第25話 毒入りスープにんにくマシマシ 後編
「待って! 銃をおろして!」
鍋の中の女性は懇願した。
「あ゛ぁん?」
禮次郎は女性にすごんだ。
「何だよこれ何が起きてるんだ!」
緑郎は悲鳴を上げた。
「お前ら! 彼女から離れろ!」
「あ゛ぁん?」
「ひっ!」
禮次郎が凄むと店主が腰を抜かす。
「客に妙な物を食わせておいて随分とまあ偉そうじゃねえか! 何が狙いだ?」
「お、美味しいラーメンができるかなと思って……」
「人間を出汁にしてか!? ふざけた真似してんじゃねえぞ!」
女性の入っていた鍋を怒りに任せて蹴飛ばす禮次郎。鍋からスープごと放り出される女性。次の瞬間、怒り狂っていた禮次郎も思わず真顔になった。
「……人魚?」
ラーメン屋の床に転がっていたのは人魚だった。
黒い瞳に黒い髪。薄桃色に上気した肌に、豊満な胸元、くびれた腰。
それよりなにより下半身は魚、上半身は人間。
絵物語の人魚そのものだ。
「香食先生、こいつらの話を聞こう」
「だな、何がなんだか訳がわからない。俺も事情は把握したいと……」
「これで一本書けるぞ」
――あ、そっち?
これにはさすがの禮次郎もドン引きである。
*
こうして禮次郎と緑郎は、店主に人魚を水を張った鍋に戻させ、店主を座らせ、改めて話を聞くことになった。
「最初、波打ち際で気絶していたんです」
「そちらの人魚さんが?」
「ええ、なので彼女が人目に触れないように拾って帰ってきたんです。何かから逃げてる様子で、助けてと呟いていたから」
「妙だと気づいたのは彼女が風呂に入った後でした。風呂場全体がなんとなく磯臭い感じがしたんですよね。でも嫌ではない……むしろ美味しそうだと思って……丁度その時、店が潰れそうになっていて。逆転のためにはこれしかないと思ったんです。じゃないと俺、もう海にでも身投げするしか無かったんです……」
――これは笑うところなのか。
禮次郎は興味を無くしつつあったが、緑郎は元気いっぱいに話を聞き続ける。
「ほう? 続けて続けて? そういう独白が好きだよ俺は。ラーメン屋店主はいかにして人魚を出汁に使ったかってな」
「最初は出来心だったんです。でもそれで作ったラーメンがコンテストで優勝しちゃって……行列ができるようになって……」
「私もそうなると、拾ってもらった恩が有るから断りきれなくて……」
「正気かお前ら……?」
「でも美味しかったでしょう?」
店主に悪びれる様子は無い。
「ふざけんな! いくら美味くてもあんなもん作るな!」
「ふははは! 良いぞ、よく言った店主! 芸術家というのはそうでなくてはいけない! 香食先生もまあ落ち着いて落ち着いて」
緑郎の機嫌をとって貸しを作っておくに越したことはない。
禮次郎は一旦話を聞くことにした。
「……まあ最後まで聞くって言ったけどよ」
「じゃあ次はそちらのレディから話を伺おうか!」
「私が彼と出会ったのは半年ほど前です」
人魚はそう言って話を切り出す。
「私は海に遊びに行ってて、そこで波にさらわれてしまったんです。服も着ていたし、当然海から上がれる訳も無くて……そのまま沈んで、ああ私死ぬんだなと思ったんです。そうしたら、海の中で誰かに攫われて……」
「海にね……海に行った理由は?」
緑郎は人魚に質問する。
その質問に何か思うところが有ったのか、彼女は一層悲しげな表情を浮かべて首を左右に振る。
「……分かりません。強いて言えばですが、呼ばれたような気がしました」
「ふむ……呼ばれた、ね。そういう話には聞き覚えがあるな」
「聞き覚えがある?」
「此処に居る君達はこんな言葉に覚えは無いか?
