い捨てようとしているのかも。詳しくは知らないけど、今回のあなた達の巻き込まれたトラブルだって、総介さんがその気になれば防げていた筈よ」
「それは……」
「特に、不老不死の神の肉体を喰らえば私の目的の助けになるかもしれないしね」
「やめてください……冗談ですよね?」
「おほほ。冗談よ。食事による儀式魔術は、貴方の所属する詞隈一族のお家芸ですもの。一朝一夕に真似できるものじゃ――」
その時、病室の扉が開く。
そこに居たのは禮次郎だ。
「これはこれは佐々さん……」
禮次郎は頭を下げる。
「凛で良いわよ禮次郎君! クチナシちゃんを一人にしておくのも寂しいかと思って遊びに来てたのよ! でももう心配要らないわね! じゃあ後は若い二人でごゆっくり!」
凛はそう言うとケーキとお茶を持ってするりと病室を抜けだす。
禮次郎は何か話そうとして彼女を追いかけるが、すぐにクチナシの病室に戻ってきた。
「消えた……廊下の真ん中で」
「あの人は、ほら、ちょっと変わっているから」
「変わっていることは物理法則を超える理由にならないと思うんだけどな……」
禮次郎は病室の扉を閉める。
――ああ、なんだろう。なんとなくだけど分かる。
――禮次郎は持ってきてくれた。そんな気配がする。
クチナシの熱い視線を感じて、禮次郎は懐から握りこぶし程もある巨大な紅玉を取り出す。
「……クチナシ、これを」
クチナシはそれを迷いなく手に取る。
すると紅玉は次第に色を失い、乾いた砂のようになって砕け散った。
反対にクチナシの頬には赤みが差し、表情には生気が満ち始める。
「すごい……何が起きているの? ねえ禮次郎、聞いて聞いて!」
クチナシは禮次郎を促して自らの胸の音を聞かせる。
「ああ……今度はちゃんと聞こえるよ」
疲れた様子の禮次郎だったが、それでも心底安心して、喜ぶ顔を見せた。
――きっと大変なことがあったんだね。
それを知っているクチナシは、禮次郎を抱きしめる。
――いけないことだって分かっているんだけど僕の為にボロボロになっている姿を見ると、本当は少し嬉しいんだよ。
――僕は悪い子だな。
それを懺悔する神など居ないと分かっているから、クチナシは禮次郎を抱きしめる腕に何時もより強く力を込めた。
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