その言葉を聞いた瞬間、人魚だけが頭を抑えて苦しみ始める。
「あ、い、い……痛い! やめて! 来ないで!」
「
「ほう……マナね。もしかして真の魚と書いて
「だったらどうしたっていうんです! 彼女が怯えてます! 止めてください!」
鍋の中で悲鳴を上げる人魚を見て、緑郎は頷く。
「いやあビンゴ、俺の予想通りという訳だ!」
「説明しろ有葉。お前達魔術師の知識で勝手に納得されても困る」
緑郎はわざとらしく肩を竦める。
「まず其処の人魚の女! 貴様の家、大方は海辺の街の旧家だろう! あるいは海外の……いや待て、目元の雰囲気からしてクォーターか? 恐らくは先祖代々、海に封じられた神との取引が有ったんだろうな」
「ふむ……それで?」
「マナ、という言葉はヘブライ語だと神が人に与えた恵みを意味する。また、太平洋の島々の言葉では超自然的な力そのものを表す。しかもキリスト教のシンボルは古来より魚でな。マナという名で、魚の文字を与えられたということは、旧き存在と深い縁が有るとしか思えない。その変異も、意図されたものなのではないか? だとすればその変異を起こした連中は彼女を追いかけて……」
「待ってくれ!」
緑郎の言葉を遮る店主。
「急にワッと妙な言葉を浴びせかけるのは止めてくれ! もう真相なんてどうでもいい! 帰ってくれ! 俺達を放っておいてくれ! 俺達はただ此処で平和に……」
「待つのはお前だ」
店主の言葉を遮る禮次郎。
「此処で、平和に、深きものどもの出汁で作ったラーメンを出したかったと? この札幌の街に妙なものを持ち込むな」
「うっ……」
緑郎はまたわざとらしく肩を竦める。
「ははは、先生の仰る通り! いやあ面白い話だったが、全くろくなものではないな。香食先生、此処は世の為、人の為、俺が始末をつけよう。妙な巻き込んでしまった責任はとらなくてはな」
――仮にも神々の眷属だ。
――その出し汁で作ったラーメンなど、食えば一体どんなことが起こるか分からない。
――こいつらはまず間違いなく止めなくてはいけない。
禮次郎は緑郎の方を見る。
「それにしても有葉先生よ、随分と詳しくはねえか?」
そう聞かれると緑郎はニッと笑う。
「魔術師ってのは大抵何かの神の信奉者だなんて聞くけどよ……どうなんだい有葉先生? あんたは何処の神様を信奉している? まさかこの人魚に関わるところだったりはしないよな? そう、それで後でこっそり供物にしたりとか……」
「……ふっ」
緑郎は持っていた帽子で表情を隠し、高笑いを始める。
「はは……ふははははは……!」
そして笑い終えた後、帽子を僅かに上げて、禮次郎の方を向いて呟く。
「――実に勘が良いねえ?」
禮次郎は迷わず緑郎に向けて引き金を引いた。
緑郎は腹から赤い液体をぶちまけながらラーメン屋の床に転がる。
禮次郎は財布から一枚の名刺を取り出して、ラーメン屋の店主と人魚に投げつける。
「此処から逃げろ。神への供物だなんて反吐が出る。その連絡先の奴は夜逃げ専門の逃し屋だが、まあその名刺を見せろ。話は聞いてもらえるだろうさ」
「あ、ありがとうございます!」
「お前らを許した訳じゃねえ。また妙なことをしてみろ。殺しに行くぞ」
「はい!」
人魚の女ごと鍋を台車に載せ、店主は店の裏のトラックの中に人魚を運んでいった。
発車したトラックを見送る禮次郎。
トラックが夜の街に消えていったところで、彼はラーメン屋の中に戻る。
「おつかれ。あいつら行ったぞ。まあ逃げた後のことを全部面倒見てやるわけにもいかないが、それでもしばらくはなんとかなるさ」
「それは何より。だがせっかくのスーツが台無しだな……」
其処では緑郎が血ノリまみれのスーツ姿でしょんぼりと項垂れていた。
「残念だったな。だが良い筋書きだったと思うぜ。寿司屋でいきなり依頼をされた時はびっくりしたけどな」
良い筋書きと言われると、緑郎はにんまりと笑う。
「褒めるな褒めるな。クトゥルーを信奉するダゴン秘密教団が目をつける前に、彼らを逃がすことができてよかったよ」
「しかし良いのか? 同じ神を信奉する仲間だろうに」
「クトゥルー界隈は派閥が色々あってな。同じ信仰であっても一枚岩じゃないんだよ。それにああいう供物が集まって、我が神の勢力が増すとな」
「増すと?」
「本が売れなくなる」
そう言う緑郎の顔は真剣で、それがまた滑稽で、しかも何処か暖かかった。
要するに、不思議な人間味が有ると禮次郎には思えた。
「……ぷっ、なんだそりゃあ」
「死活問題だぜ?」
「だろうな」
緑郎は持っていた鞄から着替えを取り出して、それに着替え始める。
「それにしても酒が台無しだ。飲み直さないか?」
「今度は奢るよ。幸い懐に余裕ができた」
「ああ、飲ませてもらおうか」
二人の男は夜のすすきのへと消えていった。
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